さすがに今回が最終回になるはずです(笑)。
では続きを。
自分で書いててもわからなくなってきたので、三葉の現実をおさらいします。
端的に言うと、三葉の現実に変化が起きるのは隕石衝突の朝からでしょう。
それまでは、歴史の改変というものがないので、瀧との入れ替わりや瀧に会いに行った事実は変わらないと思います。
当然、周りも三葉が時々別人みたいになるという事実を記憶してます。
したがって、妹も時々姉ちゃんが自分の胸を揉んでることは覚えているでしょう。
もちろん姉ちゃんが別人と入れ替わってることについてはわからないので、当事者間では狐でもついたという結論になるでしょうけど。
三葉自身も瀧のことは夢として忘れて行きますので、周りがそう言うならそうなんだろうって感じで納得します。
では隕石衝突の日の朝からの事実はどうなるか。
これは映画の通りだと思います。
ここで事実が2つに分岐します。
そして1つはなかったことになるので、隕石衝突回避に奔走して無事生き残った事実だけが残ります。
後は前述したように都合のいいことは忘れて(笑)5年後ということになるでしょう。
ここで1つ疑問が。
カタワレ時に瀧に会った記憶はどうなるのでしょうか。
これは今までと違って入れ替わり中の出来事ではありません。
しかも名前まですぐ忘れてしまいます。
普通名前まで忘れるなら、瀧から説明された計画も忘れるはずですが。
前世で隕石が衝突したのを見た記憶もまだ残っているようですし、名前だけ忘れる道理がわかりません。
この辺りはお互い名前を忘れるというのがこの映画の主題なので、正直考えても無駄でしょう。
強引に理由づけるとすれば、カタワレ時の逢瀬は夢の中の逢瀬と同義であり、名前等の固有名詞はすぐ忘れてしまうということになるでしょうか。
これには三葉が元の世界に戻ってから瀧の名前を繰り返し言って再記憶しているはずだというツッコミもあるでしょうが、夢の中の記憶は簡単には定着しないということで納得しときましょう(笑)。
結局三葉の瀧との記憶は全て夢の中ということになり、瀧の存在そのものを忘れることになります。
では瀧の現実はどうなるか。
糸守の悲劇が回避されたというのは瀧の生活や思想に若干影響を与えるものの、大筋の人生は変わらないでしょう。
そして何故か三葉と入れ替わるのも多分変わりません。
では、糸守へ行くきっかけとなった三葉との入れ替わりの終わりについてはどうなるか。
普通に考えたら三葉は死ななかったので、入れ替わりが終わる理由はありません。
これについては結局隕石衝突の災害を免れた後の三葉に他人との入れ替わり能力がなくなったと解釈するしかないでしょう。
三葉と会えなくなった瀧がネットで糸守を見つけるのは同じ。
ただ、この時村が壊滅して死者の名簿を見つけるということはありえません。
結局三葉は見つからず、そのうち夢の中の出来事として忘却したということでしょう。
遂には何で糸守に行ったのかの理由すら忘れてしまいます。
ただ、お互い夢(前世と言ってもいいでしょう)で会った記憶は朧気ながらも残ります。
そして何よりカタワレ時の記憶は二人の心の奥底に刻まれたでしょう。
それで、2人は自分にとって物凄く大事な人がいるような思いに取りつかれます。
後は説明は不要でしょうね。
最後はハッピーエンド。
そこからは未知の世界でしょうね。
二人が会った時の具体的な記憶は戻ってきませんので、お互い過去を知ることはできないでしょう。
三葉が自分でもわからず避難活動をしたことをフーンて感じで瀧が聞いたりするのでしょうね。
まあ、いい終わり方だと思います。
これに関しては二人がすれ違って終わった方がよかったという意見もあるようです。
ただ、個人的にはハッピーエンドにしないと物語的な粗がもっと目立ったような気がするので、これで正解だったと思います。
さすがにおっさんの年齢でこれだけ矛盾があると感動はできませんが、物語展開は意外性もあり楽しめました。
大ヒットしたのもよくわかりますね。
ただ、音楽はあんまり好きではなかったです。
年取るとちょっとあざと過ぎると興ざめしちゃうんですよね(笑)。
長くなりましたが、君の名は。のレビューはここまで。
映像が綺麗でキャラがかわいくて声優も上手かった。
一歩間違えると「涼宮ハルヒ」とか「けいおん!」とかの萌えアニメになってしまいそうですが、そのギリギリのラインで作品を作れるのが新海氏の才能であり強みなんだなと思います。
あ、別に萌えアニメにケチつけてるわけじゃないですよ。
私は敢えて見ませんが(笑)、本質的には結構そういうの好きなタイプなので。
と、脱線しましたが、新海監督の今後には注目したいですね。
では続きを。
自分で書いててもわからなくなってきたので、三葉の現実をおさらいします。
端的に言うと、三葉の現実に変化が起きるのは隕石衝突の朝からでしょう。
それまでは、歴史の改変というものがないので、瀧との入れ替わりや瀧に会いに行った事実は変わらないと思います。
当然、周りも三葉が時々別人みたいになるという事実を記憶してます。
したがって、妹も時々姉ちゃんが自分の胸を揉んでることは覚えているでしょう。
もちろん姉ちゃんが別人と入れ替わってることについてはわからないので、当事者間では狐でもついたという結論になるでしょうけど。
三葉自身も瀧のことは夢として忘れて行きますので、周りがそう言うならそうなんだろうって感じで納得します。
では隕石衝突の日の朝からの事実はどうなるか。
これは映画の通りだと思います。
ここで事実が2つに分岐します。
そして1つはなかったことになるので、隕石衝突回避に奔走して無事生き残った事実だけが残ります。
後は前述したように都合のいいことは忘れて(笑)5年後ということになるでしょう。
ここで1つ疑問が。
カタワレ時に瀧に会った記憶はどうなるのでしょうか。
これは今までと違って入れ替わり中の出来事ではありません。
しかも名前まですぐ忘れてしまいます。
普通名前まで忘れるなら、瀧から説明された計画も忘れるはずですが。
前世で隕石が衝突したのを見た記憶もまだ残っているようですし、名前だけ忘れる道理がわかりません。
この辺りはお互い名前を忘れるというのがこの映画の主題なので、正直考えても無駄でしょう。
強引に理由づけるとすれば、カタワレ時の逢瀬は夢の中の逢瀬と同義であり、名前等の固有名詞はすぐ忘れてしまうということになるでしょうか。
これには三葉が元の世界に戻ってから瀧の名前を繰り返し言って再記憶しているはずだというツッコミもあるでしょうが、夢の中の記憶は簡単には定着しないということで納得しときましょう(笑)。
結局三葉の瀧との記憶は全て夢の中ということになり、瀧の存在そのものを忘れることになります。
では瀧の現実はどうなるか。
糸守の悲劇が回避されたというのは瀧の生活や思想に若干影響を与えるものの、大筋の人生は変わらないでしょう。
そして何故か三葉と入れ替わるのも多分変わりません。
では、糸守へ行くきっかけとなった三葉との入れ替わりの終わりについてはどうなるか。
普通に考えたら三葉は死ななかったので、入れ替わりが終わる理由はありません。
これについては結局隕石衝突の災害を免れた後の三葉に他人との入れ替わり能力がなくなったと解釈するしかないでしょう。
三葉と会えなくなった瀧がネットで糸守を見つけるのは同じ。
ただ、この時村が壊滅して死者の名簿を見つけるということはありえません。
結局三葉は見つからず、そのうち夢の中の出来事として忘却したということでしょう。
遂には何で糸守に行ったのかの理由すら忘れてしまいます。
ただ、お互い夢(前世と言ってもいいでしょう)で会った記憶は朧気ながらも残ります。
そして何よりカタワレ時の記憶は二人の心の奥底に刻まれたでしょう。
それで、2人は自分にとって物凄く大事な人がいるような思いに取りつかれます。
後は説明は不要でしょうね。
最後はハッピーエンド。
そこからは未知の世界でしょうね。
二人が会った時の具体的な記憶は戻ってきませんので、お互い過去を知ることはできないでしょう。
三葉が自分でもわからず避難活動をしたことをフーンて感じで瀧が聞いたりするのでしょうね。
まあ、いい終わり方だと思います。
これに関しては二人がすれ違って終わった方がよかったという意見もあるようです。
ただ、個人的にはハッピーエンドにしないと物語的な粗がもっと目立ったような気がするので、これで正解だったと思います。
さすがにおっさんの年齢でこれだけ矛盾があると感動はできませんが、物語展開は意外性もあり楽しめました。
大ヒットしたのもよくわかりますね。
ただ、音楽はあんまり好きではなかったです。
年取るとちょっとあざと過ぎると興ざめしちゃうんですよね(笑)。
長くなりましたが、君の名は。のレビューはここまで。
映像が綺麗でキャラがかわいくて声優も上手かった。
一歩間違えると「涼宮ハルヒ」とか「けいおん!」とかの萌えアニメになってしまいそうですが、そのギリギリのラインで作品を作れるのが新海氏の才能であり強みなんだなと思います。
あ、別に萌えアニメにケチつけてるわけじゃないですよ。
私は敢えて見ませんが(笑)、本質的には結構そういうの好きなタイプなので。
と、脱線しましたが、新海監督の今後には注目したいですね。