鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

題目

2015年01月21日 | 日記
このブログのタイトルは、漢字二文字、もしくは三文字。

題目と内容があってないことも多々あったとは思うが…。

昨日のタイトルは「卒業」。

だが、そのくだりまで書けなかった。

その時のことを思うと、未だに泣けて泣けてしょうがない
のである。

後悔はしていない。

彼との生活も、彼との別れも。

彼と一緒になったことさえも。

でも、その時のことを思うと、いくらでも泣けてしまうのだ。

もちろん、なるたけ一人の時だけど。

今こうしていてもだ。

でもいまいち、どういう感情で泣けるのか自分でもよく
わからない。

苦しいわけでも、悲しいわけでも、後悔しているわけでも
なく、ただただ…言葉が追いつかない。

あるのは祈りだけなんだけど…。

だから今は我慢しないで、泣けるときは泣くことにしている。

きっと自分のためってこともあるんだろうと思うから。


で、「卒業」。

ちょっと前から、台所でくちずさんでいた「尾崎豊」の「卒業」。

最後のフレーズだけ。

『この支配からの卒業 戦いからの卒業…』

彼は、私や義父からの支配を卒業し、
私は、彼の病気やエピソードとの戦いから卒業する。

そして、二人とも結婚生活から卒業する。

そんな思いだったんだけど…。

本来の歌の意味とは違うけれど、でも卒業って旅立ちとか
次のステージに移るイメージで。

私と彼は次のステージに移ったんだって。

そのステージは別々のものになってしまったけど、
それぞれの存在はそれぞれを強くするものだと思いたい。



卒業

2015年01月20日 | 日記
とうとう、その日が来た。

彼が一人、家を出ていく。

前日役所に届け出を出した。

もう、私たちは他人になった。

早朝、6時半前に家を出るという。

最寄りの駅まで送ってという。

さすがに朝ごはんを用意する余裕がなく
おにぎりを3つ作った。

たぶん、私の作ったごはんのうち彼が一番
食べたであろうおにぎり。

彼は鮭が一番好きで、うめぼしは嫌いだった。

ひとつ、ひとつラップに包み紙袋に入れる。

手渡すと、「ありがとう。」って。

その日は、寒くてちょっと雪交じり。

娘も行くというので、パジャマの上にコートを
羽織る。

玄関で写真を撮った。

彼と、彼と娘の。

忘れ物はないか聞くと、またバタバタ。

まったく、最後の最後まで…。

3人で車に乗って、駅に向かう。

まだ薄暗い中、ライトをつけて走る。

たった5分で駅まで到着。

「ありがとう。じゃ…。」って言って彼が車を降りる。

この時点で私は、今日初めて泣いた。

ハザードをつけて、車を降りる。

彼に駆け寄り、両手を広げる。

彼は最初怪訝な顔で、いたが構わずハグする。

「頑張れ。」と一言。

頭をぽんぽんしながら、もう一度

「頑張れ、ずーっと応援してる。」と言うと、

「うん、頑張るから。」って。

彼は駅の階段を登る。

私は急いで路駐した来る前に戻り、駅の自動ドアを
彼がくぐるのを見て、車を出した。

車を運転しながら、黙って泣いた。

精神疾患を抱える彼に、「頑張れ」は禁句。

でも、それしか言えなかった。

「ありがとう」はたくさん言った。

でも最後に伝えたかったのは、「頑張れ」だった。




役所

2015年01月19日 | 日記
年明け、5日が仕事始めだった。

午前中は例年、社員一同で初詣。

で、仕事もあるので、翌日6日午前だけ休暇を取って
役所に行くことにした。

婚姻届も二人で出しに行った。

だから、その反対も二人で行くことにした。

行く前にリビングで署名だけしていた届けに捺印。

婚姻届のときは、それを写真に撮ってたなぁ…などと
感慨に浸りながら、それでも怒りも涙もないあっさりと
した調印だった。

まだ冬休み中の娘を一人家に残し、二人で出かける。

たぶん、二人っきりで出かけるのはこれが最後。

この手の手続きは、あれこれと面倒なんでそのほかの
手続きに必要な住民票やら、印鑑証明やらなんやらと
終わらせてから、戸籍担当のカウンターへ。

チェックの末に、受理される。

本当にあっさりとした手続きだった。

でもきっと、カウンターであれこれ話しながら、一緒に
手続きにくる元夫婦ってレアなんだろうなぁ…って。

彼が依然、まだ荷物を最終的に片づける前にLINEで

「まだ、好きなのに別れるってどう?」

と送ってきたので、

「好きだけじゃ、ダメなんじゃねぇ?」

って返した。

きっと私は彼を嫌いじゃない。

嫌いじゃないけど、好きかどうかはよくわからない。

もしかして、好きだとしてもたぶんもう夫婦としてじゃない。

私たちはかろうじて家族の一線はなんとか守り通してここまで
きたけれど、きっと夫婦としてはとっくに崩壊していたんだと
今さらながら思う。

いろんな形があるだろうけれど、私の思う夫婦はイーブンな関係。

色々な役割分担はあったとしても、基本スタンスは対等ってのが
私の考える夫婦の理想だったんだと思う。

でも、病気やら無職状態やら、家事やらなんやら、まったくもって
対等とは言い難い状況の中で、私と彼との関係は常に強者と弱者
とは言わないまでも、パワーバランスが崩れていた。

きっと、それはこの先何年かけても、崩れっぱなしだったんだと
思う。

だから一度関係性をリセットすることは必要だったんだと思う。

戸籍上は他人になった。

が、娘の親同士という関係性は一生続く。

離れた分、やさしくできることも、寛容になれることも
あるんだろうと思う。


意外なほど時間もかからず、区役所を後にし家に帰ると
娘が喜んだ。

寒かったので、3人でココアを飲む。

いったい出かける前と、帰った後と何が変わっているんだろう。

まっ、しょせん紙ベースの話だってことか。

台所にいると、彼が電話をしながらやってきた。

相手は義父らしかったので、避けようとすると、

「話したいっていうから、出てやって。」と言われる。

出なくない、話したくないとは思ったが、これも最後と覚悟を決める。

義父は、今までの感謝と彼や自分たち親の謝罪、そして私と娘の今後
そして、娘にたまには連絡をくれるようにというような内容を話した。

淡々とそれに返事していたが、

「○○の親にも、申し訳なかったと伝えて。」

と言われた瞬間に、また一つシャッターが下りた。

つまり、私の実両親に自分たちの謝罪の気持ちを伝えろという
ことだ。

どうなんだ?それって???

何も実両親に頭下げに行けとまでは言えない。

でも、そうしてもおかしくなくないか?

散々迷惑かけておいて、しかも勝手な言い分で自分からって息子の
愚行をあんたたちは謝る立場ではないと思っているのか?

謝る立場だと自覚していても、それを直接どころか電話でも一切
コンタクトを取る必要がないと思っているのか?

それを非常識だと思う私が間違っているのか???

私と実両親は、これだけバカにされているのか???

たぶん、悪意はない。

悪意はないが、私の思う常識もない。

それだけ始末が悪いと思う。


彼には

「私とあんたの出来の違いは、親の出来の違いだね。」

と強烈な嫌味を言ってしまった。

後味が悪いことこの上ない。


今までも、何度も何度も彼には

「謝ればいいってもんじゃないでしょ!」

と言ったことがある。

謝罪すれば、許されるってスタンスはたぶん親譲りなんだろう。

謝罪すれば、すべてが許されるわけないだろう。

それは、単なる甘えだ。

謝罪しても、その謝罪を受け入れるかどうかは相手の裁量だろう。

しかも、口先だけでは意味がない。

反省し、改善しなければ意味がない。


「私の常識と、お義父さんの常識はまったく違ったんだよね。

 だから、それが尚一層、君を苦しめてきたんだと思う。

 私が怒る意味がわからなかったのはそのせいだと思う。

 でもね、そういう常識もあるって思ってね。」


勢い、あんた呼ばわりしたそれを君に変えてはみたものの
最後の最後に、決定的なスタンスの違いを垣間見たのはなんとも
言えない因果だった。

説教

2015年01月16日 | 日記
あっという間の年末年始の休みを終え
家に帰る日がやってきた。

それでも、ちょっとづつちょっとづつ蓄えていた
覚悟のお蔭でここまで乗り切ることができた。

もう、その決心を覆すことはないって。

私と娘が帰る荷物を準備するのを、実母は
名残惜しそうに見ながら、実父は連れて行った
うさぎにご執心だった。

今まで、何度も何度も実家から我が家に帰るのを
心配そうに見送った実母の顔をもう見ることがなくなると
思うと、それはそれでよかったのだと思うことにした。

彼は、電車で実家から帰ってきた。

あのバカ車は、彼の実家に留め置くことになった。

東京に行けば、維持費がさらにかさむことや
運転自体にも不安がないわけでなかったので
置かせてくれることになって本当によかったと思う。

しかし、義父が

「あんな金のかかる車、車検の残っているうちに

 さっさと売ってしまえばいい。」

と言っているのを聞いて、

(あんたの買ってやったそのバカ車のせいで、うちは

 こんなことになっているんですけど!)

ってよっぽど言ってやりたかった。

この先、売るのか、車体だけ維持するのかは私が
とやかく言うことではないので触れずにおいた。

我が家に着くと、彼が既にいて、相変わらず体調の
悪そうな態だった。

毎年正月明けは、実家で好き放題してくるので調子を
落とす。

場合が場合なので、そう飲んでいるとは思わないが
どうだろう…。

アルコールはともかく、食べるものは食べていたようで
年末に別れたときに比べてもパンパンだった。

パンパンと言うより、尚一層だらしなさが強調されていた。

でも、今さら喧嘩もしたくないので、憎まれ口はできる限り
つつしんだ。

翌日から仕事始めで、その翌日に役所に行くって予定だった。

彼が行くなら早い方がいいって、7日に転医先の予約をしていた
ためだった。

「一緒にいると、つらくなるから…。」って。

そう言われても、私としては

「自分が望んだことでしょ。」としか言ってやれなかった。

あとは、結局説教ばかり。

「これからは自由だね。

 でも、自由には孤独と責任がセットものだからちゃんとしなね。」とか。

「3日もてば、1週間はもつよ。

 1週間もてば、3週間はもつ。

 最初の1か月はたいへんだろうけど、無理しないで頑張れや。」とか。

「お金は大事に使わないとだけど、むやみに使わないでいると

 続かないから必要なものは、ちゃんと買わないとだよ。」とか。

まるで、独り暮らしを始める子供に親が言うようなセリフをこれでもかと
列挙した。

それでも、罵り合ったり、恨み言を並べるわけでなく
お互いがお互いの幸せを思いながら、いられることに感謝しなければ…
って思った。


正月

2015年01月15日 | 日記
10何年ぶりに実家で年を越した後は、ただただ
ダラダラと過ごすことになった。

実家は循環式のお風呂で、いつでも入れることを
いいことに、毎日朝風呂に入り、年末に図書館で借りた
本をただただ、読みふけった。

食事も手伝いはするが、主導権はほぼ実母でおせちもある
のでそのほか簡単にすませた。

何より、ありがたいことにいつ、ご飯なんだろう???と
思うストレスがない。

まぁ、休みに朝7時半の朝食は早すぎる感もあるが、4時、
5時から起きだしている実父を思えば、文句は言えない。

昼も軽くではあるが、ほぼ12時だし、夜も6時過ぎと
平日感まるだし。

でも、そうやって育っていた私にはありがたい。

彼の実家では、夕飯はともかく、朝と昼は何時になるのか
まったくわからなかった。

だから、食べれるときはがっつり食べるっていうか、
次いつ食べれるかわからないっていうか、ちょっとした
サバイバル状態だった。

もちろん、催促すればいくらでも食べれただろう。

だが、結婚して数年はそんな催促できやしなかった。

子供たちがいい加減大きくなると、自分のことではないので
我慢している場合でなく、ある程度の時間になり義母が用意
しないと踏むとさっさと、買い出しにでたりしていた。

さすがに、勝手に台所を使うのは気が引けたから。

それでも正月1日から、買い出しに行かされ、夕食を作らせれた
こともあったなぁ…。

彼は友だちと、私たちの家で飲む約束をしていて、実家には
私と娘だけって年で、ほんとなんで私がここにいるのか???
って思ってたなぁ…。

彼は正月調子が最悪なことも多々あって、娘と二人実家に
帰る道すがら、大泣きしてたことも何度もあったなぁ…。

なんて、回想しながらお風呂でぼんやりしていた三が日だった。


面白かったのは、1日の初売り。

私は昔からアディダス好きで、運動もそうしないのに
ジャージやTシャツ、ハーフパンツを日常使いしていた。

が、悲しいかなお値段が高いので、独身時代のそれを
長く長く使っていた。

ところが、家にいることが多くなった彼に一番お気に入りの
ジャージ上下を取られた。

しかも、そのうちたばこで穴まであける始末…。

そんなこんなで、毎年スポーツ店の初売りのチラシにのる
ジャージの上下がセットになった福袋を眺めていた。

彼の実家からは1時間くらいかかるし、そもそもそれを
買っていいと自分に言えるほど、余裕がなかった。

で、今年の初売りのチラシを見ながら、

「いいなぁ~。」とつぶやくと、娘が耳聡く、

「よしっ!行こう!!」って言う。

開店時間が10時、その時点の時間が9時半。

車での所要時間が何もなければ20分。

しかも、私の欲しい福袋は10セットのみ。

「無理でしょう~~~。」と腰が引ける私に対し、

「いいよ、行くだけ行ってみよう!」とノリノリの娘。

その勢いに乗せられるように、10分で着替えてLet's Go!。

ちなみに化粧までは間に合わず、ニット帽でぼさぼさ頭と
一緒にごまかすことにした。

お店に向かう道すがら、娘はちょっとでも早く着くようにと
信号に祈り、商品が残っているようにと祈っていた。

「そこまでしなくて、大丈夫だよ。」と言うと、

「ダメ。ママは今まで我慢ばっかりしてきたんだから、

 今年からはしないでいいの。

 だから、買えるようにお祈りしたいの!」だって。


生まれて初めて、開店前のお店に並ぶ。

スタッフさんがカイロを渡してくれる。

片手にカイロ、片手を娘とつなぎ、ちょっとわくわくしながら
5分ほど待つと、開店。

ぞろぞろと入って、福袋売場へ。

ごった返した人で、戦意喪失。

すると、娘が素早くあちこち見ながら、お目当ての商品の場所へ。

「ママ、ママ!」と呼ばれ、行くとまだ商品が残っていた。

素早くゲットして、二人で、ハイタッチ。

「マジで買えたね~~~。」って大盛り上がり。

そのあと、近くの蔦屋でお茶をし、娘の本を2冊買う。

なんだか、新年面白い幕開けではあった。

この二人ならきっと大丈夫と思える出来事だった。