夫の怒りスイッチが入ると、怒濤のような罵詈雑言が私に降りかかる。しかも突如としてそれは発生するのだ。私は何が何だかわからないまま、気が遠くなりそうになりながらも、その言い分を聞いてみると、夫は私に対していろいろな不満を抱き、そのことについてしばらくの間、我慢しているということだった。それに私が気がつかないから、何らかのきっかけで一気に怒るらしい。
夫が言うには、私が毎日掃除をしない、毎日洗濯をしない、洗った食器をすぐフキンで拭かない、夕食の支度が遅い、料理がまずい、自分が私に買ってあげたものをないがしろにした、入れるお茶がまずい、朝食がワンパターン、私の話し方がおかしい、私の姿勢が悪い、食事中に私がテーブルに肘をついた、自分がいるときにうるさい掃除機をかけたetc…。
そして、私がそんな行動をとるから、怒らざるを得ない、というわけだ。つまり悪いのはすべて私なのだ。夫はよく私に言った。「君のせいで怒るんだ」「俺を怒らせないでくれ」「怒るのはしんどいんだ」、と。「怒ると僕は体調が悪くなる。頼むから怒らせないでくれ」とまで言った。
そして、ひとしきり激怒の嵐が吹き荒れ、自分の怒りを思う存分吐き出すと夫はすっきりするらしい。私はといえば徹底的にたたきのめされ、絶望的な気分で真っ暗な顔をしているのだが、しばらくすると夫はそんな私に優しく声をかけるのだ。
「あぁ、僕もちょっと言い過ぎた」「君が約束を守ってくれないから、つい大声をだしてしまったんだ。でも言い過ぎた。いや、悪かった。許してくれ。」「そんな暗い顔するなよ」
私はすっかり打ちのめされて絶望し、無気力になっている、そして夫の話すことにただ無言でうなずくだけなのだが、『夫はついつい怒りが抑えられない性格だけど、自分でも後悔し反省しているんだ』『ある意味可哀想な人かもしれない』『夫はそんな自分を責め、自分を変えようとしているのかもしれない』などという思いが湧いてくるのだ。そしてそれはかすかな希望だった。『夫は自分でもどうしようもできない部分があると理解している。私があきらめずに根気よくつきあえば夫は変わるのではないか』
夫は私に優しく話しかける。「一緒にワインでも飲まないか」と。そして夫は家にあったワイン(ようは家にあるお酒類)を開け、グラスを2つ用意する。ワインを注ぎ、私に飲むように勧めながら語り出すのだ。「僕はどうも自分が抑えられないところがあって…」「僕の親父はとても厳しくてね…」。私はいつしかぼろくそに言われたことを棚に上げ、ものわかりのいい妻になってしまうのだ。今度はしんみりと夫の語りを聞くことになる。
心の遠いどこかで『何かおかしい…』と聞こえたような気もしたが、私は聞こえなかったことにした。『人間、間違いを犯すこともある。つい自分が抑えられないこともある。私だって至らないことはたくさんあるんだから』と、思い直し、私は『自らの傾向に苦しんでいる(と思われた)夫』と根気強くつきあい、いい関係を作らなければ、と考え直すのだった。
かくしてこの極端なアメとムチの悪循環は続く。
夫が言うには、私が毎日掃除をしない、毎日洗濯をしない、洗った食器をすぐフキンで拭かない、夕食の支度が遅い、料理がまずい、自分が私に買ってあげたものをないがしろにした、入れるお茶がまずい、朝食がワンパターン、私の話し方がおかしい、私の姿勢が悪い、食事中に私がテーブルに肘をついた、自分がいるときにうるさい掃除機をかけたetc…。
そして、私がそんな行動をとるから、怒らざるを得ない、というわけだ。つまり悪いのはすべて私なのだ。夫はよく私に言った。「君のせいで怒るんだ」「俺を怒らせないでくれ」「怒るのはしんどいんだ」、と。「怒ると僕は体調が悪くなる。頼むから怒らせないでくれ」とまで言った。
そして、ひとしきり激怒の嵐が吹き荒れ、自分の怒りを思う存分吐き出すと夫はすっきりするらしい。私はといえば徹底的にたたきのめされ、絶望的な気分で真っ暗な顔をしているのだが、しばらくすると夫はそんな私に優しく声をかけるのだ。
「あぁ、僕もちょっと言い過ぎた」「君が約束を守ってくれないから、つい大声をだしてしまったんだ。でも言い過ぎた。いや、悪かった。許してくれ。」「そんな暗い顔するなよ」
私はすっかり打ちのめされて絶望し、無気力になっている、そして夫の話すことにただ無言でうなずくだけなのだが、『夫はついつい怒りが抑えられない性格だけど、自分でも後悔し反省しているんだ』『ある意味可哀想な人かもしれない』『夫はそんな自分を責め、自分を変えようとしているのかもしれない』などという思いが湧いてくるのだ。そしてそれはかすかな希望だった。『夫は自分でもどうしようもできない部分があると理解している。私があきらめずに根気よくつきあえば夫は変わるのではないか』
夫は私に優しく話しかける。「一緒にワインでも飲まないか」と。そして夫は家にあったワイン(ようは家にあるお酒類)を開け、グラスを2つ用意する。ワインを注ぎ、私に飲むように勧めながら語り出すのだ。「僕はどうも自分が抑えられないところがあって…」「僕の親父はとても厳しくてね…」。私はいつしかぼろくそに言われたことを棚に上げ、ものわかりのいい妻になってしまうのだ。今度はしんみりと夫の語りを聞くことになる。
心の遠いどこかで『何かおかしい…』と聞こえたような気もしたが、私は聞こえなかったことにした。『人間、間違いを犯すこともある。つい自分が抑えられないこともある。私だって至らないことはたくさんあるんだから』と、思い直し、私は『自らの傾向に苦しんでいる(と思われた)夫』と根気強くつきあい、いい関係を作らなければ、と考え直すのだった。
かくしてこの極端なアメとムチの悪循環は続く。
>『人間、間違いを犯すこともある。つい自分が抑えられないこともある。私だって至らないことはたくさんあるんだから』
これ、何度心の中で唱えたかわからない・・・
何度これで、許してしまったかわからない・・・
頷きまくり。
アメとムチなぁ・・・
うちは、ムチムチだったような気が(爆)
私達って人が良すぎるのかもしれませんね…。
何度も自分の至らなさを思ってしまうところが…。
うちはアメとムチだったのですが、
結婚生活前半は、ムチ→アメ→ムチ・ムチ→アメ→ムチ…みたいな感じでした。今考えると、夫は自分の「許し」の言葉に酔っていたのかも。それか、見捨てられ不安があったのかもしれません。
後半はひたすらムチでした。
それである日心の糸が「ブッチン!」と切れました!