テープ第3に入る!
Dr.L.Duneganに対するインタビューテープ書き起こしである!
インサイダーとして告白者はDr.Lawrence
Day!
インタビュアーはR.Engel(「米国・命の連合」の理事)だ!
長いので、3回に分ける・・・。
テープの実声を聞いて頂こう。残念ながら英語だが、感じはつかめるだろう。
テープはここにある。
翻訳は、田五郎(でんごろう)氏に依るが、段落だけは『読みやすくするために』転載者責任で、大幅に増やした。では、どうぞ!
【転載開始】翻訳:田五郎氏(HN) 文責:飄平(HN)
原文http://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/d/20120930(Tape one)
http://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/d/20120930(Tape two)
http://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/d/20120930 (Tape three)
原題:New Order of the Barbarians(野蛮人の世界支配計画)
Dayが話した話題(目次)
(第1巻)
- 人口調節:子供をもつことの許可
- セックスの目的の切り替え-生殖なしのセックスとセックスなしの生殖
- 性教育と世界政府の道具としての若者を肉欲的にすること
- 人口調節としての税で基金化された堕胎
- 同性愛の推奨・・・・同性愛に行く何事もまた推奨される
()- 安楽死と“死に至るピル”
- 入手可能な医療介護を利用することの制限は老人を容易に排除させる
- 医療の厳しい制限;開業医の排除;診断するのが難しく対処できない新しい病気
- 人口調節の1つの方法としてガン治療の抑制
- 暗殺の一つの方法としての心臓発作
- 思春期と進化を早めるための方法としての教育
()- すべての宗教の融合・・・・古い宗教は消え失せねばならなくなるだろう
- キーワードの改定による聖書の変更
- 教化の道具としての教育の再構築
- 学校により長く置くこと、しかし、生徒には何も学ばせない
- 情報にアクセスすることの制限
- 学校をコミュニティーの中心にすること
( )- ある本は図書館から消えるであろう
- モラルと社会的無秩序を増大させるための法改正
- 市街地に無法地帯を生み出すための麻薬の乱用の推奨
- アルコール乱用の増進;旅行の制限
- 監獄の増大の必要性と監獄としての病院の利用
()(テープ1巻おわり)
(第2巻)
- 変化
- 強まる統治
- 地球的相互依存:新しい構造を作るために、最初にあなた方が古いものを破棄しなければならない
- 愛国心は無駄になる
(2012-10-11 07:00の掲載)- 失業:安全性の喪失
- 伝統を除去するための人口移動
- 世界市民:世界のスポーツ
- 狩猟
- 女子のためのスポーツ:女性らしさを重視しない
()- 娯楽:暴力、セックスそしてセックスに鈍感になること:人々を“人的被害”にする準備
- 我々に若さを与えよ
- 80年代、90年代:死神。旅行制限―国民ID-チップ、その他
(2012-10-15 14:47の掲載)- 食糧のコントロール
- 気候管理
- 政治
- 人がどのように応答するかを知り、彼らをあなた方が思うようにさせる
- 偽造される科学的研究
(2012-10-16 07:00の掲載)- 国連の受容:最後は、方法を正当化する
- 戦争はいい:あなたは砲弾の餌食となり、人口を減らし、英雄は死ぬ
- テロリズム:コントロールのための偉大な道具
(の掲載)- お金と銀行業
- 政府や有力者がすべての人々を監視している:あなたがテレビを見ている間
- 個人で家をもつこと:“過去のことである”
- 2,3の最後の項目
(の掲載)(テープ2巻おわり)
テープ3
<AIDS>
注:このテープはR.Engel(「米国・命の連合」の理事)がDr.L.Duneganにペンシルバニアのピッツバーグで1991年に行ったインタビューである。テープ1と2(1988年に録音)は Duneganが1969年に聞いた講演の記憶を詳しく話したもので、そこではNWOのインサイダーだったDr.Lawrence DayがNWO(世界政府という長期間にわたり計画されている反動的独裁国家)と普通呼ばれている“世界システム”の計画を明かしたものである。この最終テープでDuneganはDayの性格と“新システム”の性質を暴き出している。
R.Engel(以後、E):これらのテープであなたが話しているDayについて少しお話いただけませんか?かれの人物紹介と彼の経歴、とくに人口調節に関連して。
Dr.L.Dunegan(以後、D): Dayは1959-64の間ピッツバーグ大学の小児科学科の長だった。その後、米国家族計画連盟の医学部門の責任者に移った。
E:それは、1965-68年か?
D:64年か65年から68年か69年までで、その後そこを離れた。私はどうして離れたのか、はっきりとは知らない。彼とは親密ではなかった。私たちは知り合い以上の関係ではなかった。私は彼の学生だったので、彼は講義で私を見ただろうし、学生として私の名前を知っていただろう。たぶん、私のテストの点数を正すとかそんな類のことをしただろう。もちろん、彼が教員として教室の前に立ち、私は彼が病気のことを話すのを聞き、ノートを取った。
E:興味があるのは、この人は良く知られていないことだ。Mary Calderone やAllen Gootmacher(sp)のように。彼らは(Dayと同様に)、ある時期、米国家族計画連盟の医学部門の責任者だったわけだ。しかし、Dayのことはよく知られていない。実際、私がSIECUS(Sex Information and Education Council of the United States:アメリカ性情報教育評議会)の公文書を調べたとき、彼の名前は、ほとんどなかった。
なので、彼は医学部門の責任者として良く知られた人物ではなかった。しかし、私は、たぶん彼は、彼の前任者にも後任者にもできなかった何が(連盟で)行われているか、をスクープしたと思う。
この特別な講演の様子を話してもらえませんか?おおよその日時、どんな折だったのか、どんな聴衆だったのかも少し。
D:それはピッツバーグの小児科学会の年4回行われる例会だった。そこでは、何人かの講演者を呼んで、小児科学に関係する医学的トピックについて話すことになっていた。この時は春の例会だった。春の例会はいつも2月の終わりか3月の初めに持たれていた。これは1969年の3月だった。
ピッツバーグではよく知られたラモントというレストランで行われた。美しい場所だった。出席したのは、周辺の80人くらいだった。ほとんどが医者というかもっぱら医者だった。圧倒的に小児科で、特に小児外科と小児放射線科の医者で、他の人は、小児科医ではなかったが子供の医学療法に関わる人たちだった。
E:講演は食事の後に行われましたか?
D:とてもおいしい食事で、みんな落ち着いていた。とても快適で、満たされて、講演に集中できる理想的な状態だった。
E:しかし、あなたのテープを聞くと、彼はみんなが椅子から飛び上がらんばかりのびっくりすることをいくつも話した、例えばガンの療法についてなど。
聴衆の中には、特にガンの治療を必要としている子供を扱ったり、ガンの子供を知っている人もいたことでしょう。そして、ロックフェラー研究所にガンの治療の処方箋があると聞いた。