前からうちのお店で募金とかしたかった。
とはいえ、お客さんにも喜ばれる方法でやりたい。
うさんくさかったり、青臭さぷんぷんてのお店でやる以上つらい。
勤め時代から
「地震とか水害とかあったときにもっと気軽に小銭を入れて募金できるところがあったらいいのに」とか思ってました。
スマトラ沖地震なんかのときは、あまたあるコンビニでも募金箱置いてやってたけど、もっといろいろあってもいいと思った。
コンビニは商店の中では比較的、無機質・無個性だから気持ちが燃えない。
とはいえ、近所のローソンではスマトラ沖地震のときに千円札が何枚か入っていた。
お釣りをそのまま入れる人もそこそこいると思う。
よくよく考えてみると、香川県も水害やら渇水やら、少雨・浅山・急流・低地が多いなどの事情で、よそのお世話になってることが多い地域だと思う。
今回の長野や九州の水害で義援活動をするのは、「相互」扶助だと思う。
募金ってのは、自分たちが生きていたり生かされていたりする関係を考える機会を与えると思う。
たとえば、途上国での災害の多くは、先進国の経済活動の結果として環境が荒れることで起こることも少なからずあるうえに、日本は世界中から資源やら商品を買って繁栄している。
そういうことを考えると、日本人は少々生活が苦しい人でも、世界中のあらゆる災害や貧困に小銭募金ぐらいしたって、バチは当たらない思う。
香川県共同募金会ってのがあるらしい。
実は、昨日はじめて名前を知りました。
http://www.kagawaken-kyobo.or.jp/
ちょっとピンと来なかったけど、豊かさの3本柱の一つは「郷土愛」だと「四国地域活性化研究会」がいっている。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/print.aspx?id=20060629000107
香川で災害が起こったときにお店の「お客様有志一同(うどんジムももちろんしますよ。)」の名前でちょっとお役に立てれば、うどんジムとしてはかなり気分がいい。
博愛からじゃなくて、自分が気分がいいからやりたい。
気分がいいことは大損してまではやらないけど、得しなくてもやりたい。
昔から、大手のみならず多くの企業が環境保護活動をやったり、企業メセナをやっている。
古くは共和制ローマの時代から選挙目的で政治家がやってたとか。
語源はマケナウスという方でなかったか?
石油や飲料メーカーなどが、広く社会のことを考える姿勢を見せて、企業イメージを高めたり、自分とこの出してる公害や環境破壊のイメージをやわらげようとしていると思う。
うどん店もチャリティーに力を入れて、業界の地位を高めるという考えはどうだろうか。
うどんめぐりの県外客も
どこのお店でもうどん店がチャリティーに力入れてたらびっくりしないだろうか?
狭い香川県において約1000店あるといううどん店はさまざまな意味で社会的インフラとしての可能性があると思う。
小さな善意をくみ上げる社会的インフラというのはどうだろうか。
「うどんジムさん。商売もそんなに安定してないのに、募金に力を入れてどうすんの?」
という声はあると思う。
商売は人生の手段だけど、チャリティーはどちらかといえば、人生の目的に属すると思う。
チャリティーの成功には、長いこと練習して出た大会で優勝するのに似た喜びがあると思う。
継続的な意志や行動の結果で手に入る成果は、お金があれば瞬間で手に入る財貨よりも爆発的な高揚感をもたらすことがある。
イチローが時間をかけた記録には意味を感じるというのとちょっと似てると思う。
お金はあらゆる目的を円滑にする存在ゆえに、手段であっても、小さな目的よりも優先する場面が多いことも否定できないと思う。
けど、そこから爆発的な喜びをもらったことが記憶にない。
そこが目的より次元で劣るところだと思う。
とはいえ、お客さんにも喜ばれる方法でやりたい。
うさんくさかったり、青臭さぷんぷんてのお店でやる以上つらい。
勤め時代から
「地震とか水害とかあったときにもっと気軽に小銭を入れて募金できるところがあったらいいのに」とか思ってました。
スマトラ沖地震なんかのときは、あまたあるコンビニでも募金箱置いてやってたけど、もっといろいろあってもいいと思った。
コンビニは商店の中では比較的、無機質・無個性だから気持ちが燃えない。
とはいえ、近所のローソンではスマトラ沖地震のときに千円札が何枚か入っていた。
お釣りをそのまま入れる人もそこそこいると思う。
よくよく考えてみると、香川県も水害やら渇水やら、少雨・浅山・急流・低地が多いなどの事情で、よそのお世話になってることが多い地域だと思う。
今回の長野や九州の水害で義援活動をするのは、「相互」扶助だと思う。
募金ってのは、自分たちが生きていたり生かされていたりする関係を考える機会を与えると思う。
たとえば、途上国での災害の多くは、先進国の経済活動の結果として環境が荒れることで起こることも少なからずあるうえに、日本は世界中から資源やら商品を買って繁栄している。
そういうことを考えると、日本人は少々生活が苦しい人でも、世界中のあらゆる災害や貧困に小銭募金ぐらいしたって、バチは当たらない思う。
香川県共同募金会ってのがあるらしい。
実は、昨日はじめて名前を知りました。
http://www.kagawaken-kyobo.or.jp/
ちょっとピンと来なかったけど、豊かさの3本柱の一つは「郷土愛」だと「四国地域活性化研究会」がいっている。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/print.aspx?id=20060629000107
香川で災害が起こったときにお店の「お客様有志一同(うどんジムももちろんしますよ。)」の名前でちょっとお役に立てれば、うどんジムとしてはかなり気分がいい。
博愛からじゃなくて、自分が気分がいいからやりたい。
気分がいいことは大損してまではやらないけど、得しなくてもやりたい。
昔から、大手のみならず多くの企業が環境保護活動をやったり、企業メセナをやっている。
古くは共和制ローマの時代から選挙目的で政治家がやってたとか。
語源はマケナウスという方でなかったか?
石油や飲料メーカーなどが、広く社会のことを考える姿勢を見せて、企業イメージを高めたり、自分とこの出してる公害や環境破壊のイメージをやわらげようとしていると思う。
うどん店もチャリティーに力を入れて、業界の地位を高めるという考えはどうだろうか。
うどんめぐりの県外客も
どこのお店でもうどん店がチャリティーに力入れてたらびっくりしないだろうか?
狭い香川県において約1000店あるといううどん店はさまざまな意味で社会的インフラとしての可能性があると思う。
小さな善意をくみ上げる社会的インフラというのはどうだろうか。
「うどんジムさん。商売もそんなに安定してないのに、募金に力を入れてどうすんの?」
という声はあると思う。
商売は人生の手段だけど、チャリティーはどちらかといえば、人生の目的に属すると思う。
チャリティーの成功には、長いこと練習して出た大会で優勝するのに似た喜びがあると思う。
継続的な意志や行動の結果で手に入る成果は、お金があれば瞬間で手に入る財貨よりも爆発的な高揚感をもたらすことがある。
イチローが時間をかけた記録には意味を感じるというのとちょっと似てると思う。
お金はあらゆる目的を円滑にする存在ゆえに、手段であっても、小さな目的よりも優先する場面が多いことも否定できないと思う。
けど、そこから爆発的な喜びをもらったことが記憶にない。
そこが目的より次元で劣るところだと思う。