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飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その100

2011-06-25 14:25:31 | 物語

山上の垂訓一続き。イエス十二弟子に第九誠の精神的意味を明らかにす!! 


 最も好きな垂訓である。 

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<無題・・・・・・。

 

 クリスチャンではないから、十戒に深く拘ることはないが、至極、当然の戒律であるが、問題はその精神的意味が大切だ。そして、それはいつの間にか、精神性を離れ、表面的な字義に囚われ、目に見える世界に止まる。これをドグマ(教条)と言う。


 イエスは、ドグマ(教条)を排し、その本質を語っている。 


 人間は本質的に霊であり、精神そのものである。なら、十戒もそのように実践しなければ、何の意味もない。その事を説いている


 十戒に限らず、およそ宗教の本質は、宇宙の法則を示しているのが本義であるから、その本義を弁えていると、欺されることはない。ところが、宗教の戒律が、ドグマ(教条)と化すところに欺瞞が生まれる。これが宗教はアヘンと言われる所以だ


 聖書であれ、仏典であれ、それは全く同じだ。人間はそれぞれ了見が様々であるから、宗教的リーダーが了見が狭ければ、たちまちドグマと化す。そして、宗教奴隷を胚胎する。了見を広く、高くするのは、それぞれ各自の判断力に委ねられている。


 『単に事実を語る』と言うことの重みは、全てに通用する。嘘を吐くと言うことは、言葉に限らず、態度、所作にも顕れるということである。全ては、自己顕示性の成せる技だ。しかし、野に咲く花、空に飛ぶ鳥、・・・それらは、単に事実に生きているからである。人間の生き方の福音(良い知らせ)がそこにはある。


 

山上の垂訓一続き。イエス十二弟子に第九誠の精神的意味を明らかにす。



 律法は『なんじいつわるなかれ』(出エジプト二〇・十六)と言っている。しかし、律法の目から見れば、嘘つく者は真実でないことを言葉で言い現わさなければならない。


 さて、霊の律法の光に照らして見れば、いかなる種類のいつわりでも嘘に外ならない。人は顔つきでも行いでも嘘がつける。それのみか、沈黙によってもいつわれる。聖気の目から見ればこれも罪である。


 昔の人々に、『なんじ汝の生命にかけて誓うな』と言ってある。


 しかし、見よ、わたしは言う、一切誓ってはならぬ。頭によっても、心によっても、目や手によってもまた日月星辰によっても、神の名によっても、善悪の霊の名によっても、何事によっても誓ってはならぬ。誓いには何の得るところもない。


 言葉によって何かの誓いを裏付けしなければならないとする者は。神や人,の目から見て信頼するに足らない。誓いによって、一枚の葉を落すことも出来なければ、一筋の毛髪(かみのけ)の色を変えることも出来ない。


 立派な人物は単に事実を語るだけである。そして人々は彼がまことを語っていることを知る。


 まことを語ると人々に信じさせるために、多くの言葉をしゃべり出す者は、単に嘘をかくすために、煙幕を張っているのにすぎない。一見して二心(ふたごころ)ある人が多い。これは同時に二人の主人、しかも全く反対側の主人に仕えようとしている人々である。


 人々は、安息日に神を拝するまねをし、ほかの六日間にはベルゼブルの機嫌をとるのである。何人も同時に二人の主人に仕えることは出来ない。これは丁度同時に反対の方向に行く二頭の驢馬(ろば)に乗れないと同様である。


 神とベルゼブルを拝する振りをする者は神の敵であって、信心深い悪魔であり、人の呪いである。また、人は天と地に一度に宝を貯えることは出来ない。


 見よ、わたしは言う、目をあげて天の安全金庫を見て、そこに宝石を悉く貯えよ。そこは虫もさびもそこなわず、盗人が押し入って盗み出すことも出来ないところである。


 地上には、虫やさびや盗人のそこなわない安全金庫はない。地上の宝は過ぎ去る空しい物に過ぎない。


 だまされてはならない。あなたがたの宝は魂の錨(いかり)である。宝のあるところに心がある。地上の物に心をおいてはならない。何をたべ、何を飲み、何を着ようかと思いわずらってはならない。神は神によりたのんで、人々に仕える者を守って下さる。


 空の鳥を見よ。歌を歌って神を讃美する。地はその喜びの奉仕によって一しお光栄を添える。神はそのたなごころを入れてこれを守る。一羽の雀もその許しなくしては地に落ちない。そしてすべて落ちるものは、再び起きあがる。


 地上の花を見るがよい。花は神によって育ち、その美と匂いによって地上をゆたかにする。聖なる愛の使者なる野の百合を見よ。人の子は誰ひとりとして、栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


 しかもこれらはみな単に神にたより、その聖手(みて)に養われ、頭(こうべ)をその胸にやすめる。もし神がそのみ心に従う花や鳥をかくも着せ養い給うなら、まして自分の子らが神にたよる時に、養い着せ給わないことがあろうか。


 先ず魂の国と神の義と人の善とを求めてつぶやかなければ(つぶやけば※転載者注)、神は守り、養い、着せて下さる。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第九十九章 山上の垂訓一続き。イエス十二弟子に第九誠の精神的意味を明らかにす。



1)律法は『なんじいつわるなかれ』(出エジプト二〇・十六)と言っている。しかし、律法の目から見れば、嘘つく者は真実でないことを言葉で言い現わさなければならない。

2)さて、霊の律法の光に照らして見れば、いかなる種類のいつわりでも嘘に外ならない。

3)人は顔つきでも行いでも嘘がつける。それのみか、沈黙によってもいつわれる。聖気の目から見ればこれも罪である。

4)昔の人々に、『なんじ汝の生命にかけて誓うな』と言ってある。

5)しかし、見よ、わたしは言う、一切誓ってはならぬ。頭によっても、心によっても、目や手によってもまた日月星辰によっても、

6)神の名によっても、善悪の霊の名によっても、

7)何事によっても誓ってはならぬ。誓いには何の得るところもない。

8)言葉によって何かの誓いを裏付けしなければならないとする者は。神や人,の目から見て信頼するに足らない。

9)誓いによって、一枚の葉を落すことも出来なければ、一筋の毛髪(かみのけ)の色を変えることも出来ない。

10)立派な人物は単に事実を語るだけである。そして人々は彼がまことを語っていることを知る。

11)まことを語ると人々に信じさせるために、多くの言葉をしゃべり出す者は、単に嘘をかくすために、煙幕を張っているのにすぎない。

12)一見して二心(ふたごころ)ある人が多い。これは同時に二人の主人、しかも全く反対側の主人に仕えようとしている人々である。

13)人々は、安息日に神を拝するまねをし、ほかの六日間にはベルゼブルの機嫌をとるのである。

14)何人も同時に二人の主人に仕えることは出来ない。これは丁度同時に反対の方向に行く二頭の驢馬(ろば)に乗れないと同様である。

15)神とベルゼブルを拝する振りをする者は神の敵であって、信心深い悪魔であり、人の呪いである。

16)また、人は天と地に一度に宝を貯えることは出来ない。

17)見よ、わたしは言う、目をあげて天の安全金庫を見て、そこに宝石を悉く貯えよ。

18)そこは虫もさびもそこなわず、盗人が押し入って盗み出すことも出来ないところである。

19)地上には、虫やさびや盗人のそこなわない安全金庫はない。

20)地上の宝は過ぎ去る空しい物に過ぎない。

21)だまされてはならない。あなたがたの宝は魂の錨(いかり)である。宝のあるところに心がある。

22)地上の物に心をおいてはならない。何をたべ、何を飲み、何を着ようかと思いわずらってはならない。

23)神は神によりたのんで、人々に仕える者を守って下さる。

24)空の鳥を見よ。歌を歌って神を讃美する。地はその喜びの奉仕によって一しお光栄を添える。神はそのたなごころを入れてこれを守る。

25)一羽の雀もその許しなくしては地に落ちない。そしてすべて落ちるものは、再び起きあがる。

26)地上の花を見るがよい。花は神によって育ち、その美と匂いによって地上をゆたかにする。

27)聖なる愛の使者なる野の百合を見よ。人の子は誰ひとりとして、栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

28)しかもこれらはみな単に神にたより、その聖手(みて)に養われ、頭(こうべ)をその胸にやすめる。

29)もし神がそのみ心に従う花や鳥をかくも着せ養い給うなら、まして自分の子らが神にたよる時に、養い着せ給わないことがあろうか。

30)先ず魂の国と神の義と人の善とを求めてつぶやかなければ(つぶやけば※転載者注)、神は守り、養い、着せて下さる。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 99

The Sermon on the Mount, continued. Jesus unfolds to the twelve
the spiritual aspects of the ninth Commandment.

THE law has said: Thou shalt not lie; but in the eyes of law a man to lie must tell in words what is not true.
2) Now, in the light of spirit law, deceit in any form is nothing but a lie.
3) A man may lie by look or act; yea, even by his silence may deceive, and thus be guilty in the eyes of Holy Breath.
4) It has been said in olden times: Thou shalt not swear by thine own life.
5) But, lo, I say, Swear not at all; not by the head, the heart, the eye, nor hand; not by the sun, the moon, nor stars;
6) Not by the name of God, nor by the name of any spirit, good or bad.
7) You shall not swear by anything; for in an oath there is no gain.
8) A man whose word must be propped up by oath of any kind is not trustworthy in the sight of God or man.
9) By oath you cannot make a leaf to fall, nor turn the color of a hair.
10) The man of worth just speaks and men know that he speaks the truth.
11) The man who pours out many words to make men think he speaks the truth, is simply making smoke to hide a lie.
12) And there are many men with seeming double hearts; men who would serve two masters at a time ? two masters quite adverse.
13) Men feign to worship God upon the Sabbath day and then pay court to Beelzebub on every other day.
14) No man can serve two masters at a time no more than he can ride two asses at a time that go in different ways.
15) The man who feigns to worship God and Beelzebub is foe of God, a pious devil and a curse of men.
16) And men cannot lay treasures up in heaven and earth at once.
17) Then, lo, I say, Lift up your eyes and see the safety vaults of heaven, and there deposit every gem.
18) Where moth and rust cannot corrupt; where thieves cannot break in and steal.
19) There are no safety vaults on earth; no place secure from moth, and rust and thieves.
20) The treasures of the earth are but illusive things that pass away.
21) Be not deceived; your treasures are the anchor of the soul, and where your treasures are your heart will be.
22) Fix not your heart upon the things of earth; be anxious not about the things to eat, or drink or wear.
23) God cares for those who trust in him and serve the race.
24) Behold the birds! They praise God in their songs; the earth is made more glorious by their ministry of joy; God keeps them in the hollow of his hand,
25) And not a sparrow falls to earth without his care; and every one that falls shall rise again.
26) Behold the flowers of earth! they trust in God and grow; they make the earth resplendent with their beauty and perfume.
27) Look at the lilies of the field, the messengers of holy love. No son of man, not even Solomon in all his excellence, was ever clothed like one of these.
28) And yet they simply trust in God; they feed from out his hand; they lay their heads to rest upon his breast.
29) If God so clothes and feeds the flowers and birds that do his will, will he not feed and clothe his children when they trust in him?
30) Seek first the kingdom of the soul, the righteousness of God, the good of men, and murmer not; God will protect, and feed, and clothe.

 【続く】


不思議な少年!! その99

2011-06-22 12:14:57 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス弟子たちに第七、第八、第十の誠律の精神的意義を明らかにす。!! 


 精神とは何であるか? 言うまでもなかろう、人間のこころのことである。こころとは何であるか? 目には見えないが、意識の働くところ、魂の宿るところである。

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<無題・・・・・・。

 

 その精奥に神のエネルギーが宿る。だから、精神という。このように人間の本質は精神であって、こころであり、魂であり、突き詰めると神の分かれたエネルギーであることが分かる。


 人間の本質は肉体ではない。とすれば、思いと行為は、いずれも大事であろうが、思いこそ重要だ。それが本質だからである。


 今でこそ、そう言う概念が共有されているが、イエスの時代はそうではない。勿論、現代に於いても法律は行為をこそ規制する。十戒もそのように多くの民衆には捉えられていたのであろう。勿論、支配者側はそれを持って、民衆を支配していたであろう事が推察される


 これは当時は革命的思想であったであろう。それ故、迫害を受ける素因ともなったものと思われる


 しかし、真実は真実だ。『こころに情欲を抱くものは、既に姦淫の罪を犯している。』 蓋し、至言である。同時にこころで盗むものは、窃盗である。つまり、ペテン師、詐欺師、ウソつきは窃盗の罪を犯している。ついでに、菅直人は、ペテン師であるから窃盗である。字余り。


 

山上の垂訓(続き)。イエス弟子たちに第七、第八、第十の誠律の精神的意義を明らかにす。


 律法は姦淫を禁ずる(出エジプトニ○・一四)。しかし、姦淫は律法の目から見れば、明白な行為であって、結婚契約以外の官能的な自我の満足である。


 さて、結婚は律法からみれば、祭司の承認により、男女が永久に調和と愛惰で生活する約束に過ぎない。どんな祭司や役人にも、二つの魂を婚姻で結ぶ権威は神よりほかはない。


 結婚の縁とは何ぞ。これは祭司や役人が語るところのことで成立するか。これは二人の男女が結婚の契約で生活する許可を、役人とか祭司が書き記した巻物である。


 これは二人が死ぬまで互いに相愛すると言う約束であるか。


 愛は人の意志に左右される情熱であるか。


 人は宝石のように、愛を拾いあげて、貯えたりまたは誰にでもくばることが出来るものか。


 愛は羊のように売買出来るか。


 愛とは二つの魂を結んで一つとする神の力である。地上でどんな力でも、この契約を解消することは出来ない。からだはしばらくは人の死によって引き離されるであろうが、再び一つとなるであろう。


 われわれは結婚の縁をこのような神の契約であると見る。すべてこれ以外の結合は藁(わら)のちぎりであって、そのように生活する者は姦淫を犯している。これは役人や祭司の承認なしに情欲を満足させる者と同様である。


 しかし、これだけではない。好色の心を抱いている男や女は姦淫している。


 神が一緒に結んだ者を人はこれを分かつことは出来ない。人が一緒に結んだ者は罪の生活をする。


 律法の一条に、大立法者は、『なんじ盗むなかれ』(出エジプトニ○・一五)と書いた。律法の目から見れば、盗賊は所有者に無断で、或は承諾なしに、肉眼で見える物品を取ることに違いない。


 しかし、見よ、わたしは言う、心のなかで自分のものでないものをほしがり、また所有者に無断で或は承諾なしに、物品を取ろうと思う者は、神の目から見れば、盗賊である。人が肉限で見ない物には、見ることの出来る物品以上の価値がある。


 人の美名は干の金鉱にまさる価値がある。その美名を傷つけ或は汚すような言葉を洩らしたり、そのような行為をする者は、自分のものでないものを取ったのてあって、やはり盗賊である。


 律法の条下にはまた、『欲しがるな』(出エジプトニ○・一七)とある。欲しがると言うことは自分が所有するのが正当でないものを得たいと言う、何もかも焼き尽すような熱望である。


 かかる熱望は、律法の精神に照らして見れば窃盗である。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


 第九十八章 山上の垂訓(続き)。イエス弟子たちに第七、第八、第十の誠律の精神的意義を明らかにす。

1)律法は姦淫を禁ずる(出エジプトニ○・一四)。しかし、姦淫は律法の目から見れば、明白な行為であって、結婚契約以外の官能的な自我の満足である。

2)さて、結婚は律法からみれば、祭司の承認により、男女が永久に調和と愛惰で生活する約束に過ぎない。

3)どんな祭司や役人にも、二つの魂を婚姻で結ぶ権威は神よりほかはない。

4)結婚の縁とは何ぞ。これは祭司や役人が語るところのことで成立するか。

5)これは二人の男女が結婚の契約で生活する許可を、役人とか祭司が書き記した巻物である。

6)これは二人が死ぬまで互いに相愛すると言う約束であるか。

7)愛は人の意志に左右される情熱であるか。

8)人は宝石のように、愛を拾いあげて、貯えたりまたは誰にでもくばることが出来るものか。

9)愛は羊のように売買出来るか。

10)愛とは二つの魂を結んで一つとする神の力である。地上でどんな力でも、この契約を解消することは出来ない。

11)からだはしばらくは人の死によって引き離されるであろうが、再び一つとなるであろう。

12)われわれは結婚の縁をこのような神の契約であると見る。すべてこれ以外の結合は藁(わら)のちぎりであって、そのように生活する者は姦淫を犯している。

13)これは役人や祭司の承認なしに情欲を満足させる者と同様である。

14)しかし、これだけではない。好色の心を抱いている男や女は姦淫している。

15)神が一緒に結んだ者を人はこれを分かつことは出来ない。人が一緒に結んだ者は罪の生活をする。

16)律法の一条に、大立法者は、『なんじ盗むなかれ』(出エジプトニ○・一五)と書いた。

17)律法の目から見れば、盗賊は所有者に無断で、或は承諾なしに、肉眼で見える物品を取ることに違いない。

18)しかし、見よ、わたしは言う、心のなかで自分のものでないものをほしがり、また所有者に無断で或は承諾なしに、物品を取ろうと思う者は、神の目から見れば、盗賊である。

19)人が肉限で見ない物には、見ることの出来る物品以上の価値がある。

20)人の美名は干の金鉱にまさる価値がある。その美名を傷つけ或は汚すような言葉を洩らしたり、そのような行為をする者は、自分のものでないものを取ったのてあって、やはり盗賊である。

21)律法の条下にはまた、『欲しがるな』(出エジプトニ○・一七)とある。

22)欲しがると言うことは自分が所有するのが正当でないものを得たいと言う、何もかも焼き尽すような熟望である。

23)かかる熱望は、律法の精神に照らして見れば窃盗である。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 98

The Sermon on the Mount, continued. Jesus reveals to the twelve the
spiritual aspects of the seventh, eight and tenth Commandments.

THE law forbids adultery; but in the eyes of law adultery is an overt act, the satisfaction of the sensuous self outside the marriage bonds.
2) Now, marriage in the sight of law is but a promise made by man and woman, by the sanction of a priest, to live for aye in harmony and love.
3) No priest nor officer has power from God to bind two souls in wedded love.
4) What is the marriage tie? Is it comprised in what a priest or officer may say?
5) Is it the scroll on which the officer or priest has written the permission for the two to live in marriage bonds?
6) Is it the promise of the two that they will love each other until death?
7) Is love a passion that is subject to the will of man?
8) Can man pick up his love, as he would pick up precious gems, and lay it down, or give it out to any one?
9) Can love be bought and sold like sheep?
10) Love is the power of God that binds two souls and makes them one; there is no power on earth that can dissolve the bond.
11) The bodies may be forced apart by man or death for just a little time; but they will meet again.
12) Now, in this bond of God we find the marriage tie; all other unions are but bonds of straw, and they who live in them commit adultery.
13) The same as they who satisfy their lust without the sanction of an officer or priest.
14) But more than this; the man or woman who indulges lustful thoughts commits adultery.
15) Whom God has joined together man cannot part; whom man has joined together live in sin.
16) Upon a table of the law, the great lawgiver wrote, Thou shalt not steal.
17) Before the eyes of law a man to steal must take a thing that can be seen with eyes of flesh, without the knowledge or consent of him to whom the thing belongs.
18) But, lo, I say that he who in his heart desires to possess that which is not his own, and would deprive the owner of the thing without his knowledge or consent, is in the sight of God, a thief.
19) The things that men see not with eyes of flesh are of more worth than are the things that man can see.
20) A man's good name is worth a thousand mines of gold, and he who says a word or does a deed that injures or defames that name has taken what is not his own, and is a thief.
21) Upon a table of the law we also read: Thou shalt not covet anything.
22) To covet is an all-consuming wish to have what is not right for one to have.
23) And such a wish, within the spirit of the law, is theft.

 【続く】


不思議な少年!! その98

2011-06-17 13:24:37 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす!! 


 いきなり、山上の垂訓とは・・・・。驚く方も居られる様だから、少し説明を加える。この稿は、『不思議な少年』と題して、連載している。タグは『物語』である。宝瓶宮福音書:栗原 基訳』、座右の書だが、絶版で久しい。で、全転載している。

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<無題・・・・・・。

 

 ところが、世が騒がしくなったものだから、休んでいた。また、復活しようと思う。やっと半ばまで来たが、残り半分ある。最後まで続ける所存だ。内容は『不思議な少年!!その①』に書き始めたが、何の事やら分からない方々も多かろう。


 しかし、読み進める内に心に沁みた一冊だ。お裾分けしたい。タグは『物語』だ。 


 山上の垂訓は、新約聖書に於いてもハイライト中のハイライトだ。これさえ腑に落ちれば、他はどうでも良いくらいだと思っている。人は知らないが、下手な小理屈を並べ立てるより、聖書の中で、この事を実践できる人は全く立派だとさえ思っている


 コメント氏がいみじくも書いておられたが、日本では『敗けるが勝ち』という。この精神は間違いがない。世に敗けると言うことは、精神に於いて勝ると言うことだ。同感だ。


 講釈は必要ないと想う。是非、心に受け止めてほしい。別名、黄金律とも言う。


 

山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす。


 神は単に力(フォース)だけでなく、智恵はその一部である。


 天人ケルビムが人に智恵の道を授けた時、力(フォース)が人類の父であるから、智恵は人類の母であると言った。全智全能の神をあがめる者は祝福される。律法の箇条を読めばかく記してある、


 『なんじの父母をうやまえ、これは彼らがなんじに与えた地にて生命の長からんためなり』(出エジプトニ○二一)とある。律法(おきて)の文字は命じている、『なんじ殺すなかれ。殺す者は裁判の座に立たねばならぬ。』


 ある人は殺したいと思うかも知れない。しかし殺さねば律法によって裁かれない。


 しかし律法の精神は、殺すことを欲し、復讐を求め、十分な理由なくして人を怒る者は、裁判官に申し開きをせねばならぬと主張する。


 また兄弟を無気力なやくざ者と呼ぶ者は、正しい人々の会議で弁解せねばならぬ。また兄弟をすれ者、犬と呼ぶ者は、自分の心のなかに地獄の火を盛んに燃やしている。


 一段高い律法(おきて)には、若しあなたの兄弟が何かあなたのやったことで悩まされているならば、『神に供えものを捧げる前に、先ず行ってその兄弟をさがして、仲なおりしなければならぬ』と記してある。


 あなたが怒っているままで、日が没することはよろしくない。


 もしあなたがすべての利己的弁解を棄て、すべて利己的な権利を棄てでも、相手の兄弟が和解しない時は、あなたは神の前には罪がない。その時行って神にあなたの供えものを捧げるがよい。


 あなたが誰かに負債があって払うことが出来なかったり、或は人が当然以上の金銭を要求するなら、その要求で争うのはよろしくない。反抗は怒りの親である。ひどく怒つている人にはなさけも容赦もない。


 あなたがたに言う、律法(おきて)に訴えたり、人々の法廷にたのんで是非を判断してもらうよりは、損失を堪え忍ぶ方が遙かにまさっていると。肉の人の律法は、『目にて目、歯にて歯、なんじの権利の侵害を拒め』とある。


 しかし、これは神の律法ではない。聖気はあなたがたの所有物を奪う者を拒むなかれと言うだろう。無理にあなたがたの上衣を取ろうとする者は、やはりあなたがたの兄弟なれば、その心をかちとらねばならぬ。これは反抗では出来ないことである。


 彼にあなたがたの上衣を取らせ、それ以上もっとほかのものも差し出すがよい。そうすればやがてその人は野獣よりはまさった者となり、これであなたがたは彼を救ったことになろう。


 援助を求むるる人を拒まず、何か借りたいと求むる人に与えるがよい。


 もし人が気まぐれに、或は腹を立てて、あなたを打つなら、これにしかえしをするのはよくない。人々は争って自分の権利を守らない者を臆病者呼ばわりするだろうが、攻撃されたり打たれても、打ち返ししない者、また中傷されても答えない者は、打った者を打ち返し、ののしる者をののしるよりも、遥かにすぐれた人である。


 むかしは、『おのが友を愛しおのが敵を憎め』と言われていた。しかし、見よ、わたしは言う、


 あなたがたの敵をあわれみ、あなたがたを罵る人々を祝福し、あなたがたをそこなう人々に親切にし、あなたがたの権利をふみにじる人々のために祈れと。


 記憶せよ、あなたがたは太陽が悪人と善人をひとしく照らし、不正な者と正しき者に雨をふらせ給う神の子らである。もし人があなたがたにするように他人にするなら、あなたがたは奴隷に過ぎないから、死に行く道を辿るばかりだ。


 しかし、あなたがたは光の子として道を案内しなければならない。あなたがたは人にされたいように、人にするがよい。


 あなたがたが自分に善いことをした者に善いことをするをら、他人と同様であって、取税人(みつぎとり)もそれをする。もしあなたがたが友人に挨拶し、敵に挨拶しなければ、他人と同様であって、これは取税人と歩調を共にするのである。


 天にいますあなたがたの父のように完くなるがよい。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第九十七章 山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす。


1)神は単に力(フォース)だけでなく、智恵はその一部である。

2)天人ケルビムが人に智恵の道を授けた時、力(フォース)が人類の父であるから、智恵は人類の母であると言った。

3)全智全能の神をあがめる者は祝福される。律法の箇条を読めばかく記してある、

4)『なんじの父母をうやまえ、これは彼らがなんじに与えた地にて生命の長からんためなり』(出エジプトニ○二一)とある。

5)律法(おきて)の文字は命じている、『なんじ殺すなかれ。殺す者は裁判の座に立たねばならぬ。』

6)ある人は殺したいと思うかも知れない。しかし殺さねば律法によって裁かれない。

7)しかし律法の精神は、殺すことを欲し、復讐を求め、十分な理由なくして人を怒る者は、裁判官に申し開きをせねばならぬと主張する。

8)また兄弟を無気力なやくざ者と呼ぶ者は、正しい人々の会議で弁解せねばならぬ。

9)また兄弟をすれ者、犬と呼ぶ者は、自分の心のなかに地獄の火を盛んに燃やしている。

10)一段高い律法(おきて)には、若しあなたの兄弟が何かあなたのやったことで悩まされているならば、『神に供えものを捧げる前に、先ず行ってその兄弟をさがして、仲なおりしなければならぬ』と記してある。

11)あなたが怒っているままで、日が没することはよろしくない。

12)もしあなたがすべての利己的弁解を棄て、すべて利己的な権利を棄てでも、相手の兄弟が和解しない時は、あなたは神の前には罪がない。その時行って神にあなたの供えものを捧げるがよい。

13)あなたが誰かに負債があって払うことが出来なかったり、或は人が当然以上の金銭を要求するなら、その要求で争うのはよろしくない。

14)反抗は怒りの親である。ひどく怒つている人にはなさけも容赦もない。

15)あなたがたに言う、律法(おきて)に訴えたり、人々の法廷にたのんで是非を判断してもらうよりは、損失を堪え忍ぶ方が遙かにまさっていると。

16)肉の人の律法は、『目にて目、歯にて歯、なんじの権利の侵害を拒め』とある。

17)しかし、これは神の律法ではない。聖気はあなたがたの所有物を奪う者を拒むなかれと言うだろう。

18)無理にあなたがたの上衣を取ろうとする者は、やはりあなたがたの兄弟なれば、その心をかちとらねばならぬ。これは反抗では出来ないことである。

19)彼にあなたがたの上衣を取らせ、それ以上もっとほかのものも差し出すがよい。そうすればやがてその人は野獣よりはまさった者となり、これであなたがたは彼を救ったことになろう。

20)援助を求むるる人を拒まず、何か借りたいと求むる人に与えるがよい。

21)もし人が気まぐれに、或は腹を立てて、あなたを打つなら、これにしかえしをするのはよくない。

22)人々は争って自分の権利を守らない者を臆病者呼ばわりするだろうが、攻撃されたり打たれても、打ち返ししない者、

23)また中傷されても答えない者は、打った者を打ち返し、ののしる者をののしるよりも、遥かにすぐれた人である。

24)むかしは、『おのが友を愛しおのが敵を憎め』と言われていた。しかし、見よ、わたしは言う、

25)あなたがたの敵をあわれみ、あなたがたを罵る人々を祝福し、あなたがたをそこなう人々に親切にし、あなたがたの権利をふみにじる人々のために祈れと。

26)記憶せよ、あなたがたは太陽が悪人と善人をひとしく照らし、不正な者と正しき者に雨をふらせ給う神の子らである。

27)もし人があなたがたにするように他人にするなら、あなたがたは奴隷に過ぎないから、死に行く道を辿るばかりだ。

28)しかし、あなたがたは光の子として道を案内しなければならない。

29)あなたがたは人にされたいように、人にするがよい。

30)あなたがたが自分に善いことをした者に善いことをするをら、他人と同様であって、取税人(みつぎとり)もそれをする。

31)もしあなたがたが友人に挨拶し、敵に挨拶しなければ、他人と同様であって、これは取税人と歩調を共にするのである。

32)天にいますあなたがたの父のように完くなるがよい。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 97

The Sermon on the Mount, continued. Jesus unfolds to the twelve
the spiritual aspects of the fifth and sixth Commandments.
 

GOD is not force alone; for wisdom is his counterpart.
2) When cherubim instructed man in wisdom's ways they said that wisdom is the Mother of the (human) race, as force is Father of the race.
3) The man who honors the almighty and omniscient God is blessed, and in the tables of the law we read,
4) Pay homage to your Father and your Mother of the race, that your days may be prolonged upon the land that they have given you.
5) The letter of the law commands; you shall not kill; and he who kills must stand before the judgment seat.
6) A person may desire to kill, yet if he does not kill he is not judged by law.
7) The spirit of the law avers that he who shall desire to kill, or seeks revenge, is angry with a man without sufficient cause, must answer to the judge;
8) And he who calls his brother soulless vagabond shall answer to the council of the just;
9) And he who calls his brother a degenerate, a dog, fans into life the burning fires of hell within himself.
10) Now, in the higher law we read that if your brother is aggrieved by something you have done, before you offer unto God your gifts, go forth and find your brother and be reconciled to him.
11) It is not well to let the sun go down upon your wrath.
12) If he will not be reconciled when you have laid aside all selfish pleas, have waived all selfish rights, you will be guiltless in the sight of God; then go and offer unto God your gifts.
13) If you owe aught to any man and cannot pay; or if a man shall claim a greater sum than is his due, it is not well that you dispute his claims.
14) Resistance is the sire of anger; there is no mercy and no reason in a wrathful man.
15) I tell you it is better far to suffer loss than go to law, or call upon the courts of men to judge of right and wrong.
16) The law of carnal man would say, Eye for eye and tooth for tooth; resist encroachment on your rights.
17) But this is not the law of God. The Holy Breath would say, Resist not him who would deprive you of your goods.
18) He who would take your coat by force is still a brother man and you should gain his heart, which by resistance cannot be done;
19) Give him your coat and offer him still more and more; in time the man will rise above the brute; you will have saved him from himself.
20) Refuse not him who calls for help and give to him who asks to borrow aught.
21) And if a man shall strike you in a fitful, or an angry way, it is not well to smite him in return.
22) Men call him coward who will not fight and thus defend his rights; but he is much the greater man who is assailed, is smitten and does not smite;
23) Who is maligned and answers not, than he who smites the smiter and reviles the one who slanders him.
24) It has been said in olden times that man shall love his friend and hate his foe; but, lo, I say,
25) Be merciful unto your foes; bless those who slander you; do good to those who do you harm and pray for those who trample on your rights.
26) Remember, you are children of the God who makes his sun to rise alike upon the evil and the good, who sends his rain upon the unjust and the just.
27) If you do unto other men as they do unto you, you are but slaves, but followers in the way to death.
28) But you, as children of the light, must lead the way.
29) Do unto others as you would have them do unto you.
30) When you do good to those who have done good to you, you do no more than other men; the publicans do that.
31) If you salute your friends and not your foes, you are like other men; the publicans have set the pace.
32) Be perfect as your Father-God in heaven is.

 【続く】


不思議な少年!! その97

2011-02-22 18:24:13 | 物語

山上の垂訓(続き)。 イエス十誡を解釈す!! 


 山上の垂訓は(続き)は、まだまだ続く。

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記事に無関係:落ちる日の一瞬の輝き>・・・・・・。

 十誡(一般には、十戒と書く)は、聖書の基本である。その中の偶像崇拝の戒めを説く。 


 神は、力(フォース)なり。この言葉は重い。


 しかし、難解でもある。それは三次元的に捉えるには限界があるからであろう


 この稿は、改めて、後日、考察する。本日、時間がない。


 

山上の垂訓(続き)。イエス十誡を解釈す。キリスト精神は十誡の精神。最初の四つの誡律の精神的意義を明らかにす。


 「神は人々に十誡を与えた。モーセは山上で神の言葉を見た。彼はこれを堅い岩に書きつけた。その言葉は打ち破れない。この十誡は神の公正な面を示す。しかし今神の愛は現れ、聖気の翼にのってめぐみを持ってくる。


 律法は神の統一性にもとづいて建てられた。世界全体に一つの力(フォース)がある。エホバは全能の神である。エホバは天に書き記し、モーセはこれを読んだ。


 『われは全能の神なり。なんじにわが外に神あるべからず。』(出エジプト二〇・二)


 力(フォース)は一、されど力に多くの面がある。これを力(パワーズ)と言う。すべての力(パワーズ)は神より出で、これが神の表現、神の霊である。


 もし人がほかの力(フォース)をさがし、その社(やしろ)で拝しようと思うなら、これは空しき幻影を求むるに過ぎない。これは一位なるエホバ神の幻影であり、幻影を拝する者は壁にうつる幻影に過ぎない。それは人々はその求むる者と同様であろから。


 神は人がすべて実体とならんことを欲し、恵みをもって、なんじわれの外に神を求むるなと命じた。有限な人間は決して無限なものを知ることは出釆ない。人は力(フォース)の無限者の姿を作ることは出来ない。


 人々が土や木石の神を作るなら、これは影の姿を作るので、影の社に拝する者も影である。


 そこでめぐみの神は、『なんじ土や木石の姿をきざんではならぬ』(出エジプトニ○・四)と言った。


 かかる偶像は観念、しかも卑しい観念で、人々はおのが観念以上に高き程度のものを握ることは出来ない。神は霊である。もし神の意識に達しようとすれば、霊を以て神を拝さねばならぬ。


 しかし、人は決して聖気を絵や姿あるものとすることは出来ない。人は神の名を肉の唇で語ることは出来ない。聖気によってのみその名を唱えることが出来る。


 人々は虚栄心から神の名を知ると思う。しかしその言うところ、軽薄不信であるから、却ってのろわれる。もし人々が聖名(みな)を知りてこれをけがれた唇(くちびる)で語れば、生きて再びこれを語ることがないだろう。


 しかし、めぐみの神は聖気をもて語ることの出来ない人々にその名を示さなかった。しかし、たわむれにその代りのものを語る者は神の前に罪を犯す。神は


 『なんじみだりに神の名を語るべからず』(出エジプトニ○・三)と言った。


 聖気の数は七、神は手に時の七を握る。


 神は世界を造って七日目に休んだ。七日目はいつも人々のために安息日と定めた。七日目は神エホバの安息日、これを覚えて全くこれを聖きわざのために備えおき、利己的自我のためでなく、普遍な自我のために用いねばならぬ。


 人々は一週六日間自我のために働き得るが、エホバの安息日に自我のために何事をもなしてはならぬ。この日は神に聖別され、人は人に仕えることによって神に仕えるのである。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第九十六章  山上の垂訓(続き)。イエス十誡を解釈す。キリスト精神は十誡の精神。最初の四つの誡律の精神的意義を明らかにす。


1)「神は人々に十誡を与えた。モーセは山上で神の言葉を見た。彼はこれを堅い岩に書きつけた。その言葉は打ち破れない。

2)この十誡は神の公正な面を示す。しかし今神の愛は現れ、聖気の翼にのってめぐみを持ってくる。

3)律法は神の統一性にもとづいて建てられた。世界全体に一つの力(フォース)がある。エホバは全能の神である。

4)エホバは天に書き記し、モーセはこれを読んだ。

5)『われは全能の神なり。なんじにわが外に神あるべからず。』(出エジプト20・2)

6)力(フォース)は一、されど力に多くの面がある。これを力(パワーズ)と言う。

7)すべての力(パワーズ)は神より出で、これが神の表現、神の霊である。

8)もし人がほかの力(フォース)をさがし、その社(やしろ)で拝しようと思うなら、これは空しき幻影を求むるに過ぎない。

9)これは一位なるエホバ神の幻影であり、幻影を拝する者は壁にうつる幻影に過ぎない。それは人々はその求むる者と同様であろから。

10)神は人がすべて実体とならんことを欲し、恵みをもって、なんじわれの外に神を求むるなと命じた。

11)有限な人間は決して無限なものを知ることは出釆ない。人は力(フォース)の無限者の姿を作ることは出来ない。

12)人々が土や木石の神を作るなら、これは影の姿を作るので、影の社に拝する者も影である。

13)そこでめぐみの神は、『なんじ土や木石の姿をきざんではならぬ』(出エジプトニ○・四)と言った。

14)かかる偶像は観念、しかも卑しい観念で、人々はおのが観念以上に高き程度のものを握ることは出来ない。

15)神は霊である。もし神の意識に達しようとすれば、霊を以て神を拝さねばならぬ。

16)しかし、人は決して聖気を絵や姿あるものとすることは出来ない。

17)人は神の名を肉の唇で語ることは出来ない。聖気によってのみその名を唱えることが出来る。

18)人々は虚栄心から神の名を知ると思う。しかしその言うところ、軽薄不信であるから、却ってのろわれる。

19)もし人々が聖名(みな)を知りてこれをけがれた唇(くちびる)で語れば、生きて再びこれを語ることがないだろう。

20)しかし、めぐみの神は聖気をもて語ることの出来ない人々にその名を示さなかった。

21)しかし、たわむれにその代りのものを語る者は神の前に罪を犯す。神は

22)『なんじみだりに神の名を語るべからず』(出エジプトニ○・三)と言った。

23)聖気の数は七、神は手に時の七を握る。

24)神は世界を造って七日目に休んだ。七日目はいつも人々のために安息日と定めた。

25)七日目は神エホバの安息日、これを覚えて全くこれを聖きわざのために備えおき、利己的自我のためでなく、普遍な自我のために用いねばならぬ。

26)人々は一週六日間自我のために働き得るが、エホバの安息日に自我のために何事をもなしてはならぬ。

27)この日は神に聖別され、人は人に仕えることによって神に仕えるのである。


 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 96

The Sermon on the Mount, continued. Jesus considers the Ten Commandments.
The philosophy of Christ. The spirit of the Commandments. Jesus unfolds
the spiritual aspects of the first four Commandments.

GOD gave the Ten Commandments unto men; upon the mountain Moses saw the words of God; he wrote them down on solid rock; they cannot be destroyed.
2) These Ten Commandments show the justice side of God; but now the love of God made manifest brings mercy on the wings of Holy Breath.
3) Upon the unity of God the law was built. In all the world there is one force; Jehovah is Almighty God.
4) Jehovah wrote upon the heavens and Moses read,
5) I am Almighty God and you shall have no God but me.
6) There is one force, but many phases of that force; these phases men call powers.
7) All powers are of God; and they are manifests of God; they are the Spirits of our God.
8) If men could seem to find another force and worship at its shrine, they would but court illusion, vain,
9) A shadow of the One, Jehovah, God, and they who worship shadows are but shadows on the wall; for men are what they court.
10) And God would have all men to be the substance, and in mercy he commanded, You shall seek no God but me.
11) And finite men can never comprehend infinite things. Man cannot make an image of the Infinite in force.
12) And when men make a God of stone or wood or clay they make an image of a shade; and they who worship at the shrine of shades are shades.
13) So God in mercy said, You shall not carve out images of wood, or clay, or stone.
14) Such idols are ideals, abased ideals, and men can gain no higher plane than their ideals.
15) The God is Spirit, and in spirit men must worship if they would attain a consciousness of God.
16) But man can never make a picture or an image of the Holy Breath.
17) The name of God man may not speak with carnal lips; with Holy Breath alone can man pronounce the name.
18) In vanity men think they know the name of God; they speak it lightly and irreverently, and thus they are accursed.
19) If men did know the sacred name and spoke it with unholy lips, they would not live to speak it once again.
20) But God in mercy has not yet unveiled his name to those who cannot speak with Holy Breath.
21) But they who speak the substitute in idle way are guilty in the sight of God, who said,
22) You shall not take the name of God in vain.
23) The number of the Holy Breath is seven, and God holds in his hands the sevens of time.
24) In forming worlds he rested on the seventh day, and every seventh day is set apart as Sabbath day for men. God said,
25) The seventh is the Sabbath of the Lord thy God; remember it and keep it wholly set apart for works of holiness; that is, for works not for the selfish self, but for the universal self.
26) Men may do work for self upon the six days of the week; but on the Sabbath of the Lord they must do naught for self.
27) This day is consecrated unto God; but man serves God by serving man.

 【続く】


不思議な少年!! その96

2011-02-13 20:53:29 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス使徒の働きの貴き特色を強調す!! 


 解説の前に、本ブログには可愛い熱心な読者がいる。中学生LIVESTRONG君だ。前にも掲載したが、良くケムトレイルの写真を送付してくれる。コメント氏から、最近はもっぱら、メール氏になった。


 その送付写真を掲載したい。都立高校に合格したようだ。4月からは高校生だ。オメデトウ!

P1030235

記事に無関係:犯人機もよく捉えている。>  

P10302361

P1030329

記事に無関係:これが年末から年始にかけて、全国的に多発した。そしたら鳥インフル等・・・だ?!。>  


 『山上の垂訓』の続き・・・・・・・・・。



 言うまでもないことだが、聖書の中でも『山上の垂訓』は、最も格調の高い福音であろう。少なくとも投稿者はそう感じている。言葉ではない。内容に於いてである。しかし、目標には出来ても、実践するには簡単ではない。


 本書の『山上の垂訓』と聖書は、少し違う。内容と格調は同じでも、ずっと分かり易い。だから、頑固な聖書派はこれを異端というかも知れないが、投稿者はそうは思わない。『論語読みの論語知らずは、世の中に多い。『聖書読みの聖書知らず』もいないとは限らない。


 『山上の垂訓』は、福音の中でもレベルが高いことは確かだ。レベルというの魂のレベルである。本稿でも書いているように、十二使徒に対する働きを明らかにする目的であろう。凡愚にとっては、レベルが高いと云うべきだろう。


 しかし、目指すところは同じ方向性だ。


 『汝の敵を愛せよ!』等とは、言えても実践するのは難しい。それと同じである。


 しかし、誰であれ、魂の最奥には同じ光が宿っている。だから、共感する。やがて、磨かれた原石は、同じ光が放つようになるはずだからだ。その意味で、魂の耳で、目で読む価値があるのは、なんと言っても『山上の垂訓』ではあるまいか。



山上の垂訓(続き)。イエス八つの祝福と八つの災難を宣言す。奨励の言葉を語る。使徒の働きの貴き特色を強調す。


イエスは十二弟子と共に、山の頂に登って言った、


 「会堂の十二柱、キリストの使徒よ、生命(いのち)の光を運ぶ者、人々に対する神の使者よ、やがてあなたがたは独りで出ていって、先ずユダヤ人に、次ぎに全世界に、王の福音を伝えねばならぬ。


 また、縄の鞭で人を追いやってはならぬ。無理に人を王に押しやることは出来ない。しかし、あなたがたは愛と援助(たすけ)をもって行き、正義と光に行く道を案内し、行って神の国が近づいたことを告げるがよい。


 霊の力ある人々は立派である。天国は彼らのものである。

 柔和な人々は立派である。彼らは地を嗣(つ)ぐであろう。

 義に飢え渇く人々は立派である。彼らは満足させられよう。

 あわれみ深い人々は立派である。あわれみが彼らに示されるであろう。

 自我に打ち勝つ人々は立派である。彼らは力の鍵を持っている。

 心の清い人々は立派である。彼らは王にまみゆるであろう。

 正しいことをなすためにそしられ苦しめられる人は立派である。彼らはその迫害者を祝するであろう。

 信頼すべき信仰の子は立派である。彼らは権力の座にすわるであろう。


 世があなたがたを責め呪(のろ)われる者と言う時に失望してはならぬ、却つて大いに喜ぶがよい。予言者、先覚者、その他地上すべての善人はそしられた。

 もしあなたがたが生命の冠を受ける価値(ねうち)があれば、あなたがたはこの世でそしられ罵(ののし)られ呪われるであろう。悪人たちがその仕業(しわざ)からあなたがたを追い払い、あなたがたの名をののしり、町の笑いものにする時は喜ぶがよい。


 喜べとわたしは言う。しかし、悪をなす人々にはめぐみを施すがよい。彼らは単にたわむれている子供たちに過ぎない。自分のすることが分からない。


 倒れた人々を見てうれしがってはならない。あなたがたが人々を罪の深みから助け上げるように、神はあなたがたを一段高いところに上げて下さるだろう。


 黄金と土地を持つ富める人たちはわざわいである。彼らには色々な誘惑がある。

 意のままに快楽の道を歩む者はわざわいである。その道はわなと危険なおとしあなで一杯である。

 たかぶる人々はわざわいである。彼らは断岸に立っている。破滅が彼らを待ちかまえている。

 むさぼる人々はわざわいである。その持ちものは自分のものでない。見よ、ほかの人が来て、自分の富は無くなるだろう。

 偽善者はわざわいである。その姿は見ては美わしいが、心は死骸と死人の骨で一杯である。

 残酷な仮借(かしゃく)のない人々はわざわいである。彼らは自分で自分の行為の犠牲となる。

 人に対して行うであろう悪事ははねかえって来て、苦しめた自分が苦しめられる。


 弱き者の徳を餌食(えじき)とする放蕩者はわざわいである、自分が弱くなった時、もっと強い放蕩者の餌食となるであろう。


 世がこぞってあなたがたを讃(ほ)める時はわざわいである。世は聖気のなかに生きている人々を讃めない。詐(いつわ)りの予言者と卑しい妄想を讃める。


 聖気によりて歩む人々は、世の塩である。しかしもしあなたがたがききめがないなら、名ばかりの塩で、塵と同様で何の価値(ねうち)もない。


 あなたがたは光である。世を照らすために召された者である。

 山上の町はかくされない。その光は遠方から見える。そして、あなたがたが生命(いのち)の山に立つ間、人々はあなたがたの光を見、あなたがたの行動をまねて神をあがめる。

 人々はランプをともして、これを樽のなかにいれておかない。台の上において、家のなかを照らすようにする。あなたがたは神のランプである。この世の幻想の影に立ってはならない。台の上にあって、開けはなたれた高いところにおかれていなければならない。


 わたしは律法(おきて)をむだにしたりこぼつためにきたのではない。これを完成するために来た。律法、予言者、詩篇は聖気の智恵によって記されたから、決してすたれることはない。


 今の天と地とは変わって過ぎ去るであろうが、神の言葉は確かである。それは送られた場所で成就されるまでは過ぎ去ることは出来ない。


 誰でも神の律法(おきて)を軽んじ、同じようなことをするように人々に教える者は、神に対する負債者となり、生命の犠牲によって、その負債を払うまでは、神の顔を見ることは出来ない。

 しかし、神の言葉を聴き、その律法を守り、地上にその意志を行う者はキリストと共に世を支配するであろう。


 律法学者とパリサイ人は律法(おきて)の文字に注意し、律法の精神を知ることが出来ない。もしあなたがたの正しいことが、律法学者やパリサイ人が正しい以上でなければ、魂の王国に入ることが出来ない。


 文を通過する権利を与えるものは人の行為でない。その合い言葉は人格であり、その望みは人格である。律法(おきて)の文字は人の行為を取り扱い、律法の精神はその人の望みに気をつける。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第九十五章 山上の垂訓(続き)。イエス八つの祝福と八つの災難を宣言す。奨励の言葉を語る。使徒の働きの貴き特色を強調す。


1)イエスは十二弟子と共に、山の頂に登って言った、

2)「会堂の十二柱、キリストの使徒よ、生命(いのち)の光を運ぶ者、人々に対する神の使者よ、

3)やがてあなたがたは独りで出ていって、先ずユダヤ人に、次ぎに全世界に、王の福音を伝えねばならぬ。

4)また、縄の鞭で人を追いやってはならぬ。無理に人を王に押しやることは出来ない。

5)しかし、あなたがたは愛と援助(たすけ)をもって行き、正義と光に行く道を案内し、

6)行って神の国が近づいたことを告げるがよい。

7)霊の力ある人々は立派である。天国は彼らのものである。

8)柔和な人々は立派である。彼らは地を嗣(つ)ぐであろう。

9)義に飢え渇く人々は立派である。彼らは満足させられよう。

10)あわれみ深い人々は立派である。あわれみが彼らに示されるであろう。

11)自我に打ち勝つ人々は立派である。彼らは力の鍵を持っている。

12)心の清い人々は立派である。彼らは王にまみゆるであろう。

13)正しいことをなすためにそしられ苦しめられる人は立派である。彼らはその迫害者を祝するであろう。

14)信頼すべき信仰の子は立派である。彼らは権力の座にすわるであろう。

15)世があなたがたを責め呪(のろ)われる者と言う時に失望してはならぬ、却つて大いに喜ぶがよい。

16)予言者、先覚者、その他地上すべての善人はそしられた。

17)もしあなたがたが生命の冠を受ける価値(ねうち)があれば、あなたがたはこの世でそしられ罵(ののし)られ呪われるであろう。

18)悪人たちがその仕業(しわざ)からあなたがたを追い払い、あなたがたの名をののしり、町の笑いものにする時は喜ぶがよい。

19)喜べとわたしは言う。しかし、悪をなす人々にはめぐみを施すがよい。彼らは単にたわむれている子供たちに過ぎない。自分のすることが分からない。

20)倒れた人々を見てうれしがってはならない。あなたがたが人々を罪の深みから助け上げるように、神はあなたがたを一段高いところに上げて下さるだろう。

21)黄金と土地を持つ富める人たちはわざわいである。彼らには色々な誘惑がある。

22)意のままに快楽の道を歩む者はわざわいである。その道はわなと危険なおとしあなで一杯である。

23)たかぶる人々はわざわいである。彼らは断岸に立っている。破滅が彼らを待ちかまえている。

24)むさぼる人々はわざわいである。その持ちものは自分のものでない。見よ、ほかの人が来て、自分の富は無くなるだろう。

25)偽善者はわざわいである。その姿は見ては美わしいが、心は死骸と死人の骨で一杯である。

26)残酷な仮借(かしゃく)のない人々はわざわいである。彼らは自分で自分の行為の犠牲となる。

27)人に対して行うであろう悪事ははねかえって来て、苦しめた自分が苦しめられる。

28)弱き者の徳を餌食(えじき)とする放蕩者はわざわいである、自分が弱くなった時、もっと強い放蕩者の餌食となるであろう。

29)世がこぞってあなたがたを讃(ほ)める時はわざわいである。世は聖気のなかに生きている人々を讃めない。詐(いつわ)りの予言者と卑しい妄想を讃める。

30)聖気によりて歩む人々は、世の塩である。しかしもしあなたがたがききめがないなら、名ばかりの塩で、塵と同様で何の価値(ねうち)もない。

31)あなたがたは光である。世を照らすために召された者である。

32)山上の町はかくされない。その光は遠方から見える。そして、あなたがたが生命(いのち)の山に立つ間、人々はあなたがたの光を見、あなたがたの行動をまねて神をあがめる。

33)人々はランプをともして、これを樽のなかにいれておかない。台の上において、家のなかを照らすようにする。

34)あなたがたは神のランプである。この世の幻想の影に立ってはならない。台の上にあって、開けはなたれた高いところにおかれていなければならない。

35)わたしは律法(おきて)をむだにしたりこぼつためにきたのではない。これを完成するために来た。

36)律法、予言者、詩篇は聖気の智恵によって記されたから、決してすたれることはない。

37)今の天と地とは変わって過ぎ去るであろうが、神の言葉は確かである。それは送られた場所で成就されるまでは過ぎ去ることは出来ない。

38)誰でも神の律法(おきて)を軽んじ、同じようなことをするように人々に教える者は、神に対する負債者となり、生命の犠牲によって、その負債を払うまでは、神の顔を見ることは出来ない。

39)しかし、神の言葉を聴き、その律法を守り、地上にその意志を行う者はキリストと共に世を支配するであろう。

40)律法学者とパリサイ人は律法(おきて)の文字に注意し、律法の精神を知ることが出来ない。

41)もしあなたがたの正しいことが、律法学者やパリサイ人が正しい以上でなければ、魂の王国に入ることが出来ない。

42)文を通過する権利を与えるものは人の行為でない。その合い言葉は人格であり、その望みは人格である。

43)律法(おきて)の文字は人の行為を取り扱い、律法の精神はその人の望みに気をつける。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 95

The Sermon on the Mount, continued. Jesus pronounces the eight beatitudes and the eight woes.
Speaks words of encouragement. Emphasizes the exalted character of the apostolic work.

AND Jesus and the twelve went to the mountain top, and Jesus said,
2) Twelve pillars of the church, apostles of the Christ; light-bearers of the sun of life and ministers of God to men:
3) In just a little while you must go forth alone, and preach the gospel of the king, first to the Jews and then to all the world.
4) And you shall go, not with a scourge of cords to drive; you cannot drive men to the king;
5) But you shall go in love and helpfulness and lead the way to right and light.
6) Go forth and say, The kingdom is at hand.
7) Worthy are the strong in spirit; theirs the kingdom is.
8) Worthy are the meek; they shall possess the land.
9) Worthy they who hunger and who thirst for right; they shall be satisfied.
10) Worthy are the merciful; and mercy shall be shown to them.
11) Worthy they who gain the mastery of self; they have the key of power.
12) Worthy are the pure in heart; and they shall see the king.
13) Worthy they who are maligned and wronged because they do the right; their persecutors they shall bless.
14) Worthy is the trustful child of faith; he shall sit in the throne of power.
15) Be not discouraged when the world shall persecute and call you crust; but rather be exceeding glad.
16) The prophets and the seers, and all the good of earth, have been maligned.
17) If you are worthy of the crown of life you will be slandered, vilified and crust on earth.
18) Rejoice when evil men shall drive you from their ways and cause your name to be a hiss and by-word in the street.
19) I say, rejoice; but deal in mercy with the doers of the wrong; they are but children at their play; they know not what they do.
20) Rejoice not over fallen foes. As you help men rise from the depth of sin, so God will help you on to greater heights.
21) Woe to the rich is gold and lands; they have temptations multiform.
22) Woe unto men who walk at will in pleasure's paths; their ways are full of snares and dangerous pits.
23) Woe to the proud; they stand upon a precipice; destruction waits for them.
24) Woe to the man of greed; for what he has is not his own; and lo, another comes; his wealth is gone.
25) Woe to the hypocrite; his form is fair to look upon; his heart is filled with carcasses and dead men's bones.
26) Woe to the cruel and relentless man; he is himself the victim of his deeds.
27) The evil he would do to other men rebounds; the scourger is the scourged.
28) Woe to the libertine who preys upon the virtues of the weak. The hour comes when he will be the weak, the victim of a libertine of greater power.
29) Woe unto you when all the world shall speak in praise of you. The world speaks not in praise of men who live within the Holy Breath; It speaks in praise of prophets false, and of illusions base.
30) You men who walk in Holy Breath are salt, the salt of earth; but if you lose your virtue you are salt in name alone, worth nothing more than dust.
31) And you are light; are called to light the world.
32) A city on a hill cannot be hid; its lights are seen afar; and while you stand upon the hills of life men see your light and imitate your works and honor God.
33) Men do not light a lamp and hide it in a cask; they put it on a stand that it may light the house.
34) You are the lamps of God; must not stand in the shade of earth illusions, but in the open, high upon the stand.
35) I am not come to nullify the law, nor to destroy; but to fulfil.
36) The Law, the Prophets and the Psalms were written in the wisdom of the Holy breath and cannot fail.
37) The heavens and earth that are will change and pass away; the word of God is sure; it cannot pass until it shall accomplish that where-unto it hath been sent.
38) Whoever disregards the law of God and teaches men to do the same, becomes a debtor unto God and cannot see his face until he has returned and paid his debt by sacrifice of life.
39) But he who hearkens unto God and keeps his law and does his will on earth, shall rule with Christ.
40) The scribes and Pharisees regard the letter of the law; they cannot comprehend the spirit of the law;
41) And if your righteousness does not exceed the righteousness of scribe and Pharisee you cannot come into the kingdom of the soul.
42) It is not what man does that gives him right to enter through the gates; his pass word is his character and his desire is his character.
43) The letter of the law deals with the acts of man; the spirit of the law takes note of his desires.

 【続く】