はじめて「音楽」に出合ったのが中学2年の春もすっかり過ぎてた頃だった。
それまでは「音楽」に出合ったことは無かったのである。つまりそれまでの出会いは、学校で教えられる音学、いわゆる古典派以降のクラッシク、そしてテレビから聞こえる歌謡曲で、そのどれもが興味の対象とはならなかった。興味の対象云々どころか、この時は私は音楽は嫌いであると思っていた。
そんな私に、ある日、ある人(兄貴代わりの家庭教師で下宿人)がジャズのレコードを聴かせてくれた(昔の話しだから当然レコードである)。これが私にとって、初めての音楽との出合いであった。曲は「Softly, As In A Morning Sunrise」、演奏していたのはもちろん名前も知らない日本のジャズプレーヤーであった(名前はその時見たのだが記憶に無い)。2本のクラリネットが左右から聴こえてき、初めてジャズを聴いたのである。この時の感激は40数年経った今でも忘れていない。それ以来だ、音楽が好きになったのは。(正確にはスイングジャズだが)
そして、この家庭教師兼下宿人の人がクラリネットを吹いていて、古い方のアルバート式のクラリネットを私にくれた。(今の普通のクラリネットはボエム式)
で、その1年後、小遣いをためて自分のクラリネットを買った。今、その会社が在るのかどうかは知らないが、アメリカのブッシャーというメーカーのものだった。
あの頃は勉強もしないで一日中吹いていた。高校時代には吹奏楽部の5人に無理やり頼んでスイングバンドをつくった。鈴木章二のコピーである。舞台に三日立つとやめられないと言うが、田舎の高校の文化祭の時の体育館でのステージではあったが、それが分るような気もした。この時、世の中はエレキバンド全盛の時代だ。古い話しだ。
あの頃、管楽器であれば、ほとんどの楽器で歌謡曲ぐらいは吹けたものだ。楽しい時期ではあった。
ある日、今は亡くなった姉がモダンジャズのレコードを買ってきてくれた。レコードと言っても当時は存在したソノシートというペラペラのレコードである。どうして彼女がそのレコードを買ってきてくれたかは、今もよく分からないが、それがソニーロリンズやチャリーパーカー達との出会だった。これは、今まで聴いていたスイングジャズとはまったく違うコード進行との出会いとなった。またもや新しい世界に入ってしまったのである。二度目のショックであった。
私はジャズは、やはり40年代のフォービートのものがいい。いわゆるビバップだ。
しかし、一方でその後聴くことになるネイティブサンというグループがつくり出す8ビートの単純なコード進行上のアドリブもたまらなく好きだ。
それから、出会いの時をあまり鮮明に覚えていないのだが、20歳も幾つか越えていた頃と思うが、バッハの旋律と和音進行に出会ってしまい、バロックの世界にも包まれてしまった。たしか、バロック音楽の即興演奏という言葉に興味を持ったのがきっかけだったと思う。
じつはモダンジャズのレコードよりバロック音楽のレコードの枚数の方が断然多い。この頃がいちばんレコードを買いあさった時期でもあった。
私はモーツアルト以降の、いわゆるクラッシックにはあまり興味が無い。私はいわゆるクラシック(古典派以降の音楽)とバロックとは別なものと考え、区別している。
話しは逸れるが、その頃すべてのレコードは一度カセットテープに録って、テープで聴くことにしていた。なので、今有るほとんどのレコードは針を落とした回数が1回か多くて3回程度のものばかりだ。つまり、レコードはけっこう大事にしていたものだ。
そのレコード達も、ありがたいことに、今はデジタル化することができ、CDと同様にパソコンで聴くことができるようになった。大事に置いておいて良かったと思う。
この頃に前後して、会社の後輩から小椋佳とアイドル岩崎宏美を教えてもらい、これをきっかけに、シンガーソングライターをメインに、いわゆるフォークの世界、そして歌の世界へも目が行くようなる。
そして、同じ頃だ、今でも忘れない、FMから聞こえて来た「青信号」、そう、山崎ハコ。今聴けば暗いとは思うが、その頃めちゃくちゃはまりこんでしまった、好きだった。(今も嫌いなわけではない)大阪周辺の可能な限りのコンサートは行った。大阪難波のレコード店で、目の前2mぐらいで逢った時はドキドキしたものだ。彼女のレコードで、当時発売されていたものはすべてコレクションした。今もすべて持っている。
彼女、当時は身体が弱く(今もかも知れないが)、心配したものだ。彼女には今も会いたいと思うが、ネットを見ると、今もがんばって活動いるようだ。
ところで、私は、山崎ハコや小椋佳がつくり出すものは「歌」でなく「唄」だと思って区別するのだが、この違いを分ってくれるだろうか(笑)。
で、この後しばらくして結婚し、家族のこと、仕事のことなどで音楽生活はブランクに入ってしまった。
それまでは「音楽」に出合ったことは無かったのである。つまりそれまでの出会いは、学校で教えられる音学、いわゆる古典派以降のクラッシク、そしてテレビから聞こえる歌謡曲で、そのどれもが興味の対象とはならなかった。興味の対象云々どころか、この時は私は音楽は嫌いであると思っていた。
そんな私に、ある日、ある人(兄貴代わりの家庭教師で下宿人)がジャズのレコードを聴かせてくれた(昔の話しだから当然レコードである)。これが私にとって、初めての音楽との出合いであった。曲は「Softly, As In A Morning Sunrise」、演奏していたのはもちろん名前も知らない日本のジャズプレーヤーであった(名前はその時見たのだが記憶に無い)。2本のクラリネットが左右から聴こえてき、初めてジャズを聴いたのである。この時の感激は40数年経った今でも忘れていない。それ以来だ、音楽が好きになったのは。(正確にはスイングジャズだが)
そして、この家庭教師兼下宿人の人がクラリネットを吹いていて、古い方のアルバート式のクラリネットを私にくれた。(今の普通のクラリネットはボエム式)
で、その1年後、小遣いをためて自分のクラリネットを買った。今、その会社が在るのかどうかは知らないが、アメリカのブッシャーというメーカーのものだった。
あの頃は勉強もしないで一日中吹いていた。高校時代には吹奏楽部の5人に無理やり頼んでスイングバンドをつくった。鈴木章二のコピーである。舞台に三日立つとやめられないと言うが、田舎の高校の文化祭の時の体育館でのステージではあったが、それが分るような気もした。この時、世の中はエレキバンド全盛の時代だ。古い話しだ。
あの頃、管楽器であれば、ほとんどの楽器で歌謡曲ぐらいは吹けたものだ。楽しい時期ではあった。
ある日、今は亡くなった姉がモダンジャズのレコードを買ってきてくれた。レコードと言っても当時は存在したソノシートというペラペラのレコードである。どうして彼女がそのレコードを買ってきてくれたかは、今もよく分からないが、それがソニーロリンズやチャリーパーカー達との出会だった。これは、今まで聴いていたスイングジャズとはまったく違うコード進行との出会いとなった。またもや新しい世界に入ってしまったのである。二度目のショックであった。
私はジャズは、やはり40年代のフォービートのものがいい。いわゆるビバップだ。
しかし、一方でその後聴くことになるネイティブサンというグループがつくり出す8ビートの単純なコード進行上のアドリブもたまらなく好きだ。
それから、出会いの時をあまり鮮明に覚えていないのだが、20歳も幾つか越えていた頃と思うが、バッハの旋律と和音進行に出会ってしまい、バロックの世界にも包まれてしまった。たしか、バロック音楽の即興演奏という言葉に興味を持ったのがきっかけだったと思う。
じつはモダンジャズのレコードよりバロック音楽のレコードの枚数の方が断然多い。この頃がいちばんレコードを買いあさった時期でもあった。
私はモーツアルト以降の、いわゆるクラッシックにはあまり興味が無い。私はいわゆるクラシック(古典派以降の音楽)とバロックとは別なものと考え、区別している。
話しは逸れるが、その頃すべてのレコードは一度カセットテープに録って、テープで聴くことにしていた。なので、今有るほとんどのレコードは針を落とした回数が1回か多くて3回程度のものばかりだ。つまり、レコードはけっこう大事にしていたものだ。
そのレコード達も、ありがたいことに、今はデジタル化することができ、CDと同様にパソコンで聴くことができるようになった。大事に置いておいて良かったと思う。
この頃に前後して、会社の後輩から小椋佳とアイドル岩崎宏美を教えてもらい、これをきっかけに、シンガーソングライターをメインに、いわゆるフォークの世界、そして歌の世界へも目が行くようなる。
そして、同じ頃だ、今でも忘れない、FMから聞こえて来た「青信号」、そう、山崎ハコ。今聴けば暗いとは思うが、その頃めちゃくちゃはまりこんでしまった、好きだった。(今も嫌いなわけではない)大阪周辺の可能な限りのコンサートは行った。大阪難波のレコード店で、目の前2mぐらいで逢った時はドキドキしたものだ。彼女のレコードで、当時発売されていたものはすべてコレクションした。今もすべて持っている。
彼女、当時は身体が弱く(今もかも知れないが)、心配したものだ。彼女には今も会いたいと思うが、ネットを見ると、今もがんばって活動いるようだ。
ところで、私は、山崎ハコや小椋佳がつくり出すものは「歌」でなく「唄」だと思って区別するのだが、この違いを分ってくれるだろうか(笑)。
で、この後しばらくして結婚し、家族のこと、仕事のことなどで音楽生活はブランクに入ってしまった。