わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

愛深い人間になる為に(後篇)

2010-09-06 10:27:46 | 癒し
 そういう時は、守護霊さん守護神さんが後(うしろ)で祈る。

 あるいは私が後で祈るんです。

 ですから、そういう時に、この祈り言というものを

強制しても駄目なんです。

 そういう時には、それはそのままにしておいて、その人の

守護霊さん守護神さん、その人の本心が開発されますように

宜敷くお手助け下さい。その人の天命が完うされますように

という、そういう祈りを指導者である人達はやっていかないと

いけない訳です。

 何が何でも成績主義で、皆で声を合わせて唱和する、唱和

しなきゃいけない。なきゃいけないというのはこの場合、

自分を大事にすることにも相手を大事にすることにも、

ましてや、自愛にも他愛にもつながっていかない。

 その有りのままのどうしようもない、もう自分なんか何にも

役に立たないんじゃないかと思われる程追いつめられた人間の

ある一断面というものを見つめていく。

 で、認めたところから人間というものは光が入るんです。

 認めきって、そこで闇に沈んじゃうんじゃないんです。それは、

一つのその否定的な側面というものを認めてしまって、

カラッポになったときに、スゥーッと、光が入るんです。

 光が入ったら引き上げられる訳です。そうして今度は、自分を

愛することも人を愛することも、人を容れることも

出来る様(よう)になる。


 人を愛する。愛するというのも色々ありますけれども、愛する

というのは、愛(いと)しく想う、可愛く想う。ね、この人は

とても朗らかで笑顔が良くっていつも会うとニコニコしてて、

こういう人は愛し易いですね。心に浮べただけで自分の心が

和んできますね。

 その人を浮べることによって、自分も力が出てくる。愛し

いとしは一つなんですが、そこで今度は人を容れる。容れる

ということは何だろう。

 容れるというのは、自分の心が無理な時にでも他の人の

ことを考えて、そうして自分の方へ引き寄せる。

 もっと砕いて言うと、ゆるすということでしょうけれども、

これはなかなか出来ることじゃない。


 先程申しましたね、人間の色んなやり切れない想いとか

何だとか。 色んなごちゃごちゃしたものが出ます。

 で、出て出っ放しだと救われませんから、私はそこで、

消えてゆく姿ということを申しまして、それでいいんだよ

いいんだよと言いながら、皆さんを祈りの座へと高めていく。

 そのお手伝いをしている訳ですけれども。 出しながら

どんどんどんどん自分の色んな嫌な救われない想いを出して

出して出してカラッポにして、そして、世界人類が平和で

ありますようにという中へスゥーッと統一して出し切っちゃって、

もうこれ以上愚痴がありません嘆きがありませんという所まで

出し切ってしまうと、今度カラッポになった中に何が入って

来るかといったら、静かになった中に、今度は人の心の想いが

そのまま大きな深い流れとなって入って来る訳です。


 あるいは、皆さんの心の音信というものを聴き分けている

他の人の心というものが、扉を叩いて来る訳です。

 そうした時に何が働き出すかというと、愛(いと)し

愛(あい)しが働いてくる訳です。

 ということは、無理に受け容れるんではないんです。無理に

受け容れるというのは、これは枷(かせ)なんですね。無理に

受け容れるということはないんです。あるいは、ゆるすと

いうこともなかなか人間出来るもんじゃありません。

 ましてや、色んな事言われて拒否されて、何だかんだされて、

自分がこれだけしてやったのに相手はという想いに

なっている時に、なかなかそれが出来るこっちゃない。

 出来るこっちゃないけれども、ただやっぱり、祈りの中に

一つになってしまうと、あるいは自分がカラッポになって

しまうと、カラッポにしてすべてゼロ以下にしてしまうと、

静かにその人の姿が見えてくる。映ってくる。

 映ってきて、いい所が見えてきて感じられて来た時に、

ああーと思う。愛し いとしが今度入ってきて、そうして、

あ、この部分はなあーと自分が優しくなれていく訳ですね。

 させて貰える訳ですね。


 ですから、愛深い人間になる為には何をすればいいかと

いったら、この有りのままの自分を見つめて見極めて、

辛いなあ悲しいなあと想いながらお祈りを重ねて行って、

そうしてその光と一緒になって行く。

 あるいは、もうこれ以上自分の苦しい事はないという位

文句を言っていって言い抜いてゆくと、その余分なものが

出ますから、出たところで今度は、守護霊さん守護神さん、

あるいは私が抱きとめて、愛の光を入れていく訳です。


 そうしますと、愛しといとしとそして容れるということが

三位一体になって、そうして優しいという所へ昇華していく

訳です。

 そうなりますと我々が求めております、目標としております、

世界平和というものが完成していく訳です。

 その為のやさしさであり、強さであり、見た目ではない心の

奥深さというもの、本心の本体の極みのない広大な世界という

ものを、我々は目の当たりにしていく。

 そういう時代になって行く訳であります。

                     (了)