ウルトラ解釈ブログ作戦

ウルトラシリーズについて色々語るブログ。

さらばウルトラマン

2011-12-23 08:33:49 | ウルトラマンエース
エースの次はタロウだとばかり思ってたのですが、この枠のウルトラはエースで最後とのことです。
最後はゼットン2連発で終わり。
ちょっと残念ですね。

今回はその第一弾「さらばウルトラマン」。
今ではお馴染みになってしまったウルトラマンの敗北ですが、この頃の本放送を見てた子どもたちはさぞやショックを受けたでしょう。
私は再放送世代なので慣れてましたが、それでもこの最終回は衝撃受けましたしね。
ウルトラマンが負けて仲間が助けにくる。
これと「セブン暗殺計画」でウルトラのイベント編の基本は固まったと思います。

改めて見ると突っ込みどころも多いわけですが、その辺りはあまり考えないようにしましょう。
特にウルトラに関しては一体いつの時代の話なのかという根本的な問題もありますが、その辺りは気にしてはいけません。
一話ずつがパラレルとでも考えておきましょう(笑)。

ゼットン星人に関しては特に自分から名乗ったわけでもなく、最後にゼットンと言いながら死亡したからいう安直なネーミングのようです。
見た目はケムール人ですし、このキャラも正直よくわからない。
あっさり全滅だし、長年計画してた割には弱すぎ。
とっととゼットンを出しとけば良かったのに。

今回は何と言ってもゾフィ初登場というのが重要でしょう。
ウルトラマンが宇宙人である以上当然仲間がいるわけですが、このゾフィはウルトラマンにちょっと意匠を施しただけのシンプルなデザインながら上手い具合に上役感を出すのに成功してました。
私はリアルタイムで見てないのでわかりませんが、当時の子供たちのゾフィの評価ってのはどんなものだったのでしょうね。
ゾフィはエース第一話で再登場しますが、雑誌展開はあったもののいきなり歴代の主役たちを抑えて長男になるってのは結構凄い気もします。

今回はウルトラマンが回転するときの効果音とか回想シーン、去っていくシーンのBGMなどなかなか印象深いものになってます。
緊張感ある展開の中ラストが爽やかなのは好感持てますね。
ちょっとゼットンの最後があっけなかったですが、逆にこれからは人間が地球を守るんだという感じは伝わったと思います。
この話でウルトラのテーマ的にはほぼ完結と見ていいでしょうね。

まあ、またいずれ解釈を書きたいと思いますが、大体の感想はこんなところです。
2期に慣れてると展開の速さとドラマの少なさに違和感ありますが、これはこれでよくできた最終回だと思います。
まさに傑作のラストに相応しい最終回ですね。
そしてやはり改めて思ったのは、ウルトラマンはかっこいい。
これは演ずる古谷氏のスタイルの良さが大きいですが、初代でありながら未だに一番かっこいいというデザインの新しさ、造形の素晴らしさに改めて感心しました。
何だかんだ言ってもかっこいい。
子ども向けヒーローものではやっぱり一番重要ですね。

市川森一追悼 明日のエースは君だ!

2011-12-18 10:09:31 | ウルトラマンエース
市川森一氏がなくなって一週間。
さっきNHKで黄金の日々の再放送をしてましたが、つくづく凄い脚本家だったんだなと思います。
市川さんはワイドショーでよく見てましたが、その時の印象は結構厳しいこと言うけど根は優しそうな人という感じでした。
脚本界の重鎮になってもウルトラマンやブースカを黒歴史にはせずいつまでも愛着を持たれていたように、常に誇りを持って脚本を書かれていた方だと思います。

その市川氏の最後のウルトラ脚本がこの「明日のエースは君だ」。
正直前回との温度差が凄すぎてウルトラの最終回としての評価は微妙なのですが、1本の脚本としては凄まじいものがあります。
以前にも書きましたが、展開は「悪魔と天使の間に」の発展版という感じ。
ただ、その救いのなさは当時の市川氏の心境を映していたかのごとく。
その辺り「悪魔と天使の間に」と比較しつつ見ていきましょう。

まず「悪魔と天使の間に」では善に見える聾唖の少年が悪という展開だったのですが、今回は逆に最初は悪に見えるサイモンが善と見せかけてやっぱり悪というドンデン返しを用いてます。
しかも子どもたちにウルトラマンのお面を被せ、サイモンを死刑にすると言わせる念の入れよう。
この辺は後のインタビューでも語ってますが、ウルトラマンというのは結局弱いものいじめなのではないのかという問題意識があったようです。
自分たちのやってきたことは何の役にも立ってないのではないか。
この辺りは市川氏の子ども番組に対する真摯さの表れでしょうね。

次に「悪魔と天使の間に」ではウルトラマンを物理的に抹殺するのが目的でした。
しかし本話ではエースを物理的に抹殺することは目論んでません。
むしろ精神的に抹殺することで地球にいれなくする。
そのためならヤプールは殺されてもいい。
この辺りはより狡猾で悪魔的と言えなくもないでしょう。
この違いは単に最終回というだけでなく市川氏の心境の変化というものがあるように思います。

「悪魔と天使の間に」では信頼してくれたMATの隊員たち。
そして最後に助けてくれた伊吹隊長。
しかし本話では誰も助けてくれません。
見守ってくれたのは夕子だけ。
この辺りの孤独からは氏のウルトラに対する疎外感が感じられます。
市川氏の元々の構想では最終回では北斗と南が結ばれる予定だったという。
それに比べてあまりにも暗い本話のラスト。
この変化は単に設定の変化だけとはとても思えません。

本話では結局北斗はヤプールの策略にはまって地球を去ることになります。
一応ジャンボキングは倒しますが、結果的にはエースの敗北。
初代マンは確かに敗北して地球を去りましたが、ここまで後味の悪い別れではありませんでした。
本来なら男女の愛で悪魔を倒すはずだったエース。
しかし、この最終回では正直言って悪魔は残ってしまいます。
このままエースが飛び去ってしまえば、子供番組としては完全な破たんとなっていたでしょう。

そこで挿入されたのが、件のエースのメッセージ。
「優しさを失わないでくれ」。
これは帰ってきたウルトラマンの「ウルトラ5つの誓いに」当たるものでしょうが、これがなければ正直この話はウルトラの最終回として成立しなかったと思います。
それほどまでこの話には救いがありませんでした。
このメッセージからは市川氏の当時の子ども番組すべてに対する猜疑心みたいなものが読み取れます。
氏がこの作品を最後に子ども向け特撮番組から去ったのも仕方ないでしょう。

以前にも触れましたが、この辺りの問題意識は既に「ベロクロンの復讐」でも描かれてました。
例え悪が相手でもそれを殺してしまって、果たして許されるのか。
「悪魔と天使の間に」では悪は殺して当然というのが前提とされてました。
人間は最後まで悪と戦わなければならない。
しかしこの頃の市川氏は悪とは何か、正義とは何かという問題意識があったようです。
こんな問題意識を持ってしまっては、なかなか子ども向け特撮ものは書けません。
本当の悪とは個々の人間の心にあるというのが市川氏の信条。
それを表現する場として、子ども向け特撮には限界があったのです。

かくして、この最後のメッセージは市川氏の敗北宣言のようなものになってしまいました。
ただ本話のタイトル「明日のエースは君だ」を悪い意味で解釈しようというのは間違いだと思います。
そもそもこのタイトルが市川氏発案なのかもわかりませんが、このタイトルにはやはり最後のメッセージ、これからは君たちが優しさを失わずエースのように戦ってくれという制作者の願望が込められていると思います。
そしてこのメッセージは当時の子どもたちだけではなく、当時の特撮番組制作者全てに対する市川氏の願いでもあったでしょう。

市川氏はこの話を最後にウルトラの脚本は書かれませんでした。
ただ個人的にはそれで良かったと思います。
今の時代、市川氏の作風が子供向けで受け入れられるとは思いません。
それに、さすがに子ども向けを書くにはお歳をとり過ぎてましたし。
ただ、お亡くなりになるにはまだまだ若すぎます。
ウルトラ関連のインタビューは頻繁に受けられてましたし「私が愛したウルトラセブン」などの傑作ドラマもお作りになられてましたが、まだまだウルトラに関わっていて欲しかったです。
70歳というお若さで逝かれたのは本当に残念。
心よりのご冥福をお祈りして、追悼の拙文を締めたいと思います。

命を吸う音

2011-12-11 17:20:25 | ウルトラマンエース
石堂氏得意の無生物に魂が宿る系のお話。
ただ、今回魂が宿るのはバイオリンという本当にどこにでもあるもの。
まあ安易といえば安易だが、このパターンだと無限に話を作れそうなので、手堅いともいえるだろう。
ある意味ウルトラマン80の原型ともいえる。

以前にも書いたが本話はテーマ的にはバッドバアロンの話に似ている。
この頃の石堂氏にとって教育ママというのは気になるテーマだったのか。
はたまた子ども向け番組だからこそ定番のテーマを使ったのか。
その辺りはわからないが、前回といい王道なテーマで話を作る石堂氏は既にエースのメインライターかのような貫禄がある。

その他の解釈については以前書いたものを参照。

本話は石堂氏のエース最終話である。
石堂氏はエースには途中参加であるが、なんと13本もの脚本を手がけた。
中には夕子退場編や復活ウルトラの父などの重要なものもあり、エース後半は実質メインライターといってもいい。
ただ、この頃の石堂氏はタロウやレオの頃ほど自分の色を打ち出していなかったように思う。
その点、まだまだ助っ人気分なのだろう。

しかしシリーズ通して様々な脚本でインパクトを残した石堂氏。
帰ってきたウルトラマンに始まり、エース、タロウで本領を発揮。
レオでは2本のみだが、そのうちの1本はブニョ編で物議を醸した。
そして昭和ウルトラを締めくくる80の最終回を書いたのも石堂氏。
ウルトラマンを作ったのが金城、佐々木なら、ウルトラシリーズを作ったのは田口、石堂と言っても過言はないだろう。
まあ、逆にそれがマイナスに評価される原因でもあるが、最後まで挑戦的な脚本を書き続けた氏の功績はやはり評価すべきだと思う。

東京大混乱!狂った信号

2011-12-03 21:29:09 | ウルトラマンエース
本話も脚本は石堂淑郎氏。
エース後半は市川氏の2本以外は全て石堂脚本。
完全にメインライターとなってます。
前にも書きましたが、市川氏が復帰しなかったら最終回もおそらく石堂氏だったでしょう。
田口氏という可能性もありますが、田口氏はこの頃は完全にタロウに移行してたので、今さら最終回だけ書くというのは難しいでしょうから。
まあ市川氏の最終回が良かったのでエースという作品も駄作にはなりませんでしたが、怖いもの見たさで石堂氏の最終回も見てみたかった。
80の最終回もタイトルこそアレですが、結構よく出来てましたしね。

皆さん当然ご存知だと思いますが、石堂淑郎氏が一月前にお亡くなりになりました。
石堂氏といえばスノーゴンやドロボン、ブニョなど猟奇的な作品が目に付きますが、80の最終回を書いたように、実質2期ウルトラの後期を支えた脚本家です。
解釈大作戦でも何度か触れてますが、ウルトラへの愛はともかくそれぞれの作品の作風に合わせた脚本にはプロの仕事を感じました。
タロウだと妖怪譚的な話、エースだとSF的要素や人間の怨念的要素など基本は押さえてましたし。
おまけに何故ウルトラ兄弟は地球人を守るのかとか、ウルトラマンがいるから敵が現れるのではないかとか、ウルトラの根幹に関わる問題を提起するなど単なる子ども向けに終わらないメッセージ性もありました。
まあ、ウルトラ愛はないと書きましたが、あの屈折した脚本はもしかするとウルトラへの愛というか憧れの裏返しだったかもしれませんね。

話は逸れましたが、本話は宇宙人が単に侵略してくるという極めてオーソドックスな話。
そういう意味では石堂氏らしくないかもしれません。
しかし信号を狂わせることによる事故の多発など、この話の背景には当時の交通戦争に対する批判みたいなものもあったでしょう。
若しくは信号に操られる現代社会の人間への批判。
黄色でキチガイになるというギリギリの描写の中にはそういう批判が込められていたのかもしれません。

今回の見所は北斗と山中の相棒ぶり。
夕子なき後、美川と組んだりダンと組んだりしてた北斗ですが、結局落ち着くべきところは山中というところでしょうか。
ちょっと異色ですが、この2人の相棒編でワンクール作ってもよかったかもしれません。
それなら市川さんも喜んで書いてくれたかもしれませんし。
北斗「兄貴~」て(笑)。

本話に出てくるレボール星人の侵略目的は結局よくわからずじまい。
信号を狂わせるなど意外と知性派で、タイプ的にはメトロン星人に近い気もします。
メトロン星人もタバコに薬を仕込んで人間を狂わせる作戦でしたし。
まあ、レボール星人の作戦は結局は力技に終わりましたが、狂わせた人間がTACを襲うとかもっとデビルマン的な展開にしたら面白かったかもしれません。
て、もはや子ども向けではありませんが。
ただレボール星人自体は弱すぎ。

石堂氏は意外と等身大の宇宙人を好みますが、この辺りは宇宙人は三下やくざという本人のイメージによるのでしょうね。
ブラック星人、ストラ星人、怪人ナマハゲ、みずがめ座第三惑星人。
あまり戦闘力が高い宇宙人はいません。
グロテス星人もコダイゴンを盾にしてましたし。

本話はかなりオーソドックスな話だけに逆に石堂作品では異色編です。
ゲストキャラのゆきも普通だし、いつもの狂気じみたキャラはいません。
またレボール星人自身も石堂脚本にしてはなかなかにスケールの大きい作戦を展開しました。
上記の宇宙人たちのよくわからない作戦よりは街をパニックにしてましたし。
ただ、その中でも石堂氏らしいのは、最後は巨大メカならぬ超獣に頼ってしまう点。
まあこれはゼットンの昔から石堂氏に限ったことではありませんが、この辺の情けなさが石堂三下星人の特徴でしょうね。

石堂氏に関しては批判的な意見も多いですが、個人的にエースの最終クールは外れがないと思います。
ダン編が迷走期だっただけに、ウルトラの軌道を戻した石堂氏の功績はもう少し評価すべき。
視聴率的には揮わなかったらしいですが、それはダン編で色々ドーピングをした反動でしょう。
別に「ベロクロンの復讐」が子どもに受けたわけではありませんし、視聴率低迷を脚本のせいにするのは違うと思います。

もちろん、初期の脚本家と比べたら問題もありますし落ちるところもあるでしょう。
しかし石堂氏が後期ウルトラを支えたのは間違いない事実だと思います。
本人のスタンスもあり晩年も決してリスペクトされなかった石堂氏。
田口氏ともどももう少し評価して欲しいところですが、1期と2期後期の人気の差を見ると仕方ありませんかね。
石堂氏の作品が再評価されるのを願いつつ、石堂氏のご冥福をお祈りします。