研修医となって初めて配当された患者さんは60歳ぐらいの男性で、薬の副作用でかなり耳が遠く意思の疎通を図るのが大変な方だった。
筆談とまでは言わないが、左側から大きな声で話しかけないと聞こえなく、常に診療前に今日する事を細かく説明し、その日の診療が終了したら又左側に回って大きな声で今日の事と次回のことを説明した。
患者さんに本気で何かを伝えようとすると、訛りが出るらしく、後から衛生士さんに
「先生少し訛ってましたよ」
と笑われた。
当時も今も、患者さんの為に何か大切なことを伝えようとすると、訛ってくるが、当時は
「なーにいってんだ、テクニック、あくまで患者さんを安心させるテクニックの内の一つだっぺよ」
といい訳していた。
この患者さんには9年間で計3個の義歯を作製したのだが、最初の2つは全て自分でやらせてもらった。
学生時代に習った様に研究用模型を作製、口腔内診査をして、TBIから初めて歯周初期治療をした。
その後CRや何本かの根治をしてコアの印象、前もって削りだした模型を見ながらブリッジの形成、義歯の印象と全ての技工も自分でやった。
9年後の結果、9本の残存歯の内4本を抜く事になり、ブリッジの切断、義歯修理も経験した。
今となってみれば、歯周外科治療と総義歯以外の歯科治療のほとんど全てを経験させていただいた事になり、大変迷惑をかけたと思うし、9年間も通院していただいて感謝している。
ブリッジやクラスプのワックスアップ、鋳造、研磨、人工歯の選び方から配列、歯肉形成、義歯の重合、など一生やらないのではないかと思う事もやらせていただいた。
上手くいったこと、いかなかったこと全てが自分の中に残っています。
9年間ありがとうございました。