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野草園では山吹の花も見ごろでした。山吹の薀蓄をひとつ。
江戸城を築城した事で知られる室町中期の武将、大田道灌は鷹狩の途中でにわか雨にあい、近くの農家で蓑(みの)を借りようと立ち寄りました。すると少女が出てきて、ただ無言のまま黄色く咲いた山吹の一枝を差し出しました。道灌はその意味がわからず、「花をもとめたのではない」と不機嫌のまま帰宅します。事の始終を家臣に話したところ、それは、
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」
という古歌で返答したのだと教えられます。「家が貧しくて蓑さえ持ち合わせがない」とゆかしく断ったのでした。この時道灌は、自分の無学を恥じ、以来大いに発奮してついには歌人としても名をなしたということです。1450年ごろの出来事といわれています。山吹は実がならない花なのです。
江戸城を築城した事で知られる室町中期の武将、大田道灌は鷹狩の途中でにわか雨にあい、近くの農家で蓑(みの)を借りようと立ち寄りました。すると少女が出てきて、ただ無言のまま黄色く咲いた山吹の一枝を差し出しました。道灌はその意味がわからず、「花をもとめたのではない」と不機嫌のまま帰宅します。事の始終を家臣に話したところ、それは、
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」
という古歌で返答したのだと教えられます。「家が貧しくて蓑さえ持ち合わせがない」とゆかしく断ったのでした。この時道灌は、自分の無学を恥じ、以来大いに発奮してついには歌人としても名をなしたということです。1450年ごろの出来事といわれています。山吹は実がならない花なのです。
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