ウルトラ解釈ブログ作戦

ウルトラシリーズについて色々語るブログ。

海の虹に超獣が踊る

2011-08-12 13:23:20 | ウルトラマンエース
解釈大作戦に書いた通り色々難点が多い話であるが、その辺りはそちらを参照していただきたい。

今回の中心は、完全に北斗とゆうじ、ナミコの姉弟の交流が中心だ。
ゆうじのことを考えて、父親が死んだことを告げられないナミコ。
かなり無理があるが、気持ちは理解できる。
そういえば、ダンと香代子も似たような境遇だった。
長坂氏がダン姉弟の設定を考えたとしたら、ちょっと被り過ぎな気もする。

物語はナミコとゆうじの心の動きを丁寧に追っていき、それに北斗とダンが絡む形。
それだけに、TACの存在がかなり希薄だ。
一応、山中が正論、隊長が懐深いフォロー役とパターンは踏襲してるが、物語からすれば完全に脇だろう。
この辺りはウルトラを書き馴れてない脚本家というのも大きいかもしれない。
また、超獣も正直あまり存在感なし。

ヤプール退場後の超獣は、自らの意志があるかのように作戦を展開するタイプと、ただの怪獣のように暴れるだけのタイプ、この2通りに分けられる。
今回は完全に後者であろう。
しかも、レッドジャックのように異次元から現れてる風でもないので、カイテイガガンはほとんど怪獣と言って差し支えない。
解説でも書いたが、ヤプール破片由来と仮定しないと超獣と解釈するのは難しいだろう。

話の作りの甘さは以前指摘したとおりだが、作風自体はウルトラとしては新しい。
レオの円盤生物編に通ずるかもしれないが、長坂氏の描くTACはMAC並に存在感が希薄だ。
まあ、元々TAC自体存在感はないのだが、北斗が市井の子どもたちと交流すればするほど、それは際立って感じられる。
坂田家があったにも関わらずそれなりの存在感があったMATとは対照的と言えよう。

結局長坂氏の路線は受けが悪かったのか、本人がやる気がなかったのか、ウルトラは石堂、田口の路線で再出発を図ることになる。
そういう意味では、手さぐりとも言える時期であるが、また違ったウルトラの可能性を秘めていたという意味では興味深い。
話の甘さも書き馴れていけば、おそらく解消されたはず。
そう考えると、この路線をあっさり放棄したのはちょっと勿体なかったかもとも思わないでもない。
コメント (2)
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