1945年8月6日8時15分。
一発の原子爆弾が、一瞬にして広島の街を焼き尽くしました。
2005年の戦後60年。広島は、戦後何を土台に歩んできたのか──学生時代に、このテーマを持って広島の地を訪れました。
当時から「被爆体験を聞くことができる最後の世代」と言われていました。被爆体験を語ってくださる方々が高齢となり、「次世代のために」と新たに被爆者の方々が口を開いてくださった年でもありました。
広島は何を土台に歩んできたのか──被爆者の方々にうかがってみると、異口同音に「戦争だけは絶対にいけない」「核兵器は人類の歴史で私たちを最後にしてほしい」ということが語られました。
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核兵器は「必要悪」ということを念頭に、広島市長の平和宣言では「絶対悪」という言葉で核兵器が語られました。
「1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。
辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭い、心身に負った深い傷は今なお消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです」
核兵器廃絶に向けて、被爆国日本が発揮すべき役割は世界のどの国よりも大きいものがあり、重責です。被爆者の方々と向き合い、被爆地と向き合うことが求められています。
私は、家族とともにその時を迎え、黙祷をしました。
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