ウルトラ解釈ブログ作戦

ウルトラシリーズについて色々語るブログ。

『ウルトラマンA』第5話「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」【ウルトラチャンネルセレクション4】ウルトラマン55周年記念配信

2021-05-08 10:36:09 | ウルトラマンエース
配信中なので久々に見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=tZyv0XKpsqE

ホログラフィーとかO型の女性とか展開が強引すぎますが、
それを忘れさせる中盤からのドラマが凄い。
アリブンタが地下鉄を破壊する特撮は迫力あるし、乗客が
白骨になるのは完全にホラー。
序盤からバンバン人は死ぬし、二期ウルトラは結構殺伐と
してるんですよね。

自らダックビルに乗り込む隊長。
竜隊長ほど率先して危険任務を行う隊長はいないと思います。
まあ指揮官としてはどうかという面もありますが。
ダックビルの人選ですが、美川と今野。
美川は地上での戦闘要員ではないという理由で選ばれたのでしょうね。
今野はこう見えてもロケット工学のオーソリティ(笑)なので、
ダックビルの整備ができるというのが理由でしょう。
ただし、予想通り活躍はしませんでしたが(笑)。

とにかく、エンタメとしての出来は抜群。
大ピンチからのゾフィ登場と逆転劇のカタルシス。
ラストのゾフィのバラードも素晴らしい。
まさに神回と呼ぶに相応しいエピソードです。

ではでは。

蟹江敬三氏亡くなる

2014-04-04 23:23:07 | ウルトラマンエース
大好きな俳優さんだけに残念です。
当サイト的にはカウラのヒッピー青年役とブニョということになるでしょうが、いずれも石堂・山際コンビでしたね。
個人的には沙粧妙子の刑事役が印象に残ってますが、強面なのに内面の暖かさを感じさせる演技はその人柄を偲ばせます。
若い頃は凶暴な犯人役が多かったのですが、歳を取るにつれコミカルな役から懐の深い役までまさに名優というのに相応しい人でした。
ご冥福をお祈りいたします。

さらばウルトラマン

2011-12-23 08:33:49 | ウルトラマンエース
エースの次はタロウだとばかり思ってたのですが、この枠のウルトラはエースで最後とのことです。
最後はゼットン2連発で終わり。
ちょっと残念ですね。

今回はその第一弾「さらばウルトラマン」。
今ではお馴染みになってしまったウルトラマンの敗北ですが、この頃の本放送を見てた子どもたちはさぞやショックを受けたでしょう。
私は再放送世代なので慣れてましたが、それでもこの最終回は衝撃受けましたしね。
ウルトラマンが負けて仲間が助けにくる。
これと「セブン暗殺計画」でウルトラのイベント編の基本は固まったと思います。

改めて見ると突っ込みどころも多いわけですが、その辺りはあまり考えないようにしましょう。
特にウルトラに関しては一体いつの時代の話なのかという根本的な問題もありますが、その辺りは気にしてはいけません。
一話ずつがパラレルとでも考えておきましょう(笑)。

ゼットン星人に関しては特に自分から名乗ったわけでもなく、最後にゼットンと言いながら死亡したからいう安直なネーミングのようです。
見た目はケムール人ですし、このキャラも正直よくわからない。
あっさり全滅だし、長年計画してた割には弱すぎ。
とっととゼットンを出しとけば良かったのに。

今回は何と言ってもゾフィ初登場というのが重要でしょう。
ウルトラマンが宇宙人である以上当然仲間がいるわけですが、このゾフィはウルトラマンにちょっと意匠を施しただけのシンプルなデザインながら上手い具合に上役感を出すのに成功してました。
私はリアルタイムで見てないのでわかりませんが、当時の子供たちのゾフィの評価ってのはどんなものだったのでしょうね。
ゾフィはエース第一話で再登場しますが、雑誌展開はあったもののいきなり歴代の主役たちを抑えて長男になるってのは結構凄い気もします。

今回はウルトラマンが回転するときの効果音とか回想シーン、去っていくシーンのBGMなどなかなか印象深いものになってます。
緊張感ある展開の中ラストが爽やかなのは好感持てますね。
ちょっとゼットンの最後があっけなかったですが、逆にこれからは人間が地球を守るんだという感じは伝わったと思います。
この話でウルトラのテーマ的にはほぼ完結と見ていいでしょうね。

まあ、またいずれ解釈を書きたいと思いますが、大体の感想はこんなところです。
2期に慣れてると展開の速さとドラマの少なさに違和感ありますが、これはこれでよくできた最終回だと思います。
まさに傑作のラストに相応しい最終回ですね。
そしてやはり改めて思ったのは、ウルトラマンはかっこいい。
これは演ずる古谷氏のスタイルの良さが大きいですが、初代でありながら未だに一番かっこいいというデザインの新しさ、造形の素晴らしさに改めて感心しました。
何だかんだ言ってもかっこいい。
子ども向けヒーローものではやっぱり一番重要ですね。

市川森一追悼 明日のエースは君だ!

2011-12-18 10:09:31 | ウルトラマンエース
市川森一氏がなくなって一週間。
さっきNHKで黄金の日々の再放送をしてましたが、つくづく凄い脚本家だったんだなと思います。
市川さんはワイドショーでよく見てましたが、その時の印象は結構厳しいこと言うけど根は優しそうな人という感じでした。
脚本界の重鎮になってもウルトラマンやブースカを黒歴史にはせずいつまでも愛着を持たれていたように、常に誇りを持って脚本を書かれていた方だと思います。

その市川氏の最後のウルトラ脚本がこの「明日のエースは君だ」。
正直前回との温度差が凄すぎてウルトラの最終回としての評価は微妙なのですが、1本の脚本としては凄まじいものがあります。
以前にも書きましたが、展開は「悪魔と天使の間に」の発展版という感じ。
ただ、その救いのなさは当時の市川氏の心境を映していたかのごとく。
その辺り「悪魔と天使の間に」と比較しつつ見ていきましょう。

まず「悪魔と天使の間に」では善に見える聾唖の少年が悪という展開だったのですが、今回は逆に最初は悪に見えるサイモンが善と見せかけてやっぱり悪というドンデン返しを用いてます。
しかも子どもたちにウルトラマンのお面を被せ、サイモンを死刑にすると言わせる念の入れよう。
この辺は後のインタビューでも語ってますが、ウルトラマンというのは結局弱いものいじめなのではないのかという問題意識があったようです。
自分たちのやってきたことは何の役にも立ってないのではないか。
この辺りは市川氏の子ども番組に対する真摯さの表れでしょうね。

次に「悪魔と天使の間に」ではウルトラマンを物理的に抹殺するのが目的でした。
しかし本話ではエースを物理的に抹殺することは目論んでません。
むしろ精神的に抹殺することで地球にいれなくする。
そのためならヤプールは殺されてもいい。
この辺りはより狡猾で悪魔的と言えなくもないでしょう。
この違いは単に最終回というだけでなく市川氏の心境の変化というものがあるように思います。

「悪魔と天使の間に」では信頼してくれたMATの隊員たち。
そして最後に助けてくれた伊吹隊長。
しかし本話では誰も助けてくれません。
見守ってくれたのは夕子だけ。
この辺りの孤独からは氏のウルトラに対する疎外感が感じられます。
市川氏の元々の構想では最終回では北斗と南が結ばれる予定だったという。
それに比べてあまりにも暗い本話のラスト。
この変化は単に設定の変化だけとはとても思えません。

本話では結局北斗はヤプールの策略にはまって地球を去ることになります。
一応ジャンボキングは倒しますが、結果的にはエースの敗北。
初代マンは確かに敗北して地球を去りましたが、ここまで後味の悪い別れではありませんでした。
本来なら男女の愛で悪魔を倒すはずだったエース。
しかし、この最終回では正直言って悪魔は残ってしまいます。
このままエースが飛び去ってしまえば、子供番組としては完全な破たんとなっていたでしょう。

そこで挿入されたのが、件のエースのメッセージ。
「優しさを失わないでくれ」。
これは帰ってきたウルトラマンの「ウルトラ5つの誓いに」当たるものでしょうが、これがなければ正直この話はウルトラの最終回として成立しなかったと思います。
それほどまでこの話には救いがありませんでした。
このメッセージからは市川氏の当時の子ども番組すべてに対する猜疑心みたいなものが読み取れます。
氏がこの作品を最後に子ども向け特撮番組から去ったのも仕方ないでしょう。

以前にも触れましたが、この辺りの問題意識は既に「ベロクロンの復讐」でも描かれてました。
例え悪が相手でもそれを殺してしまって、果たして許されるのか。
「悪魔と天使の間に」では悪は殺して当然というのが前提とされてました。
人間は最後まで悪と戦わなければならない。
しかしこの頃の市川氏は悪とは何か、正義とは何かという問題意識があったようです。
こんな問題意識を持ってしまっては、なかなか子ども向け特撮ものは書けません。
本当の悪とは個々の人間の心にあるというのが市川氏の信条。
それを表現する場として、子ども向け特撮には限界があったのです。

かくして、この最後のメッセージは市川氏の敗北宣言のようなものになってしまいました。
ただ本話のタイトル「明日のエースは君だ」を悪い意味で解釈しようというのは間違いだと思います。
そもそもこのタイトルが市川氏発案なのかもわかりませんが、このタイトルにはやはり最後のメッセージ、これからは君たちが優しさを失わずエースのように戦ってくれという制作者の願望が込められていると思います。
そしてこのメッセージは当時の子どもたちだけではなく、当時の特撮番組制作者全てに対する市川氏の願いでもあったでしょう。

市川氏はこの話を最後にウルトラの脚本は書かれませんでした。
ただ個人的にはそれで良かったと思います。
今の時代、市川氏の作風が子供向けで受け入れられるとは思いません。
それに、さすがに子ども向けを書くにはお歳をとり過ぎてましたし。
ただ、お亡くなりになるにはまだまだ若すぎます。
ウルトラ関連のインタビューは頻繁に受けられてましたし「私が愛したウルトラセブン」などの傑作ドラマもお作りになられてましたが、まだまだウルトラに関わっていて欲しかったです。
70歳というお若さで逝かれたのは本当に残念。
心よりのご冥福をお祈りして、追悼の拙文を締めたいと思います。

命を吸う音

2011-12-11 17:20:25 | ウルトラマンエース
石堂氏得意の無生物に魂が宿る系のお話。
ただ、今回魂が宿るのはバイオリンという本当にどこにでもあるもの。
まあ安易といえば安易だが、このパターンだと無限に話を作れそうなので、手堅いともいえるだろう。
ある意味ウルトラマン80の原型ともいえる。

以前にも書いたが本話はテーマ的にはバッドバアロンの話に似ている。
この頃の石堂氏にとって教育ママというのは気になるテーマだったのか。
はたまた子ども向け番組だからこそ定番のテーマを使ったのか。
その辺りはわからないが、前回といい王道なテーマで話を作る石堂氏は既にエースのメインライターかのような貫禄がある。

その他の解釈については以前書いたものを参照。

本話は石堂氏のエース最終話である。
石堂氏はエースには途中参加であるが、なんと13本もの脚本を手がけた。
中には夕子退場編や復活ウルトラの父などの重要なものもあり、エース後半は実質メインライターといってもいい。
ただ、この頃の石堂氏はタロウやレオの頃ほど自分の色を打ち出していなかったように思う。
その点、まだまだ助っ人気分なのだろう。

しかしシリーズ通して様々な脚本でインパクトを残した石堂氏。
帰ってきたウルトラマンに始まり、エース、タロウで本領を発揮。
レオでは2本のみだが、そのうちの1本はブニョ編で物議を醸した。
そして昭和ウルトラを締めくくる80の最終回を書いたのも石堂氏。
ウルトラマンを作ったのが金城、佐々木なら、ウルトラシリーズを作ったのは田口、石堂と言っても過言はないだろう。
まあ、逆にそれがマイナスに評価される原因でもあるが、最後まで挑戦的な脚本を書き続けた氏の功績はやはり評価すべきだと思う。

東京大混乱!狂った信号

2011-12-03 21:29:09 | ウルトラマンエース
本話も脚本は石堂淑郎氏。
エース後半は市川氏の2本以外は全て石堂脚本。
完全にメインライターとなってます。
前にも書きましたが、市川氏が復帰しなかったら最終回もおそらく石堂氏だったでしょう。
田口氏という可能性もありますが、田口氏はこの頃は完全にタロウに移行してたので、今さら最終回だけ書くというのは難しいでしょうから。
まあ市川氏の最終回が良かったのでエースという作品も駄作にはなりませんでしたが、怖いもの見たさで石堂氏の最終回も見てみたかった。
80の最終回もタイトルこそアレですが、結構よく出来てましたしね。

皆さん当然ご存知だと思いますが、石堂淑郎氏が一月前にお亡くなりになりました。
石堂氏といえばスノーゴンやドロボン、ブニョなど猟奇的な作品が目に付きますが、80の最終回を書いたように、実質2期ウルトラの後期を支えた脚本家です。
解釈大作戦でも何度か触れてますが、ウルトラへの愛はともかくそれぞれの作品の作風に合わせた脚本にはプロの仕事を感じました。
タロウだと妖怪譚的な話、エースだとSF的要素や人間の怨念的要素など基本は押さえてましたし。
おまけに何故ウルトラ兄弟は地球人を守るのかとか、ウルトラマンがいるから敵が現れるのではないかとか、ウルトラの根幹に関わる問題を提起するなど単なる子ども向けに終わらないメッセージ性もありました。
まあ、ウルトラ愛はないと書きましたが、あの屈折した脚本はもしかするとウルトラへの愛というか憧れの裏返しだったかもしれませんね。

話は逸れましたが、本話は宇宙人が単に侵略してくるという極めてオーソドックスな話。
そういう意味では石堂氏らしくないかもしれません。
しかし信号を狂わせることによる事故の多発など、この話の背景には当時の交通戦争に対する批判みたいなものもあったでしょう。
若しくは信号に操られる現代社会の人間への批判。
黄色でキチガイになるというギリギリの描写の中にはそういう批判が込められていたのかもしれません。

今回の見所は北斗と山中の相棒ぶり。
夕子なき後、美川と組んだりダンと組んだりしてた北斗ですが、結局落ち着くべきところは山中というところでしょうか。
ちょっと異色ですが、この2人の相棒編でワンクール作ってもよかったかもしれません。
それなら市川さんも喜んで書いてくれたかもしれませんし。
北斗「兄貴~」て(笑)。

本話に出てくるレボール星人の侵略目的は結局よくわからずじまい。
信号を狂わせるなど意外と知性派で、タイプ的にはメトロン星人に近い気もします。
メトロン星人もタバコに薬を仕込んで人間を狂わせる作戦でしたし。
まあ、レボール星人の作戦は結局は力技に終わりましたが、狂わせた人間がTACを襲うとかもっとデビルマン的な展開にしたら面白かったかもしれません。
て、もはや子ども向けではありませんが。
ただレボール星人自体は弱すぎ。

石堂氏は意外と等身大の宇宙人を好みますが、この辺りは宇宙人は三下やくざという本人のイメージによるのでしょうね。
ブラック星人、ストラ星人、怪人ナマハゲ、みずがめ座第三惑星人。
あまり戦闘力が高い宇宙人はいません。
グロテス星人もコダイゴンを盾にしてましたし。

本話はかなりオーソドックスな話だけに逆に石堂作品では異色編です。
ゲストキャラのゆきも普通だし、いつもの狂気じみたキャラはいません。
またレボール星人自身も石堂脚本にしてはなかなかにスケールの大きい作戦を展開しました。
上記の宇宙人たちのよくわからない作戦よりは街をパニックにしてましたし。
ただ、その中でも石堂氏らしいのは、最後は巨大メカならぬ超獣に頼ってしまう点。
まあこれはゼットンの昔から石堂氏に限ったことではありませんが、この辺の情けなさが石堂三下星人の特徴でしょうね。

石堂氏に関しては批判的な意見も多いですが、個人的にエースの最終クールは外れがないと思います。
ダン編が迷走期だっただけに、ウルトラの軌道を戻した石堂氏の功績はもう少し評価すべき。
視聴率的には揮わなかったらしいですが、それはダン編で色々ドーピングをした反動でしょう。
別に「ベロクロンの復讐」が子どもに受けたわけではありませんし、視聴率低迷を脚本のせいにするのは違うと思います。

もちろん、初期の脚本家と比べたら問題もありますし落ちるところもあるでしょう。
しかし石堂氏が後期ウルトラを支えたのは間違いない事実だと思います。
本人のスタンスもあり晩年も決してリスペクトされなかった石堂氏。
田口氏ともどももう少し評価して欲しいところですが、1期と2期後期の人気の差を見ると仕方ありませんかね。
石堂氏の作品が再評価されるのを願いつつ、石堂氏のご冥福をお祈りします。

空飛ぶクラゲ

2011-11-28 21:18:53 | ウルトラマンエース
あんまりにもやっつけなタイトルですが、いつものことなので諦めるしかありません。
まあ、わかりやすいっちゃあわかりやすいですから、子ども向けとしてはいいのでしょう。
本編は結構意味ありげな話で一言で説明するのは難しいですからね。

この話に関する解釈は以前書いたものを参照してください。
解釈の仕方によっては深い話になるという面白い話です。
石堂氏は地球を別荘地にするためとか、若いカップルをさらって子どもを産ませて奴隷にするためとかユニークな侵略目的を設定するのが得意な脚本家ですが、今回は植民地にするといういわゆるヒーローものではなかなかまっとうな侵略目的でした。
ただ植民地というのは結構漠然としてるから解釈次第では切実なものにもなりえます。
石堂氏がどこまで狙って書いたのかはわかりませんが、このようなぼかした目的になったのにはやはり含みがあったのでしょうね。

村人たちが少女に従って変な歌を歌うのはオウムっぽい。
やはり怪しげな宗教には変な歌がつきものなんでしょうか(笑)。
昭和48年当時カルト宗教というものがどれほどあったのかはわかりませんが、この辺りは未来を予見してるようで面白い。
しかし東大出身の石堂氏ならカルト宗教より学生運動に対する関心が高かったと思うのですが。
それを題材にしなかったのはやはり周りの人たちに配慮したのでしょうか(笑)。

ユニバーラゲスはTACに退治されるなどかなり弱い超獣。
まあエネルギーを吸収する充電池みたいなものなので超獣と言えるか疑問もあります。
宇宙船もあっさり撃墜ですし、正直迂闊すぎる気がするぞ、みずがめ座第3星人。
しかしみずがめ座と地球はどれくらいの距離があるのでしょうか?
もっと近くに住めるところがありそうな気もしますが。
ところで画面の暗さが不評のこの話ですが、今回のBSの再放送はそんなに暗いとは感じませんでした。
ちょっと補正したんでしょうか?

本話は前述したように解釈のしようによっては面白くなる話。
ただ、漫然と見ていると平凡なつまらない話にもなりえる両面性のある話でしょう。
今ならアクエリウスの少女を掘り下げてもう少し悲劇的にするのでしょうが、逆にそうしないのが昭和らしいと言えば昭和らしい。
それが物足りなさにもなるのですが、私みたいなサイトを運営するものにとってはこういう話は解釈し甲斐があって楽しいですね。

まあ、最近のアニメや特撮も謎が謎を呼ぶ感じで解釈の楽しさはあるのですが、やはり基本的には制作側が投げかけるのが多くて昭和ほど自由度がないように感じられます。
物語的にはそちらの方が完成度は高いのですが、勢いはやはり細かいことに拘らない昔の方があるような気がします。
昔のジャンプ漫画なんかは勢い重視の典型でしたし。
バラエティなんかでもそうですが、あまり計算され尽くすと見てて疲れる気がします。
こういうのも時代の閉塞感なんですかね。

ベロクロンの復讐

2011-11-23 15:45:46 | ウルトラマンエース
久々の市川脚本。
子どもの頃は脚本家が誰かなど気にするわけもなく単に変な話、若しくはヤプールがいきなり復活して混乱する話だと思っていた。
しかし、大人になって見るとある意味市川森一の復讐的な要素もあり面白い。

しかし、ヤプールの復活は誰が決めたのか。
真船監督によりヤプールが葬られてからヤプールは全く現れなかったが、設定的には全滅ではなかったのか。
もしかしたらこの脚本を市川氏に依頼した橋本氏は、最終回もヤプール路線で書かせるためにこの話でヤプールを書かせたのかもしれない。
普通なら石堂氏にこのまま最終回まで書かせてもいいと思うが(現に80ではそうしてる)、敢えて市川氏を引っ張り出したところに橋本氏のプロデューサーとしての信念のようなものが窺える。

当の市川氏は後のインタビューで脚本が足りないからと言われて助っ人意識で書いたと証言しているが、実際のところ市川氏はエースの脚本を再び書く意志はあったのだろうか?
ウルトラマンエース最終回は市川氏の最後の子ども向けドラマ脚本でもあるが、この頃既に大人向けドラマに移行していた市川氏が今更エースに戻ってくるとも考えにくい。
ただ、市川氏の中にはエースへの思い入れというものはかなりあったはずなので、声を掛けられればやはり書きたかったというのが本音なのだろう。
あるいはその交換条件にヤプールで書かせて欲しいというのはあったのかもしれないが、結果的にヤプール路線の2本で最後を締められたことはエースという作品にとってはプラスであっただろう。

前置きが長くなってしまったが、いきなりの宇宙空間から始まる幻想的な展開。
ゴルゴダ星を思わせる暗い空間でいきなり始まるベロクロンとのバトル。
お馴染みのヤプールBGMと、いきなり初期のエースに戻ったかの雰囲気が懐かしい。
市川脚本というのもあるが、私はこういう帰ってきたウルトラマンや初期エースの雰囲気は好きだ。

宇宙パトロール中に倒した怪獣が現れる展開は、初代マンの「怪獣墓場」を思い出させる。
話の展開は大違いだが、テーマ的には通ずるものがあろう。
ところで最初の夢の中のエースとベロクロンの戦いのとき、既にエースは左ほっぺを押えている。
この時に虫歯を仕込まれたのであろうが、これは今回の再放送を見るまで気が付かなかった。

今回は北斗もそうだが、他の隊員たちの芝居もいい緊張感が漲っており、やはりメインライターの復帰というのを歓迎しているのだろう。
また、この時期の市川氏は新進気鋭の若手ライターだけに役者たちも大人向けドラマを意識しているようにも見える。
また演出も凝っており、北斗が街中で暴れて包囲されるシーンの冷たさや女ヤプールの演出など印象深い。

ただ、やはり特撮シーンの演出は理解不能。
特撮は特撮で別というのはわかるが、果たしてこの演出がどれだけ本編を意識しているのか疑問が残る。
ベロクロンはヤプールの復讐とは無関係にただ暴れてるだけというのはシュールではあるが、例えば新マンの「悪魔と天使の間に」辺りと比べると演出的に弱い。
あの話の場合は特撮シーンに話の重要な鍵があったというのもあるが、やはり本編との整合性がないと話全体としての印象は弱くなるだろう。
相変わらず超獣を最後に宇宙へ運んだり、変な所への拘りが見られる。

以前にも書いたが、本話は北斗の背負った業というべきものが直接に描かれている。
これは単に怪獣や超獣相手ではなく、ヤプールという観念的な存在との戦いを描いたエースだからこそ可能だったのであろう。
ただ、ヤプールという存在が分かりにくかったのも事実。
その点、親子や兄弟愛を描いたタロウの方がわかりやすかったのも事実であろう。

しかし昨今の特撮やアニメはどうしても友情や仲間という、言い方は悪いが他人頼み的なヒーローものが増えている気がする。
もちろんそういうものは大事だが、やはりウルトラは人知れず正体を隠して戦うという孤独な個人主義が持ち味だろう。
そういう意味ではメビウスはやや昨今の戦隊等の影響を受け過ぎた嫌いがあった。

話は逸れたが、本話は北斗単独編だからこそ北斗の孤独もより強調された。
もちろん夕子がいた頃も2人は孤独ではあったが、その孤独も2人で分け合うことができた。
しかし夕子がいない今、北斗はそれを一人で背負わないといけない。
人間の負の側面の具現化であるヤプールに一人挑む北斗。
本来なら男女の愛で立ち向かうはずだった宿敵に一人戦いを挑まねばならない北斗の孤独は想像を絶する。

山椒魚の呪い

2011-11-12 15:40:03 | ウルトラマンエース
「黒い蟹の呪い」を思わせるタイトルですが、あちらがカブトガニでこちらが大山椒魚ですから両方とも天然記念物という共通点がありますね。
ただ、脚本は前者が田口氏、今回が石堂氏ですから厳密には使い回しではありません。
今回もどっちかというと村人を恨んでたのは老人ぽかったので、そういう意味では単に絶滅の危機に瀕する動物の恨みというよりは、フブギララの乞食仙人同様、村社会の怖さというのが背景にあるのでしょう。
人間の怨念を絡めてくる辺りは石堂氏らしい。

ハンザギランは後にタイラントの体の一部になることで結構有名。
ただ、この超獣もシーゴラス同様、ウルトラマンに倒されてないような気が。
まあ、あの状態じゃあ長くは生きてないだろうし、人間に対する恨みはありそうなので、タイラントの一部になる資格はあるのかも。
シーゴラスは再生シーゴラスと考えるのがいいんでしょうかね?

今回も都心ではなく山村で超獣が暴れるパターン。
エース最終クールで山村が舞台になるのが多いのは、やはり予算の関係でしょう。
この頃はタロウの立ち上げもあって、予算が厳しい時期ですし。
しかし、こじき仙人同様さゆりたちがどうやって暮らしてたかはちょっと謎です。
山椒魚のために家屋敷を売り払ったというくらいだから、お金は持ってるんでしょうか?
いずれにせよ、友達がショウベエだけというさゆりは不憫すぎる。

今回も動物の恨み、老人の恨みが超獣となって人間たちを襲うという石堂氏得意のプロットとなっている。
やはりこれらの恨みの前ではエースも弱いのか大苦戦。
半裂きになっても死なないという生命力もあって、結局太陽の光を遮断して元に戻すのが精いっぱいでした。

エースは今回に限らず、とにかく恨みつらみ系が多い。
それが全体的な閉塞感にもなってますが、そもそもの設定が「人間を滅ぼすのは人間だ」なんですから、仕方ないでしょう。
牧歌的な初代マン、侵略SFのセブンと比べて2期はこういうドロドロした話が多い。
これも不興を買う一因でもありますが、私なんかは2期のこういう暗いタッチは好きなので、そういう意味では1期との差別化はある程度成功と言えるでしょうね。