霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

3.11の時

2021-03-31 15:06:12 | 地磁気観測の思い出

先頃、3.11の壮絶なドキュメンタリー映画『Fukushima50』がテレビで放映されました。これに比べたら本当に些細に見えますが、10年前の同じ日に地磁気観測にも大きな危機が訪れていました。


震度6弱の長い揺れで観測室や事務室の屋根瓦がバラバラと落ちてきて機器のことよりも課員の安全が心配になりました。間もなく停電になり発動発電機(発々)が自動で立ち上がりました。

揺れが収まったところで構内に点在している数多くの観測装置の点検と状況把握に手分けして向かいました。検出器の転倒や停止、傾いたりズレたりなど全てに大きな影響を受けている悲惨な状況でした。まずは優先順位を決めて復旧作業に着手しました。


検出器の調整や修理、較正観測(正確な基準値を決めるための精密観測)の頻繁な実施、この較正観測の機器自体も落ちたりズレたりしてしまったので天測による補正が必須となり直ぐに天気の良い夜に実施されました。副準器や予備器から得られた途切れ途切れのデータの妥当性の検証と観測値の補正補充などが建物などの復旧作業と並行して進められました。

写真はこの日の公表されている地磁気記録ですが平常時と何ら変わりの無いプロットに見えます。でもここには当時の観測所全員の苦労が詰まっています。


さらに緊急課題となったのは、当時の測器はほとんどが電子機器となっていたので電源供給がストップしてしまえば観測からデータ処理まで何もできなくなってしまうことです。復電の見通しが全く立たず停電が長期化していたので何としても頼りの発々を維持しなければならなくなりました。

元々発電容量が小さくて観測装置への供給で精一杯なうえ老朽化も進んでいたので動作不安定にならぬように負荷を少なくするため、最小限必要な機器を選びそれ以外の接続を外しました。


これまで停電は雷時以外に経験はなく、連続運転も動作点検時の1時間程だけでしたから長期稼働によるトラブルの発生も不安材料でした。でも何よりも燃料切れが問題でした。燃料(軽油)は予備も含めて50㍑しかなく、毎時3~4㍑消費するのであと半日しか持ちません。平時ならガソリンスタンドですぐに購入できるのですがスタンドも停電で給油できず、あちこち問い合わせても調達困難で困り果てていた中、本当に幸いなことに職員の知り合いの農家が農機具の燃料に保管していた軽油ドラム缶一本を貸してくれるということで首の皮が繋がりホッとしました。


停電は53時間に及びましたが発々は止まることなく動いてくれました。同様の危機に見舞われた他の気象官署と共に、その年の第一次補正予算が付いて発々は翌年更新され、この発々はその役目を終えました。私も同じくして定年を迎えました。

1897年(明治30年)以来途切れることなく続けられてきた日本の地磁気の連続観測を途切れさせることなくこの危機を乗り越えられたことは本当に幸運でした。