与田監督 お疲れ様でした。

2021年11月02日 | 井戸端会議
10/12 与田剛監督が今シーズン限りで退任すると発表があった。
「優勝を目指したが、私の力が及ばずこのような成績。申し訳ない。」
今シーズン限りでドラゴンズの ユニホームを脱ぐことが決まった与田監督は、本拠地バンテリンドームでの最終戦セレモニーでファンに対してこう語った。


今シーズン、チーム防御率は12球団トップの3.22、打撃部門それぞれは12球団ワースト、55勝71敗17分リーグ5位と低迷した。こうした中、成績不振の責任を取るとして、3年契約が終わる今シーズン限りで退任する意向を球団に伝え、球団も了承した。

思えば3年前、ドラゴンズの監督人事は与田政権の誕生まで紆余曲折ありながら裏側で二転三転した様だ。
他に本命と言われた候補が噂される中、与田ドラゴンズが誕生し戸惑った方が多かったはず。
就任時チームは6年連続Bクラス。誰が監督になっても厳しい状況にあり、いわば火中の栗を拾うかたちで与田監督は大役を引き受けた。
与田監督の3年間を語る上で〝ドラフト会議〟は欠かせない。監督就任後の初仕事は2018年ドラフト、4球団競合の末、与田監督が根尾を引当てガッツポーズをした瞬間、喜びに沸いたドラファンは多くいただろう。翌2019年は3球団競合の石川昴と2年連続で〝黄金の右腕〟で当たりくじを引当て〝GOD HAND〟球団グッズにもなったほどだ。


就任すぐの秋季キャンプにおいて、マスコミに対し「規定投球回を到達する投手を3人作りたい」と話てたことを思い出される。言葉通り今季3人の先発投手が到達した。
この3年間で強固な投手陣を作り上げた。何と行っても大野雄を押しも押されぬエースへと導いた。2018年未勝利から2019年ノーヒットノーラン、そして2020年に見事な復活劇を見せ沢村賞まで獲得した。
先発転向した福谷、右のエースへと駆け上がった柳、一本立ちした小笠原、大ピンチ時のリリーバー谷元・又吉の復活、絶対的勝利の方程式の大福マル等々、また投手陣だけじゃなく、課題であった捕手も育て上げてくれた。
2年目の昨季には8年ぶりのAクラスにも導いた。
時には勝利への執念を見せたこともあった。よそ見をしていた審判員に鬼の形相で食ってかかった場面や微妙な判定にベンチを飛び出そうとしたところを伊東ヘッドに制止される場面など、星野イズムを継承する優しさの中に熱いものを持つ監督であった。

一方で疑問視する事柄も多かった政権であった。
各局テレビのワイドショーなどでも取り上げられた、いわゆる〝お前騒動〟から始まり、〝「代打三ツ間」事件〟、〝門倉2軍投手コーチ失踪事件〟、コロナ禍、木下雄介さんの逝去という悲しい出来事もあった。
負ける事が当たり前となってた弱小チームに与田監督は常に前向きなメッセージを送り続けた。目標を問われると「優勝」と口した。
いつしか男気を感じた選手やコーチを責めないコメントも無味乾燥とした負け試合の後は何だか評論家然としてきているのが気になり、変わらぬ物言いは次第に他人事の様に響いたのは、おそらく多くのファンも同じではなかったろうか。
采配や選手起用も僕らドラファンはおおいに疑問を感じた。
采配については相手があることなどあり結果論となってしまう為、控えることとします。
しかし選手起用は与田監督自身が最終決定するものなので疑問を感じた。レギュラー選手の好不調を見極めず入れ替えはほとんどなく固定、ファームから期待値のある選手を上げても一軍体験ツアーと思わせる様な扱いは選手に競争意識低下を植え付けてしまった様に見え残念であった。

思い起こせば1990年新人王を獲得した年。4/7、横浜大洋ホエールズとの開幕戦で初登板。


同点で迎えた延長11回表無死1.3塁の大ピンチでリリーフ登板し、2つの三振を含む無失点に抑えた場面や死球を当てた恐怖の外国人グレン・ブラッグスがマウンドに突進してきても、一歩も逃げなかった場面など剛腕与田投手にぞっこんだった、あの頃の私。
長い様で短かった3年間。
国難とも言えるコロナ禍を戦いタクトを振るった心優しき熱いものを持つ監督であった。
3年契約の3年目、優勝を掲げた今シーズン序盤から貧打にあえぎ、12球団一の投手陣を擁しながらも5位に甘んじた。
残ったものは5位3位5位…。優勝はおろかAクラスに食い込むこと一度限りがやっと。
9月末、自ら進退伺いを提出した。勇退ではなく、事実上の解任であったと思われる。
与田監督が僕らドラファンや選手に惜別のラストメッセージを送ってくれた。
球団公式YouTuberチャンネルが、今季最終戦の舞台裏映像を公開。試合後、穏やかながら寂しそうな表情で言葉を紡いだ指揮官の姿に、ファンから「与田監督は優しすぎるのよ」との声が上がった。
3年間の終わりを告げる映像に、ファンは「絶対に忘れません」「優しい監督で、優しすぎる監督で、大好きでした」とのコメントを並べていた。

『最後に』
「絶体絶命の大ピンチに鮮烈デビューした時のあの姿からイチオシ応援してました。
3年間、本当にお疲れ様でした。」