僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

金田一京助とアイヌ語

2016-05-19 16:32:22 | 文学
昔、大学の卒業論文に石川啄木を選んだ。

彼は見栄坊で、金もないくせに借金までして、知人や友人に奢る癖があった。

その借金の犠牲になったのが、アイヌ学者の金田一京助や歌人仲間の宮崎郁雨だった。

特に金田一は金を貸しては、その金を踏み倒された。
けれど決して友人で同郷の啄木に恨み言を言わなかったのである。

心優しい金田一には世話をしてくれる友人や先輩がたくさん存在した。

アイヌの研究はとにかく金にならなかったが、多くの友人や先輩たちが大学の講師の口を斡旋してくれたのである。

金田一は、梅干し一つでのおかゆや、お茶の代わりに白湯を飲んで、糊口を凌いだ期間が長かった。

啄木は
「なぜアイヌ語などやるんです。それが一体何のたしになるのです。」
と日頃の恩義も顧みず口をはさんだ。

「アイヌ語はすぐに煮て食べられるわけではない。爪の成長を三年間も調べ上げて博士になったひともあれば
白魚の頭の研究に一生をかけて脊椎動物の神秘を解いたひともある。」
と金田一は説いて聞かせた。

金田一京助は、帝大、大正大、国学院大、実践女子大などで教鞭をとりながらも
北海道の現地に行ってアイヌ語に没頭した。

訳の分からない絵を描いた紙をアイヌの子供たちに見せ、その反応から「何?」という言葉を聞き出すことに成功。
ここから膨大な樺太アイヌ語の単語を一つひとつ聞き取り調査で記録するという地道な事業をおこなったのである。

金田一京助は、まだ辞書も文法もできていない難解なアイヌ語の叙事詩を、日本語と対訳の
「北蝦夷古謡遺篇」として大正3年に完成させた。

彼がいなかったらアイヌ語やユーカラは人知れず埋もれてしまったに違いない。

また彼の温情がなかったら、啄木の「一握の砂」や「悲しき玩具」も
完成の日の目を見なかっただろう。