テレビで「ポツンと一軒家」という番組を観るが、とても面白い。
一人で住むその人の生きざまやエピソードに心温まることも多い。
視聴率も良いらしいが、人はとかく都会の喧騒や人付き合いの煩わしさから逃れ
田畑を耕したり、魚釣りなど自給自足の生活にあこがれる傾向にある。
また、先祖代々から受け継いだ田畑があったり、昔からある神社や寺や観音堂を守っていこうとする人もいる。
もともと日本人には浄土が山の中にあるという観念もあり、死者が49日間家の軒先にとどまり
それを過ぎると近くの端山(はやま)に行き、追善供養を続けると死霊の荒さが消え、もっと高い山である奥山(深山)にのぼり、
祖先神として鎮座する。このような山中浄土感を誰しも持っている。
自分の場合、「迷い家」や「隠れ里」に感覚的に魅せられてきた。
要するに、山里深くいって桃源郷のような場所に黒い立派な門をもつ一軒家があるという伝説。
この家にたどり着いた者へは、何か一品家のものを持ち帰ってよいという決まりがあった。
たとえば漆塗りの膳椀などである。
また、岐阜県飛騨地方には(五)箇の荘の名の隠れ里があった。
危険な谷の架け橋を16ほど越え渡って辿り着く、幾多の山々の峰超えた奥地の秘境の楽園である。
そこは前田家の領地で家々は美しく華麗、人々はみな100歳以上の長寿、綺麗な白絹の着物を着てみな豊かであり貧富の差などなく、戦乱による災いもなく言葉も古代のまま。
村落中央に瑪瑙でできた山がそびえ立ち、黄金製の竜の噴水があり水が噴出し別世界のようである。収入源は煙硝を産出し加賀の城に運び2000金の収入に変え、村の宗旨は浄土真宗、寺の数は多い。
ただ隠れ里や迷い家を偶然訪れたものには良い待遇が待ち受けているが、その場所を去って
再び訪れようと試みても決してたどり着けないのだ。そしてなによりも欲のない人しか隠れ里には行けないらしい。
とにかく、平家の落人伝説やら、なぜ山奥に一人で住むの?という興味が尽きないのが一般人である。
けっして文明の利器やネット社会の恩恵に授かっている現代人にとって、憧れはするだろうが
電気や水道が通っておらず、コンビニもないところ、
わざわざ行って、肉体的に間違いなく苦労するであろう山奥には
住まないのが大多数であろう。