僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

文圃堂のあれこれ

2017-12-29 18:15:51 | 文学
1931年、早稲田出身の若者が文圃堂という古書店を開業した。

その人の名は、野々上慶一、21歳だった。
彼の著書に「高級な友情」というのがある。


この作品の内容は、同人誌「文学界」を通して様々な文士との交流や、彼らのエピソードが満載に描かれている。

「文学界」は昭和8年当時休刊中だったが、小林秀雄の依頼で、野々上が復活号を出すようになった。

文学雑誌を出すという裏方の野々上氏と純文学を擁護する文士たちとは、当然様々な付き合いがあったわけだが
当時の文士は酒を飲めば管をまいたり、議論をしたりで、破天荒な面々ばかりであった。

酒席で中原中也がビール瓶で中村光夫を殴った事件もあったそうだ。「殺すぞ」と言って
頭を叩いたそうだが、殴られた中村光夫は酔っぱらってケロッとしていたそうだ。

けれど同席していた青山二郎が
「殺すつもりなら、なぜビール瓶のふちで殴らないのだ、お前は、横っ腹でなぐったじゃないか、卑怯だぞ」と怒鳴り、
中原は「俺は悲しい」と叫んでから泣き伏してしまって、これでケリがついた形になったそうだ。

中村光夫は、若くして文壇的地位を得たが、中原は無名と言ってよく、ひがみ、ジェラシー、
そんなところがあったのだろうか、と野々上氏は推測している。

話はかわり、「文学界」は苦難続きだったそうだ。運転資金にする質草もなくなり、野々上氏は
債鬼をのがれて寒風の吹く浅草六区をうろつき、見たくもない映画を観たり、瓢箪池のほとりの屋台に首を突っ込んで
苦いコップ酒をあおり除夜の鐘を寒々ときいていたそうだ。

結婚の約束をしていた女性ともある理由で破談になり、金の苦労の上に体をこわし、どうにでもなれと
自暴自棄な状態のようだった。

文士たちとの会合の場、「はせ川」で飲んでいると小林秀雄がやってきた。

そして俺が頼んでやるから義弟の田河水泡に金を借りろという。

田河氏は小林の妹の旦那で、「のらくろ」の作者で有名だった。

当時千円で家が一軒建てられたそうだが、野々上氏は千円か二千円融通してもらったそうだ。

結局その後、文圃堂は廃業してしまったが、野々上氏は
中原中也の「山羊の歌」や宮沢賢治全集など刊行して、多くの文士に可愛がられ愛された。