僕の感性

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一人称代名詞と二人称代名詞

2020-05-05 23:09:11 | ことば

むかし、「わたし」を意味する日本語は「あ」であった。
それが次第に「わ」へと転化する。
奈良時代にはアよりワが多く使われており、「あ」は親近感の有る相手に、「わ」は改まった気持ちで向かう相手に用いられた。

もうひとつ自分を言い表す「な」という言葉もあった。
ところが、この「な」は、やがて二人称の「あなた」の意味になり、「なれ」、「なむぢ(汝)」に移っていった。

現代でも一人称が二人称に転用されることがある。
「自分はどう思うの?」
と相手に聞くことがあるが、勿論 この場合の「自分」は、「あなた」「お前」の意味になる。

「手前」を「てめえ」と発音すれば、相手を見下して言う二人称代名詞になる。
「おのれ」「われ」も二人称になる。

男性の使う一人称代名詞の「ぼく」は、言うまでもなく「しもべ」から来ており、つまり相手にたいしてへりくだった意味で使った言い方である。けれど今は同等以下の相手にたいして使う言葉とされている。
同じように「俺」も同等以下の者にたいして用い、「あたし」とは、「わたし」のくだけた言い方とされている。

また、目上の人には、「わたくし」を使うことが多い。

大阪では自分のことを「わい」と言い、長崎県では

二人称が「わい」になり、一人称は「おい」である。

古代語の「わ」は青森県の津軽地方、北海道の南、愛媛県伊予地方で使う。


このように人称代名詞は相手によって無意識のうち変わるし、県や地方によって使い方がだいぶ異なる。

なぜ日本語は一人称が二人称に転化されるのか?
この不思議な現象は何を表しているのか。

ヨーロッパの哲学は「われ」と「なんじ」という人間の対立によって生まれた。個の自覚、自我の確立は社会の戦いの中で手に入れた。ゆえに一人称代名詞は
I,Je,Ichの一語しかないし、二人称の英語もyouだけドイツ語はIhrとDeinだけ、フランス語もtu(テュ)、vous(ヴ)の2つだけだ。

ところが日本では、「われ」がたちまち「なんじ」に転化してしまう。

ということは、日本人にとって「われ」も「なんじ」も厳密に区別してこなかったと言える。
自分と他人に厳重な垣根をもうけなかったのである。

個人と相手と社会の一体感が生まれ、常に世間の中で自分の立場を確認し、相手の位地を伺い、微妙な人間関係を維持していくという配慮を何より優先させたからなのである。