ウルトラ解釈ブログ作戦

ウルトラシリーズについて色々語るブログ。

ウルトラの星に祈りを込めて

2011-07-31 00:19:15 | ウルトラマンエース
珍しくタイトル通りの話。
ただ、誰がダンの祈りを聞いてくれたのかはわからず仕舞いだった。
おそらく太陽系によく出入りしているセブンか、エースのお守り役ゾフィ辺りであろう。
ただその指示が指を狙えでは、当たり前過ぎでは。
この辺りはウルトラギロチンを使ったブロッケン編と被る。
少しでもウルトラ兄弟を出したいという番組の都合であろう。

解釈大作戦にも書いたが、本話はダン少年がエースの役に立つ活躍をするという貴重な話である。
すなわち、ダン少年は基本的に北斗に助けられることが多い。
それをかなり強引な形ではあるが、ダンにエースを助けさせた点は評価していいだろう。
ただ、ダンを活躍させること自体限界が見えたのも事実。
この後ダンがどんどん普通の少年化するのは、そもそもの設定が無理があり過ぎるためであり仕方ないだろう。

ダンが登場してから北斗の自宅が出る場面が多くなった。
これはダンが北斗の家の隣に住んでいるという設定の賜物であるが、そもそも高給取りと思われる仕事をしてる北斗と、その日の生活もままならないダン姉弟が同じマンションに住んでいるというのもおかしいような。
実は香代子さんは水商売でもしてるのであろうか?
そこまでやると生々しくなるので、本編ではぼかしているのかもしれない(笑)。
当然香代子さんの年齢で貯金なんかあるわけないし、これはやはり親の遺産でも貰っているのであろうか。
でも、父親は酔っ払い運転で事故死だからなあ。
逆に賠償金とか取られてそうだし、う~む、謎だ。

本話は何といっても超獣人間コオクスの設定が独特。
シリーズにおいて超獣人間とか怪獣人間はこのコオクスだけ。
この分類はいったい何なんだろう。
最初は普通に宇宙人かと思ったのだが、自らが超獣に変わる点、怪獣を連れてくる宇宙人とは異なる。
単に宇宙人の着ぐるみ代をケチっただけかもしれないが、コオクス一人で陰謀を果たそうとするのは珍しかった。

以前にも書いたが、北斗やTACを狙ったことといい、早すぎた女ヤプールだったのかもしれない。
個人的にはセブンぽい雰囲気のある話だったので宇宙人にした方が面白かったと思うが、この辺りはエースの設定を踏襲したのであろう。
最終的にヤプールは復活するので、ここでコオクスの正体を曖昧にしておいたのは結果的には正解だったと思う。

エースとコオクスの戦いは画面が全体的に赤くなり、異次元でのヤプールとの戦いを彷彿させる(あれは黒かったが)。
どういう戦いなのかはよくわからないが、子供心に不気味に感じたのを覚えている。
コオクスの不気味さは目的がよくわからない、何を考えているのかよくわからない、どういう攻撃なのかよくわからない点にある。
普通なら宇宙人が侵略目的で地球に来て、綿密に計画を練って、物理的にウルトラマンを攻撃するのだが、このコオクスはTACを攻撃する目的で、行き当たりばったりに、よくわからない超能力でエースを攻撃する。

まあ、脚本が練られてないだけともいえるが、それが結果的に不気味な、独特な雰囲気に繋がったのだから悪くはなかろう。
エースは全体的にこういうシュールな話が多い。
この辺りは路線変更して設定がぐちゃぐちゃになった結果であろう。
悪く言えば迷走だが、個人的にはこの辺のエースの話はちょっと変わっていて、それなりに面白いと思っている。
この話もよくわからないところが多かったが、コオクス人間体の不気味さもあって、なかなか味わい深い一編になってると思う。

セブンからエースの手に

2011-07-23 11:40:05 | ウルトラマンエース
またまた意味深なタイトル。
ウルトラシリーズをずっと見てる人は新マンのベムスターの回みたいに、セブンからエースに新兵器が渡されるものと勘違いしたのではないか。
そこまで具体的ではなくても、否応なく期待した人も少なくあるまい。
かく言う私もその一人。
しかし、この話を見終わって、結局セブンは何だったんだろうと子ども心に思った記憶がある。

この時期のエースは視聴率回復に躍起なのか、やたらとウルトラ兄弟を前面に押し出している。
まあ、第一話が「輝けウルトラ5兄弟」だったので既定の路線ではあるが、ウルトラ6番目の弟まで出す節操のなさにはさすがに閉口。
ただ、ダンをあくまで人間に設定したのはせめてもの救いであろう。
ここで安易に新戦士追加とかしてたら、以後のシリーズは収拾がつかなくなってたかもしれない。
そもそも2人も兄弟にダンがいたら、ややこしいことこの上ないし。

ダンという名前がどういう意図でつけられたかわからないが、元祖ダンことセブンはレオでのレギュラーは言わずもがな、兄弟の中では客演活躍率が一番高いように思う。
逆に新マンはやられ役が多く、初代マンは単独客演そのものがない。
今では別格扱いの感すらある初代マンであるが、この頃は兄弟間の強さのインフレが進み、やや影が薄い存在だったといえるであろう。
まあ、ゾフィみたいな存在感は嫌だが(笑)。
もちろん、シルバー族という点も不利に働いたのであろう。

私自身子供の頃、カラータイマーがないセブンは他の兄弟より格上に思われた。
アイスラッガーという武器もあり、セブンそのものに魅力を感じたのである。
この辺りは初代マンとの差別化の賜物であろうが、セブンは兄弟の中では際立った個性を有していた。
タロウが受けたのもセブンと同じレッド族という点が大きかったと思う。
正直、初代マン、ゾフィ、新マンは子どもから見たらほとんど同じであったし。
まあ、ゾフィのイボイボは好きだったが(笑)。

話は逸れたが、セブンは元々ウルトラマンと切り離されて設定されただけに、他の兄弟とはかなり異なる個性を持っていた。
そういう点が、バクタリを戻したり、豆を取り除いたり、トータス親子を他の星へ連れて行ったりと、単に戦うだけでない万能性につながったのだろう。
そもそも新マンに万能ウェポンであるブレスレットを渡したのもセブン。
もちろんセブンに人気があるからこその客演であろうが、セブンのこうした謙抑的な活躍は、地味すぎず目立ち過ぎず、ちょうど良いバランスであった。
上にも書いたが、このように安易な視聴率対策の中でも最低限の節度を忘れないのが、円谷の良さであり矜持なのだと思う。

君にも見えるウルトラの星

2011-07-16 21:27:51 | ウルトラマンエース
タイトル通り、頑張ろうという気持ちを持てば誰でもウルトラの星が見えるというお話。

しかし、誰でもというのは正直微妙。
本話における「君」とはダン少年のみを指すのではないか。
ダン少年がウルトラ好きの視聴者の代表ということであろうが、ドラマ中ではダン少年だけが特別扱いなので、違和感が残る。
あまり使いたくない言葉ではあるが、やや子供騙しとの評価も致し方ないであろう。

本話の脚本は田口氏。
脚本の筋の悪さは解釈大作戦に書いたので、そちらを参照。
まあ、さすがに手厳しすぎたので、今回は少しフォローも入れてみよう。
まず、最初の事故だが、超獣か否かがはっきりしていない段階だったので人命を優先したというのが北斗の立場であろう。
物語内では、山中以外はこれに賛同している(今野は山中に気を使っていたが、おそらく吉村と同意見だろう)。
あのタイミングで超獣が出現したのはある意味偶然ともいえるので、事故は結果論という解釈も成り立ちうるだろう。
個人的にはそれでも北斗が一緒に護衛に付くなりするべきだったと思うが、確率からいうとそこまで北斗を責めるべきではないというのが隊長の意見だと思う。

次に少女の自転車を取りに行く件。
北斗は少女に悪いことをしたと自分を責めていた。
それで少女にとって母親との思い出である自転車を命がけで取りに行ったのだろう。
ただ、ダンを連れて行ったのは単に作劇上の都合なので、正直褒められたものではない。
結果、暴走族が事故死してしまう。
ただ、彼らはノリだけで危険な区域に入っているのである意味自業自得とも言えなくもない。
世間もあまりTACを叩かず、レッドジャックを町の仲間たちとして称えたのではないか?
というのは冗談だが、そもそも超獣が出た地点をほとんど警備してなかった竜隊長の作戦面にも問題が大きいので、北斗一人を責めるのは酷に過ぎよう。

隊長の謹慎命令に愕然とする北斗。
しかし、北斗は人を死なせたことより、謹慎を食らったことそのものに愕然としてる気がする。
この辺りはやや人命軽視といえるだろう。
また、特に活躍もしてないのになぜか調子に乗るダン。
まあ、かわいい女の子の前でカッコつけたかったのもあるかもしれないが、さすがに調子に乗り過ぎ。
ただ、あれくらいの子どもは危険な目にあったというだけで武勇伝になるので、ある意味リアルなのかもしれないが。

本話は田口氏なりにウルトラの星の設定を生かそうとしたのだろうが、正直それが上手く行ってるとは思えない。
色々面倒な設定を捨て仕切り直したはずなのに、結局また使いづらい設定を作ってしまう悪循環(笑)。
田口氏は徐々にダンを普通の少年にすることによりその作劇上の難点を回避するが、結局それでは元も子もないだろう。
この辺り、やはりこの設定自体が失敗であったということの証明であると思う。
まあ、視聴率を取るための急場凌ぎの設定を今更叩いても仕方ないが、正直これなら新しい敵組織でも出した方が良かったのではないかと思ってしまう(やっぱり厳しくなってしまった)。

ウルトラ6番目の弟

2011-07-08 22:56:02 | ウルトラマンエース
「輝けウルトラ5兄弟」に始まったウルトラマンエースが諸設定をクリアして、新たに仕切り直したのがこの「ウルトラ6番目の弟」だ。
このタイトルには否が応にも期待せざるを得ない。
何といっても「奇跡ウルトラの父」「さよなら夕子よ月の妹よ」と、父、妹ときて弟。
子どもたちの誰もがニューヒーローの登場を期待するだろう。
しかし、現実は違った。

と、ここまで読まれた皆さんは私がリアルタイムでエースを見ていたと誤解されるかもしれませんが、私が生まれたのはエースが放送されたこの年なので、そんなことはありません。
だから実際にはそこまでの期待はしてませんでした。
本当のところは、「アレ?エースなのにタロウが出るのかな?」くらいのものでした。
ただ、「タロウの前にも実はウルトラ兄弟がいたのかも」という期待は持っていたので、蓋を開けたらいきなり出てきたただの少年がウルトラ兄弟と知って拍子抜けしたのは確かですね。

内容についての感想は大体以前に書きましたが、やっぱりここまでのエースの作風との違いというものは目につきます。
夕子がいないというのもありますが、侵略者とのハードな戦いというある意味セブン的な世界観を志向して始まったエースだけに下町人情もの的なノリは違和感ありましたね。
この辺りはやはり脚本を書いた長坂氏の個性によるものでしょうが、実際の兄弟ではない2人では今一つ内容に説得力がありません。
郷と次郎はそもそも最初からまさに兄弟とでもいうべき関係にありましたが、ダンが定着せず途中退場になってしまったのも、結局取ってつけた急造設定のためでしょうね。

もちろん新作の制作決定という大人の事情もあるでしょうが、最初からダンがいたならさすがに何らかの決着はつけたはず。
この辺りは結局設定がよく練られてなかったということになるでしょう。
ダンの設定の失敗については「解釈大作戦」を読んでいただければわかるので、暇がある時にでも読んでおいてください(笑)。
まあ、大人になった今となってはエースの一部としてダン少年にもそれなりの愛着はありますが、子供の頃は正直ほとんど印象に残りませんでした。
そういう人が多数派ではないでしょうか。

テレビ番組の宿命として路線変更は避けては通れませんが、ここまで派手に路線が変わったのはエースのこの話とレオの「MAC全滅」が双璧でしょう。
個人的には前者は失敗、後者は成功と思ってますが、エース第二部の第一話を書いた長坂氏が脚本をあまり書かず、知らない間に離脱した事にそれは象徴されていると言えるでしょう。
この辺りはやはり迷走と言わざるを得ませんね。

ただ、この時期の迷走があってこそ、次のタロウ、レオがあったというのも事実です。
それは視聴率の回復というのもありますが、ある意味あざといともいえるくらい、子供の心を掴もうとする2人の脚本家。
田口、石堂の2人が新たな看板になった過程でもありました。
長坂、石森など有名な脚本家もいた中、何故ウルトラはこの2人に託されることになったのか。
1期ファンなどからはとかく評判の悪い2人ではありますが、その辺の事情というのもまた興味深いものです。

さようなら夕子よ、月の妹よ

2011-07-01 20:01:40 | ウルトラマンエース
やはり何度見ても唐突感は否めない。
ただ、幼児の頃この設定を知ったので、当時はそんなもんなんだと自然に受け入れていた。
幼児に男女の恋愛は難しすぎる。
思うに、幼児にはわからない、でも保護者にはわかる。
そういう気まずい設定だったのも、夕子が退場した大きな要因の一つだったのであろう。

しかし、改めて見ると、夕子の鬼気迫る演技は見応えがある。
解釈大作戦で更新した当時は実はまだ星さんがメディアに復帰していなかったのであまり気にして見てなかったが、今見ると星さんの鬼気迫る演技はやり場のない怒りをぶつけてるようにも見える。
星さんの降板の真相は未だに謎だが、突然降ろされたというのが事実なら、それは若い主演女優にとってはあまりに過酷な仕打ちだろう。
あるいはあまりのショックに芝居すらできなくなる可能性もある。
その場合、下手すりゃ翌週には急に戦死扱いになってたかもしれないのだ。
今更ながら、過酷な状況の中で素晴らしい演技をした星さんに対しては、感謝と称賛の言葉しかない。

ただ、そもそも設定的に難しいものがあったのも事実。
この辺りはメインライターの市川氏の降板がやはり大きいだろう。
こんな難しい設定、自分で作ったものでなかったらあまり関わりたくないのは脚本家初めスタッフの本音だと思う。
せめて真船監督がいればとも思うが、それでどうなったわけでもないだろう。
ただ、それでも変身能力を喪失した状態で参加して欲しかったが、夕子がいると最終的に二人の関係に決着をつけないといけないので、やはり仕方ないか。
今見ても斬新な男女合体変身はやはり当時のウルトラには早すぎたのだと思う。

しかし、私が解釈大作戦を始めて、はや7年。
エースを取り巻く状況は劇的に変わった。
メビウスでの2人の共演。
正直、メビウス自体はそれほど入り込めなかったのだが、80の続編やエースの続編が描かれたという意味では、平成でも最重要な作品であろう(あくまで個人的に。因みに一番好きなのはマックス)。
その後の映画の共演や、2人のインタビューなど長年のファンの胸のつかえが少しは下りるような展開には私もファンの一人として嬉しい限りである。
もう失われた時間は取り戻せないが、まだまだお二人が健在なら新しい展開は可能であるし。

個人的には帰ってきたウルトラマンとエースの続編を見てみたいので、そろそろメビウスに続く新しいウルトラが見てみたい。
もちろん続編でなくても、マックスのようにお二人が共演することは可能であろう。
最近派手に盛り上がる戦隊やライダーを見るにつけ、少年時代何よりウルトラに嵌った私としては寂しい気持ちでいっぱいになる。
今見ても視聴に耐えるウルトラの、円谷のクオリティ。
特撮ヒーローの宗家として、いち早い円谷の逆襲を期待するばかりである。