飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

魂の法則・・・その⑤ 進化の構図

2013-06-05 11:02:46 | 魂の法則

魂の由来・人間の魂の由来・・・
そして、植物・動物の関係・・・
進化した魂は肉食を好まない?!
面白い! しかし、納得・・!
不断に進化する魂・・・人間にも多段階がある・・・?!


 さて、今回は本は本として、人間の素晴らしい一面を動画で見て頂こう・・・。

Good people / Мир не без добрых людей...


There is still good people in the world!




 思いを共感出来なきゃァ、人間ではない。と言うことは、ある面真理である。そういう人々が、巷にはあふれている。決して、報いを求めない、已むに已まれる行動が人間にはある。

 やっぱり、人間は素晴らしい! では、「魂の法則」その⑤をどうぞ! 


 

 

 

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題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理
知的財産権登録番号 V-2095-08 (Valencia, España)
Copyright © 2008 Vicent Guillem Primo
Japanese Translation Copyright © 2013 Mari Kosaka
ホームページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/
日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es
メールアドレス:tamashiinohousoku@gmail.com

 

Photohttp://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.es_ES

 

「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.
本書に修正を加えず営利目的にしない条件で、現在利用可能な全ての媒体によって、本書全体またはその一部の複製を許可するものとする。

 

【本文転載開始】

進化の構図


*輪廻転生の話題に戻りますが、僕たちが他の世を経験したことがあって、物理的生への誕生が始まりでないとするのなら、魂の始まりは、もしそれがあるとすれば、何なのでしょうか。

 魂がいつ創造されるのかは分からない。実際のところ、「生命の火花」となる「魂の素」が創られるのだ。

 原初「生命の火花」は、その後何百万年にもわたって、自己の進化レベルに見合う物質形態に結びつく経験を通して改善してゆくプロセスを体験する。

*「自己の進化レベルに見合う物質形態に結びつく」というのが何を意味するのか分かりません。もう少し教えていただけますか。

 転生のことを指しているのだ。「原始魂の素」が充分に進化して、それよりずっと高度なものになると、それを魂と呼んでいる。

 魂は、体という物質形態に結びついて、その経験から学んでゆく。原初の段階では、「原始魂の素」は、より単純な物質形態に結びつく。

 最初の形態は鉱物(第一段階)であり、次に植物(第二段階)、それから動物(第三段階)に、そして更に進むと人間の段階の魂(第四段階)となるのだが、それぞれの物理的な経験において学習するのだ。

 学んだことは永久に魂に蓄えられるので、新しく転生する際には、おびただしい前世の経験を総合して得られた知識を携える。

*前世では僕たちが動物だったこともあり、もっと遡れば石に生まれたこともあるのですか。

 初期の段階では各存在の個別性というものが人間の段階ほどには明確でないので、そう言い切ってしまうのは正確ではないが、大体そういうことになる。個別性というのは、序々に獲得されるものなのだ。

*どういう意味ですか。

 つまり、その段階では、「生命の火花」が独立した魂だとも、石が鉱物界で独自性を持つとも考えられないので、君の魂が石に転生していたというのは正確ではない、ということだ。石を二つか三つのかけらに割ってしまったとしたら、「生命の火花」はどうなってしまうだろうか? 分割されてしまうだろうか? そんなことはない。

 しかし、犬の個別性の度合いは遥かに進んだものなので、「魂の原型」が犬に転生している、と言うことはできる。

*なぜ、「魂の原型」と呼ぶのですか。

 ここでは、人間の段階にいる魂と区別するためにそう呼んだのだ。これは人間の魂以前の段階で、独自性はかなり高いもののまだ自由意志を持たない、高度な哺乳類に宿る魂に相当する。

*そのような連続的な転生プログラムのようなもので、何を成し遂げようとするのですか。

 魂の存在が、知識においても感情においても進歩し、叡智と愛において成長することだ。

*どこまで? つまり、僕たちが到達できる限界の上限はありますか。

 段階的な進化を通して到達できる限界の上限は、神の能力だ。だが神の能力は無限なので、限界はない、という結論に行き着こう。それは、絶え間ない永遠の進化のプロセスだ。

 でももし君が物理的な転生の過程に言及しているのだったら、魂が進化してゆくに従って段々と転生と転生の間が空くようになり、転生しない期間が増えていく。そしてついに魂は、進化のために物質界で転生を繰り返す必要のない段階に達して、より精妙な存在次元で進化を続けるようになる。

 そうなると、まだその上に二段階あるのだが、第五段階に入ることになる。だが、地球の人類がこの段階に達するにはまだかなりの時間がかかるので、今そのことについて話をする意味はない。

*繰り返すことになるかもしれませんが、前より更に詳しく答えていただけるかもしれないので、同じ質問をします。魂に始まりがあるのなら、終わりもあるのですか。つまり、魂は死ぬことがあるのでしょうか。

 魂が死ぬなどあり得ない。魂が進化しようと大変な努力を払って、自己の一番高い進化段階に達した後で無に帰すのだとしたら、矛盾するだろう。

一つはっきりさせておこう。魂は不死だ。進化するために宿ったそれぞれの体が死ぬだけだ。

*でも、もし魂が高度に進化して神に近づいたとしたら、神と融合することがあるのではありませんか。

 魂は進化すると神に近づくが、個性を失うことは死ぬに等しいことなので、神と融合して個別性を失うということはない。むしろ、その魂の意志が益々創造主の意志に近づき、自発的に神聖なる計画の一部となるのだ。

*魂の進化の工程を総括的に理解できるような、全般的な見解や例を示していただけますか。

 いいだろう。魂の個々の進化は、人生における人間の進歩と似ている。生まれたばかりの赤ちゃんは自分では、生物的にプログラムされた方法で、有機的生命の維持に欠かせない機能を発達させるに過ぎない。自己決定の能力はなく、生き延びるためには両親に完全に依存している。

 子どもは成長するにつれ、序々に自立してゆき、次第に両親に依存しなくなってゆく。そして思春期になると、各人は益々、自分自身で探求することの必要性や、決断を下すに当たって自由で自立できていることの必要性に気づくようになる。そこで、多くの場合、両親と対立することとなる。

 両親が、年の功から助言しようとしても、若者には人生への干渉に思え、多くの場合、忠告にも関わらず、間違った決定を下してしまう。しかし、苦しむことになったとしても自分自身で体験することが必要なのだ。

 経験を積み、自分自身の決断がもらたした結果から学ぶにつれて成熟してゆき、両親から完全に独立できる大人の段階に達するのだ。
霊的進化の過程は、子どもが大人になるのと似ている。

 最初、「原始魂の素」は、より進歩した他の魂の存在に完全に依存しており、進化も彼らに誘導されている。この段階での転生は、魂が経験を積んで、知力や感情などの特定の能力を開発させるために役立ち、将来、自己の意志を発達させる土台となる。

 それは、小さな子どもにとって、まだ自分では重要な決断ができないにしろ、成長して話したり歩いたりするのを学ぶために、周辺の世界との相互交流が必要なのと同じだ。

 魂の存在が進化するにつれて、自分で決断を下せるようになり、ある程度の自立性が獲得される。そして魂が充分に成熟すると、自己の運命を決める能力たる、自由意志を獲得する。要は、独立を確立し、自己の進化に関する決定を、自分で下せるようになるのだ。

 この時点では保護者役の魂たちは、ある種の行動がもたらす危険性に関して忠告したり警告したりする両親と、同様の役目を果たす。だが彼らは強制はせず、各魂が自分の道を選び、何回でも失敗しながら体験から学んでいくことを容認するし、体験を通して自己の進化の方向を修正するか否かを決めるのも魂自身であることを許容している。

*これで幾つかの疑問が晴れましたが、初期の「生命の火花」の段階や、鉱物・植物・動物界での転生が、まだ理解できません。これらの時期に、学ばなくてはならないこととは何でしょう。「原始魂の素」・「生命の火花」・「魂の原型」などとあなたが呼んでいるものは、自分のしていることを自覚していないように思えるのですか。

 進化の初期的な段階に転生する魂の存在が、生まれたての赤ん坊のように自分自身の存在すら自覚できなくとも、学習が妨げられることはない。学んだ事は魂に永久に記憶されるので、魂がもっと進化を遂げるまでは無自覚ではあるものの、新しい転生を始める時には、それまでの前世と転生間の期間との総体から得られた全ての知識を携えるので、ゼロからのスタートとはならないのだ。

 初期段階での霊的な進化は、種の進化の過程を見れば理解できよう。君たち自身が、生命の起源というものを何十億年前に位置づけており、初めに地球に単細胞生物が誕生して、それが次第に複雑化していって、植物界と動物界という最初の区分ができたとしている。そして次に、植物界も動物界も、生命形態は単純なものから多様化・複雑化して次第に数を増やしながら進化した。

 例えば、動物界は、初期の単細胞から多細胞へと変化した。時間が経つと脊椎動物が現れ、その中に魚類がいた。魚類から両生類が、両生類からは爬虫類が進化し、爬虫類からは鳥類が、鳥類からは哺乳類が、何百万年という時間をかけて進化した。

 その後、最も進化した哺乳類から原人が誕生し、そこから原始人が次々と生まれ出て、ホモ・ハビルスからネアンデルタール人・クロマニョン人の段階を経て、そのつど頭蓋骨の容量を増やしながら、現在のホモ・サピエンスに至ったのだ。

 実は、こうした物理次元での進化の過程は、全て霊界側から誘導されたもので、進化する魂が、向上しつつある能力を発展させるためにふさわしい物理的な受け皿を見い出せるようにするためである。魂の成長のためには、最も単純なものから最も進化したものまで、物質界の全ての形態を体験する必要があるからだ。

 より適切な物的な乗り物を魂に供給する必要がある時に、更に進化した種を物質界に顕現させるのは、進化した霊的な存在たちなのだ。それにより初期の魂は、学習を継続することが可能となる。新しい種は、既存のものを改変することで生まれ、魂が次の種へと移行する過程が、急激ではなく緩やかになるように計らわれる。

*それでは進化するためには、魂は全ての種に転生しないといけないのですか。

 同レベルの種が沢山あるので、全ての種に転生する必要はない。だが、全てのレベルを通過する必要はある。

*魂が進化してゆくにつれて、下等な種に転生する必要のある「魂の原型」が少なくなることはないですか。その場合、そのような種はどうなるのですか。

 魂を創造する工程は決して止むことがないので、常に様々な進化段階のものが存在し、物質界に転生して学ばなくてはならない。

 だが、魂を創る活動に、生産の頻度が多くなったり少なくなる周期や時期があるのは確かだ。そのため、出生率が多くの国で、人口爆発の時期と出生が下がる時期とを交互に繰り返しているのと同じように、時々、多量の魂やその原型が一時期に集中して、それ以前または以後では数が少ない、ということがある。

 しかし全ては、宇宙の進化計画で予定されていることで、高次の霊的な存在たちが必要性を完璧に理解した上でそれを司っていることに疑いはない。同時期に同じ進化の飛躍を遂げる存在が大勢いれば、ある時期に用のない特定種が恐竜のように大規模に絶滅したり、更に進化した新種が出現して増殖したりする要因になるかもしれない。

*あなたのお話では、動物の魂も人間に生まれ変われるのですよね。

 すでに言った通り、魂は進化するに従って、更に進化した物質的な体に転生する必要があるのだが、自分の能力からかけ離れたものでは、その状況が手に負えなくなるので駄目なのだ。

 パイロット養成所の生徒も、いきなり旅客機を操縦して訓練したりせずに、最初は飛行シュミレーターを使って学習を始め、次に軽飛行機を運転し、準備ができた時に初めて大型の機体を操縦し始めるだろう。

 まだ完全な自由意志はないが、知的面でも感情面でもかなりの能力を備えた猿人に転生できた「魂の原型」は、次は原人に転生でき、学習するにつれて、自己の進化の必要性に見合った頭脳を持つ種に転生していく。こうして、動物の魂はヒト科の魂になるまで進化していって、いつかは人間として生まれ変わる。

 でもこれは、一回の転生で急激に起こることではなく、中間層の種に何回も生まれ変わってからなのだ。小学一年生の子どもが全教科に受かったとしても、翌年に高校三年生にはなれずに小学二年に進み、後続の各学年を終了した後に、始めて高校三年の勉強ができる時が来るのと同じだ。

*それではその反対に、人間の魂は動物に生まれ変わりますか。

 前に説明したように、それは進化を後戻りさせることになるので、人間から動物への転生は不可能だ。魂の進化が停滞してしまうことはあるが、すでに乗り越えた進化段階に逆行したり後退したりすることはない。

 これは、試験に通らなかった生徒でも下の学年に落とされることがなく、翌年に同じ学年を繰り返させられるのと同じだ。

*でも、誰もがかつては動物だったことがあって、動物が将来僕たちのようになるのだとしたら、特に進化の程度が近い高等哺乳類への僕らの行いを問題視してしまいます。例えば、食用や皮革のために飼育することや、狩猟や闘牛のように動物の苦しみの上に成り立つ見世物などは、霊的にそれほど人間に近いのであれば、人を虐待するのと変わらないことになってしまいます!

 その通りなのだ。彼らは君たちの弟分なので、より大きな配慮や尊重に値するのだ。しかし大半の人は、人間の生命や権利すらも尊重していないので、取るに足りないと見下しているものを尊重するように期待するのは、更に難しいことなのだ。

 それでも、昔の時代と比べたら、君たちは進歩している。洞窟に住んでいた人々は人肉を食べることに全く抵抗がなかったが、カニバリズムは現在では、いとうべき非人間的な行為と考えられている。それはなぜだろうか? そのような原始的な時代と比べて、他の人間に対する感受性が増したからなのだ。

 動物に対しても同じことだ。大多数の者が動物の苦痛に敏感になって、彼らが進化上では肉体的にも霊的にも類似する兄弟のような存在なのだと気づけば、動物を奴隷化したり虐待したり、殺して肉を食べたり皮で服を作ることなどを止めるだろう。

 実際、多くの者がペットを食べる行為は常軌を逸すると考えている。また君たちの世界にも、動物の権利を守るために戦ったり、彼らとの絆を自覚できるほどに成長して食肉を放棄した多くの人がいるだろう。

 人類が霊的に進歩してゆくにつれ菜食主義になり、動物の権利が尊重されるようになる。君たちより霊的に一段上の進化したヒトの文明においては、動物の肉を食べることは、君たちが人肉を食べるのをいとうように、忌み嫌われている。もちろん、君たちの世界のように、動物を檻に閉じ込めたり、虐待したり殺したりもしない。

*でも、健康でいるためには肉も含めて何でも食べなければならないし、肉を食べないと何らかの基本的栄養素が欠けて病気になる、といつも聞いてきましたよ。これは一理ありませんか。

 長らく肉を食べ続けてきた人が菜食主義に変わろうと決意する時には、生理的に慣れなければならないので、少しずつ段階を踏んでそうすることが確かに推奨される。

 だが、菜食主義者に何かの栄養が不足するということはない。豆類は、肉からは採れない豊富なたんぱく質の源なのだ。菜食は基本的栄養素が欠けるどころか、全くその反対で、より健康的なのだ。

 菜食主義者なら、肉体器官の中で肉が腐ることから生じる多くの病気を予防できるし、進化上自分に似た存在を食べることでアストラル体の波動が狂い低下してしまうのを避けられる。

 卵・菜食の食生活は、君たちの生物学上、完全に健康的であるし、体組織が必要とする全てを供給できる。

*魂が特定の種での転生を止めて、更に進化した種に生まれ変わるのは、何によるのですか。

 魂がその期間に遂げた進歩による。進化上同等レベルの種に転生しながら充分学び取らない限り、直ぐ上の段階の種に移行できないのだ。一番進歩が速いものが、現在よりも一段上の種に最初に転生できるのだ。

*それは人間でも同じなのですか。つまり僕たちが、肉体的に人間の種の能力 を超えて進化したらどうなるのですか。

 君たちはまだ身体器官の潜在能力をその四分の一も使っていないので、身体が増大する能力を支え切れないほど古くなったというには早過ぎるだろう。だが君たちの惑星の人間種は、その霊的進歩と並行して、ゆっくりだが揺るぎなく肉体的にも進化していっている。だから、自分の進化レベルに身体がついていかないことを心配する必要はない。

 前にも言ったが、人間という段階は、魂の進化の終着どころではないのだ。現在の地球人のレベルでさえ、魂的にも肉体的にも、進歩したレベルとは言い難い。

 かつて君たちの二段階下にホモ・ハビルスがいて、一段下にはネアンデルタール人がいたように、君たちの上にも霊的にもっと大きな愛と叡智の能力を持った四つのヒト科レベル(4.4から4.7)が存在しているのだ。これらの存在こそ、更に進化したもっと精妙な身体が必要で、潜在力が発揮できるように君たちの身体よりも機能が高いものとなる。

*でも、そういうスーパー人間は、どこにも見当たらないのですが、どこにいるのですか。

 他の惑星には、あらゆる進化段階を網羅した全ての人類が住んでいるので、君たちよりも高次の存在もいるのだ。それらより進化したヒトの中には少数だが、君たちの進化レベルを高める手助けをしようと君たちに混じって住んだり、今も一緒に暮らしている者もいる。でも、この話はもっと後でしよう。

*僕たちの肉体的な進化はどこに向かっているのですか。つまり、僕らの肉体はどう変わるのでしょう。

 それは、アルファ草で作った服から絹の服へと、コールテン・羊毛・綿という中間段階を経て衣服を変えていくようなものだ。身体はより精妙により軽やかになるので、刺激の少ない食事を必要とするようになる。また、エネルギー的になり物質的でなくなる。

 頭脳の許容量は増し、もっと広い範囲の知力を発達させることができる以外に、テレパシー・透視能力・念動術などの超能力を発揮させることができる。これらの能力は今はまだ君たちの中では眠ったままで、大多数の人にはその存在すらも知られずに否定されている。実際、このような能力を開発できた少数の者は、それが生まれつきのものか本人の意志と努力によるものなのかに関わらず、他の人からは気違い扱いされている。

 以上をまとめると、進化すると、きつい肉体労働には適さない、感情や思考に対してより敏感な身体となるのだ。
【本文転載その⑤終了→その⑥に続く】