バイト先でたまたま同世代の女性と一緒になり昔話になった。
昭和後期まだパソコンはおろかワープロさえ十分に普及していなかった頃、スーパーのギフトは手書きでのしを書いていた。仕事の合間に100枚単位で書いたこととか思い出す。筆ペンとはいえあまり好きな作業ではなかったけど出来ない人も沢山いたのでしかたなくやっていた。
タイプライターとかもあったねと言う話になり和文タイプを思い出した。文書の清書用に活字のいっぱいはいった奴。カーボン紙を挟んで使う。そういやぁカーボン紙も使わなくなったよね。私も習ったし使っていた。ピッチとか計算して使わなあかんから面倒臭いんだよ。
何かの拍子に活字をひっくり返してひらうのに難儀したことがあるわと彼女は言いわたしもあるあると…
家庭用に小型ワープロが普及したのが昭和60年代、その後パソコンへ。
活字をカションカション拾って打っていた懐かしい時代。
(ぐぐって画像を拝借。和文タイプ、パンライター、英文タイプ)
今朝来た新聞の訃報欄で巴里夫先生がお亡くなりになったことを知る。
数年前ふとしたきっかけでググってみたらまだ健在で過去作品の復刊にも力を入れておられるとかいてあった。ああ、お元気なんやとうれしくなったのをおぼえている。
先生の作品にはほとんど日常しか描かれていない。日常の中のすこしの背伸び、心の揺れ、ていねいに私たち子供によりそったお話の数々。
今もそうやけど子供の頃の私は自己肯定のできにくい子やった。こびたり流されたりしている自分が嫌いやったその裏の気持ちでは自分も愛されたいと思っていた。
ゆれる気持ちに先生の作品はしっくりときたんだと思う。
先生には申し訳ないけど私が小学生の頃としても画風は一昔前やった気がする。
らくがき好きやったけど、先生の絵をまねたりなぞったりした事は一度もない。
けどぼろぼろになるまで読み返した。
先生よい作品をありがとうございました。
ゆっくりとお休み下さい。
(写真はネット拝借(_ _)ねぇねぇちゃん大好きやった。交通戦争とかちょっと社会派な話もあったね。下駄屋のじぃちゃんも素敵やったなぁ)
数年前ふとしたきっかけでググってみたらまだ健在で過去作品の復刊にも力を入れておられるとかいてあった。ああ、お元気なんやとうれしくなったのをおぼえている。
先生の作品にはほとんど日常しか描かれていない。日常の中のすこしの背伸び、心の揺れ、ていねいに私たち子供によりそったお話の数々。
今もそうやけど子供の頃の私は自己肯定のできにくい子やった。こびたり流されたりしている自分が嫌いやったその裏の気持ちでは自分も愛されたいと思っていた。
ゆれる気持ちに先生の作品はしっくりときたんだと思う。
先生には申し訳ないけど私が小学生の頃としても画風は一昔前やった気がする。
らくがき好きやったけど、先生の絵をまねたりなぞったりした事は一度もない。
けどぼろぼろになるまで読み返した。
先生よい作品をありがとうございました。
ゆっくりとお休み下さい。
(写真はネット拝借(_ _)ねぇねぇちゃん大好きやった。交通戦争とかちょっと社会派な話もあったね。下駄屋のじぃちゃんも素敵やったなぁ)