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気まぐれ五線紙 K-pop

 My Favorite CD Collection ( 284 Artists )

How do you do?

8888-01-31 | How do you do?
 

むかし話
2005年、K-pop元年
Bugs様々、でも、いまはMnet、そしてDaumMusicに
K-popの知識の原点、「K GENERATION K-POPのすべて」

《 2005年12月6日スタート 》


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K-popの知識の原点、「K GENERATION K-POPのすべて」

2005-12-14 | How do you do?


私のK-popの知識の原点は、古家正亨さんの「K GENERATION K-POPのすべて」である。
この本をイ・ジョンヒョン絡みで知って、2005年6月に入手している。

つまり、私のK-popの基礎知識は古家正亨さんから教わったことになる。
当時、この本をいっきに読んだあと、この本の中にある「DJ古家がセレクトする絶対お勧めのK-POP1100」に登場しているアーティストの中で、気になるアーチストを一人ずつBugsさんで聴いてチェックしていったのである。
そして気に入ったアーティストのCDを「BUNKAKOREA」で注文したという訳だ。

この本はいまでも、K-popの入門書、K-popの歴史書として、お勧めの一冊だと思う。



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「K GENERATION K-POPのすべて」 (著)古家 正亨




古家 正亨(ふるや まさゆき) 北海道北見市出身 1974年5月22日生れ

FM North Wave 古家正亨
KONET 古家正亨プロフィール


Bugs様々、でも、いまはMnet、そしてDaumに

2005-12-13 | How do you do?
ある日、イ・ジョンヒョンを探し求めてインターネットをうろついていると、「Bugs」というサイトにたどりついた。

このサイトはすごい。いや、正確には、当時はほんとうにすごかった。つまり、2005年の頃のお話だ。

何がすごかったかと言えば、今では考えられないが、この頃のBugsさんはアルバムの収録曲すべての曲が一曲丸ごと聴けた。音もいい。PV(MV)の方はさすがに映像の容量の分(速度の関係で)、音質を落としていたが、音だけの方はCDとまったく同じではないかと思うほどいい音だった。早い話がPCの前に居る限りCDがいらないということになっていた。

しかし、残念ながら、2005年の秋頃だったと思うが、徐々に現在のように1分のみの試聴になっていき、すべての曲が1分の試聴となってしまった。まあ、いま考えると当然の話なんだが。
ところで、この試聴時間、世の中の一般的な話として、せめて2分にして欲しい(いや、1分半でもいいが(笑))、1分では購入の判断が出来ない曲もある(真剣)。

で、現在も、Bugsさんには試聴はさせてはもらってはいるが、最近はMnetの方がレスポンスもよく(音もMnetの方がいいように思う)、使いやすく、またデータが見やすく(正規版とそれ以外の区別など)、Mnet独自の映像も多く、今では試聴メインサイトはMnetに替わってきている。ただし、Mnetの試聴時間は45秒だ。

さらに、ごく最近の試聴は、MnetからDaumMusicへと変わってきた。Mnetはいまもデータは見やすく、信頼性もあるのだが、レスポンス・作業性が悪くなり、なにより、Mcountdownなどの映像が、ついでに、安易に、観れていたのだが、すべて有料となってしまった(金額の問題でなく、何かと面倒である)。対して、DaumMusicの方はなにかと使い勝手もよく、情報量もMnetと比べ遜色が無く、コメント・画像などは、むしろMnetよりいい。なにより、試聴時間が1分である。

話はBugsさん戻すが、いやぁ、とにかく、Bugsさんには本当にお世話になりました。2005年の当時、このBugsさんが無ければ、あの短期間に多くのCDを買いあさることなど到底できなかったと思う。つまり、Bugsさんのおかげで、自分が欲しいと思うCDだけを購入することができたし、また、PVを見させてもらうことで、そのアーティストがどんな人なのかも知ることができ、大変たすかった。言葉が使えたら注文もさせてもらえたかも知れないのだが、利用するだけで、まことに申し訳なく思っている。

Bugs様、ほんとうにありがとうございました。


2005年、K-pop元年

2005-12-07 | How do you do?
2005年、この年がK-popな日々の始まりであった。

この年、週に2本ほど家内と観ていたレンタルDVDの映画のほとんどが韓国のものになってしまっていた。
私の韓国映画の原点は、かなり前にテレビで観た「八月のクリスマス」である。それを初めて観た時、なんだか不思議なタッチの映画に感じた。その時は、それが「八月のクリスマス」であることもよく分からないまま観たが、深く記憶にだけは残った。2005年の初め頃、改めて観なおしてみて、やはりこの映画が私の韓国映画の原点であることを再確認した。この頃の韓国映画ってなんだかいい。最近の韓国映画に無いものが有る。
家内の方はドラマ派で、私もドラマが嫌いというわけではなかったが、ドラマは費やす時間が長過ぎる。観だすとやはり最後まで観てしまうので、他の事が出来なくなってしまうのである。なので、できるだけ観ないようにはしていたのだが、いまではドップリと漬かってしまっている(笑)。

そのドラマ、私も、ご多分に洩れず「冬のソナタ」から入ってしまっている(いやぁ、この時はハマってしまった)。
そして、「美しき日々」へと続き、ここにイ・ジョンヒョンが登場してくる。当時、このイ・ジョンヒョン扮するキム・セナには、とくに何の興味も持たなかった。つまりは、この時、イ・ジョンヒョンに対しても、まったく興味は無かった。のだが、なぜか彼女の2集をなんとなく買ってしまっている。なぜ、彼女の2集を手にすることになったのかは思いださない。(なぜ、2集なのかは、ただCDショップの店頭に、それが有ったからだったと記憶している)
この、彼女の2集をなんとなく買ってしまったことがK-popの世界へ通じる道を歩みだすきっかけとなった。そして、その2集を聴いてからは、すっかりジョンヒョンワールドに引き込まれ、あっという間にイ・ジョンヒョンのCD、情報を集めることにやっきになってしまっていた。
いやぁ、全集揃えるのにはけっこう苦労した。韓国では早くに廃盤になってしまう。廃盤になると入手することはほとんど難しく、結局、何枚かはオークションで韓国の人から入手した。

そして、これも何がきっかけであったのか、いまではよく思い出せないのだが、おそらくはイ・ジョンヒョンを探してインターネットをさまよっている時だろうと思うが、ふと韓国のアイドルグループBabyV.O.Xに目が止まってしまったようだ。
この時がジョンヒョンワールドからK-popの世界への入口の扉を開き、通り抜けた時であったようである。
それからは多くのアーティスト、グループ、さまざまなジャンルの曲に興味を抱き、K-popの本を買ってきて勉強してみたり(古家正亨さんの「K GENERATION K-POPのすべて」)、ネット上からのいろいろな情報をかき集めたり、彼らのCDを探し求め買いあさる日々となってしまったのである。

最初はどうやって韓国のCDを買ったらいいのかも分からなかったし、ネットで購入することができることが分かった後も、ネットでの購入は大丈夫かと不安も感じた。
で、はじめ、ネット上にあるたくさんのサイト(ショップ)10サイトほどの中から6サイトほどを絞り込んで順次試しに買っていき、ショップの対応などをチェックしてみた。
この頃は1990年代のリリースにまで遡って買いあさっていたため、このニーズ応えてくれ、一番お世話になったのがBUNKAKOREAさんであった。で、この頃、2005年と2006年の購入先ショップのメインはそのBUNKAKOREAさんで、時折りinnolifeさんにもお願いしていた。
だが、購入対象のほとんどが新譜となり、また数も多くなってくると価格のことも気になり、2007年に入って再度ショップを見直し、価格、信頼性、レスポンスなどでKSTARMALLさんが次第に増えていくことになり、いまではほぼ100%がKSTARMALLさんでの購入となっている。また、KSTARMALLさんとは、韓国語によるメールのやり取りもやらせてもらっている(勉強がてら)。

韓国の映画、そしてドラマに興味を持ち、DVDを借り始めたのが2004年、それから少し遅れイ・ジョンヒョンを知り、2005年にアイドルグループBabyV.O.XからK-popの世界に入って今年で5年目となった(2009年修正追記)。
2005年の頃は、1990年代のCDも探し求め、またインターネットによりその頃の情報も見聞きすることができ、実際の時間の流れはまだ5年足らずなんだが、なんだか10数年前からの韓国歌謡界を見てきたような錯覚に陥り、最近では古い音楽シーンに愛着すら感じる。

そして現在、次のステップは、言葉の壁だ。諦めずに続けてはいるが、はたして間に合うだろうか(笑)。


むかし話

2005-12-06 | How do you do?
はじめて「音楽」に出合ったのが中学2年の春もすっかり過ぎてた頃だった。
それまでは「音楽」に出合ったことは無かったのである。つまりそれまでの出会いは、学校で教えられる音学、いわゆる古典派以降のクラッシク、そしてテレビから聞こえる歌謡曲で、そのどれもが興味の対象とはならなかった。興味の対象云々どころか、この時は私は音楽は嫌いであると思っていた。

そんな私に、ある日、ある人(兄貴代わりの家庭教師で下宿人)がジャズのレコードを聴かせてくれた(昔の話しだから当然レコードである)。これが私にとって、初めての音楽との出合いであった。曲は「Softly, As In A Morning Sunrise」、演奏していたのはもちろん名前も知らない日本のジャズプレーヤーであった(名前はその時見たのだが記憶に無い)。2本のクラリネットが左右から聴こえてき、初めてジャズを聴いたのである。この時の感激は40数年経った今でも忘れていない。それ以来だ、音楽が好きになったのは。(正確にはスイングジャズだが)

そして、この家庭教師兼下宿人の人がクラリネットを吹いていて、古い方のアルバート式のクラリネットを私にくれた。(今の普通のクラリネットはボエム式)
で、その1年後、小遣いをためて自分のクラリネットを買った。今、その会社が在るのかどうかは知らないが、アメリカのブッシャーというメーカーのものだった。
あの頃は勉強もしないで一日中吹いていた。高校時代には吹奏楽部の5人に無理やり頼んでスイングバンドをつくった。鈴木章二のコピーである。舞台に三日立つとやめられないと言うが、田舎の高校の文化祭の時の体育館でのステージではあったが、それが分るような気もした。この時、世の中はエレキバンド全盛の時代だ。古い話しだ。
あの頃、管楽器であれば、ほとんどの楽器で歌謡曲ぐらいは吹けたものだ。楽しい時期ではあった。

ある日、今は亡くなった姉がモダンジャズのレコードを買ってきてくれた。レコードと言っても当時は存在したソノシートというペラペラのレコードである。どうして彼女がそのレコードを買ってきてくれたかは、今もよく分からないが、それがソニーロリンズやチャリーパーカー達との出会だった。これは、今まで聴いていたスイングジャズとはまったく違うコード進行との出会いとなった。またもや新しい世界に入ってしまったのである。二度目のショックであった。
私はジャズは、やはり40年代のフォービートのものがいい。いわゆるビバップだ。
しかし、一方でその後聴くことになるネイティブサンというグループがつくり出す8ビートの単純なコード進行上のアドリブもたまらなく好きだ。

それから、出会いの時をあまり鮮明に覚えていないのだが、20歳も幾つか越えていた頃と思うが、バッハの旋律と和音進行に出会ってしまい、バロックの世界にも包まれてしまった。たしか、バロック音楽の即興演奏という言葉に興味を持ったのがきっかけだったと思う。
じつはモダンジャズのレコードよりバロック音楽のレコードの枚数の方が断然多い。この頃がいちばんレコードを買いあさった時期でもあった。
私はモーツアルト以降の、いわゆるクラッシックにはあまり興味が無い。私はいわゆるクラシック(古典派以降の音楽)とバロックとは別なものと考え、区別している。

話しは逸れるが、その頃すべてのレコードは一度カセットテープに録って、テープで聴くことにしていた。なので、今有るほとんどのレコードは針を落とした回数が1回か多くて3回程度のものばかりだ。つまり、レコードはけっこう大事にしていたものだ。
そのレコード達も、ありがたいことに、今はデジタル化することができ、CDと同様にパソコンで聴くことができるようになった。大事に置いておいて良かったと思う。

この頃に前後して、会社の後輩から小椋佳とアイドル岩崎宏美を教えてもらい、これをきっかけに、シンガーソングライターをメインに、いわゆるフォークの世界、そして歌の世界へも目が行くようなる。
そして、同じ頃だ、今でも忘れない、FMから聞こえて来た「青信号」、そう、山崎ハコ。今聴けば暗いとは思うが、その頃めちゃくちゃはまりこんでしまった、好きだった。(今も嫌いなわけではない)大阪周辺の可能な限りのコンサートは行った。大阪難波のレコード店で、目の前2mぐらいで逢った時はドキドキしたものだ。彼女のレコードで、当時発売されていたものはすべてコレクションした。今もすべて持っている。
彼女、当時は身体が弱く(今もかも知れないが)、心配したものだ。彼女には今も会いたいと思うが、ネットを見ると、今もがんばって活動いるようだ。
ところで、私は、山崎ハコや小椋佳がつくり出すものは「歌」でなく「唄」だと思って区別するのだが、この違いを分ってくれるだろうか(笑)。

で、この後しばらくして結婚し、家族のこと、仕事のことなどで音楽生活はブランクに入ってしまった。