ウマさんの気ままな行動日記(その2)

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日本100名城巡り No.62 和歌山城

2013年07月23日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2013年7月23日(火)


和歌山城は、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。

和歌山城と歴代城主
天正十三年(1585)秀吉が弟の秀長に命じて築城させたのが和歌山城の始まりと言われている。
秀長は築城の名手でもある藤堂高虎に命じて築城を開始させたが、秀長は城の完成を見ずに大和郡山へ。
翌天正十四年(1586)、秀長の家臣桑山重晴が城代として3万石を領し、和歌山城へ入城。
桑山氏は14年間の在城期間に和歌山城の本丸部分を中心に築城を進めた。

慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いで軍功にあった浅野幸長が37万6千石を領して和歌山城の城主となった。
浅野氏は19年間の在任中に2の丸部分を整備させたり、一橋門を大手にするなどその後の基礎となる
築城工事を次々と行った。

元和5年(1619)浅野氏は安芸国広島へ移封され、徳川家康の第十男徳川頼宣が55万5千石を領して入城した。
以後和歌山城は、御三家紀伊徳川家の居城となり、「南海の鎮」として、幕府の西国支配の拠点という
新たな役割を担うことになった。(以上和歌山城パンフレットから抜粋)

後々、紀州の中心ともなる和歌山城は紀州徳川家の居城ともなり、紀州徳川家14代目まで続く。
「暴れん坊将軍」の吉宗は紀州徳川家5代藩主、また、NHK大河ドラマ「篤姫」の徳川家茂は紀州徳川13代藩主だ。


県庁所在地などの大きな市街地は大抵どこもそうだが、城の回りにはキャンピングカーの2.9mという高さの車を
収容できる駐車場は見当たらない。(駐車場はあるが、高さ制限で収容できないところが殆ど)
和歌山城もその一つで、廻りを一周してみたが、マイキャンピングカーを収容可能な駐車場は見つけることが出来なかった。

仕方なく、けやき大通りに面した西堀近くにファミレス(Royal Host)があったので、そこで朝食を済ませ、
そのまま駐車場(有料30分300円)に車を停めて、吹上門跡から和歌山城へ登城することにした。
このファミレス利用の場合は2時間は無料になる、というので利用した次第である。

護国神社の鳥居の先に吹上門跡があり、そこから和歌山城へ登城できる。


和歌山縣護国神社が本丸南西部にある。
左手の森が「紅葉渓庭園」になる。


和歌山城の天守閣(小天守)がちらりとだけ見えた。
小高い丘の上に建っている。


鶴之渓辺りまで進むと古い井戸跡がある。
大正時代にここに茶室「虎竹庵」が建てられたときに掘られた井戸とのこと。
江戸時代にはここには建物も井戸も何もなかった広場であった、そうだが、
昭和二十年(1945)七月九日の和歌山空襲で被災し公園へ避難した人々の飲み水として使用されたことから、
災害時に備えて管理用井戸として残している、とのこと。


追廻門おいまわし)の表側から見たところ。
西から和歌山城(砂の丸)に入る門で、大手門の反対側の搦め手に位置する。
門の外側に馬術を練習する馬の追廻しがあったので、この名が付いた。
寛永六年(1629)の建築で、現存の遺構となっている。


追廻門を内部から見たところ。
江戸城などでよく見られる高麗門形式の門となっている。
昭和五十九年(1984)から翌年にかけての解体修理により、江戸時代には朱が塗られていたことが分かり、
赤門であったと見られている。


護国神社の鳥居を右手に見ながら進む。


いろんな文字や形が刻印された石垣があった。
和歌山城の石垣のうち、2,110個に刻印があることが確認されているとのこと。
新裏坂周辺では、坂の西側に続く石垣に約四割が集中しているそうだ。


刻印のデザインは多種多様で40種類以上が確認されており、家紋やその省略文字であったり、
方位や日付、人名と考えられるものもあるとのこと。


何の為に刻印されたかについては、石材所有者の表示、鬼門除けなど呪術的使用など諸説があり、
はっきりとは分かっていない、そうである。


石の大半は和泉砂石だそうである。
砂石ということで刻印が容易なのであろうか。


新裏坂上り口
こちらから登城すると天守閣には近いが、やはり表門から登城することにしよう。


新裏坂を過ぎると本丸裏門(不明門跡)の枡形がある。


枡形を通り抜けるとかつての南の丸跡には動物園があった。
こちらは水禽園


こちらは童話園
時刻はまだ8時50分、どちらもまだ開園前の状態だ。


松の丸跡の高石垣
石垣の反りが見事な曲線となっている。
これほどの美しい反りを持った石垣はあまりお目にかかったことがない。


岡口門
入口から見たところ。
重要文化財に指定されている。
築城当時はこちらが大手門だったそうだが、浅野時代にこちらは搦手門(裏口)となった。
岡口門は楼門形式(二階のある門)で、かつては大手門だったことが伺われる。


岡口門の前に大きな楠の木がある。
1本に見えるが、良く見ると2本である。
推定樹齢等は不明


東堀
岡口門から北の方角(中央郵便局)を望む。


岡口門
岡口門をくぐってすぐ左の石垣の上から岡口門を見たところ。


松の丸角櫓の高石垣
石垣の見事な反りが美しい。


岡中門跡の枡形


岡中門跡の枡形から東堀(岡公園方面)を見たところ。


表坂登り口に到着した。
つづら折りの坂になっている。


表坂を上る。


表坂の途中から上り口を見たところ。


松の丸角櫓跡から東堀を見たところ。
岡口門が見える。


松の丸「七福の庭」を天守閣へ向かう。


七福の庭
この石組は「七福の庭」と呼び、七福神の姿に似た名石を巧みに配して宝船乗り合いを模したものである。
写真右の舳先から、恵比寿・寿老人・弁財天・毘沙門・布袋・大黒・福禄寿と並んでいる。
一番左はとも(船の最後尾)を表している。


動物園の水禽園を上から見たところ。
鳥が逃げないように網が張られている。


天守一の門跡の枡形
天守閣はもう直ぐだ。


御殿への石段


ここにはかつて本丸御殿があった。
今は和歌山市水道局の域内給水場となっている。
虎伏山は東西に二つの峰があり、天正十三年(1585)低いほうの峰に豊臣秀吉の弟の秀長が最初に築城したのは、
こちらの山頂部分だった。


後ろを振り返ると、天守閣が
ここまではあまり人は上って来ないようだが、ここから見える天守閣は絶景である。


いったん下へ降り、あらためて天守閣を目指す。


本丸広場から見た天守閣


西條八十作詞、中山晋平作曲の「まりと殿様」の歌碑があった。
てんてん手毬は殿様に だかれてはるばる旅をして 紀州はよい国日のひかり
山のみかんになったげな あかいみかんになったげな



和歌山城の天守閣は小天守と大天守が渡櫓で結ばれた連結式天守となっている。
本丸跡から大天守を見上げる。
連結式天守であるが、1枚に収めきれないため、別々に撮っている。


こちらは楠門と小天守
姫路城、松山城と並んで日本三大連結式平山城の一つに数えられている。


天守閣へ上ってみることにした。
100名城スタンプを押し、入場料350円を払って天守閣へ向かう。
楠門を潜って天守廓の中に入る。


楠門から大天守を望む。


楠門内側から楠門を見たところ。


小天守(二の門櫓)
小天守は櫓のようで二層二階の造りとなっている。


乾櫓いぬいやぐら


大天守入口
大天守は三層三階の造りとなっている。


連結式櫓の内部には様々な展示がなされている。


連結式櫓内部
中に入ると大天守、小天守、乾櫓、小天守(二の門櫓)、楠門を多門櫓で結んだ連立式天守ということが分かる。
大天守⇒楠門⇒小天守⇒乾櫓⇒大天守(あるいはこの逆)と渡櫓内をぐるりと一周できる。


埋門うずみもん
台所の直ぐ側に造られている。
非常用に設けられたトンネル状の隠し門、とのこと。


天守閣内部は撮影禁止となっているため、天守閣からの眺望のみカメラに収めた。
(上野城では自由だったのに、和歌山城の撮影禁止は納得がいかない)
天守閣からの眺望(1)
かつての本丸御殿があった域内給水場が見える。


天守閣からの眺望(2)


天守閣からの眺望(3)
右手に県立近代美術館、県立博物館が見える。


天守閣からの眺望(4)
天守廓が見渡せる。
左から渡櫓、楠門、小天守、渡櫓、乾櫓と並んでいる。
天守廓が菱型な形になっているのが分かる。


天守閣からの眺望(5)


天守閣からの眺望(6)


天守閣を降り、本丸裏門跡へ向かう。


本丸裏門跡の坂道。


銀明水
この井戸は日常用水ならびに籠城時の非常用水であった。
城内には40か所の井戸があった、とのこと。


裏坂登り口


裏坂門跡の枡形


二の丸跡の二の丸庭園
現在、本丸と二の丸が和歌山城公園となっている。


庭園には、巧みに樹木と石が配置されている。


一の橋
城内大手門への登城口に当る。


高麗門形式の大手門
やや疲れが出てきたため、大手門は二の丸広場の石垣の上から撮影したに留めた。


切手門跡から二の丸跡を見たところ。
初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、二の丸御殿に住んでいた。
二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模して造られ、表・中奥・大奥に区分されていた、とのこと。
また、大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみ、だそうだ。


御橋廊下入口(出口)


御橋廊下の中は靴を脱いで渡ることが出来るが、かなり斜めの廊下である。角度がきつい。
滑り止めの工夫がなされていたが、足裏が痛くなるほど刺激される。


御橋廊下
御橋廊下は藩主とお付の人だけが通ることが出来る、西の丸と二の丸の間にかけられた橋である。
斜めに架かる廊下橋としては全国的にも珍しい、そうである。
平成18年に復元されたばかりというから新しい。


西の丸広場(西の丸跡
江戸時代初期に西の丸庭園とともに造られた藩主の御殿があった。


西の丸庭園(1)
和歌山城西の丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、
「紅葉渓庭園」とも呼ばれる藩主の隠居所であった。


西の丸庭園(2)
城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。


西の丸庭園(3)


西の丸庭園(4)
西の丸庭園は、江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として、国の名勝に指定されている。


西の丸庭園(5)


紅松庵」の茶室
和歌山名誉市民である松下幸之助氏から寄贈されたもの。


以上で和歌山城をほぼ見て回ったことになる。
一部パスした個所もあったが、猛暑日の中少し疲れたので無理はしないことにした。
気になる駐車料金だが、何故かストッパーが上がっておらず、そのまま出ることができた。
結局無料で借りられたことになり、一安心だ。
一安心したら、お腹が空いてきたので、和歌山ラーメンが食べたいというので、井出屋へ向かった。


和歌山ラーメン井出商店
田中町交差点の角にある小さな店だ。
店の中には有名人の色紙がたくさん飾られていた。


和歌山ラーメン
ややこってりとしたつゆだが、こくのある味である。
ボリュームはそれほどはない、やや少なめな感じがした。
大盛を注文するべきだったか?


この後、和歌山市内を観光するため、近くの片男波海岸へ車を走らせた。


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1 コメント

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和歌山の見所動画特集 (和歌山見所.NET)
2014-01-24 18:18:12
初めまして、和歌山見所.NETの管理人をしています。この度、YOUTUBEで和歌山県の動画特集をやっております。もし、よろしければお越しいただけましたら幸いです
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