goo blog サービス終了のお知らせ 

ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

関東ふれあいの道(茨城)No.18 古渡橋から妙岐ノ鼻まで

2010年11月25日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年11月25日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると認定証が交付されることになっている。
今回が15回目で、この日は、コースNo.18の約半分にあたる古渡橋(ふっとばし)から妙岐ノ鼻までの約14Kmを歩くものである。

集合場所は、この日のゴール地点妙岐ノ鼻の野鳥観察舎で、ここから車2台に分乗して、出発地点の古渡橋に向かう。
今回の撮影ポイントは浮島園地内の「関東ふれあいの道」案内板前になっている。

この日のコースは、過去3度(2月18日、4月22日、10月28日)も雪や雨で延期になっている因縁のコースである。
この日は4度目の挑戦ということになる。

妙岐ノ鼻の野鳥観察舎
時折、野鳥好きの人が訪れて、双眼鏡を覗いていた。

       この日は、全部で9名が集まった。
       この会にしては珍しく、女性が4名と約半数を占めた。
       
              車2台に分乗して、出発地の古渡橋(ふっとばし)に到着。
              

10時ちょうど、妙岐ノ鼻の野鳥観察舎を目指して出発だ。

       古渡橋の上からの眺望
       
              管理人より、この辺りは淡水の真珠養殖が盛んなことを聞かされる。
              淡水真珠は、池蝶貝という淡水生の大きな二枚貝で養殖される真珠で、
              直径5ミリ程度で2~3年、10ミリに育つには10年の歳月がかかる。
              霞ヶ浦や新利根川で養殖される淡水真珠は、茨城県の推奨品の指定を受けている、とのこと。
              

霞ヶ浦湖岸に出て、空気を胸一杯に吸い込む。
広々として実に気持ちが良い。

       霞みがかかったような筑波山が見える。
       
              道は平坦で歩き易い。
              
                     暑くもなく寒くもない。
                     
                            歩くのに快適な状態である。
                            

歩き始めて約1時間5分、最初の休憩。
土手の上なのでベンチなどなく、立ったままの休憩だ。
持ち寄ったお菓子が振舞われ空気が和む。

       そこに、音も無く自転車が近寄ってきた。
       何と、ベテラン会員のYさんではないか。
       トレーニングのため、霞ヶ浦を一周している最中であった。
       
              朝7時に土浦を出発し、時計周りに霞ヶ浦をほぼ一周してきたとのこと。
              本物の鉄人である。
              
                     土浦に向かうYさんとは別れ、妙岐ノ鼻を目指すことにした。
                     

「関東ふれあいの道」は指示していないが、
あえて霞ヶ浦の砂を採取している工事現場を抜け、湖岸を歩く道を進む。

       砂採取の工事現場
       砂の山があちこちに見られる。
       この辺りは良質の砂が採れるそうだ。
       
              砂を運ぶダンプカーがひっきりなしに走るため、
              アスファルトの道は危険で歩けない。
              一段高い土手の上を進む。
              
                     途中から一段高い土手の道が途切れ、
                     田んぼの畦道を進むことに。
                     でこぼこして歩き難い。
                     

何か白いものが干してある。
霞ヶ浦で獲れたものらしい。釜揚げシラス?

       珍しがって観ていると、女主人が出てきて、試食を奨めてくれた。
       白魚とのこと。
       
              茹でた後、薄く塩の味付けがしてあり、驚くほど美味しい。
              
                     中に案内され、次ぎは海老を奨めてくれた。
                     お腹が空いていたせいもあったのか、これもなかなか美味しかった。
                     

昼食前で、兎に角お腹が空いていたので、先ずは軒先を借りて
弁当を広げた。

       この日は天気も良いし、外での昼食を想定していたのだが、
       
              思いがけずに佃煮屋さんでの昼食となった。
              

昼食後、あらためて店の中を覗いてみると・・・
白魚、海老の煮干しをはじめ、ごり(はぜ)、海老、公魚(わかさぎ)
などの佃煮が市価よりかなり安く売られていた。
佃煮が大好物な私にとって、これを見過ごす手はない。

       それぞれ、たっぷりと試食をして味を確かめ、
       土産に、とリュックに入りきれないほど、買ってしまった。
       ほぼ全員が買いもの、というのはこれまで記憶がない。
       女主人も大喜びである。
       
              ついでに佃煮の作業場を見せてもらった。
              
                     大きな釜が並んでいた。
                     今でも霞ヶ浦で漁をし、佃煮にして売られているのを見て
                     少しばかり感動を覚えた。
                     
                            帰り際に、女主人が『みんなで食べてっ!』と公魚の佃煮を
                            気前良く分けてくれて、益々感激。
                            パンフレットには、「伊藤商店」と書かれていた。
                            

浮島園地を目指す。

       和田岬の浮島園地はかなり広い。
       みんなで手分けして撮影ポイントを探した。
       
              やっとのことで撮影ポイントを探し出し、
              それぞれ記念撮影を済ませた。
              
                     松の木に生えた緑色の苔について説明する管理人。
                     
                            苔は、雨水や腐りかけた古い樹皮からしみ出す養分で育つため、
                            苔が松の木から養分を吸い取ることはなく、
                            樹皮に張り付いているだけ、とのこと。
                            そのままにしておくのが一番のようだ。
                            

和田岬の入り江には、”あさざ”が植えられており、
あさざプロジェクト」の看板が。
あさざが湖岸を埋め尽くすほど育って欲しいものである。

       和田岬を回ると、野鳥観察舎は間もなくだ。
       
              まだまだ管理人の説明が続く。
              毎回、いろんなことを教えてもらって勉強になる。
              
                     14時40分、出発地の野鳥観察舎駐車場に到着。
                     

帰路の途中、景行天皇が東夷征伐の帰路に立ち寄った、
とされる碑があるというので寄ってみた。

       ”お伊勢の台”と言われる小高い丘を登ると、
       小さな碑が建てられていた。
       
              景行天皇は、『日本書紀』に書かれている十二代天皇で、
              紀元51年に天皇になり、以後60年間即位していたと言われている。
              日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である。
              景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたと言われている。
              常陸国風土記「信太郡」には、東夷征伐の帰路に浮島に立ち寄り、
              30日余り滞在された、と記されている、とのこと。
              

今から二千年ほども前、天皇が都を離れて30日余りも滞在する、
と言うことがどのような意味をもつのか全く想像ができない。
遠い風土記の世界に想いを廻らせながら、帰路についた。



ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次

関東ふれあいの道(茨城)No.8 雨引観音からきのこ山まで

2010年11月11日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年11月11日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が15回目で、この日は、コースNo.8の雨引観音 からコースNo.9途中のきのこ山 までの
約14Kmを歩くものである。
今回の撮影ポイントは、加波山北側の燕山山頂標識前が指定されている。


この日の第一集合場所、真壁第一体育館。
かつて、真壁城の本丸があった場所だ。

       国指定史跡「真壁城址」の碑がすぐ横にある。
       現在、発掘調査が行われているので、調査が終わったら訪れてみたい。
       

この日のゴール きのこ山に予め車3台を配車しておき、
スタート地点の雨引観音に向かった。
後方に見えるのは雨引観音の鐘楼。
この日雨引観音に集まったのは、9名である。

       めいめい軽い準備運動をして・・・
       9時ちょうど、先ずは雨引山目指して出発だ。
       
              この日は「関東ふれあいの道」茨城県最大の難コース加波山越えである。
              雨引観音に無事を祈らずには通れない。
              
              入山前にお祈りを済ませなきゃ。
              いつもよりお賽銭を弾んでおいた。
              

加波山方面を見ると、朝霧が立ち込めている。
こういう気象の場合は天気は良いとのこと。

       最初は雨引山への緩やかな登りが続く。
       これが結構長い。しばらく登ると首に額に汗が滲んできた。
       
              30分ほど登ったところで、加波山への分岐点に到着。
              先は長い、一息入れよう。
              一汗かいたが、それほど暑さは感じない。
              湿度が低いせいだろう。
              

暫らくは、下りと登りの道が交互に続く。
せっかく登ったかと思えば次ぎは下りである。

       落ち葉を踏みしめながら歩くのは気持ちが良いものである。
       
              天気はこれ以上は望めない、というほど最高の晴れである。
              気象予報どおりだ。
              真壁平野?が眼下に広がる。
              

木漏れ日に終期の紅葉が美しい。
やっと平坦な道になり、周りの紅葉を楽しむ余裕が出てきた。

       燕山まで3.5Km付近。
       快調なペースである。
       
              出発後1時間半、ここまでほとんど休みなしで歩いた。
              ひとまず軽い休憩を摂ることに。
              
                     持参の菓子を配り合う。
                     『ご馳走さまっ!』
                     
              
道の傾斜が次第に厳しくなり、息遣いが荒くなってきた。

       燕山まで残り1.5Km辺り。
       ここは、真壁方面が望める最後の眺望ポイント。
       まるで箱庭のように美しい。
       
              燕山まであと残り1Km辺りからは、厳しい登りが続く。
              
                     手摺りや杖の助けを借りないとまともに登れない。
                     

ようやく平坦なところに出た。
堪らず休憩だ。

       ところが、これはほんの序の口に過ぎなかった。
       まだまだ続きがあったのである。
       次ぎは岩だらけの道が控えていた。
       
              ここまで来たら、後には引き返せない。
              とにかく上を目指して登るしかない。
              
                     想像以上に険しい道である。
                     
                            さすがのベテランも相当堪えているようだ。
                            汗だくである。
                            

燕山まで残り200m、最後の坂を上ると・・・
撮影ポイントの燕山の標識だ。
『万歳っ!!』思わず叫びたくなる。

       めいめい証拠の写真を撮り、この先の東屋を目指した。
       ここからは、平坦な道になり、ほっと一安心。
       平らな道がこれほどありがたいと思ったことはない。
       
              11時50分、東屋に到着。
              ここで昼食を摂ることにした。
              
                     左がNHKの電波塔、右は国土交通省の電波塔。
                     

昼食を済ませた後、次ぎの目的地、加波山に向かった。

       ところどころに綺麗な紅葉が最後の色合いを見せる。
       

前方に「加波山神社」が見えてきた。

       古びた石段を上ると・・・
       
              意外にも(失礼)、立派な構えの拝殿には驚いた。
              

神社拝殿脇の参道?を進む。
周りには、先達や偉人を讃える碑が立ち並んでいるが、
何かおどろおどろした雰囲気が漂う。

       燕山より一段と険しい岩が続く。
       その先に、加波山神社の親宮本殿があった。
       
              さらに岩を登ると・・・
              加波山神社だけかと思ったら、「たばこ神社」が。
              
                     毎年9月5日、豊作を願う『きせる祭』が行われる、とのこと。
                     社殿前には日本たばこ産業の社運隆盛と、たばこ耕作組合の豊作祈願の碑が。
                     

その先の人一人がやっと通れる岩を抜けると・・・

       本殿天中宮が祀られていた。
       加波山神社の本殿である。
       
              祠の裏に回るとこれまで歩いてきた山の尾根が見えた。
              随分、歩いてきたもんだ、と実感できる。
              

本殿天中宮の先にまだ加波山神社大神社というのがあった。
三枝祇神社本宮本殿である。
一体この山にはいくつの神社が祀られているのだろう?
祠の真ん前にでっかい岩がある。三尊石だ。
自然のものなのか? 運んできたものなのか?

       これでもう最後かと思いきや、神社はまだあった。
       村社 三枝祇神社本宮拝殿である。
       どうやら加波山の神社はこれで最後のようだ。
       

旗立石
明治十七年(1884年)の加波山事件の際、自由と平等を求めて血気に逸る青年達が
「自由の魁」の大旗をひるがえした。
彼らは宇都宮新庁舎落成式に集まる政府要人を人民の抑圧者とみて爆殺を企てるが、
誤爆事故が露見して官憲の探索に会い、雨引山からさらに奥深い加波山に立てこもった。

       自衛隊機墜落の慰霊碑
       昭和48年に自衛隊機が墜落、2名の殉職者を慰霊して建てられたものだ。
       「合掌」
       

突然、目の前に風車が見えてきた。
”ウインドパワーつくば”と名付けられた丸山風力発電所である。

       当会の世話人(物理学が専門)から、風車の流体力学について
       講義を受け、熱心に聞き入る。
       この風車は風の強弱には関係なく、常に一定の速度で回っている、そうだ。
       

ここからは、アスファルトの道になった。
下りなので、楽で歩き易い。

       
              一本杉峠に出た。何故か杉の木が2本ある。
              

緩やかな坂道を分ほど行くと、足尾山神社の鳥居がある。
神社まで100mとあるが、観ていく気力は残っていない。素通りである。
2年前に来たときは、こんな感じ だった。


足尾山神社の鳥居から2分ほどのところにパラグライダーのジャンプ台がある。
この日は、誰もいなかった。(八郷側)
もう15時だ、パラグライダーのジャンプは終わったのだろう。

       こちらは、反対側(真壁側)のジャンプ台から観た景色。
       2年前にはなかった、ような気がする。
       

両方を動画で観るとこんな感じ。



さらに進んで行くと、視界が開けた。
今日歩いてきた尾根がくっきりと見えた。
『あの山の向こうから? よく歩いたもんだなぁ』皆さん、感慨深げである。

       ここにもパラグライダーのジャンプ台が出来ていた。
       最近は、パラグライダーの人気が高いのだろう。
       
              15時50分、この日のゴール「きのこ山」の休憩所に到着。
              朝9時に出発してから間もなく7時間になろうとしている。
              皆さん「関東ふれあいの道」最大の難所を歩ききった満足感に浸っているようだ。
              
                     夕日に筑波山の姿が映える。
                     『次ぎも頑張りましょうっ!』
                     

ここで、一応この日は解散となり、出発地の雨引観音に向かった。
『皆さん、お疲れ様でしたっ!』



ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次


関東ふれあいの道(茨城)No.4 石寺バス停から笠間駅まで

2010年10月14日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年10月14日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が13回目で、この日は、コースNo.4の 石寺バス停 から 笠間駅 までの約13Kmを歩くものである。
集合場所は、この日のゴール地点笠間駅から少し離れた笠間城跡駐車場で、ここから車2台に分乗して、
出発地点の石寺バス停に向う。
今回の撮影ポイントは笠間城天守跡の石碑前が指定されている。


この日の第一集合場所は笠間城跡駐車場。
常磐道や国道50号線での事故で集合時間の8時30分
にはやや遅れたものの、13名が集まった。

       ここから車2台に乗り合わせ、出発地点の石寺バス停に向かい、
       付近の空き地に車を停めて、9時15分にゴールの笠間駅目指して出発!!
       
              「関東ふれあいの道」の看板でコースを確認。
              
                     のどかな田舎道(あまり車は通らない)を進む。
                     
                            立派な門構えの農家だ。
                            門の両脇は片側だけでも、小さな家の一軒分はあるだろう。
                            

しばらく歩くと、重要文化財「弥勒協会」の看板が。

       案内によると、弥勒堂は、鎌倉時代の宝治元年(1247年)に建立され、
       本尊の木造弥勒菩薩立像は、この地方の豪族笠間時朝(かさまときとも)
       による発願造立とされ、国の重要文化財に指定されている。
       
              弥勒堂は、現在は鉄筋造りにその姿を変えている。
              名称の弥勒教会の「教会」とは、信者の集うところという意味らしい。
              堂は無住で、集落の方々の手で維持されている、とのこと。
              堂の扉は固く閉ざさており、ご本尊を拝むことはできなかったが、
              事前に集落の係りの方にお願いすると堂内に上げてもらえるそうである。
              

弥勒堂を後にし、先へ進む。

       この日は、曇りで暑さもさほどではなく、歩き易い。
       
              『どっこいしょっと! なんでこんなところにバーがあるんだ?』
              
                     道は下りになり、快適なペースである。
                     
                            
のどかな田園風景の中を進む。

       道一杯に広がって歩くのは実に気持ちが良い。
       田舎道を歩く醍醐味と言えるだろう。
       
              時折、道端に咲いている花などが気になる。
              
                     藁葺き屋根の門が印象的だ。
                     

国道50号線に出たところで、ちょっと一休みだ。

       『ちょうど良いところにトイレがあるっ!』
       
              国道50号線を進む。
              
                     横断歩道の代わりにトンネルがあった。
                     
 

笠間稲荷神社

       昨日(10月13日)、突然大鳥居の中貫部分が落下したとのこと。
       現在緊急撤去中で、完全復旧するにはしばらく時間がかかりそう。
       

大石邸跡
「忠臣蔵」で有名な浅野氏赤穂藩国家老大石内蔵助良雄の
曽祖父、および祖父が住んでいた屋敷跡。

       日動美術館では、北大路魯山人展が開催中だ。
       11月28日までなので、機会があれば訪れてみたい。
       
              日動美術館の裏は、綺麗な竹林になっており、
              これも見ものの一つ、とのこと。
              

佐白山麓公園

       ここからは、少々きつい坂道が続く。
       
              笠間城天守跡付近。
              
                     この日の撮影ポイントは、笠間城天守跡の碑の前だ。
                     ここで、それぞれ、記念撮影を済ませた。
                     
                            さらに上を目指す。
                            階段が高い。
                            昔の武士はよくもまあ毎日上ったものだと思う。                
                            

ようやく頂上(209m)の「佐志能神社」に着いた。
大して高くはないが、階段は結構きつかった、というのが本音である。
佐志能神社は、映画「武士の一分」のロケ地となった。

       佐志能神社に参拝した後、笠間城本丸の八幡台櫓跡で昼食にした。
       
              次回の集合場所等の説明を受ける。
              

大黒石
鎌倉時代の始めに、佐白山の僧兵と七会の徳蔵寺の僧兵が戦い、
佐白山の僧兵が敗れて佐白山に逃げた。
佐白山の僧兵は山上にあったこの「大黒石」を転がし、
徳蔵寺の僧兵に多数の死者、けが人を出させて退散させ、
難を逃れたそうである。
「大黒石」はそのときここまで転がってきて止まった、
と案内板に記されている。

       つつじ山公園に向かう。
       
              身代わり観音像
              
                     山頂のトイレ近くに何故か「座頭市」の碑が建てられている。
                     


見晴らし台からの眺望



坂東33観音霊場第23番札所「佐白観音
昨年3月、霊場巡りで訪れて以来だ。

       午後1時45分、出発地の笠間城跡駐車場に到着。
       いったんここで解散とし、めいめいが自由にJR笠間駅に向かうことに。
       『お疲れさまでしたっ!!』
       


ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次


関東ふれあいの道(茨城)No.3 塩子支所バス停から徳蔵寺まで

2010年09月23日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年9月23日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が12回目で、この日は、コースNo.3の 塩子支所バス停 から徳蔵寺(とくらじ)までの
約8Kmを歩くものである。
コースNo.3の徳蔵寺からコースNo.4の石寺バス停までの連絡コース(約4Km)も歩くつもりであったが、
あいにくの雨で取りやめとなった。
今回の撮影ポイントは徳蔵寺の太子堂が指定されている。

この日の第一集合場所は、国道50号線沿いにあり、地理不案内の人でも分かり易い、
ということから、笠間市総合公園となった。
”午後から強雨”の予報にも関わらず、今年最高の13名が集まったのには正直驚いた。

       車9台を連ねて、先ずこの日のゴールとなる徳蔵寺に向かった。
       徳蔵寺の太子堂、この日の撮影ポイントである。
       ”午後から強雨”の予報を受けて、最初に記念撮影を済ませた。
       
              徳蔵寺太子堂で記念撮影した後、車3台でスタート地点の塩子バス停に向かった。
              道端に適当な空き地を見つけ、車を止める。
              『戻ってくるまで何事もありませんように』心の中で手を合わせる。
              

9時45分、雨が降り始めてきたので、傘をさして出発だ。
予報より少し早い。先が思いやられるが進むしかない。

       「ふれあいの道」の看板は、長年の汚れのため真っ黒で読めない。
       汚れくらいは落として欲しいものである。
       
              『こっちにも看板がある、間違いないっ!!』
              
                     のどかな田園風景の中を進む。
                     コースは舗装されているので、歩き易い。
                     
                            そばの白い花が印象的。
                            もうすぐ新そばの時期である。
                            

ほどなく両側が杉の林道に変わる。

       きれいに枝打ちされた杉並木の中を歩くと気持ちが癒される。
       
              杉林を抜け、峠を越え・・・
               
                     標識に従ってひたすら徳蔵・笠間方面に進む。
                     
                             雨は止む気配はない、次第に強くなってきた。                            
                             

スタートから1時間10分、旧七会村の野外活動センター「山びこの郷」に到着。
雨のため途中休憩もせずに歩いたせいか、かなりペースが早い。

       ここで、軒先を借りようやく休憩だ。
       雨が凌げるのはありがたい。
       
              中で何か作業をしているようだ。
              
                     蕎麦工房で打っていたのは、うどんだった。
                     なかなかの包丁さばき。美味そう!!
                     

一息入れた後、しばらく歩くと「関東ふれあいの道」の休憩所が目に入った。
小さな東屋だが何とか雨は凌げるので、一休みしていくことにした。

       他に腰を下ろせるところもなさそうだし、少し早いが、ここでお昼に。
       
              
                     

お腹もいっぱいになり、後は徳蔵寺を目指すだけである。

       
              彼岸花が咲いていた。
              今年は猛暑の影響でどこも開花が遅れているとか。
              

目の前に徳蔵寺の杉が見える。

       12時5分、徳蔵寺に到着。
       記念撮影は出発前に済ませているので、先ずは本堂へ向かう。
       
              雨のなか何事もなくゴールできたことを報告だ。
              

この日は、ここで解散となった。
車を置いている塩子支所バス停まで送ってもらい、旧七会村を後にした。


ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次


関東ふれあいの道(茨城)No.2 御前山バス停から塩子支所バス停まで

2010年08月26日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年8月26日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が11回目で、この日は、コースNo.2の 御前山バス停 から 塩子支所バス停 までの
約12Kmを歩くものである。
集合場所は、この日のゴール地点塩子支所バス停で、ここから車2台に分乗して、
出発地点の御前山バス停近くの道の駅かつらに向った。
今回の撮影ポイントは仏国寺の銅鐘が指定されている。


この日のスタートは、道の駅「かつら」からである。

       この日は新規に1名が加わり、10名が集まった。
       10時17分、少し遅めの出発である。
       
              「関東ふれあいの道」の案内板で道を確認。
              ”杉並木の美しいみち”と案内されている。
              

歩き出して直ぐに、美しい杉並木が迎えてくれた。

       杉木立があるので直射日光は遮られるが・・・       
       
              8月下旬だというのに連日の猛暑、この日も朝から暑い。
              こまめな休憩が必要だ。
              

こまねぎ峠までは、緩やかな砂利道が続く。

       熱中症を避けるためにも、水分補給が大切。
       皆さん、冷たいお茶やスポーツ飲料で喉を潤す。
       いつもより多目に持ってきたお茶がみるみるうちに減っていく。
       
              周りを山で囲まれているので、眺めはよくない。
              ひたすらに砂利道を進む。
              

12時ちょっと過ぎ、こまねぎ峠の分岐点へ到着。
ここからゴールの七会村塩子まで6Kmと表示されている。
ここまでで、ちょうど半分歩いたことになる。

       お昼になったことでもあるし、何はともあれ道端に腰を下ろして昼飯だ。
       
              こまねぎ峠からは舗装になり、下りになるので、歩き易い。
              
                     道に迷った車に道を訊ねられ、地図を示して教えているところ。
                     どうも七会村(現城里町)は道に迷い易い所のようだ。
                     自分も過去に何度か道に迷ったことがある。
                     
                     
道の脇を小さな清流が流れる。

       そのせいか、この辺りはトンボが多い。
       帽子に止まったりしてなかなか逃げないので、ちょっと撮影。   
       
              立派に育った杉並木がなかなか素晴らしい。
              
                     日が差し込んでいる景色はなんとも言えない美しさがある。
                     
                            杉木立の中でこの日最後の休憩。
                            あとは、この日の撮影ポイント「仏国寺」を目指すだけである。
                            

陸上自衛隊の「七会訓練場」が現われた。
勝田駐屯地の演習場であるが、どのような訓練が行われているのかは
窺い知ることはできない。
2008年8月に、新人隊員24人が爆発物の取り扱い訓練中、プラスチック爆弾
を舐めて中毒となった事故があったことが知られている。

       陸自七会訓練場から20分ほど進むと・・・
       
       
目指していた「仏国寺」に到着した。
「仏国寺」は、天平年間(729年~748年)、行基菩薩の開基と伝えられている。

       高野山宝性院を本山としており、古くからの関東の高野山、
       女人高野山として信仰を集めてきた。
       
              疲れはあったが、力を振り絞って、一気に204段の石段を登る。
              
                     左手に「仏国寺」の本堂があった。
                     建物は新しい。
                     
                            思い思いにお参りをして、
                                                        
                                   県指定重要文化財の銅鐘の前で記念の撮影を済ませた。
                                   


200余段の石段を登ったところにあるためか、心地よい風が吹き抜ける。
疲れが幾分和らいだ感じだ。



石段とは別にある銅鐘脇の坂道を下る途中、”木喰五行明満聖人終焉の地 奥ノ院三昧洞穴入口
なる標識があったので、見ていくことに。
標識の示す矢印に従って数十m登ると、三方を崖に囲まれた空間が現われた。

       右手の覆いかぶさるような大きな崖(岩)下に小さな洞穴がある。
       
              洞穴はとても小さく、屈まないと中は見えない。
              
                     中は狭く、人一人がやっと横たわれるほどの広さである。
                     ここが明満聖人の終焉の場だったのだろうか。
                     小さな仏像2体が安置されていた。
                     
                            洞穴の向かい側の崖下には、お地蔵さまが一体建てられていた。
                            

記念の撮影も済ませゴールを目指すが、「仏国寺」を過ぎてからは
木陰がないので、容赦なく太陽が照りつける。
じりじりするほど暑い。

       15時ちょうど、ゴールの塩子バス停に到着して一安心だ。
       一応ここで解散となり、車のある道の駅「かつら」まで送ってもらった。
       


この日のコースは、きつい上りもなく半分以上は舗装されていて比較的歩き易い。
しかし、猛暑日の炎天下の道は、結構堪える。
多めに持っていったお茶だったが、足りないくらいだった。
帰りにコンビニで500mlのお茶を2本買ったが、瞬く間に飲み干してしまった。


ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次