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うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

信号番号のヒントになったこと 電柱もネタにできないか?

2007-02-25 19:00:56 | Weblog
先日、コメントでもいただきましたが

警視庁が、東京電力から電柱の番号のデータをもらって、
通報があってから事件現場などに急行するのを助けるシステムをつくったと
いうのは信号番号のヒントにしました。
東京では地理のわからない人が事件にあったり、目撃したりということが多いんでしょうね。
携帯電話の普及に伴ってなおさら必要性も高まったのでしょうか。
これは、ほかに数県で似たようなことをしてたと思います。
5、6年前の記憶では神奈川県とか奈良県だったかと。

ちなみに、東京都の電柱は23区か、区部以外も含めてかわかりませんが、70万本ぐらいあるそうです。
田尾先生のインタレストによると、香川県内の電柱は17万本ぐらいだそうです。
(四電に聞けばすぐにわかりますが)
ちなみに自販機にも所在場所シールが貼ってあることが多いのですが、こちらは県内に数万台ぐらいと予想してます。
自販機は病院やオフィスなど屋内にも多いので、屋外にどのぐらいあるかはよくわかりません。

車両用信号設置の交差点や横断歩道などは県内に2000ヶ所ほどしかないので、信号はとても効率がいい。
万ヶ所単位のものを利用してシステムをつくろうと思えば、よく見ないとわからないような札を針がねで固定するかシールを貼るかになると思う。

あと、国営讃岐まんのう公園では
池の柵などいたるところに、番号と記号を組み合わせて表示した立て札が立ってます。
これも、池に落ちるなど事故の際に携帯電話などから連絡して場所を伝えるのに役に立つのでしょうか?

ただ、電柱は県内でさえ17万もあるので、効率が悪そうにも思うのですが、規格化されたシールを量産して、一般の人や初めて来るような人にもわかりやすく役に立つ、何かサエた表示を考えれば、数千万円ぐらいで、すごいものができるかもしれません。
17万の中には、山の中など一般人が見ないようなものも多いので、実際はもっと効率よく効果を発揮すると思います。

電柱は、電力や電話やかまどや灸まんや瓦せんべいなどの広告のためだけにあるというのでは、資源効率が悪く、日々、一般の人が当たり前のように実用できるようにすることはすばらしいことだと思います。

ラジオCMが始まります。

2007-02-25 18:31:11 | Weblog
エフエム高松で、うちのラジオCMが始まります。
たぶん、3月2日の前後に、たぶん録音ですが、うどんジム出演で店の紹介番組もあるそうです。

4月までに15本ぐらいだと思います。
放送予定時刻は、わたくしも知りません。
毎日、ラジオを聞いてくださるといつかはCMも聞いていただけると思います。

CDや他局などを車内で聞いて、通勤されている方は、ぜひ、エフエム高松(81.5)に合わせてみてください。

主導権と受身

2007-02-25 18:17:23 | Weblog
たまたま本で、花王が国内の10%ほどもシェアを占めていたフロッピーディスク製造を止めたというのを読んだ。
知ってる人が多いと思うけど、うどんジムは開業前後は時事が空白になってる時期も多かったので、花王がフロッピーディスクをつくってたことさえ知りませんでした。

止めた理由としては、後藤会長がおっしゃるに

媒介たるディスクだけつくっても、情報分野のハードもソフトも持たないのでは、ほかの企業の動向など外部に左右されてばかりで、下請け的な事業しかできないけど、
エコナクッキングオイルや緑茶ヘルシアのような食品分野は、自前で主導権を発揮してヒット商品を出していけると。

垂直的多角化とか水平的多角化そういうこととも関係あるのかな?

あと、企業に一番大事なのは、「健全な危機意識」と「現状不満足」だとも。

うちのうどん店はどうだろうか?

実は、先日、財務局から毎日のように来られるお客様がかなり多いということがわかりました。
中央通りを越えて、途中のうどん店をいくつか通過して、わざわざたくさんの人が連日歩いて来て下さってるということは、うちの評価を考えるうえでうれしいことなんですが、それまでは財務局や管区警察がサンポートに行っても、そんなにうちには来てないだろうから影響は少ないと思ってただけに、多い日は売上げの1割ほどを占めているかもしれないと知って、がっくり来ました。
それにしてもうちぐらい離れてても、脅威なのに、道の向こう側でランチとかやってるところはどうなんだろう。
中小商店からしたら、サンポートに対して、税金たくさん入れて、うちの敵をつくってええかげんにしてくれという気分の人が多いのがうなずけます。
家賃なしで家族労働だったら何とかなるのかもしれないけど、どうなんでしょうね。

天気が良くなったり、悪くなったり、サンポートやイオンができたり、近隣の事業者が倒産したり、近所で工事が始まったり、選挙事務所ができたり、飲食店が他にできたり、なくなったりということは、どれも受身のこと。
受身のことでいいこともあるけど、受身のことに左右されているだけの店ではやる意味があまりないと思う。

それに対して、営業時間や日数を増やしたり、新メニューをつくったり、広告を打つなどは自ら能動的にやっていること。

能動的なことの影響が、受身なことの影響よりも大きいと思えば、やりがいも大きかろうけど、そうでなければ、やってもつまらんし、たぶん、経営自体が行き詰るでしょう。

誰もが能動的にやってうまくいくのなら、やる気がある人は皆するのでしょうが、能動的になるのを阻害する要因がすぐにいくつか思い浮かびます。

たとえば、
・営業を伸ばしても、昼以外はうどんを食べる人がいないので、光熱費しか出ない。
・新メニューをつくっても、1番安いかけうどん以外はたくさんは売れないのでつくっても廃棄ばかりが多くなる。
・広告を打ったり、知名度が上がっても、街中の駐車場のない店では、徒歩圏以外から昼にわざわざ遠方から食べに来る人はそういない。

などパッと誰しも思いつくでしょう。

きちんと毎日の単調とも思える作業をまじめに繰り返し、長く営業を続けていくということが能動的にやれる努力で一番大きいことかもしれませんが、それ以外で、上に書いたような能動的になることを阻害することをなんとか打ち破っていけたらいいのになあと思います。

たとえば、今、試験的に夕方開けていても、1時間に1、2人しか来ません。
(もちろんオモテに15:00までと書いてあるからなんでしょうが)
これが続くならほんとにアホらしくなります。
また、定着するまで、我慢するなら、3時以降の2、3時間だけでも評判落とさないように定期的に茹で続けると、4、5人のお客さんのために数十玉廃棄したりすることにもなるでしょう。

夕方開けるなら、こっちから
「営業時間延ばすので、残業なんかがあるときは、うちに寄ってください。」
とか、昼のお客さんがいるところを中心に近隣の事業所に一件、一件、挨拶まわりでもするもんだろうか。
横並び意識があると違和感あるかもしれませんが、こういう能動的な努力を臆せずに次々とやっていけば、いいのかもしれないなあと思います。

何にしても、無理と思われがちなことを打ち破って、能動的であり続け、受身の要因を越えていくことが大事だなあと思います。

「空海作戦」鉛筆の持ち方 力が入ってるはどこでわかるのか?

2007-02-18 17:59:22 | Weblog
持つ手の親指と人差し指の指先から第2間接 ふわっ てたまご型に膨らんでいれば力は入ってません。

挟んで抑えると、第2間接でカクッと折れ曲がって、そこから指先に向けて反ります。
折れと反りがきつい人は挟むのに力を入れてます。

また、鉛筆を挟んで、親指の先と人差し指の先が揃わず大きくずれていても、偏ってますし、いらん力が入ったり、不安定になると思います。
そりゃあ、挟むのに両側の位置が違ったら、そうなるでしょう。

よく見なくても、数メートル離れてても、わかるでしょう。

「そんなんどこでわかるん?近くでじろじろ見たんですか?」
などと聞かれてはいませんが、書いてみました。

最近の記念(の)日

2007-02-18 17:39:36 | Weblog
時期遅れな話題ですが、2月14日はエフエム高松の朝の番組で聞くところ。

「にぼしの日」だったそうです。

1が棒で、に、ぼー、し なのかな?

にぼしの業界が考えたそうですが、バレンタインに持ってくるところがびっくり。納入業者の配達の人が知らんかったけど、意外にも、えらく感動してくれてました。

広げて、バレンタインだからこそ、家庭的な和風(だしの)料理で、カレシやパートナーのハートを何とかできないものでしょうか?

恵方巻きと海苔の業界の関係みたいにヒットするアイディアがあってもいいと思うけど、ヒットしたら、にぼしの需要が増えて、うどん業界にはいいことないから、冗談でとどめておきたいと思います。

もう一つ

建国記念「の」日
ですが
建国記念日というと
ある意味
意味が正反対になります。

語呂の良し悪しで国会で議決して、「の」を入れたわけでなく

GHQが戦後わざわざ廃止して、
制定までに
法案提出や廃案を繰り返し、
16、7年も与党が寝技をしかけて「の」を入れて成立させ
今でも、一部野党系の団体が、建国記念の日の廃止の集会をやっていることを気にかけてもいいと思います。
この祝日だけ、法律で日を決めずに別の政令をつくって決めてるところも面白い。

小さく見えて、大きな違いの典型がこの「の」の中にあり、
ある意味、さきの大戦を挟んだ、歴史・政治史の縮図になっているような気もします。

駅売りのニューズウィークを見ての雑感

2007-02-18 17:08:44 | Weblog
「格差はいいことだ」みたいな見出しをJR高松駅のキオスクで見て
思わず、掟破りにもキオスクの販売員の前で5ページほど立ち読みをしてしまいました。

書いてないけど、「格差」社会は、このブログのテーマの隠れた中核かもしれません。

アメリカの経済ジャーナリストが書いてたようです。
「結果の平等よりも機会の均等を」
とも書いてましたし、成長が富裕層の消費を拡大し、全体を引き上げるとも書いてました。

何が釈然としないか。大きな問題で思い切り端折りますが。

「格差」は国や共同体を人に例えると、内臓疾患や精神疾患の要素が大きい。
「成長」には、運動能力、知力、職業能力や財産の拡大の意味が強い。

ガンや糖尿病や統合失調などを筋トレや学問や利殖で何とかしようとしてもいかんことが多いと思う。

ここは各々の要素のベクトルの大きさや向きが錯綜するところですが、整理分類は現時点でもかなりできると思います。

国はいろんな意味で大きくなるからこそ、内臓疾患になりやすい面があって、その
大きくなることには、経済成長も含まれる局面が少なからずあると思います。

また
結果が平等になってないと
機会は均等になんかならないでしょう。

昔のイギリスの良心的な経済学者には、「経済を学びたければ、まずスラム街に行って人間を理解しろ。」みたいなことを言う人がいたと本で見たことがあります。

また、競争がし烈になる中で、機会を均等にしようとすると必然的に大きな政府化にならないでしょうか?
今、こぞって、小さな政府化の流れに向かう中で、誰が機会の均等の状況をつくるというのでしょうか?

人はある程度
・可能だ。
かつ
・魅力的だ。

両方
思わないと行動に移せないものだ。

とか、経営学の本の最初の方に書いてあります。
育つ環境が絶望の連鎖を生む中で、少数の這い上がった人の成功例を持ち出して、それ以外の人を努力不足だというのは、あまりにも人間への理解が違うと思う。

私たちはアフリカの内戦や干ばつなどから来る飢餓にどれだけ、関心を持てているか?
高松の水害には支援できても、アフリカの飢餓になると別世界だったり、焼け石に水と思えてやる気が高まらなくないでしょうか?
こういう現象が、国内やかつて共同体だと思っていた枠の中で起こると、政治等、社会的な合意が難しくなったりします。
体内に不調和やコントロールできない部位ができることが、内臓疾患ではないでしょうか?
共同体の内部に他人事、別世界をつくること自体が内臓疾患の要因というのはどうでしょうか?

成長も一部の解決ではあり、
福祉も一部の解決ではある。

その間にあるものを再構築していくことが、様々に求められているとは思う。

先述の「空海作戦」も学習習慣の定着や学力向上などの妨げになりやすいうえに、教育力のある家庭でしかなかなか直せない、ヘンな鉛筆の持ち方を、全国一律に、生徒一人当たり、消しゴム一個買う程度のコストで、多少でも是正しようという、私なりの「格差」社会への一石です。

成長と福祉の間にあるものが何かというのは、書き尽きないものがありますが、

教育や文化、スポーツ、地域イベントの振興などは、答えの中には含まれていると思います。
それだけで決定的とまではいえないと思いますが。

成長と福祉の間の言い換えは何げに
「営業および営業外の利他力・対共同体貢献力の総体」
というような概念が取り合えず、漏れがないような気がしてます。
営業の利他力というのは企業の競争力にとって中核なので、何も慈善的なことを言っているわけではありません。

営業の利他力は競争力であり、営業外になると、メセナ、NPO、コミュニティーなどが入り、利他力と対共同体貢献力の違いは、利他が対象が他者に向くのに対して、後者は、自分の乗る共同体という船を補修したり良くしたりを、自分の利益目的含めて包括的に考えるものです。

白い雪の谷にひっそり咲く、エーデルワイスの様な不言実行の小さな貢献も美しいのですが、私はそこには限界を感じてきました。自分目的も含まれるということは、活動の拡大再生産性を伴うので大事だと思います。

「美しい国」で思い出す「空海作戦」

2007-02-12 16:08:28 | Weblog
「美しい国」という言葉はかなり嫌いな言葉です。
ナチスやハンセン病患者への対応の歴史しかり、言った本人の意図と無関係に、誤用、曲解され、排外主義、優性思想などの見地から悪用されやすい言葉だと思います。
責任のある人は公共の場で、使わない方が良い言葉だと思います。
「美しい国」という言葉は、表面的な語の意味を離れ、あまたの場で、差別と不寛容を助長するでしょう。

それはそうと
小学校入学時に、一斉に、鉛筆にはめる握り方矯正器具を使って、児童に正しい握り方を覚えてもらおうという「空海作戦」。

学童期にお勉強ができた方だと思われる社会人でさえ、何十人か眺めてみて、五本の指で握っているような人が意外にいるし、むちゃくちゃ偏って力を入れてるのがはた目からでも一瞬でわかる人の方がとても多いのに気づきます。
鉛筆をきちんと握ってない人の割合は、虫歯や近視の割合ぐらいあるのではないでしょうか?

かくいううどんジムも鉛筆を握るのが大嫌いで学校の勉強はせずに、頭を使うといえば、パズルゲームが好きでやるのと、本はまあまあ読むという程度でした。
それがいい歳になって、論文を書く際に、「なぜ、自分はこんなに、字を書くとすごく手が痛くなって疲れるんだろう?」と悩み、ペン字の先生に見てもらって一瞬で見抜かれ、直してから、やっと机について文字を書くことが多少できるようになりました。
20代に突入してかなり後のことです。

文字を書く姿勢は筆記用具の握り方でかなり違ってくるし、きれいな字も正しく握ってないとなかなか書けないと思います。
もちろん、机の前につく習慣にも関わります。
うどんジムは22歳までほとんど机の前で勉強しませんでした。
コタツの中やタタミで寝転がって、教科書を読んではゴロゴロするぐらいしかしたことがありませんでした。
字を書くときの姿勢がゆがむと、目線もずれるし背骨もずれるので視力や内臓などにも長い目で悪影響を与える可能性が考えられます。

握り方の矯正器具は、1個100円ぐらいでありますし、そう壊れるものでもないし、やろうと思えば、次の年代にも使いまわしもできます。
各学校や各学級の判断でなく、全国で一斉に全学校で導入すれば良いと思います。
必ず役に立つでしょうし、「国旗国歌」などと違って、なんら、思想などに触れるものでもありません。

鉛筆の握り方、姿勢、学習の習慣は一生ものなのに、今は、鉛筆や箸の持ち方を教えられる親というのはごくわずかだと思います。

「美しい」はいい言葉じゃないけど、思い出しついでに、文字や姿勢ぐらいは良くして、かつ、健康や学力の向上に貢献する提案はしておきたいと思います。
「空海作戦」と名づけてますが、香川に因むし、インパクトもあるし、字が上手になるという意味で「空海」の名はふさわしいと思います。

信号番号もそうだけど、こちらの方がより、コストは極小で、効果は絶大。
うどんジムの提案は、オフィシャルでないので反対のための反対に合いやすいことに備えて、反対する理由がなくなるぐらいコストを極小にした提案になってるところが特長だと思ってます。

うどんジムは、ペン字の先生に一回見てもらったからといって字が上手になったとはいいませんが、手が痛くなったり疲れなくはなったので、勉強は高校時代の3倍(高校時代が少なすぎたか?)は、それ以来、一部の期間を除いてほとんどするようになりました。

高松から三豊以西に行く場合。 信号番号のメリット

2007-02-11 21:17:01 | Weblog
地図を見ればわかりますが、高松から三豊以西に行くのに、国道11号やさぬき浜街道は、弧のように膨らんでますが、32号と377号を組み合わせると弦のように直線的です。

実際に、高松から観音寺に行くのに、琴平を経由した方が数キロ距離が短いし、信号も30個ぐらいは少ない。

なのに、高松の人はなじみがないからといって漫然と11号を通って、観音寺に行く人がけっこういます。
たぶん、香西や郷東のような沿岸部からでも、32号までいったん南下して琴平を経由するのが一番観音寺に早く着くルートでしょう。

信号番号が付くと、各々の道の信号の数がわかるようになるので、道路利用者がどんどん、時間帯や時期などを勘案しながらも適切な道を選ぶのを助けるでしょう。
三豊・観音寺の方は377号通って高松に来る方が多いけど、高松の人はびっくりするほど、琴平以西の377号を通ったことのある率が下がります。

昔は、琴平やレオマの近くで、大渋滞ってありましたが、そのイメージが強く残っているんでしょうかね?
今は、24時間、7日間、365日で、11号を通った方が早いことなんか90数パーセント以上ないと思います。

こうやって適切な道を道路利用者が選ぶようになると、11号や浜街道なんかの交通負荷が下がったり、右折ポイントなどでの停止が減るなど、NOXやSOXの低減にもつながるかもしれません。
ちょっと無理気味に聞こえるかもしれませんが、自動車の走行っておそろしく多いのでほんのわずかな例でも案外効果が大きいかもしれませんし、番号が付く前でもいろいろ思い浮かぶのだから、付いた後ならそれこそ無限にいろんな賢い道路利用者がうまい番号の使い方を考えるでしょう。
携帯電話や携帯メールのように。

ビラは配れるだけ配ってよし。

2007-02-11 20:54:08 | Weblog
実は、2月のイルカ月間と、3月の栗林公園月間のビラは、もうずいぶん配りました。

もともとそんなに配るつもりはありませんでした。
当初は数百枚で十分と思ってました。
(!?!?!?いったいどれだけ配ったのでしょう?)
ただ、途中から配ることに使命感のようなものに駆られました。

コトデンのイルカの普及促進が、われわれがいる中心市街地の活性化につながり、エコロジーにも親しむものですし、栗林公園でのお花見のススメが、地域のすばらしさを再確認する機会をつくったり、あまた職場や家庭などでのお花見を通じたコミュニケーションのきっかけになったりすれば、かなり自己満足できます。
実際の効果はあやしいものですが、今の自分にできることとしてはベストに近いものを尽くせたと思えます。

「自分のやってることは良いことだ。」と自分をちょっと熱めに鼓舞できるビラにできたことは、冬にビラ配りを気分良くするのに役立ちました。

実際にビラ配りは、すばらしく営業効果があると思います。
もう、新規のお客さんでビラに反応されて初めて来られたという方は30人以上いらっしゃると思います。

効果の自己増殖 信号番号のすごさ

2007-02-04 20:08:17 | Weblog
前記事で久々にうどんのことについて書きましたが、ライフワークの信号番号に戻ります。

たとえば国道11号の信号パネルに西1の裏に東245とかつけると
途中のパネルも総和が246になります。

するとそんなに信号がある道は11号しかないので、どこをぐるぐる回ってもパネルを見たら11号とわかります。

主要道とそうでない道をわける基準は大きなくくりの地域どうしを結ぶとか、主要道と重要な港など施設を結ぶとかそういう基準で決まります。
そうすると、大きな距離を結ぶものはまず必然的に主要道になります。

道幅と主要度は必ずしもイコールにはなりませんが、信号番号に東西南北向きをつけると、パネルを見れば大きな距離を移動できるかどうかが必然的にわかります。

すぐに行き止まりになるか、さぬき浜街道から、広域農道や11号や長尾街道まで抜けられる道かどうかなど、パネルを見ればわかることになります。
数の多い道を走っていればまず確実に国道に出られるということなどが使っているうちにどんどんわかるようになります。

効果が使っているうちに自己増殖する事業って、今までにあったでしょうか?
ほかにも信号番号パネルの効果の自己増殖の例にはどんどん気づいていくことになるでしょう。

効果を費用に対する関数と考えて
利用者数、頻度、利用態様の重要性などを1、2、3次と考えると
情報性資源が乗って4次関数
時間の経過とともに効果が自己増殖というのは5次関数の領域かもしれません。

ほんとうに探してみてください。
今までに公共事業で、利用者が頭打ちになるような大型事業は数あれど、ランニングコストもほとんどないのに、効果だけが勝手に自己増殖するような事業ってございましたでしょうか?
たとえば、歴史博物館のようなソフト系ハードは、根付くと人を育てるのである意味効果は無限ともいえますが、ランニングコストは年間10億円とか大きいし、単独採算では毎年数億円の赤字を出します。

ちなみに、信号番号は、年間に百億回単位か数十億回以上、県民などの道路利用者の方が認識して、うち億回単位か数千万回以上はリアルに実用することになるでしょう。

そして、道を間違うとか迷うってまあ重要性は高いことだと思います。
1~5次までどの段階もけっこうきっちりと対応してます。

よく公共事業で使うから費用対効果って書いてますが、うどんジムはそんな甘いことは考えてません。
かつ、短期でキャッシュが回収できなければ、この緊縮財政下では許されないと思っています。
短期とは、長くて、2年、基準1年で考えてます。
長期債権の分類が1年を基準にしてますが、実際に、公共事業には周知期間もあるし、企業の財務・投資活動よりは長い目で見て良かろうけど、担当者が変わらない間にモニタリングできる程度でないと面白くないと思い、その程度で考えました。
1年で7割がた以上、キャッシュで回収できなければいかんと実際の公共事業よりもはるかに厳しい自主基準をもうけました。

たとえばマスメディアにポジティブな意味合いで取り上げられるなどは、実際に、既存の事業でキャッシュを払って、県など自治体がやっていることなので、これらを代替すれば、キャッシュの回収にはなっているとか、キャッシュの具体的な回収を測る方法を考えれば補正係数などを使いながらもいろいろとあるとは思います。
環境効果や移動効率などもキャシュといえるかもしれないのですが、もっと厳密に個人事業主並の切実度で、事業主体のキャッシュに直接働きかけるもので考えていきたいと思います。

加水率やブレンドなど

2007-02-04 19:29:08 | Weblog
麺が柔らかくなるとか硬くなるとかの要素は何ですか?
と土曜日に、常連の方に聞かれました。

・茹でた後の時間
・茹で時間
・釜の湯の量
・釜の中の打ち粉とか余計なものの量
・水洗いで締めたときの時間と水の温度
・切り幅・厚さ
・加水の量
・塩の量
・寝かせ時間
・寝かせの温度
・踏み時間・回数
・湿度
・練り時間
・小麦の種類・たんぱく質の含有量など

それらが挙がると思います。

先週末でたぶん、年間の寒さと乾燥のピークを済ませただろうと思ってます。
正直、最低が3℃より下をいくと、一般に「冬は」どれぐらいとかいわれるよりも一工夫がいるのかなあと思ってますし、いくつかの意味でつらいとこがあります。

ピークで加水率49%ぐらいまで上げましたが、うどんジムは硬めが好きだし、うちは硬めの好きな客層でかなり固まってきたので、ほかのことで調整してますが、上の羅列したことのうちのどれで調整したものかと日々考えてはいます。
もうちょっとやわらかくした方がバランスはよくなるし、予想をはずしたときにも失敗がなくなると思っています。

このところ水が冷たいので、ざるうどんなんかは難しいなあと思ってます。
麺が硬くなり過ぎる。
冬にざるをしないお店が多いのもよくわかります。
ざる用に別茹でする規模でもないし、オーダー入ってから茹でてもいいけど、そこまで冬に待たれるお客様もまずいないと思う。
この時期のざるのオーダー自体が1日に1回か2回ぐらいだし。

加水に関しては、ピーク49%でうどんジムとしてはほぼ決着がついたと考えてます。
塩加減と寝かせ時間や踏み時間については、企業秘密として隠すほどには思ってませんが、対面で、お相手を考えてお話することにしてます。
基本的に、講師になるような格ではまったくありませんが、わざわざ聞かれる方は、たいがい気に入ってくれてるとは思うので、お答えすることについては悪くは思いません。

最近は、この冬に食感について考えさせられることが多かったので、「さぬきの夢2000」を5~15%、15%で気に入れば、実験的に20%近く上げてみることも検討しようと思います。

県関係者には申し訳ないですが、世間の評判どおり、夢2000をメインで使うことにメリットは感じませんが、うちの食感をより良くするためには、九州産ニシホナミ系や夢2000のような西日本の小麦粉を1割前後使うことは良さそうに思います。

夏だったら、西日本の小麦の率を減らし、ホクスイなど北海道産を若干増やすなどしてもいいのかもしれないと思いましたが、1年目の夏については、ブレンドをどうこうしようと考える余裕はまったくありませんでした。
むぎのかおりも一時使って悪くないとは思いましたが、当時は自分の考えやうちの客層や麺の出来への自己評価がまったく固まっていなかったので、確信的なものはつかめませんでした。

IruCaのお客様

2007-02-04 18:54:43 | Weblog
コトデンのICカードの「IruCa」を提示されると、きつねか生卵をサービスという企画を2月はやってます。

1、2日の平日の2営業日で延べ7回の提示がありました。

コトデン本社の方から聞いたところ
だいたい県内で約5万枚が利用されているらしい。
累積発行は、約8万ぐらいだったと聞いてますが、この2ヶ月間で利用されたことがあるカードが約5万枚らしい。

実際に、一日30人ぐらいの提示には耐えられる企画にしていますが、予想は、5~15人ぐらいでした。
周知は進むので増えしろはあると思うけど、続けて出されることに遠慮される方もいらっしゃって、横ばいかもしれません。

あまり遠慮しないでほしいですね。
キャンペーンの費用として、常に、数万円は引き当ててますし、広告費扱いで考えてますから、利用されずに空振りになったり、広めようとしたことの効果を測りかねることになる方がつらいといえばつらいんです。
仮に1日に100人が提示されたとしても、もともとのお客様がそんなに持っているわけないから、間違いなく、値引きやサービス分よりも利益が増えるので、嬉しく思います。

グループのお客様にチラシを渡した後、「イルカってなんじゃ!?」「コトデンの定期とかの。。。」とかの会話がものすごくよく聞こえますし、みなさん、信じられないほど、目を釘付けにして読まれます。

店内で約300枚渡して、興味を示さなかった方は、10人もいなくて、290人ぐらいは、店内でじっくり真剣に目を向けてる感じでした。
1枚ものなので、丼や箸を持ちながらも、横において目を2分ほど、じっと明らかに斜め下に落として読まれます。
ちょっと目をやって、すぐ読まなくなるような方もまずいません。
なぜか、真剣にじ~っとずっと目を向けています。
チラシってそんなに皆さんが真剣に読むとは、正直予想外でした。
予想では、1割も真剣に読んで下さればまあまあと思っていました。
うどんが伸びてもなんなので、「お食事の後にお読み下さい」と真顔で念を押すのですが、なぜか、ほとんど全員が食事中にむちゃくちゃ真面目に読んでました。

うどんジムは街頭でのビラ配りとかポスト投函もけっこう好きです。
商圏の事業所数や戸数、世帯構成なんかがなんとなくわかります。

手のふさがってる方にでも、通過直前に目の前で取りやすいように折って、「お手がふさがっているところ失礼します。」と言って渡せば、コートをかけた手の人差し指と中指を開いて取ってくれたりしました。
意図が伝わって、無理目と思ったことがうまくいったら、こんなささいなことでもちょっとはうれしかったりします。

月曜日からもうちょっと提示が増えてほしいなあ。
たまごの納入業者にも、「今月は仕入れまっせぇ!」
と宣言してますし。

「委縮」って変だな

2007-02-04 18:11:22 | Weblog
最近、新聞の見出しで

体罰の範囲明確化 教師の「委縮」を防止うんぬん。。。
と書いてあった。

新聞に代用字ってあるらしい。

「義捐」を「義援」にするのはまだわかる。
義のための「出費」が「助ける」に変わっても結果として全体の意味を大きく変えてないと思う。

「萎縮」の「萎」は「萎える」とか普通に使うし、そんなに難しい字でもないと思う。
でもねぇ。「萎えて縮む」が「委ねて縮む」になったらおかしいと思う。
これって、日本語の乱れとか一般に言われているほとんどの事例よりも個人的には変だと思う。
ほとんど日本語にケンカ売ってる。

まったく意味が違うけど、委ねて縮むって現実にあるから余計です。

自立できなく、自己決定ができないから、萎縮したり行動範囲が狭いって、親子でも国と地方でも何の関係でもあると言えばあります。

自立できる者が「委ねれば」良い協力関係やいい組織ができ、そうでない者が「委ねれば」縮んだり無責任になる。
昨今の大事件も含め、まったく意味の違うことがいろいろな示唆を生んでたりすると思います。
うどんジムが中高生なら「委」で先に覚えたら「はあ。確かに委ねたら縮むよな。」って思ったかも。
そんなんもあって妙に引っかかる。

受験ではクサカンムリとっても正解になるのかな?
そこらへんは、漢字って、学校よりも普段の新聞や読書で学ぶ量の方が多いと思うので、整合をとってほしいところです。

「理窟」が「理屈」ってのも「屈したら」変だとか思うけど、そこまで個別の字と意味の対応を求める必要はないと思うし、片方の字があまりにも日常使われてないので、まあしょうがないと思う。
あくまで個人の感覚ですが、「委縮」が突出して変だと思う。
最初、冗談かと思ったけど、まさか見出しの大文字で間違わないと思ったので、ちょっと悩みました。