ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.23 小田原城

2010年12月26日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年12月26日(日)


箱根峠を越え、観光客で賑わう芦ノ湖を横目に、大学駅伝中継で見慣れた温泉街の1号線を下り、小田原に向かった。
小田原では、名物の蒲鉾を土産に買い、遅めの昼食を済ませ、小田原城を目指した。

そこまではまあ良かったのだが、駐車場探しには思わぬ苦戦をしてしまった。
城の回りにはいくつも駐車場はあったのだが、マイキャンパーは、車高制限のためどこも入れない。
2度も城の回りを回って探したが、とうとうマイキャンパーに合う駐車場を見つけることは出来なかった。
仕方なく、お城近くのコンビニに駐車し、足を痛めたかみさんを車に残して、一人で城に向かった。

正式な入口は反対側のため、最寄りの入口から入った。
最初に目についたのが、この「御感の藤」棚だ。
説明によると、大正天皇が皇太子のとき、小田原御用邸に滞在中のある日、西村邸の前を通過した際、
召馬が藤棚の下に駆け入ったため、殿下の肩に藤の花が散りかかってしまった。
周囲の人々が恐縮していると、『見事な花に心なきことよ』と感嘆されたことから、「御感の藤」と
呼ばれるようになった、と記されている。
大正11年に西村家からこの地に移植され、今に至っており、樹齢は約200年と推定される古木、とのこと。
今でも五月の花の時期には棚いっぱいに花が枝垂れるとのこと。


小田原城本丸への入り口に架かる「常磐木橋


欄干の朱色が周辺の緑とマッチしている。


常磐木橋の下には、かつて本丸を囲むように「本丸堀」があった。
今は空堀となっているが、かつては水堀で二の丸堀と繋がっていた。


常磐木門」(ときわぎもん)
本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも、最も大きく堅固に造られていた。
明治初期に撮影された写真を参考に、市政30周年記念事業として昭和46年に再現されたもの。


常磐木とは常緑樹の意で、門の傍には松の木が植えられており、松の木が常に緑色をたたえて
何十年も成長するのになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常磐木門と
名付けられたと言われている、そうである。


常磐木門を本丸側から見たところ。


小田原城天守閣


鉄筋コンクリート造りで重厚さはないが、それなりに迫力はある。


石段の上で登城料(400円)を払って中に入る。
スタンプは、チケット切り場に置いてあった。
内部は、鎧や甲冑などの武具を始め、鉄砲・刀剣、絵図・古文書などが展示されている。
ここも同じように撮影禁止になっている。
(個人的には撮影を許可しても良いと思うのだが。ただしフラッシュなしで)


最上階の展望台からの眺望(1)
相模湾方面


最上階の展望台からの眺望(2)
小田原駅方面


最上階の展望台からの眺望(3)
箱根方面


最上階の展望台からの眺望(4)
真鶴半島方面


銅門」(あかがねもん)


天守閣へ通じる登城ルート上に設けられた、二の丸の表門。


扉の飾り金具に銅を使用していたことからその呼び名が付いた、と言われている。
現在の門は、平成9年に復元されたもの。


二の丸堀から銅門を見たところ。


現在の城の入り口に当る。
高麗門の造りとなっている。


二の丸堀と隅櫓
好きな構図であるが、時間が遅いため暗い。


二の丸堀



最後は午後4時近くになってしまい、暗いイメージになってしまった。
もう少し明るいうちに訪れておけば良かった、と悔やんでいる。
食事と買い物、それに駐車場探しに時間を費やしてしまったのが響いた格好だ。

今回の城を巡る旅も終り、この後小田原・厚木道路を経由して東名高速で帰路についた。
連休最後だったので渋滞が予想されたが、それほどでもなかったのにはほっとしている。

これで27の城を巡ったことになるが、まだ1/3にも達していない。
これからは、次第に遠くの城になるが、今後も時間を見つけては城巡りを続けていこうと思っている。


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