痛かったら手を挙げろ

時々タイトルが変わります

歯科バイト11(サイナスリフト編)

2009年02月15日 03時14分49秒 | 今日の天使

 初めて自分でフィクスチャーを埋入してからは徐々にインプラント治療を希望する患者さんは増えていきました。それらの結果がぼちぼち出始める頃にサイナスリフトを行うようになりました。最初の患者さんの1次手術から半年、症例的にはまだ一桁の頃です。当時の状況からいろいろ言い訳も出来ますが、誰でも最初はあるという事で・・・

 サイナスリフトのバイトも、当時の状況からいろいろ言い訳もできますが・・・やりたかったのです。

 アウェーでのサイナスリフトは痺れました。重要な道具は使い慣れた物を持参したのですが、インプラントシステムの違いや、ちょっとしたホームとの違いは極度の緊張を強いられました。

 脳内麻薬でまくりです。

 今思うと本格的にインプラントバカになっていった大きなターニングポイントはサイナスリフトのバイトを引き受けた時だったな。

 

 

 おしまい


歯科バイト10(間違えた編)

2009年02月15日 03時13分23秒 | 今日の天使

 大学病院で薄給で働くあなた、バイト先を掛け持ちしているあなた、日曜日も働いているあなたですよ。

 あなたは違うバイト先に行ってしまった事はありませんか?

 私はあります。

 一般診療バイトとインプラントバイトの両方していた頃なんですが、インプラントバイトはそれぞれに不定期に通っていた事もあり混乱していたのでしょう、通い慣れた歯科医院の駐車場に着いて手帳を確認してから気がつきました。

 大学病院の住人のように何年間もそこを中心としていろいろな方面のバイト先に行っては病院経由で帰宅していたので、病院からバイト先までの慣れた道のりが途中まで共通な事が多く、重要な交差点ではドキッとする事もあり助手席に手帳を置いて運転してました。

 その頃は日曜日に休むのも不定期で、本当の休日に目が覚めると、いろいろな場所で同時進行している仕事のことが一瞬で頭の中を駆け巡り、心拍数が上がって一呼吸置いてから休みであることに気がついてホッとすることもありました。

 明らかにおかしいです、自分でも気づいていたので多くの患者さんを診て長い時間拘束されるバイト先を辞めて、その場で処置が完結する外科バイトと不定期のインプラントバイトだけにしていきました。

 その後すぐに大学病院での仕事が増えていくのと同時にインプラントバイトも忙しくなっていって一日中手帳を確認しているようになり、又同じようにおかしくなって行くのですが、一時的に急に暇になった頃は日中の脳への負荷少なくて夜寝られなくなりました。

 Dr. Bernhard Giesenhagen は笑顔でサイナスリフトしてたっけ。

 つづく


歯科バイト9(現物支給編)

2009年02月14日 21時58分46秒 | 今日の天使

 口腔外科に所属して外科処置を学びながらインプラント治療を行うようになった私は歯周外科処置やインプラント周囲軟組織に対しての外科処置の必要性を感じていました。

 単純に切ったり縫ったりは得意だと思っていて何十糸縫合しても苦にならなかったのですが、あくまで口腔外科の範囲内でしかなく、細かいフラップの扱いは苦手としていました。

 当時、埋伏歯抜歯とインプラントバイトに行っていた歯科医院で、控え室のソファーに座って患者さんの来院を待ちながら一息ついているときに院長の本棚に見つけました。

歯周外科の臨床とテクニック
価格:¥ 55,650(税込)
発売日:1998-03

 ちょうどその頃は、佐藤直志先生の著書を探していて、バイト帰りに水道橋に寄り道して帰ろうと思っていたので、すごい偶然に嬉しくなり先生と交渉してバイト代としていただいてきました。

 結局その後

歯周補綴の臨床と手技
価格:¥ 49,952(税込)
発売日:1992-01

インプラント周囲のティッシュ・マネージメント
価格:¥ 29,400(税込)
発売日:2001-04
も購入しました。自分史のインプラントバブルの頃で、趣味と実益を兼ねていたので購入するのに迷わなかった気がします。

 その後は学生時代に購入して院内実習で使ったきりの道具を引っ張り出し、歯周科の先生に相談して手入れの方法から教えていただき、少しずつ実践していきました。

 歯周組織に対しての扱い方は勉強になりましたし、インプラントの2次手術時にも役立つテクニックが多く載っているのですが、人に見せるのでなければアンキロスの2次手術はフラップレスのシンプルな方法で十分な気がします。

 最も痛い目にあったのが、喫煙者でもそれほど問題が出なかった処置が複雑な弁の処理をすると結果的にシンプルに処置したときとそれほど変わらないか、逆に悪くなったのでは・・・

 

 つづく


歯科バイト8(ほっとした編)

2009年02月09日 00時21分29秒 | 今日の天使

 遠方のバイト先は週一回だったのですが、電車で行くにも6時出発、車なら首都高が渋滞する前の5時すぎには出なければならず、夏は良いのですが、冬場のまだ暗い朝に出かけるのは、いつも憂鬱でした。

 その揺り戻しで、帰路はいつも開放感であふれていて、月に1、2回しか休んでなかった自分の中では一週間の終わりのような感覚でした。

 首都高の運転も慣れてきた事もあり、FMラジオを聴きながらの帰りの運転は一週間で最もほっとする時間でした。

 早めに首都高を抜ければそれほど渋滞にはまらなかったのですが、いつも大黒PAによってから一息ついて、事故渋滞や閉鎖区間などを確認してから出発していました。

 金曜日にも遠方のバイト先に行っていた時期があるのですが、夜遅くなった時の大黒PAは改造車が集合して大音量で音楽を鳴らし、お祭りのようでした。

 夏のある日、ちょうど日が落ちる頃、大黒PAへぐるぐる回りながら降りていくと、横浜の街の明かりとライトアップされた観覧車、富士山のシルエットと夕焼けが全て一緒に見えるポイントがありました。

 もう一度見ようと右手を眺めて降りていったのですが、次の一周は残念なことに視点が低くなってしまい、夜空とわずかな夕焼けしか見えませんでした。

 3年目の秋頃はバイト先の一般診療も面白くなり、口腔外科でオペ室に入る事も増えていき、日々忙しく充実した仕事をしていたのですが、開業するにはそろそろ大学病院は辞め時かなと漠然と考えていました。

つづく


歯科バイト7(びっくりした編)

2009年02月08日 18時37分34秒 | 今日の天使

 3年目の夏、大学病院の夏期休暇を夏の間はバイトを休む先生達の代理として働き、夏休み期間だけで100万円稼いだことがあります。

 その夏は大学病院で働くより開業医で一般診療している時間の方が長く、まるで開業医に就職して毎日違う分院に通っているかのようでした。

 当時は大学病院で一般診療はほぼしていませんでしたので、毎日のように開業医で働くことで、前回のことを忘れる前に次の治療にすぐに役立てることが出来て、日々上達するのを感じていました。

 この頃は仕事を覚えて慣れてきたこともあり、主訴を聴くのが楽しく、患者さんに出来るだけ希望を言ってもらい、それら全てを叶えてあげようと、何でも出来る気になっていました。

 開業医では時間的にも道具的にも対応出来ない症例などは、大学病院まで来ていただいて治療したり、バイト先の昼休みに片道30分かけて大学病院に戻り、昼休みで人のいない外来で埋伏歯抜歯をしていたこともありました。(これは先輩に注意、忠告された。)

 夏も終わる頃、土曜日に午前中の大学病院、午後の総合病院内の歯科診療室、夜の開業医で働いた後、カラオケをしていた医局員達に合流したのですが、そのときは非常に盛り上がって朝まで遊んでいました。

 明るくなる頃に車が止めてある大学病院に戻り解散になったのですが、そのとき思い出したのです

「俺、当直だった。」

本当に忘れてました、みんな驚いていたのですが、帰って寝ようとしていた私が一番びっくりしました。

 9時から24時間の日直、当直です、帰ったら寝てしまうのが怖いので、そのまま医局のソファーで仮眠をとりました。

 日直は入院患者さんの処置だけで、急患等もそれほど無く、昼間から寝ていたのですが、翌朝月曜日は外来の日直としてそのまま9時から5時まで診療をした後、夜からのバイトに出かけました。

 とどめに、翌日は朝5時に起きなければ間に合わない、車で遠方へのバイト、帰路の首都高は都内に入るといつも通り渋滞していました。

 当時は、いろんな意味で無理。

 今では、いろんな意味で無理。

 つづく