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(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

喪失

2015年01月23日 | 日記
何で、こんなに泣けるのか考えてみた。

くどいようだが、後悔はしてない。

何度考えても、あの状況であればこの結果は
いたしかたないとしか思えない。

消防や救急車のサイレンを聞くと、尚更だ。

未だに身がすくむ。

彼の起こしたあれこれのエピソードで私と娘は
完全にトラウマになってしまっている。

あのまま、何も変えずに行ったなら私たちは
一生あの音におびえながら生きていく羽目になった。

私はともかく、娘が不憫でならない。

だったらなぜ…?

と、考えて思い至った。

この半端ない喪失感だ。

このぽっかり空いた穴こそ、彼の私の中の存在跡
なんだと思い至った。

まるまる10年以上、彼のためにとまでは言わないが
自分の思考や行動の基準になったものや、心の内の
娘のことを除いたほんと全てを占めていたものが
すっぽり抜け落ちたのだ。

そりゃ~収まりが悪いわけだ。

私は心の中の再置換をしないといけない。

彼のことでおざなりになっていたものを復活させることで
心の穴を埋めないと。

例えば、自分自身の楽しみとか実家とのつきあいとか。

それなりに長い年月を生きているので、こういう場合
時間が解決することしかできないことを知っている。

独りであれば、遊びに行く飲みに行くなどそれなりの無理も
しようがあるが、私の場合そうもいかない。

それでも、以前に比べたら多少の自由は手に戻ったし。

彼のそれと違って、私の自由には責任はあっても、孤独はない。

だって、娘がいてくれるもの。

彼は私に娘を残してくれた。

だから、私がこんな喪失感に打ちのめされている場合じゃないのだ。

だって、無くしたものは彼の方がデカいのだから。

ここが正念場と思って、時間に身をゆだねてみる。

大丈夫、塞がらない傷はない。

徐々にでも、確実に自分の人生取り戻して見せる。