このまま夫と暮らしていても、何の希望も喜びもない。そう確信した私はとにかく家を出ることをめざした。いずれは離婚ということになるとしても、夫にいきなり離婚の話しを持ち出したら、どんな恐ろしいことが起こるかもしれない。夫をあまり刺激しないようにするには、まず「別居して考えたい」と、間を持たせた方がいいのではないか、と考えた。また、私にとっても離婚という選択は非常に重大な決断だったので、まずは夫から脅かされている日常から離れ、ひとりで心落ち着けたかった。
夫との生活に絶望を感じ始め、また経済的な支配を受け続けた後、私はある時からこっそり通帳を作りわずかずつでもお金を貯めていた。当時は、我慢できずに家を飛び出したときや、どうしても自分にとって必要なものを買いたいときのための貯金だったが、既に脱出資金という明確な目的をもって貯めた。ラッキーなことに、会社の取引関係者からイベントの手伝いなど、たまにアルバイトを頼まれることが時々あり、そんな時は臨時収入として欠かさず貯金をした。また、いつも通帳を入れている引き出しには入れずに、絶対見つからないよう会社のロッカーに入れておいた。夫は時々私の通帳を覗き、いくら残っているかチェックしていたのだ。
そして、別居するためにはどのような準備や手続きが必要なのかをネットで調べた。また職場に通いやすい地域を調べ、街の周辺情報を収集し、安心して相談できそうな不動産屋を探した。自分の収入で生活できそうな賃貸住宅も調べた。
その間、モラハラ被害者同盟はもちろん、関連のサイトで別居体験談をひたすら検索して読みまくった。皆、必死の思いで別居に踏み切ったんだ…そう思うと涙が出そうだった。ある掲示板である女性が別居体験についてコメントしていた。「別居を決めたら、ぐずぐずしないほうがいい。準備に時間がかかると夫からの嫌がらせを受けたりして、スムーズにいかなくなる。私は別居を決めてから2週間で家を出ました」と。その通りだ。とにかく決めたら一気に事を運ばなければ、うまく家を出られなくなるかもしれない。決めたら躊躇しないで一気に行かなければ…!
しかし、そうやって密かに情報収集したり、貯金や心の準備をしてはいたが、果たして自分自身が本当に別居できるのか疑問を感じていた。私が心に思い描いているものは、まったくの絵空事かもしれない。本当にこの生活を変えることができるのだろうか。私は夫との日常から離れることができるのだろうか。私が今していることは、精神安定のための、おままごとみたいなものかもしれないのだ。私はただ、こうして別居をイメージして計画を立てていることで満足しているだけかもしれない。
そして私の中で堂々巡りが始まる。
別居のエネルギーがあるのなら、もう少し夫にぶつけてみてもいいかもしれない。もう少し努力してみてから考えてもいいかもしれない…。夫は私が別居すると言ったらどう思うのだろうか。激怒するのか、冷たく突き放すのか、無視を決め込むのか。暴力を振るわれたらどうなるのだろう。私は殺されるかもしれない…でも夫も自分の世間体を気にするたちだから、そこまではしないだろう。しかし夫の反応が怖い。そう、私はいつもそうやって夫を恐れて暮らしてきた。なぜもっと言いたいことがいえなかったのか。夫を恐れず、喧嘩ができれば違っていたのか…。いや、無理だ。何度も何度も私は夫と話そうと努力した。笑いかけたり、夫にいろいろ尋ねたり、手紙を書いて渡したり。無視が酷かったときには夫のパソコンにメールまで送ったではないか。それでも夫とは話し合いができなかった。夫とは、ほんとうに分かり合えないと痛感したではないか。そして私はいつもびくびくしながら怯えていた。私はこんなに惨めな人間だったかと徹底して思い知らされたじゃないか。私はこのままでいいのか?私はもっと違う人生を送りたいと願っているんじゃないの?
私は別居に備えながらも、どのようなタイミングでそれが実現できるのか、見当がつかなかった。別居を決意してから数ヶ月がたっていた。
しかしある日、その機会は突然やってきた。夫のお陰で。
夫との生活に絶望を感じ始め、また経済的な支配を受け続けた後、私はある時からこっそり通帳を作りわずかずつでもお金を貯めていた。当時は、我慢できずに家を飛び出したときや、どうしても自分にとって必要なものを買いたいときのための貯金だったが、既に脱出資金という明確な目的をもって貯めた。ラッキーなことに、会社の取引関係者からイベントの手伝いなど、たまにアルバイトを頼まれることが時々あり、そんな時は臨時収入として欠かさず貯金をした。また、いつも通帳を入れている引き出しには入れずに、絶対見つからないよう会社のロッカーに入れておいた。夫は時々私の通帳を覗き、いくら残っているかチェックしていたのだ。
そして、別居するためにはどのような準備や手続きが必要なのかをネットで調べた。また職場に通いやすい地域を調べ、街の周辺情報を収集し、安心して相談できそうな不動産屋を探した。自分の収入で生活できそうな賃貸住宅も調べた。
その間、モラハラ被害者同盟はもちろん、関連のサイトで別居体験談をひたすら検索して読みまくった。皆、必死の思いで別居に踏み切ったんだ…そう思うと涙が出そうだった。ある掲示板である女性が別居体験についてコメントしていた。「別居を決めたら、ぐずぐずしないほうがいい。準備に時間がかかると夫からの嫌がらせを受けたりして、スムーズにいかなくなる。私は別居を決めてから2週間で家を出ました」と。その通りだ。とにかく決めたら一気に事を運ばなければ、うまく家を出られなくなるかもしれない。決めたら躊躇しないで一気に行かなければ…!
しかし、そうやって密かに情報収集したり、貯金や心の準備をしてはいたが、果たして自分自身が本当に別居できるのか疑問を感じていた。私が心に思い描いているものは、まったくの絵空事かもしれない。本当にこの生活を変えることができるのだろうか。私は夫との日常から離れることができるのだろうか。私が今していることは、精神安定のための、おままごとみたいなものかもしれないのだ。私はただ、こうして別居をイメージして計画を立てていることで満足しているだけかもしれない。
そして私の中で堂々巡りが始まる。
別居のエネルギーがあるのなら、もう少し夫にぶつけてみてもいいかもしれない。もう少し努力してみてから考えてもいいかもしれない…。夫は私が別居すると言ったらどう思うのだろうか。激怒するのか、冷たく突き放すのか、無視を決め込むのか。暴力を振るわれたらどうなるのだろう。私は殺されるかもしれない…でも夫も自分の世間体を気にするたちだから、そこまではしないだろう。しかし夫の反応が怖い。そう、私はいつもそうやって夫を恐れて暮らしてきた。なぜもっと言いたいことがいえなかったのか。夫を恐れず、喧嘩ができれば違っていたのか…。いや、無理だ。何度も何度も私は夫と話そうと努力した。笑いかけたり、夫にいろいろ尋ねたり、手紙を書いて渡したり。無視が酷かったときには夫のパソコンにメールまで送ったではないか。それでも夫とは話し合いができなかった。夫とは、ほんとうに分かり合えないと痛感したではないか。そして私はいつもびくびくしながら怯えていた。私はこんなに惨めな人間だったかと徹底して思い知らされたじゃないか。私はこのままでいいのか?私はもっと違う人生を送りたいと願っているんじゃないの?
私は別居に備えながらも、どのようなタイミングでそれが実現できるのか、見当がつかなかった。別居を決意してから数ヶ月がたっていた。
しかしある日、その機会は突然やってきた。夫のお陰で。
こつこつと、
自分の力で貯めたんだもん、偉い!!
私は脱出に際しても怖くて通帳を触れなかったんですよ。
もっと強くならなきゃならなかったのに…。
助けてくれる人がいたから、逃げられたんだと思ってます…。
夫に知られないように貯金するっていうのも
結構はらはらどきどきでしたよ。
銀行から突然の通知が家に届いたらどうしよう?と。
でも、そんなこともなく何とかなりました。
助けてくれるだけってとっても心強いですね。
助けてくれる人が身近にいれば、それだけ
元気になりますよね。
すみれさんが脱出できてよかったです~!!
ウメより
どんなに自問自答を繰り返しても
結論が「無理。もう駄目だ」に達してしまう
その絶望は本当に、本当に辛かったろうと
察します
その絶望の中で自分の心の声を聞き続けた事が本当によかったです
>助けてくれるだけってとっても心強いですね。
↓
これは助けてくれる人がいるってとっても心強いですね。
こう言いたかったのです。
すみませんです
ウメより
そうなんですよね。
なんか、本当に実現できるのか
どこかで夢みたいに思っていて
できないんじゃないか、自分がそんなことできるのか?
なんて思っていました。
でもひたすら自問自答し続け
あきらめずに思い続けることができ
よかったです。
いつもありがとうございます!
ウメより
私は、子どもたち+猫たちを絶対連れて行くために、物件探しが難航、決意から半年かかりました。
その間は、事を荒立てないできたので、モラ夫は穏やか(無関心は変わらないが)、私の決意は揺らぎがちで、ほんとにいいの?と自問自答でした。
でも、心落ち着けて考えると、やっぱり、出るしかない。子どものほうが揺らぎが無く、引越しを楽しみにしてたので、それで支えられてた部分もあります。(小4の長男が一番無視、暴力の被害にあってました。)
私も、ウメさんがお書きのように、出る直前まで、黙って出るしかないのか、話はできないのか、暴力は、連れ去りは、と悩みました。
学校も職場もそのまま、丸わかり状態での脱出だったので、結局なるべく穏便にすることにし、とりあえず別居しましょう、と置手紙をし、携帯で連絡がつくようにし、家も不便なく暮らせる状態のままにして脱出しました。(余りいいやり方ではないと思います) あと少しで脱出、というときにはウメさんに力づけていただき、がんばれました。ホントに感謝です!
今日で1週間、だいぶ落ち着いてきました。
今日は、脱出前の気持ちを思い出し、そう、そう、そうなのよ、とドキドキしながら読みました。
夫さんのくれたきっかけ、なんだったんでしょう、知りたいです。(怖いもの見たさ)
脱出おめでとうございます~
きっと、すごくがんばられたことと思います。
決行の日まで、どきどきはらはらだったのでは?
ほんと、無事に離れられてよかったです~(涙)。
まりかさんの勇気に乾杯です!
落ち着いてからも、しばらく複雑な心境にも
なるかと思いますが、
悩んで考え抜いて決断したまりかさんの行動は
ご自身やお子さんの希望在る将来を考えた結果だと思います。
どうか、ご自身の力を信じてくださいね!
これからの人生は、まりかさんのもの!
応援しています。
まりかさん、私も遠くで一緒に歩いています☆
ウメより
ウメさんコメント有難うございます
嫌なことを誰かに話すとこれ程楽になれるものなんですね。私はこれからも親との関係は続くのですが、気持ちの折り合いをようやくここでつけられそうな気がします。(今でも親が怒り出すと動悸が激しくなるのですが)一年に何回か会うときにはお互いに嫌な思いをしないように、うまくコミュニケーションをはかろうと思います
そうなんですよね。
私は何でこんな生活を送っているのかと
いつも情けない思いでした。
そんな日々を否定することで何とかもっていたのかもしれません。
しかし今でも、あの生活は何だったんだ?と思いますが…(苦笑)
私も他のサイトやブログにコメントし、
お返事をもらいながら、少しづつ楽になっていきました。
皆さん、まるでカウンセラーのごとく
とっても暖かく共感的なお返事をくださり
苛酷な経験をした方だからこその実感こもった
コメントに心底慰められました。
hachibe-さんもまた遠慮なく語って下さいませ!
そして、時には親御さんとの喧嘩もいいと思いますよ。
私は、やっと親に言えることを言うようにしています。
怒りの気持ちも伝えつつ、後に引かないようにもしています。
そんなことができるのも、今だからかな、とも思うのです。
親子って難しいですね。
hachibe-さん、コメントありがとうございました~☆
ウメより