ウルトラ解釈ブログ作戦

ウルトラシリーズについて色々語るブログ。

空飛ぶクラゲ

2011-11-28 21:18:53 | ウルトラマンエース
あんまりにもやっつけなタイトルですが、いつものことなので諦めるしかありません。
まあ、わかりやすいっちゃあわかりやすいですから、子ども向けとしてはいいのでしょう。
本編は結構意味ありげな話で一言で説明するのは難しいですからね。

この話に関する解釈は以前書いたものを参照してください。
解釈の仕方によっては深い話になるという面白い話です。
石堂氏は地球を別荘地にするためとか、若いカップルをさらって子どもを産ませて奴隷にするためとかユニークな侵略目的を設定するのが得意な脚本家ですが、今回は植民地にするといういわゆるヒーローものではなかなかまっとうな侵略目的でした。
ただ植民地というのは結構漠然としてるから解釈次第では切実なものにもなりえます。
石堂氏がどこまで狙って書いたのかはわかりませんが、このようなぼかした目的になったのにはやはり含みがあったのでしょうね。

村人たちが少女に従って変な歌を歌うのはオウムっぽい。
やはり怪しげな宗教には変な歌がつきものなんでしょうか(笑)。
昭和48年当時カルト宗教というものがどれほどあったのかはわかりませんが、この辺りは未来を予見してるようで面白い。
しかし東大出身の石堂氏ならカルト宗教より学生運動に対する関心が高かったと思うのですが。
それを題材にしなかったのはやはり周りの人たちに配慮したのでしょうか(笑)。

ユニバーラゲスはTACに退治されるなどかなり弱い超獣。
まあエネルギーを吸収する充電池みたいなものなので超獣と言えるか疑問もあります。
宇宙船もあっさり撃墜ですし、正直迂闊すぎる気がするぞ、みずがめ座第3星人。
しかしみずがめ座と地球はどれくらいの距離があるのでしょうか?
もっと近くに住めるところがありそうな気もしますが。
ところで画面の暗さが不評のこの話ですが、今回のBSの再放送はそんなに暗いとは感じませんでした。
ちょっと補正したんでしょうか?

本話は前述したように解釈のしようによっては面白くなる話。
ただ、漫然と見ていると平凡なつまらない話にもなりえる両面性のある話でしょう。
今ならアクエリウスの少女を掘り下げてもう少し悲劇的にするのでしょうが、逆にそうしないのが昭和らしいと言えば昭和らしい。
それが物足りなさにもなるのですが、私みたいなサイトを運営するものにとってはこういう話は解釈し甲斐があって楽しいですね。

まあ、最近のアニメや特撮も謎が謎を呼ぶ感じで解釈の楽しさはあるのですが、やはり基本的には制作側が投げかけるのが多くて昭和ほど自由度がないように感じられます。
物語的にはそちらの方が完成度は高いのですが、勢いはやはり細かいことに拘らない昔の方があるような気がします。
昔のジャンプ漫画なんかは勢い重視の典型でしたし。
バラエティなんかでもそうですが、あまり計算され尽くすと見てて疲れる気がします。
こういうのも時代の閉塞感なんですかね。

ベロクロンの復讐

2011-11-23 15:45:46 | ウルトラマンエース
久々の市川脚本。
子どもの頃は脚本家が誰かなど気にするわけもなく単に変な話、若しくはヤプールがいきなり復活して混乱する話だと思っていた。
しかし、大人になって見るとある意味市川森一の復讐的な要素もあり面白い。

しかし、ヤプールの復活は誰が決めたのか。
真船監督によりヤプールが葬られてからヤプールは全く現れなかったが、設定的には全滅ではなかったのか。
もしかしたらこの脚本を市川氏に依頼した橋本氏は、最終回もヤプール路線で書かせるためにこの話でヤプールを書かせたのかもしれない。
普通なら石堂氏にこのまま最終回まで書かせてもいいと思うが(現に80ではそうしてる)、敢えて市川氏を引っ張り出したところに橋本氏のプロデューサーとしての信念のようなものが窺える。

当の市川氏は後のインタビューで脚本が足りないからと言われて助っ人意識で書いたと証言しているが、実際のところ市川氏はエースの脚本を再び書く意志はあったのだろうか?
ウルトラマンエース最終回は市川氏の最後の子ども向けドラマ脚本でもあるが、この頃既に大人向けドラマに移行していた市川氏が今更エースに戻ってくるとも考えにくい。
ただ、市川氏の中にはエースへの思い入れというものはかなりあったはずなので、声を掛けられればやはり書きたかったというのが本音なのだろう。
あるいはその交換条件にヤプールで書かせて欲しいというのはあったのかもしれないが、結果的にヤプール路線の2本で最後を締められたことはエースという作品にとってはプラスであっただろう。

前置きが長くなってしまったが、いきなりの宇宙空間から始まる幻想的な展開。
ゴルゴダ星を思わせる暗い空間でいきなり始まるベロクロンとのバトル。
お馴染みのヤプールBGMと、いきなり初期のエースに戻ったかの雰囲気が懐かしい。
市川脚本というのもあるが、私はこういう帰ってきたウルトラマンや初期エースの雰囲気は好きだ。

宇宙パトロール中に倒した怪獣が現れる展開は、初代マンの「怪獣墓場」を思い出させる。
話の展開は大違いだが、テーマ的には通ずるものがあろう。
ところで最初の夢の中のエースとベロクロンの戦いのとき、既にエースは左ほっぺを押えている。
この時に虫歯を仕込まれたのであろうが、これは今回の再放送を見るまで気が付かなかった。

今回は北斗もそうだが、他の隊員たちの芝居もいい緊張感が漲っており、やはりメインライターの復帰というのを歓迎しているのだろう。
また、この時期の市川氏は新進気鋭の若手ライターだけに役者たちも大人向けドラマを意識しているようにも見える。
また演出も凝っており、北斗が街中で暴れて包囲されるシーンの冷たさや女ヤプールの演出など印象深い。

ただ、やはり特撮シーンの演出は理解不能。
特撮は特撮で別というのはわかるが、果たしてこの演出がどれだけ本編を意識しているのか疑問が残る。
ベロクロンはヤプールの復讐とは無関係にただ暴れてるだけというのはシュールではあるが、例えば新マンの「悪魔と天使の間に」辺りと比べると演出的に弱い。
あの話の場合は特撮シーンに話の重要な鍵があったというのもあるが、やはり本編との整合性がないと話全体としての印象は弱くなるだろう。
相変わらず超獣を最後に宇宙へ運んだり、変な所への拘りが見られる。

以前にも書いたが、本話は北斗の背負った業というべきものが直接に描かれている。
これは単に怪獣や超獣相手ではなく、ヤプールという観念的な存在との戦いを描いたエースだからこそ可能だったのであろう。
ただ、ヤプールという存在が分かりにくかったのも事実。
その点、親子や兄弟愛を描いたタロウの方がわかりやすかったのも事実であろう。

しかし昨今の特撮やアニメはどうしても友情や仲間という、言い方は悪いが他人頼み的なヒーローものが増えている気がする。
もちろんそういうものは大事だが、やはりウルトラは人知れず正体を隠して戦うという孤独な個人主義が持ち味だろう。
そういう意味ではメビウスはやや昨今の戦隊等の影響を受け過ぎた嫌いがあった。

話は逸れたが、本話は北斗単独編だからこそ北斗の孤独もより強調された。
もちろん夕子がいた頃も2人は孤独ではあったが、その孤独も2人で分け合うことができた。
しかし夕子がいない今、北斗はそれを一人で背負わないといけない。
人間の負の側面の具現化であるヤプールに一人挑む北斗。
本来なら男女の愛で立ち向かうはずだった宿敵に一人戦いを挑まねばならない北斗の孤独は想像を絶する。

ウルトラマンレオ29話更新

2011-11-14 23:41:31 | ウルトラマンレオ
ウルトラマンレオ29話「運命の再会!ダンとアンヌ」を更新しました。
久々に本サイトの方を更新しましたが、問題作だけに大作になりましたねえ。
この話に関しては突っ込みどころも多くまだまだ書けることも多いのですが、とりあえずダン、アンヌ、ウリーの3人に絞って書いてみました。
正直、まとまりのないものになってしまったのでいずれ手を入れるとは思いますが、少々粗があるくらいの方がこのブログにとっては都合がいいので、また再放送があったときにでも修正します。
まあとりあえず、少しずつでも進めないといつまでも進みませんからね(笑)。
そういうことですので、良かったら読んでくださいませ。

山椒魚の呪い

2011-11-12 15:40:03 | ウルトラマンエース
「黒い蟹の呪い」を思わせるタイトルですが、あちらがカブトガニでこちらが大山椒魚ですから両方とも天然記念物という共通点がありますね。
ただ、脚本は前者が田口氏、今回が石堂氏ですから厳密には使い回しではありません。
今回もどっちかというと村人を恨んでたのは老人ぽかったので、そういう意味では単に絶滅の危機に瀕する動物の恨みというよりは、フブギララの乞食仙人同様、村社会の怖さというのが背景にあるのでしょう。
人間の怨念を絡めてくる辺りは石堂氏らしい。

ハンザギランは後にタイラントの体の一部になることで結構有名。
ただ、この超獣もシーゴラス同様、ウルトラマンに倒されてないような気が。
まあ、あの状態じゃあ長くは生きてないだろうし、人間に対する恨みはありそうなので、タイラントの一部になる資格はあるのかも。
シーゴラスは再生シーゴラスと考えるのがいいんでしょうかね?

今回も都心ではなく山村で超獣が暴れるパターン。
エース最終クールで山村が舞台になるのが多いのは、やはり予算の関係でしょう。
この頃はタロウの立ち上げもあって、予算が厳しい時期ですし。
しかし、こじき仙人同様さゆりたちがどうやって暮らしてたかはちょっと謎です。
山椒魚のために家屋敷を売り払ったというくらいだから、お金は持ってるんでしょうか?
いずれにせよ、友達がショウベエだけというさゆりは不憫すぎる。

今回も動物の恨み、老人の恨みが超獣となって人間たちを襲うという石堂氏得意のプロットとなっている。
やはりこれらの恨みの前ではエースも弱いのか大苦戦。
半裂きになっても死なないという生命力もあって、結局太陽の光を遮断して元に戻すのが精いっぱいでした。

エースは今回に限らず、とにかく恨みつらみ系が多い。
それが全体的な閉塞感にもなってますが、そもそもの設定が「人間を滅ぼすのは人間だ」なんですから、仕方ないでしょう。
牧歌的な初代マン、侵略SFのセブンと比べて2期はこういうドロドロした話が多い。
これも不興を買う一因でもありますが、私なんかは2期のこういう暗いタッチは好きなので、そういう意味では1期との差別化はある程度成功と言えるでしょうね。

タイムマシンを乗り越えろ!

2011-11-03 10:48:04 | ウルトラマンエース
まあ、突っ込みどころ満載の話ではあるが、タイムトラベルものは矛盾だらけになるのは仕方ないのでこの際大目に見よう。
シチュエーション的には第四惑星の悪夢に近いが、単にチャンバラして超獣と戦うだけなので社会派的な作風ではない。
ただ奈良時代辺りの昔に戻るだけだから、正直過去に行ったことにほとんど意味はないだろう。
ただタイムトラベルしたというだけの話である。

ダイダラホーシの風貌は法師というだけあって、ちょっと僧侶ぽくて面白い。
ダイダラホーシの名前はもちろん伝説上の巨人、「だいだらぼっち」から取ったもの。
柳田国男によると、ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味であるとのこと(wikipediaより引用)。
過去の人が超獣をダイダラホーシと呼んでいたかはともかく、過去の世界にも超獣がいたというのは興味深い。

しかし、怪獣や超獣、宇宙人は何も現代だけに現れるとは限らないので、過去の人たちはどうやってそれらを退治していたのだろう。
現代だと防衛隊の近代兵器があるが、昔は鉄砲すらなく弓矢で戦うしかないはず。
やはりこれは過去にもウルトラマンがいたと解釈する以外ないだろう。
例のノアの神なんかが代表だが、大仏さんも案外光の巨人から着想されたものかもしれない。
そういう発想で過去を舞台にウルトラマンを作るのも一興だろう。
どうせ、防衛隊は当てにならないんだし、陰陽師辺りにでも怪獣と戦わせて(笑)。

今回は磔にされる美川と吉村が印象深い。
しかし、2人はよくすぐに殺されずに済んだものだ。
美川なんかは山賊たちの慰み者になっても仕方ないのに。
ただ、そもそも2人は人間として認識されていたかが疑問。
赤鬼呼ばわりからも、同じ人間とは見られてなかったのではないか。
若しくは異教者と思われていたかもしれない。
そもそもあの山賊は何者なのか。
まあ30分番組でそこまで要求するのは酷だが、もう少しあの時代の為政者が出てきても面白かったと思う。
なんだか火の鳥みたいになりそうだが(笑)。

今回の脚本も石堂淑朗。
石堂氏については毎回語ってるので取り立てて語ることもないが、エース終盤はこの話といい「空飛ぶクラゲ」や「山椒魚の呪い」など山村を舞台にした話も多い。
都会的、現代的な市川氏とは対照的である。
エース終盤が何となく重苦しいのはこういう石堂氏の作風もあるだろう。
まあ、唯一の市川脚本も違う意味で相当重いのだが。
エースも残すところ6話。
終盤は石堂、市川の対照的な二人だけしか脚本を書いてないので異様な雰囲気だが、元々が重い設定のエースだけに、これはこれでエースのカラーとしてはふさわしいと思う。