うどんジムはよく、このブログで「計算が大事みたいなことを書きますが
」
こないだ
「画家のように 美容師のように 恋人のように」
と計算とは相反するようなことも書きました。
さて
算術だけの話をすれば、やはり大きいとこや財務優位のとこが勝ってしまいます。
そこで、算術では語りがたいところで勝負しないと、存立理由が弱くなります。
まあ、利便性が高いという理由で、小さくてもあまり美味くなくても、近いからそこで食べるという存立理由もあるでしょうが。
よく、人気店では、どこかしら
「こだわり」
とか
「意外性」
とか
「そこまでやるか」
みたいなお店の考え方が表れるところを感じると思います。
零細は価格勝負はできないのだから、算術をこえる何かがないと、立地だけで勝負しなければならなくなります。
そうそういい立地にめぐり合うわけでもないので
普通は、自分が算術をこえる高い技能とか何かをもってないと難しいでしょう。
というか、何ら、算術をこえるものを持っていなかったら開業する資格がないのかもしれません。
じゃあ、うどんジムの算術をこえるところはどこでしょうか。
あるにはあるし、続きで書きたいと思いますが
もっと自分自身が他の部分でもそれを持たねばならないという反省や自戒の意味で書いてるところがあります。
うどんジムは
「中の上」ぐらいの職人にはなれるかなと思いますが「上」になる自信はあまりない。
やっぱり、有名繁盛店で怒鳴られて、1日千人単位のお客さんに鍛えられた人の動きには勝てるとは思えない。
しかし、「中の上」の人が、研究熱心にやって、また、ポリシーやそれなりの経営感覚をもって、全体的に厚めに原価をかければ、「上の中」のものを出せるまではなれる可能性は充分にあると思っています。
「上の上」まで行くのは難しそうだし、自分は、まだ「上の上」と思ううどんをよそでもはっきり意識したことはありません。
「上の中」に安定していければ、存立できる意味はあるのではないかと思う。
しかし、それをするには、やはり算術をいっぺんこえる必要があると思う。
たとえば、なぜに原価を全体的に厚くかけるのか?
そうすると、利益が下がるでないかというのがまず頭に来ます。
また、何年も遊びにいかなくてもいいと割り切れるかというようなこともあります。
じゃあ、なぜ利益は下げてもいいと思えるのかという話を続きで、自分の場合について書きたいと思います。
何人か、あまりさえずに廃業した人からは、算術をこえた部分をあまり見受けられず、古い麺をもったいないとか、何かが高くなると減らすとかしてたように思ったことがある。
立地選定で失敗して、売れないことへの焦りや生活苦から、なお、原価をけちったり、店の電灯を減らしたり、人を切ったり、工夫なく算術上短期に数字に表れることをしたくなり、実際にしてしまう。
そういう意味で見栄っ張りにもいいとこがあると思う。
飯は食えなくてもいいから、店の電灯けちって暗くして足下見られたくないとか思う人はいいと思う。
この手の見栄やプライドは算術をこえている。
あと、ロッキーの藤田さんが
仕事は遊びだと思わないといけないと言ってました。
決められた仕事が終わっても、好きだから楽しいからなおやりたい。
それも一つ算術をこえるカギだと思う。
偽善の考察に続いて、またも、途中のが増えてしまった。
」
こないだ
「画家のように 美容師のように 恋人のように」
と計算とは相反するようなことも書きました。
さて
算術だけの話をすれば、やはり大きいとこや財務優位のとこが勝ってしまいます。
そこで、算術では語りがたいところで勝負しないと、存立理由が弱くなります。
まあ、利便性が高いという理由で、小さくてもあまり美味くなくても、近いからそこで食べるという存立理由もあるでしょうが。
よく、人気店では、どこかしら
「こだわり」
とか
「意外性」
とか
「そこまでやるか」
みたいなお店の考え方が表れるところを感じると思います。
零細は価格勝負はできないのだから、算術をこえる何かがないと、立地だけで勝負しなければならなくなります。
そうそういい立地にめぐり合うわけでもないので
普通は、自分が算術をこえる高い技能とか何かをもってないと難しいでしょう。
というか、何ら、算術をこえるものを持っていなかったら開業する資格がないのかもしれません。
じゃあ、うどんジムの算術をこえるところはどこでしょうか。
あるにはあるし、続きで書きたいと思いますが
もっと自分自身が他の部分でもそれを持たねばならないという反省や自戒の意味で書いてるところがあります。
うどんジムは
「中の上」ぐらいの職人にはなれるかなと思いますが「上」になる自信はあまりない。
やっぱり、有名繁盛店で怒鳴られて、1日千人単位のお客さんに鍛えられた人の動きには勝てるとは思えない。
しかし、「中の上」の人が、研究熱心にやって、また、ポリシーやそれなりの経営感覚をもって、全体的に厚めに原価をかければ、「上の中」のものを出せるまではなれる可能性は充分にあると思っています。
「上の上」まで行くのは難しそうだし、自分は、まだ「上の上」と思ううどんをよそでもはっきり意識したことはありません。
「上の中」に安定していければ、存立できる意味はあるのではないかと思う。
しかし、それをするには、やはり算術をいっぺんこえる必要があると思う。
たとえば、なぜに原価を全体的に厚くかけるのか?
そうすると、利益が下がるでないかというのがまず頭に来ます。
また、何年も遊びにいかなくてもいいと割り切れるかというようなこともあります。
じゃあ、なぜ利益は下げてもいいと思えるのかという話を続きで、自分の場合について書きたいと思います。
何人か、あまりさえずに廃業した人からは、算術をこえた部分をあまり見受けられず、古い麺をもったいないとか、何かが高くなると減らすとかしてたように思ったことがある。
立地選定で失敗して、売れないことへの焦りや生活苦から、なお、原価をけちったり、店の電灯を減らしたり、人を切ったり、工夫なく算術上短期に数字に表れることをしたくなり、実際にしてしまう。
そういう意味で見栄っ張りにもいいとこがあると思う。
飯は食えなくてもいいから、店の電灯けちって暗くして足下見られたくないとか思う人はいいと思う。
この手の見栄やプライドは算術をこえている。
あと、ロッキーの藤田さんが
仕事は遊びだと思わないといけないと言ってました。
決められた仕事が終わっても、好きだから楽しいからなおやりたい。
それも一つ算術をこえるカギだと思う。
偽善の考察に続いて、またも、途中のが増えてしまった。