鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

落胆

2012年06月20日 | 日記
もうじき娘の習い事の発表会がある。

それに向けて毎日家でも練習しているし、前後にするお辞儀や
名前を呼ばれて返事をするくだりまで余念がない。

まっ、娘が頑張っているのは見ているこっちもうれしいので
応援するばかりであるが、どうも外野が思わしくない。

そもそも、財政難の我が家を思って私の実父が娘のレッスン代を
出してくれた。

それを受け、去年の発表会には諸事情(彼が安定しないなど)があり
呼ぶことが出来なかったので、今年は早くから実父母を招くことに
していた。

娘も、

「じぃじにありがとうって気持ちをこめて引く。」と言っていた。

先週末の父の日、今年は何もできなくて申し訳ない…とお義父さんに
電話する途中で娘の発表会が近いと言う話になった。

すると、

「お父さんとお母さんも行っていいかな?」と言われた。

私の実父母も来るけど…と言ったが何のためらいもなく、

「行く。」と言われた。

まぁ…娘の姿を見て喜んでもらえるのは有難いが、正直気が重くなった。

また、あっちにもこっちにも気を使わなければならない…。

一応その旨を実家に電話すると、母は一旦父と相談すると言って保留になったが
昨日断りの電話があった…。

父の理由としては、発表会など場違いでしょうに会わないということと
誰も行かないのはかわいそうだけど、向こうが行くならこっちはいいだろう
ということらしい。

ただし、母親の理由としては彼の調子がよくないのであれば父が行くのは
余計に負担になるだろうし、両家ともでは私が気を使うから…ということ
そして彼の車を見て父が何か言ったら騒ぎだと心配しているから。


彼の車。

彼がこの病気最大級のエピソードで以前乗っていた車を廃車にした。

しかも、その後お義父さんにねだって中古ではあるが、3ナンバーの
車を買った。(排気量は同じ) 

念のために言うが、私は最後まで納得しなかったし、現在も納得していない。

だから納車してからも一切この車には乗っていない。

まったく病気は別にしてもバカ息子にバカ親だと思っている。

この件でとうとう愛想が尽きたといっても過言ではない。


しかし、このいきさつを母には話してあるが、父は知らない。

我が家に停められている以前の車とは違う3ナンバーを見て父が彼やお義父さん
に何か余計なことを言ったら…と心配しているのだ。

また言いはしなくても、不信に思うことは明らかなので、できればその機会は
避けれるだけ避けたい…ということだろう。


私だって、おかしいと思うことをあの父親が黙っていられるはずがない。

もし黙っているなら、それは私の立場を思ってのことなのでそんな負担も
申し訳ない。

だから、昨日電話の後娘に

「じぃじ、仕事忙しくて今回は来れないってさ。
 ばぁあも一人で運転してくるのは心配だからまたにしようって。」と伝えた。

もちろん、娘は落胆した。

「え~~~、じぃじとばぁばに聞いて欲しかったのに…。」って。


しかし、一番落胆したのはきっと私だ。

親に余計な心配をかけ、またこんな余計な気遣いをさせ、母親にしたら
見たいってずーっと言っていたのにそれを実現できないって…。

とんだ親不孝者だと思ったら、いっそう情けなかった。


ただし、落ち込んでばかりもいられない。

娘に、

「じぃじとばぁばの分も、ママが応援するから。」と言うと、

「うん、緊張するけど、頑張るからっ!」と言って笑ってくれた。


いつか、何の気兼ねもなく実家の父母が我が家に来れるようになれば
いいと思うけど、そんな日がくるのかなぁ…自信ないや…。


寝室

2012年06月19日 | 日記
夫婦で寝室を別にしている人ってどのくらいいるんだろう。

歳をとると別にしている人ってよく聞くんだけど…。

まっ、お互いに別の方がゆっくり寝れるしね。

部屋に余裕があれば、いいことだと思うけど…。


お義父さんが帰られてからだから、もう1年近く彼は下の和室で
私と娘は2階の和室で寝ていた。

それが何を思ったから、最近彼は2階の和室で寝始めた。

聞くと、

「2階の方が気持ちいいから…。」だそうだ。

これから暑くなるってのに…って問題よりも、あわてたのは私と娘。

娘など、彼に使われたくないからと枕や布団を一旦自分の部屋に隠す程度。

私も娘と1つの敷き布団ではさすがにきつくなり、夜中に蹴飛ばされることも
あるので非常に困った。

しかし、ここで二人して一緒の部屋で寝るのは嫌だ!とは言いづらい。

夕飯を食べてすぐに2階で寝始める彼に、夜9時過ぎぐらいに2階に行く私と娘。

そこで宿題の音読をして、あれこれ話をしたり、本を読んだり、TVを見たり。

で、寝ようという段階で娘は彼との間に布団を置いてブロックする。

夜中に自分で蹴飛ばすくせに。

朝、起きると娘と彼と頭をふっつけて寝ているのを見ると、やっぱり一緒の
方がいいのかなぁ…などと思ってみたり。

なんだかんだと話する機会も増えたように思ってみたり

何より、完全なる家庭内別居状態ではなくなった気がする…。

変化

2012年06月18日 | 日記
早速であるが、私の変化を記したい。

まず、先週末実家に帰った。

本来の目的は最初入った会社の上司が当時のメンバーを各地から
集めて飲みたいとの連絡をいただいたので、それへの参加。

あとは検査結果を受け、実親への説明をどうするか的な問題と
あとは骨休め…。

当日は午前中ゆっくりめに起きて掃除をちょっとして洗濯して
整体に行って昼ごはん食べてから帰省。

朝から、

「調子がよくない…。」

とへたる彼を捕まえて掃除するときのものの移動を頼んだりする。

まっ、ちょっと参加してすぐトンズラしたけど。

ご飯は適当に用意しながら、翌日の分の薬を渡し

「じゃ、行ってくるから~」とあっさり出かけてやった。


翌日朝、8時を過ぎて電話して

「どう?」と聞くと

「腹すいた…。」って言ったけど、

「ご飯ジャーにたくさんあるし、納豆あるし、卵あるし適当に食べな。」と

言って切ってやった。


帰ってからも荷物がたくさん在るので、二階にいたのを下から呼びつけ

「荷物運んで~~~。」と頼んだりする。

これまたちょっとだけ運んだら、すぐトンズラしやがったけど。


要は、彼の様子がどうであれ、ひとまずやって欲しいことは訴えてみる。

それで実際できるかとか役に立つかとかは別問題として、まずこっちからの
働きかけが大事だと思うことにした。

以前だったら、どうせ言ってもやれないだろうとか、どうせ役に立たない
だろうとかって自分で勝手に我慢してHELPを訴えることができなかったから。


今まで以上に言いたいことははっきり言うを心がけてなるたけストレスを
ためないように生きていきたいものだ。



宣告

2012年06月15日 | 日記
家に帰ると案の定彼は爆睡中…。

ほんと、呆れるくらいよく寝てる。


でも、しばらくじーっと見ていたら目を覚ました。

「おかえり…」と寝たままいうので、こっちも立ったまま

「ただいま…」と返した。


で、やおら寝ている脇に座り込み宣告した。

「今日、医者行って検査の結果聞いてきた。

 子宮内膜症って病気なんだって。

 今すぐどうとかってことはないらしい。

 でも経過観察ってことでまた10月に検査する。

 ネットで色々調べたら、原因は冷えとかストレスだって。

 思えば去年の秋から生理のたびに激痛あったし、寝込むことも
 
 多々あった。それでも○○(彼)は何も助けてくれなかったよね。

 あと、11月に検査に行って血抜かれて具合悪くなってひっくり返って

 いるときも、家にいてって言ったのにも関わらず、躁で落ち着かなくて

 出かけていったよね。

 もうさ、そうやって○○(彼)や○○(彼)の病気に振り回されるのは

 ヤダから。

 これ以上ストレスためて、塊がでかくなって、結局癌になったなんて

 絶対ヤダから。

 だから、ちゃんと学習して。

 躁でも鬱でも、自分である程度コントロールできるように、

 私を病気にしないように、ちゃんと学習して。」


非常に酷な宣告だと思う。

双極性の本には、躁状態で起こしたエピソードをあとから責めるはご法度的に
書いてあった。

家族の気持ちは分かるけど、本人は充分後悔しているのだから責めてはいけないって。

内膜症だってなにも彼から受けるストレスだけが原因とは言い切れない。

最近増えているってネットにもあったし、子宮筋腫だって彼が病気になる
前からあったものだし。


でも、私は今回のことは私自身の身体が悲鳴を上げているんだって思った。

うつ病にもならず、ここまでなんとかやってきたけれど、でもあんたもう
いいってって。

いい加減にしとかないと、共倒れになるよって。


彼は一瞬痛そうに顔をしかめたが、何も言わなかった。

だから、

「なんか言うことないの?」と聞くと

「ごめんなさい…。」と答えた。


その後、私の病気に関する…(私の病気???私も病人???)話を
いくつかして、ヤキモチやく娘が乱入するたびに話が頓挫したが、その後

「ソフト(クリーム)が食べていいかな…」と言って台所に行ってしまった。


結局、私の意を決した宣告はスルーされたってことなのかもしれない。

でも、私はもう私のことばっかり宛てにしないで、ちゃんと自分の病気には
自分で立ち向かいなさいってことが言えたからよしとしよう。

今、薬で寝てばかりで辛いのか辛くないのかさえ分からないと言う彼に
そう思うのなら、そう記録に残しなさいという話をしている。

字が書けないなら、端末は沢山持っているのだから、なんでもいいから
書き残しなさいと話をしている。

そうやってその書くって行為が、自分を客観視できるようにしてくれると
思うからって。

辛いのも、そうでないのも、ただ過ぎていく時間に流されるだけじゃ
あとから何の手がかりにもならないからって。

自分で少しずつでも病気のことや自分の症状のこと、それを学習しなければ
こんな怪獣のような病気は飼いならされない。

主体は病気にあるんじゃなくて、自分にあるってことを学習しなければ
一生振り回されっぱなしだ。


それでも彼が変わらないのなら、私が変わるまでだ。



診断

2012年06月14日 | 日記
午前中に病院に行って来た。

病名は「子宮内膜症」だそう。

癌ではないとのこと。

が、癌になる確率は「子宮内膜症」患者1/100人だそう。

まっ、癌なら癌で…と思ったが、経過観察で4ヵ月後に再受診だそう。

日常生活で気をつけることもなければ、この段階で投薬治療も必要ないんだそう。

それって全然病気じゃないじゃん…って思ったけど、卵巣に出来た塊は段々
大きくなる可能性があり、腹部を強打したときに破裂なんてこともあるらしい。

散々グロテスクな写真を見せられて脅かされた。


病院を出て、ひとまず彼に電話した。

出ない…また寝てるんだろう。

だいたい今日病院に行くとは以前言っておいたけど、覚えてないな。


お義父さんに電話した。

私が入院したらどうなるんだろうってずーっと心配していたって。

そうだよね…私が入院したら彼はどうなるんだろうって心配してたってこと?

彼の面倒自分たちが見なきゃいけないって心配したってこと?

あとは、孫(娘)の心配?

なんてうがって考えたりもして…。

私も意地悪く

「本当に癌なら○○(彼)の面倒みないって思ったもの。」と言っておいた。

もちろん、

「色々心配かけて申し訳ありません。」って殊勝なことも言っておいたけど。


会社に帰ってネットで調べると原因は冷えやストレスだって。

ここ最近は普通だけど、去年の末から今年の初めにかけて生理のたびに
具合が悪く、婦人科に検査にいったこともあった。

結局この検査のときには発覚しなかったが、このときの不調から始まって
いただんろう。

このブログを読んでも、本当に辛そうだ…自分のことなのに。

よく覚えているのが、婦人科で生理中の血液検査が必要で血採られたときに
貧血だかなんだか…家に帰ってリビングでぶったおれていた最中、
躁で落ち着かない彼は止めても出かけていって、お義父さんに電話で怒られて
帰ってきたことがあった…。

まぁ、帰ってきても何をしてもらったわけじゃないけど…。


今回の病気?このことで私自身考えた。

やっぱり私は彼や彼の病気に振り回されることなく、娘と自分本位で
生きていこう。

どんなに必死になったって、それが彼の回復にはつながらない。

必死になれば、必死になるほど、その見返りがないことに疲れるのも
もう止めだ。

私だって下手をすれば、先がないっ!なんてことになるのかもしれない。

だったら、できるだけストレスをためずにしなやかに生きていこう。


なんか、覚悟が決まった気がする。

それを教えてくれるために、私の身体が病気になってくれたのかもしれない。

って思ったりもして…。