サハトべに花ホールで午後4時から五木寛之氏の講演があった。
話の内容が深く、笑いも折り込み、新しい発見のある
金科玉条ともなり得る内容だった。
憂鬱や孤独や郷愁をロシア語では「トスカ」、ポルトガル語では「サウダーデ」、ブラジルでは「サウダージ」、英語では「ブルース」と言い、すべての国で同じようなニュアンスの言葉がある。
五木氏が言わんことには、何気ない小さなことに面白さを感じ、結構悪くない、結構面白いと唱えることだそうだ。
そのためには、音楽に触れたり、美に対する感受性を磨いたりすることだそうだ。
芸術に触れあうことによって、感性が研ぎ澄まされてくるということなのか。
ナチスドイツ時代、アウシュビッツでも命を長らえる人は
ちょっとしたことや、ちょっとした楽しみを見つけられたり感じられたりする人だったらしい。
今の日本でも中年の鬱が問題になっている。
やる気がなくなったり、すべてに興味がなくなったりしないよう、早いうちから対策を講じるべきなのだ。
五木氏は、ヒンドゥー教の理念的な四住期があると述べている。
学生期(がくしょうき)は師のもとで学ぶ時期で25歳ぐらいまで。家住期は、結婚して子をもうけ、家庭を持つ50歳までの時期。
林住期(りんじゅうき)は、林で隠棲し読書や修行に打ち込む75歳ぐらいまでの時期。 遊行期(ゆぎょうき)は75歳以上になると、ガンジス川のほとりに死に場所を探す放浪をする時期だそうです。
これを五行説で表すと、青春・朱夏・白秋・玄冬になる。
玄は黒いという意味だが、玄妙とか幽玄などの言葉があるように、艶やかな黒で、奥に微かな赤を感じる色を指すらしい。
遊行期や玄冬は、ある意味悟りを開く時期なのだろうか。
思いでの引き出しをたくさん持ち、ちょっとした出来事に楽しさを感じてきたならば生き甲斐の溢れる人生だったと言えるのだろう。
そして美しい花が、やがて枯れたとしても、アウフヘーベンしてまた新しいたわわな実を付けることだろう。
五木寛之氏はいまだに青春の門の続編を書いている。
遊行期には程遠い時期相応に念ずる人だった。