夫と闘った日から少したったある日のこと、夫は「ここのところずっとしんどい」「無気力で仕事をする気がしない」と言った。以前から何かがうまくいかないと、すぐそのようなことを言っていたが、今回は精神的な不調を特に気にしているようだった。そしてなんと自ら精神科の門をたたいたのだった。
夫には『鬱病』という診断が下り、精神科の薬を飲むようになった。私は夫の病気の心配よりも、自分の安心感の方が強かった。私から見て夫は常に不安定で突発的な言動があり、神経過敏で意味不明なモラハラ行動を見ていると正常の精神状態とは思えず、ほとんど病気ではないかという感じだった。その対策として私の方が精神科あるいは心療内科にでも夫について相談に行き、夫用のきっつ~い精神安定剤をもらい、粉にして飲み物か食べ物に混ぜたろか!と思っていたくらいだったのだ。
とにかく服薬してくれるようになってから、夫の精神状態が劇的に落ち着き、感情の起伏も少なくなった。私は胸をなで下ろし、心底ほっとした。
ただ、夫は「鬱病になったのはおまえのせいだ」とことある毎に言った。私が掃除をしない、私がクリーニングに出すべき服を半年もおきっぱなしにしたからだと言った。夫の機嫌がいいときは「俺は高校生くらいから鬱気味だった」「不安定な性格だった」など調子よく言っていたが、私に対して気に障ると、すぐ私のせいだと言った。
しかし、これまで私は散々加害者扱いされていたので、「私のせいにして気が済むなら一生そうしてくれ」と冷ややかな気持ちしか持てなかった。
そしてある意味、夫がこうやって抗不安薬や、精神安定剤を服薬してくれなかったら、この先一緒に暮らせなかっただろう、とも思った。あのまま服薬せずに生活していたら本当にひどいことになっていただろう。常に神経が高ぶって、ピリピリして、些細なことで怒りを爆発させる状態の人間と一緒にいることに、私の心は疲弊し限界を感じていた。あの状態が続いていたら私はもっと早く家出か実家に帰るか別居していたかもしれない。
そう思うと何か意味深い出来事のようにも感じるのだ。もしかしたら夫はあの闘いで私の捨て身な態度を察知し、私との生活を維持するために服薬したのではないか、とも思ったりした。夫は私の反撃で妻へのコントロール幻想を失い、不安に駆られたために「鬱」と名の付く病に逃げたのではないだろうか。
私は鬱病について本を読んだりネットで情報を得たが、夫の状態と照らし合わせると、どうも首をかしげることが多かった。夫は本当に鬱病か?
夫は鬱といいつつ、食欲旺盛で仕事もできたし職場を休むこともなかった。睡眠もよく取れているようだった。昼寝をしたり、夜中に起きたりもしていたが、生活の波は以前からもよくあった。総合的に判断すると、服薬のため単に精神状態が鎮静化されているだけのように感じた。もし本当の鬱だったら、もっと抑鬱状態が強く、働いたり日常生活を送ることすら億劫になるはずだ。
また、夫に処方されている薬を調べると、主に安定剤と抗不安薬であり、鬱病という雰囲気ではないように感じた。私は更に精神疾患について調べた。そして、ある病名に行き着いた。そう、モラハラ被害者の方々にはお馴染みの『自己愛性人格障害』加えて『境界性人格障害』の要素もあり!?みたいな。私はこの頃、まだ「モラルハラスメント」という言葉を知らなかったが、今思えば、実はすぐそこまでモラハラの実態に迫っていたのだ!
情報を集めながら私は思った。 このような人格障害の要素を色濃くもっている夫は、多分治療のしようもないような気がした。単に鬱病の名の下で薬物治療だけ受けていても、それは現実の生きにくさを紛らすための対処法で、根本は変わらない。よほど本人が自覚してカウンセリングでも受けなければ自分の行動を振り返ることは難しいだろう。私は夫にカウンセリングも勧めたことがあった。しかし夫は「そんな必要はない」と言い、行くことはなかった。夫は自分を見つめるなんて事はとても怖くてできないだろう。夫は自分にとって不快なもの、不安や痛みや恐れを感じたら、それを感じないように、見ないようにすることが先決なのだ。だから薬で紛らし、自分に目を向けないようにしているだけなのではないか。
私からしたら常軌を逸する言動をとる夫は、誰とも生活できない人なのではないだろうか。そんな夫と生活している私は、もしかしたら困難にあえて立ち向かっているチャレンジャーなのかもしれない。そう思ったら、私が特に自己嫌悪に陥る必要もないのではないだろうか。夫が鬱というか、何か自覚して服薬しなければ、誰かと一緒に住むことなんてとても無理だったのだ。そうでなければ果てしなく悲惨な生活になるところだったのだ。
私は、夫との生活をそんなふうに合理化した。
夫の病院通いのお陰で、夫の言動は鎮静化され、私は夫と過ごす時間があまり苦にはならなくなった。むしろ信じられないことに、結婚して以来の平和な日々だと錯覚するくらい、楽しく過ごせるときも出てきたのだ。といっても、私は夫相手に完全にリラックスできたわけではない。夫に対して余計なことは言わず、顔色を窺いつつ、ではあった。既に私は夫に期待することも、理解してもらうこともあきらめていたので、夫がおとなしくなったからといって心を許したわけではなかった。でもこの停戦状態に、私はやっと緊張していた肩を緩めることができた。たまに夫は不機嫌にはなったが、むっつりしているか、ぶつぶつ言っているか、すぐ寝てしまうか、というおとなしい行動にとどまり、怒鳴ったり物にあたったりということもなくなった。
私は「どうかこのまま夫が一生薬を飲んでおとなしく生活してくれますように…」と願った。そう、私は夫の病気が治ることを願うのではなく、服薬し続けることを願ったのだ。夫から離れるよりも、夫を何とかコントロールできれば一緒に暮らせる、という私の幻想。この幻想は1年くらい続き、夫婦らしい会話も生まれた。しかしこれはやはり幻想だったのだ
1年後には厳しい冷戦が待っていた。
(しかしチャレンジャーと思ったりコントロール幻想をもったり…私はやっぱり共依存だと自覚…とほほ。)
*夫の病については、あくまでも私の主観、私が感じたことのみを記していますので、ご了承下さいませ。
夫には『鬱病』という診断が下り、精神科の薬を飲むようになった。私は夫の病気の心配よりも、自分の安心感の方が強かった。私から見て夫は常に不安定で突発的な言動があり、神経過敏で意味不明なモラハラ行動を見ていると正常の精神状態とは思えず、ほとんど病気ではないかという感じだった。その対策として私の方が精神科あるいは心療内科にでも夫について相談に行き、夫用のきっつ~い精神安定剤をもらい、粉にして飲み物か食べ物に混ぜたろか!と思っていたくらいだったのだ。
とにかく服薬してくれるようになってから、夫の精神状態が劇的に落ち着き、感情の起伏も少なくなった。私は胸をなで下ろし、心底ほっとした。
ただ、夫は「鬱病になったのはおまえのせいだ」とことある毎に言った。私が掃除をしない、私がクリーニングに出すべき服を半年もおきっぱなしにしたからだと言った。夫の機嫌がいいときは「俺は高校生くらいから鬱気味だった」「不安定な性格だった」など調子よく言っていたが、私に対して気に障ると、すぐ私のせいだと言った。
しかし、これまで私は散々加害者扱いされていたので、「私のせいにして気が済むなら一生そうしてくれ」と冷ややかな気持ちしか持てなかった。
そしてある意味、夫がこうやって抗不安薬や、精神安定剤を服薬してくれなかったら、この先一緒に暮らせなかっただろう、とも思った。あのまま服薬せずに生活していたら本当にひどいことになっていただろう。常に神経が高ぶって、ピリピリして、些細なことで怒りを爆発させる状態の人間と一緒にいることに、私の心は疲弊し限界を感じていた。あの状態が続いていたら私はもっと早く家出か実家に帰るか別居していたかもしれない。
そう思うと何か意味深い出来事のようにも感じるのだ。もしかしたら夫はあの闘いで私の捨て身な態度を察知し、私との生活を維持するために服薬したのではないか、とも思ったりした。夫は私の反撃で妻へのコントロール幻想を失い、不安に駆られたために「鬱」と名の付く病に逃げたのではないだろうか。
私は鬱病について本を読んだりネットで情報を得たが、夫の状態と照らし合わせると、どうも首をかしげることが多かった。夫は本当に鬱病か?
夫は鬱といいつつ、食欲旺盛で仕事もできたし職場を休むこともなかった。睡眠もよく取れているようだった。昼寝をしたり、夜中に起きたりもしていたが、生活の波は以前からもよくあった。総合的に判断すると、服薬のため単に精神状態が鎮静化されているだけのように感じた。もし本当の鬱だったら、もっと抑鬱状態が強く、働いたり日常生活を送ることすら億劫になるはずだ。
また、夫に処方されている薬を調べると、主に安定剤と抗不安薬であり、鬱病という雰囲気ではないように感じた。私は更に精神疾患について調べた。そして、ある病名に行き着いた。そう、モラハラ被害者の方々にはお馴染みの『自己愛性人格障害』加えて『境界性人格障害』の要素もあり!?みたいな。私はこの頃、まだ「モラルハラスメント」という言葉を知らなかったが、今思えば、実はすぐそこまでモラハラの実態に迫っていたのだ!
情報を集めながら私は思った。 このような人格障害の要素を色濃くもっている夫は、多分治療のしようもないような気がした。単に鬱病の名の下で薬物治療だけ受けていても、それは現実の生きにくさを紛らすための対処法で、根本は変わらない。よほど本人が自覚してカウンセリングでも受けなければ自分の行動を振り返ることは難しいだろう。私は夫にカウンセリングも勧めたことがあった。しかし夫は「そんな必要はない」と言い、行くことはなかった。夫は自分を見つめるなんて事はとても怖くてできないだろう。夫は自分にとって不快なもの、不安や痛みや恐れを感じたら、それを感じないように、見ないようにすることが先決なのだ。だから薬で紛らし、自分に目を向けないようにしているだけなのではないか。
私からしたら常軌を逸する言動をとる夫は、誰とも生活できない人なのではないだろうか。そんな夫と生活している私は、もしかしたら困難にあえて立ち向かっているチャレンジャーなのかもしれない。そう思ったら、私が特に自己嫌悪に陥る必要もないのではないだろうか。夫が鬱というか、何か自覚して服薬しなければ、誰かと一緒に住むことなんてとても無理だったのだ。そうでなければ果てしなく悲惨な生活になるところだったのだ。
私は、夫との生活をそんなふうに合理化した。
夫の病院通いのお陰で、夫の言動は鎮静化され、私は夫と過ごす時間があまり苦にはならなくなった。むしろ信じられないことに、結婚して以来の平和な日々だと錯覚するくらい、楽しく過ごせるときも出てきたのだ。といっても、私は夫相手に完全にリラックスできたわけではない。夫に対して余計なことは言わず、顔色を窺いつつ、ではあった。既に私は夫に期待することも、理解してもらうこともあきらめていたので、夫がおとなしくなったからといって心を許したわけではなかった。でもこの停戦状態に、私はやっと緊張していた肩を緩めることができた。たまに夫は不機嫌にはなったが、むっつりしているか、ぶつぶつ言っているか、すぐ寝てしまうか、というおとなしい行動にとどまり、怒鳴ったり物にあたったりということもなくなった。
私は「どうかこのまま夫が一生薬を飲んでおとなしく生活してくれますように…」と願った。そう、私は夫の病気が治ることを願うのではなく、服薬し続けることを願ったのだ。夫から離れるよりも、夫を何とかコントロールできれば一緒に暮らせる、という私の幻想。この幻想は1年くらい続き、夫婦らしい会話も生まれた。しかしこれはやはり幻想だったのだ
1年後には厳しい冷戦が待っていた。
(しかしチャレンジャーと思ったりコントロール幻想をもったり…私はやっぱり共依存だと自覚…とほほ。)
*夫の病については、あくまでも私の主観、私が感じたことのみを記していますので、ご了承下さいませ。
>そう、私は夫の病気が治ることを願うのではなく、服薬し続けることを願ったのだ。
この一文、ほんと~に身に染みて分かります!!
「自己愛性人格障害」に接する方は、皆同様な願いを持っているんじゃないかしら?と思います。
例えるなら、ぐずって泣き叫んで、中々寝付かない幼子がやっと眠り始め、その様子をハラハラな気持ちで「どうか起きてくれるな」と願いながら見詰めてる・・・そんな感じ。
この記事の一年後っていうのが怖くて想像も付きませんが、少しは穏やかな時間も持てたのですね。良かったですよね。じゃないと”やるかやられるか”という状態にまで成りかねなかったですものね。
何かを他人のせいにしているうちは、その人は何も変わっていない。改善されていない証拠ですよね。
自分の真の姿なんて、誰でも向き合いたくないものでしょうけれど(欠点が大方占めるんですからね。とほ)それが出来ない、したくないうちは、何も変わりません。
夫さんの、最後の頼みの綱だったんでしょうね>自分に病名を付ける事が。
私もそうですが、人って、漠然としているものには未知への恐怖心みたいなものを抱きますが、分類化(病名をつけてもらうなど)されると、まずは一安心するので、何だかオカシナ生き物だなあ~と思います。
ちょっと久しぶりにお邪魔しますね。
ウメさん、勇気ありますね、なんだかウメさんのした事が自分の事のように嬉しくなってしまいました。
ご主人の事、私も前夫と少しダブらせながら、うんうんと頷いて、似ている所をピックアップして笑っています。
うちの前夫さんも過去に右耳が「突発性難聴」になったことをいつもいつも「お前の所為で突発性難聴になってしまった。」とよく言っていました。
私が手を当てたわけでもないのに、私といる事で難聴になってしまったというのです。看護師をしていた私にそういうのですからとってもお笑いでしたよ。
何でも人の所為にしたがる人でしたねぇ、ちょっと思い出してしまいました。
全くの偶然ですが、私も『共依存』について書いてみました。
過去の自分を振り返って、こんなに変われた事に我ながら驚いています。
ウメさんの語り口は、とても静かで淡々としている様に私には見えて、それがまた たまらなく心に響きます。
大切になさってくださいね、その感性。
こういう感性を持っている人、私とても惹かれます。
うつならば、軽いものでも抗うつ薬を使用するものと思われます。
しかし、安定剤の服用によって、
ウメさんに大きな被害が行かなくなったのはよかったですね。
しかし、きちんとそのあたりを調べて、考えられておられるウメさん凄いです。
やはり常にモラと接するには、
普通の常識と、きちんと考える力を残していないと、何が普通で、何が正常なのか、分からなくなってしまいますよね。
夫さんはなぜ、精神科に行かれる決心をされたのでしょう。多少、夫さんの精神不安定さにご自身もつらい思いをされていたのでしょうか。
kabuさん、こんばんは!
kabuさんが「分かります!」と言ってくださると
何だかほっとして安心します。
(実はこの記事を書くにあたって、本当の鬱で苦しんでいる方々を
傷つけやしないか、と少々心配している私です。)
それにしても、自己愛性人格障害&モラはほんっとにきついですね。
kabuさんの言われるとおり、「お願いだからもういい加減眠ってくれ~!」と
こっちが泣きたくなるハラハラさ。
そして最後の方はホント「やるかやられるか」の世界でしたよ。
そう、夫も自分に「鬱」という病名がついて安心していたところもありました。
私は心の中では「違うやろ~…」とつぶやいていましたけどね。
でも結局モラ夫の場合、自分の生きにくさを正当化するために
もらった病名であり、不出来な妻(私)との生活の大変さを
他の人に訴えるもっともらしい理由でもあったわけです。
しんどい人種ですわ~。
kabuさん、いつもありがとうございます~!
ウメより
☆妙子さんへ
妙子さん、こんばんは!
お久し振りです!寒くなりましたが、お風邪など引かれてないですか?
勇気あるというより、アルコールで開きなおったような感じですが…(^^;)
妙子さんの前夫さんも、同じようなことがおありだったのですね。
ほんとに、モラ達は何でもかんでも他人のせいですよ。
まったく都合のいい人たちですね。
自分の責任は放棄しようとしているのですから。
妙子さんも共依存について、ご自身でお考えのことがあるのですか?
私もぜひ勉強させていただきたいです。
私は夫と離れてから、自分の共依存的行動について
やっと見えてきたような気がしています。
まだまだ自分で自分が分からない点も多いのですが…。
そして妙子さんのお言葉、とっても嬉しいです。
共依存の自分を振り返るのは辛いですが、
妙子さんのお言葉を励みに、否認していた自分を
認めていけるよう、努力してみます。
しかし…人生やっぱり修行ですね。
妙子さん、またお待ちしています。
ありがとうございました!
ウメより
☆やまさんへ
やまさん、こんばんは!
夫は、多分いつも服従している私が夫に歯向ったことで、
私をコントロールできない不安に襲われ、その不安を解消するべく
精神科に行ったのだと思っています。
もともと、夫は痛みや不快感やストレスに過剰反応するタチで、
すぐそれを取り除こうとします。要はストレスへの耐性が弱いんです。
だから、何か心配事があるとすぐ薬を飲みます。
鼻水がでただけでも、すぐ内科に行き、
肩がこったと、すぐマッサージに行きます。
私が思い通りにならないと、すぐ怒鳴り発散します。
何かあれば、大騒ぎですし、自分へのケアは怠りません。
それと、夫は父親から暴力を受けて、母親から溺愛されて育ちました。
その影響から、夫はもともと精神的に不安定で人間不信、そしてわがままな
性格を形成していったようです。
ある意味、夫も子どもの頃は被害者だと言えますが
だからといって、自分が加害者になることの正当化にはならないでしょう。
この辺は難しい問題ですね…。
でも、意味不明なモラの行動を少しずつ解明できると、
自分自身も必要以上に罪悪感を抱かなくて済むし、
その対処法も考えられるので、少し楽になりますね。
その点、やまさんはきちんと夫さんと向き合って話し合い
モラハラについて自覚を促すという対処をされ、
ほんとうにすごいな~と思いますよ!
いつもありがとうございます!
ウメより
その際、結局まったく夫はモラハラについて、学んでいないんだなと言うことがよく分かるような言動がたくさんありました。
結局、私がいなくなって困ると言うことと、
私の気持ちを繋ぎ止めたいだけだったんだなあと感じました。
話し合いの中で、声を荒げたりイライラした態度をとったりすることはなかったのですが、結局すべて私が悪いように諭す方向で優しく話しかけてきて、反論できないようにするのです。
ある意味、以前よりたちが悪いかもしれません。
私はちょっと途方にくれてしまいました。
夫のおかしいところを余計に分かってもらいにくくなったように感じて、
ある意味では、暴言のほうが対処しやすかったかもしれません。
夫もまったく意識はないんでしょうが、コントロールしようとする根本は変わっていないのですね。
どうしたもんかと途方にくれている、ここ数日です・・・。
う~ん、やっぱりモラは手強いですね。
うちのモラ夫もわかっているのかなぁ?と
思わせぶりな言動をすることもありましたが、
それは私に油断させるため、ということだったようでした。
やまさんはご自身で努力されているのだから、
夫さんの方は「変わったらめっけもん」くらいに
思っておられてはいかがでしょうか。
私の実感では、モラ夫が変わる(改心?)することは非常に難しい。
人格障害系の方々は、他者との取引やコントロールについては
腹立たしいほど上手です。狡猾です。
だから自分のやることだけやったら、もう相手に期待せず
嫌なことは嫌、できないことはできない、と
伝えるしかないようにも思うのです。
それか、やまさんも思い切って大暴れすると
それはてきめんに効くと思いますが…!
とにかく、やまさん、期待しないのが一番だと思いますよ。
やまさんは十分努力しておられる。
それに対し、夫がどうあろうとも、関係ない!
夫の感情は夫のもの、やまさんの努力はやまさんんのもの!
ウメより
夫は本当に(?)私のことは愛しているようです。
気は使って、治そうと努力はしてくれているのですが、治して欲しいところを、感情的になって暴言を吐いたり、人と陥れるようなことを言ったりするような、明らかに他人が聞いてもひどい言動については、なくなりました。
が、夫も自分ではきっと気づいていないようなのですが、いいたいことをちゃんと言って欲しい、そういう環境を作るよう努力すると言って、話し合いの最中に他に言いたいことはないか、と気を使っている面も見られるのですが、そのあとに、「まずは自分の言動を振り返って、自分のなかに原因を求めて、それから人を非難すべき、今回のことは100%君が悪いでしょう?ちがう?」などといってきます。
確かに、言い方はかなり易しくなったのですが、一般に言う、モラルハラスメントとは真綿で首を絞められるようなもの、その感触を本当に実感した出来事でした。
どうやって、そういうことを言われた不快感を夫に伝えるか、本当に行き詰ってしまっているんですよね。
でも、ウメさんには本当に助けられています。これからも、みなさんに勇気を与えるうめさんでいてくださいね。
モラハラする夫の心理は難しいですね。
確かに、モラ夫は自分なりの「愛情」を妻に抱いているとは思います。
しかしその「愛情」とは何か?ということです。
モラが思う愛情とは何なのか。
少なくとも、私と夫の間では、私が思う「愛情」と
夫が思う「愛情」は違うように感じていました。
夫は非常に寂しい人です。
なぜなら近しい関係にある人ほど憎しみが募るのです。
自分の際限ない要求を、叶えてくれない相手は強い憎しみの対象になるのです。
しかし相手が離れようとすると、慌てて引き留める。
なぜなら自分の虚しさをぶつける相手がいなくなるから。
難しいですね。
やまさん、「なんかおかしい…」と感じる
ご自身の心を大切にしてくださいね。
ウメより
一緒にいたら こちらの神経が参ってしまいそう ウメさんは弱くて、強かった
闘ったとこでは拍手しちゃったよ
闘いは、結婚生活で一番気分がスカ~~~ッとしました(爆)!
ありがとうございます☆
ウメより