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飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その105

2011-10-19 15:43:43 | 物語

イエス群集を教える。偽りの体面について語る!!


 心機一転。 

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<記事に無関係-きっと地震雲?!9月25日in徳島

 

 心機一転と言うことは、何にでもある。大きくも小さくもある。言わば、世の中の全ては、日々、心機一転だろう。相変わらずと言うことは、本当は良くないことである。


 何故か? 


 全ては千転万化しているからである。何も昨日と同じ事は一つとしてない。今日は全て新しい。明日はどう変化するか分からない。しかし、確実に変化する。これは真理であろう。 


 会うは、別れの始めなり、

 別れは元に還ること、とはよく言ったものだ。 


 偽りの対面とは何か? 難しいことではない。現在の姿に執着することである。地位・名誉・物質・金・学問・権力・・・これらは全て一瞬のものだ。そして、確実に消え去る。


 罪穢れという言葉があるが、これらは変化する一局面でしかない。何れも時と共に清められていく。別に清めようとしなくても、浄められていくものである。恰も、度重なる慈雨が流すように、文字通り流されていくのである。


 まさに現在、江戸は穢土になった、という御仁が居る。それは正しいであろう。それは放射能で犯されたからであるが、放射能とは何かというと、物質が変化する過程である。それが通常よりも過激であるから、人間にはその量によって、都合が悪い。しかし、必ず、安定的な物質になり、放射能ではなくなると言うことも真理だ。 


 変化するには痛みが伴う。それは執着した心が痛むからである。執着していなければ痛まないのであろうか? 当然、痛まない。新たな変化を嬉し、嬉しで受け入れる。


 こういう事だ。別に難しい話ではないが、仲々そうは思えない人間が多い。今も昔も多い。それが、積み重なった思いというものだ。罪は積みに繋がる。穢れは気枯れに繋がる。 


 つまり、いのち(生命)というものがどこから来るかという問題だ。自分がそれを生みだした訳では無かろう。上から来ると言うが、それは比喩の話で、上でも下でも、宇宙でも、要するに、元があって、そこから来るというのが正解だ。


 そして、それは常に変化を促している。心機一転とはいのち(生命)の姿でもあろう。それに沿わないことには、元気を失うと言うことである。偽りの空元気では、人生は虚しい。


 

イエス群集を教える。シモン家の宴席に列す。富める遊び女彼に高価な香油を塗る。
シモン彼を責める。偽りの体面について語る。


 イエスは利己的な利益をめあてに押し寄せ来た多くの人々を見た。学問あり、金持ちであり、名声あり、権力ある人が居たが、彼らはどれもキリストを知らなかった。


 彼らの目は利己的な自我の見せかけの光で目がくらみ、王を見ることは出来なかった。彼らは明るいなかを歩いていても、死の夜の如き暗黒のなかをさまよっていた。


 イエスは天に目を注いで言う、


 「天地の聖なる者よ、光が智者や名ある人からかくされて、赤児に現わされていることを感謝する。」


 それから群集に向って言った、「わたしが来たのは人の名によってでも自分の力によってでもない。わたしがあなたがたに持つ智恵と力は上からのもの、われらのあがめまつる神の智恵と力である。


 わたしの語る言葉はわたしの言葉ではない。わたしが受けたものをあなたがたに与える。苦労して重荷を挽(ひ)く者は、わたしに来るがよい。わたしは助けてやる。わたしと共にキリストの軛(くびき)を身につけよ。これはからだをいためない。やさしい軛(くびき)である。


 気軽に生命の荷物を一緒に挽いてよろこぼう。」


 シモンというパリサイ人が宴をもうけた。イエスがその賓客であった。


 一同が食卓につくと、ひとりの遊び女が招かれずに宴席に来た。彼女はさきにイエスの助けを受け、またその働きを見て、これまでのように罪を犯す欲望を捨てて救われたのであった。


 彼女は高価な香油(においあぶら)を入れたアラバスターの箱をもって来て、客人たちが横臥している間に、喜ぴながらイエスに近づいて来た。これは彼女が罪から救われたからである。


 彼女はいたく涙にくれ、イエスの足に接吻しながら自分の髪の毛でこれをぬぐい、それからこれに香油を塗った。


 シモンは口に出さなかったが心で思った、「この人は予言者ではない。それなら、自分に近よっている女がどんな女であるかを知って、追い払ったであろうに。」


 しかし、イエスはその思いを知って、主人に言った、「あなたに一言したい。」


 シモン、「言って下さい。」


 イエス、「罪は不正な怪物で、大小さまざまだ。すでに何か犯したものもあれぱ、まだ犯さずにおるものもある。見よ、或る人は罪の生活をしていて最後に救われ、或る人は無頓着な態度で、当然なすぺきことを忘れているが、改心して赦される。さて、これらの人々のなかで、どちらが高く讃められる価値があるか。」


 シモン、「一生の過失によく勝った者です。」


 イエス、「その通り。見よ、この女はわたしの足を涙で洗い、髪の毛でこれを乾かし、香油を塗った。多年彼女は罪の生活を送っていた。しかし、生命(いのち)の言葉を聞くや、赦冤(ゆるし)を求めて、これを見出した。


 しかし、わたしがあむたの家に客として来て、わたしの手や足を洗う水鉢(みずばち)を出さない、これは忠実なユダヤ人なら、食前に当然なすべきことだ。


 さて、シモン、この婦人とあなた自身と、どちらが一番ほめられる価値があるか。」


 シモンは答えなかった。


 すると、イエスはその女に言った、「あなたの罪はすべて赦された。あなたの信仰があなたを救った。安んじて行くがよい。」


 すると、食卓のまわりに坐っていた客人たちは互いに言い始めた、「あなたの罪はすぺて赦されたと言うこの人は果して何人なのか。」


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 

第百四章 イエス群集を教える。シモン家の宴席に列す。富める遊び女彼に高価な香油を塗る。
シモン彼を責める。偽りの体面について語る。


1)イエスは利己的な利益をめあてに押し寄せ来た多くの人々を見た。

2)学問あり、金持ちであり、名声あり、権力ある人が居たが、彼らはどれもキリストを知らなかった。

3)彼らの目は利己的な自我の見せかけの光で目がくらみ、王を見ることは出来なかった。

4)彼らは明るいなかを歩いていても、死の夜の如き暗黒のなかをさまよっていた。

5)イエスは天に目を注いで言う、

6)「天地の聖なる者よ、光が智者や名ある人からかくされて、赤児に現わされていることを感謝する。」

7)それから群集に向って言った、「わたしが来たのは人の名によってでも自分の力によってでもない。

8)わたしがあなたがたに持つ智恵と力は上からのもの、われらのあがめまつる神の智恵と力である。

9)わたしの語る言葉はわたしの言葉ではない。わたしが受けたものをあなたがたに与える。

10)苦労して重荷を挽(ひ)く者は、わたしに来るがよい。わたしは助けてやる。

11)わたしと共にキリストの軛(くびき)を身につけよ。これはからだをいためない。やさしい軛(くびき)である。

12)気軽に生命の荷物を一緒に挽いてよろこぼう。」

13)シモンというパリサイ人が宴をもうけた。イエスがその賓客であった。

14)一同が食卓につくと、ひとりの遊び女が招かれずに宴席に来た。彼女はさきにイエスの助けを受け、またその働きを見て、これまでのように罪を犯す欲望を捨てて救われたのであった。

15)彼女は高価な香油(においあぶら)を入れたアラバスターの箱をもって来て、客人たちが横臥している間に、喜ぴながらイエスに近づいて来た。これは彼女が罪から救われたからである。

16)彼女はいたく涙にくれ、イエスの足に接吻しながら自分の髪の毛でこれをぬぐい、それからこれに香油を塗った。

17)シモンは口に出さなかったが心で思った、「この人は予言者ではない。それなら、自分に近よっている女がどんな女であるかを知って、追い払ったであろうに。」

18)しかし、イエスはその思いを知って、主人に言った、「あなたに一言したい。」

19)シモン、「言って下さい。」

20)イエス、「罪は不正な怪物で、大小さまざまだ。すでに何か犯したものもあれぱ、まだ犯さずにおるものもある。

21)見よ、或る人は罪の生活をしていて最後に救われ、或る人は無頓着な態度で、当然なすぺきことを忘れているが、改心して赦される。さて、これらの人々のなかで、どちらが高く讃められる価値があるか。」

22)シモン、「一生の過失によく勝った者です。」

23)イエス、「その通り。

24)見よ、この女はわたしの足を涙で洗い、髪の毛でこれを乾かし、香油を塗った。

25)多年彼女は罪の生活を送っていた。しかし、生命(いのち)の言葉を聞くや、赦冤(ゆるし)を求めて、これを見出した。

26)しかし、わたしがあむたの家に客として来て、わたしの手や足を洗う水鉢(みずばち)を出さない、これは忠実なユダヤ人なら、食前に当然なすべきことだ。

27)さて、シモン、この婦人とあなた自身と、どちらが一番ほめられる価値があるか。」

28)シモンは答えなかった。

29)すると、イエスはその女に言った、「あなたの罪はすべて赦された。あなたの信仰があなたを救った。安んじて行くがよい。」

30)すると、食卓のまわりに坐っていた客人たちは互いに言い始めた、「あなたの罪はすぺて赦されたと言うこの人は果して何人なのか。」


 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 104

Jesus teaches the multitudes. Attends a feast in Simon's house.
A wealthy courtesan anoints him with precious balm.
Simon rebukes him and he preaches a sermon on false respectability.

AND Jesus looked upon the multitudes who pressed about for selfish gain.
2) The men of learning and of wealth, of reputation and of power, were there; but they knew not the Christ.
3) Their eyes were blinded by the tinseled glitter of their selfish selves; they could not see the king.
4) And though they walked within the light, they groped about in dark - a darkness like the night of death.
5) And Jesus cast his eyes to heaven and said,
6) I thank thee, Holy One of heaven and earth, that while the light is hidden from the wise and great, it is revealed to babes.
7) Then turning to the multitudes he said,
I come to you not in the name of man, nor in a strength my own;
8) The wisdom and the virtue that I bring to you are from above; they are the wisdom and the virtue of the God whom we adore.
9) The words I speak are not my words; I give to you what I receive.
10) Come unto me all you who labor and pull heavy loads and I will give you aid.
11) Put on the yoke of Christ with me; it does not chafe; it is an easy yoke.
12) Together we will pull the load of life with ease; and so rejoice.
13) A Pharisee, whose name was Simon, made a feast, and Jesus was the honored guest.
14) And as they sat about the board, a coutesan who had been cured of her desire to sin by what she had received and seen in Jesus' ministry, came uninvited to the feast.
15) She brought an alabaster box of costly balm and as the guests reclined she came to Jesus in her joy, because she had been freed from sin.
16) Her tears fell fast, she kissed his feet, and dried them with her hair, and she anointed them with balm.
17) And Simon thought, he did not speak aloud,
This man is not a prophet or he would know the kind of woman that approaches him, and would drive her away.
18) But Jesus knew his thoughts, and said to him,
My host, I have a word to say to you.
19) And Simon said,
Say on.
20) And Jesus said,
Sin is a monster of iniquity; it may be small; it may be large; it may be something done; it may be something left undone.
21) Behold, one person leads a life of sin and is at last redeemed; another, in a careless mood, forgets to do the things he ought to do but he reforms and is forgiven. Now, which of these has merited the higher praise?
22) And Simon said,
The one who overcame the errors of a life.
23) And Jesus said,
You speak the truth.
24) Behold this woman who has bathed my feet with tears and dried them with her hair and covered them with balm!
25) For years she led a life of sin, but when she heard the words of life she sought forgiveness and she found.
26) But when I came into your house as guest you gave me not a bowl of water that I might wash my hands and feet, which every loyal Jew must do before he feasts.
27) Now, tell me, Simon, which of these, this woman or yourself, is worthy of most praise?
28) But Simon answered not.
29) Then to the woman Jesus said,
Your sins are all forgiven; your faith has saved you; go in peace.
30) And then the guests who sat around the board, began to say within themselves,
What manner of a man is this who says, Thy sins are all forgiven?

 【続く】


不思議な少年!! その104

2011-07-24 18:36:54 | 物語

イエスの家庭に於けるキリスト者たち。ヨハネの性格を讃める!! 


 こういう詳細な話は聖書にはない。物語故の成せる技であろう。だが、信憑性は高い。  

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 <記事に無関係-大型クルーザーパシフィックヴィーナス号

 

 性格はバプテスマのヨハネが、エリアの再来(転生)であるとの観測は、夙に有名である。あの激情と真っ正面な魂は、比類することが出来ない。再来したことには意味があるのだろう。


 言うまでもなく、エリヤはあのバビロンのバベルの塔が建設された時代、登場した預言者である。そして、その時代の人間の増長慢を戒めたが、追放され砂漠をさまよった。その時、命脈を保ったのが『マナ』と言われる。結局、バベルの塔は稲妻と共に崩れ去った 


 当時の信仰はバール信仰、邪教の巣窟であった。所謂、唯物信仰である。それの過ちを指摘したのがエリヤである。おそらく、イエスの時代もそれに近い状況であったであろうと想われる。その為に地ならしを必要にしたのだ。 


 翻って、現代もそれに近い状況がある。寧ろ、今の方がその頂点にあるのかも知れない。最大の唯物信仰は、利益欲望の精神だ。拝金信仰こそ現代の唯物信仰の特徴である。 


 はたして、真の豊かさが物質で得られるであろうか? お金で得られるであろうか。物も金の一瞬に消えてしまうものである。その事は大震災と津波が実証した。また、生命(いのち)迄も儚いものである。まさに諸行は無常である。


 3.11以来、多くの人々が多くの目覚めを体験している。それは現代のバベルの塔が崩壊したのである。現代のバベルの塔とは言うまでもなく、原子力発電所である。絶対安全の原子力発電所はもろくも崩れ去った。現代の諸行無常だ。


 宇宙人バシャールは語っている。真の豊かさとは、『やる必要がある時、やる必要のする能力。That All!』。蓋し、至言である。決して、お金ではない。お金は消える。必要な時、必要なお金があれば、それは能力であり、豊かさの一側面に過ぎない。


 諸行無常は又、諸法無我でもある。哀しみは有我であるが、それは一定の限られた時間と空間で描くイメージであって、永遠のものではない。その証拠に、やがてどんな哀しみと言えども必ず去る。そして、別のイメージの中に人は生きるのである。


 イエスの時代も現代も多くの面で違いはない。寧ろ、現代が多くの指針を喪っている。その最たるものは信である。信仰とも言っても良いが、言うなら『正しい信仰』である。唯物信仰、科学信仰ではない。それらは創られたものに対する『逆転(さかさま)の信仰』である。極論すれば、邪教である。


 思念が世界を創った。そして、思念が世界に人間が登場した。そして、人間はそれによって生かされ、イメージの世界に修行をしている存在である。そして、それは永遠に続く。思念とは、言うまでもなく創造主の思念であろう。それを正しく受け止めると禍福は一大転換をする。


 

イエスの家庭に於けるキリスト者たち。イエスは毎朝十二弟子と外国の教師たちを教えた。イエスは先駆者ヨハネから使者を受け、奨励の言葉を送る。彼はヨハネの性格を讃める。


 イエスの家庭は、早朝十二弟子たちと外国の僧侶たちが神の秘密なことを教えられる学佼であった。そこに来た僧侶たちは、支那から、インドから、またバビロンやベルシャから、エジプト、ギリシャから来た。


 彼らはイエスの足もとに坐し、彼が人々に携えて来た教育法を教えられ、その途中で受ける試練を語り、如何ようにしてこれらの試練が人類に奉仕すべきかを教えた。


 彼は如何にして死に打ち克つように、清き生活を営むべきかを教えた。人間が人と神とが一つなりとの意識に達すれば、その一生の終わりはどのようなものになるかを教えた。


 午後は人々は生きる方法を学び、いやされようとして来た群衆に費やされた。そして、信じてバプテスマを受けた者が多かった。


 さて、死海附近の牢獄に居た先駆者ヨハネはイエスの行ったすべての力あるわざについて伝え聞いていた。その牢獄生活は苦しく、気力がくじけ、懐疑(うたがい)がきざし始めた。


 ヨハネはひとりごとを言った、「このキリストは木当に予言者が記しているキリストなのだろうか!自分のやった仕事はあやまったのかしら? 自分は本当にわれらの民イスラエルを救う道備えをするために、神から遣わされたのだろうか。」


 そこで彼は牢獄に逢いに来た友人をカペルナウムにやって、この人について聞きただした上で、自分に知らしてくれとたのんだ。


 使者たちはイエスをその家にたずねて言った、「先躯者は、あなたはキリストか、或はまだ来ないのが、と尋ねるようにわたしたちを送りました。」


 しかしイエスはこれに答えず、唯数日間滞在して見聞したらよかろうと令じた。


 彼らはイエスが病人をいやし、あしなえを歩かせ、聾者(つんぼ)が聞き、盲人が見るようになるの目のあたりに見た。彼らはイエスが憑かれた者から悪霊を追い払い、死人を生き返らすことなどを見た。貧しい者に福音を伝えるのを聞いた。


 それからイエスは彼らに言った、「帰って行き、ヨハネに見たこと聞いたことを話すがよい、そうすれば分かるだろう。」彼らは帰っていった。


 群集がそこに居ったので、イエスは彼らに言った、「嘗つてあなたがたはヨルダン川の渡場に押し寄せて来たたことがあった。荒野が人々で一杯になった。あなたがたは何を見ようとて行ったか。ユダの木か、ヘスの花か、または王者の服装をした人か。或は予言者、先覚者を見るためか。


 あなたがたは誰を見たか分かっていない。予言者か。その通りだ。しかもそれ以上の者である。彼は神が今日あなたがたが見かつ聞くところに行く道を備えるために送った使者である。この世に生れた人のなかで、ヨハネより勝(まさ)れる人物はなかった。


 見よ、ヘロデが鎖につないで牢獄に入れたこの人は、エリヤの再生である。エリヤは死の門を通らずに、その肉体は変わってパラダイスで目覚めた。


 ヨハネが来て、魂を清め、改心の福音を伝えた時、一般の人々は信じてバプテスマを受けた。律法学者とパリサイ人はこの人の教えを認めず、バプテスマを受けなかった。


 見よ、取り逃がした機会は決して二度と来ないであろう。


 見よ、民衆は波浪のように動揺し、正義から免れようとする。


 ヨハネが来、パンを食わず酒を飲まず、人を避けて至って単純な生活を営めば、人々はとりつかれた者と言った。もうひとりの人が来て、普通の人のように飲みかつ食らい、普通の人のように生活すれば、彼は食をむさぼる者、大酒飲み、また取税人や罪を犯す者の仲間だと言う。


 わざわいなるかな、汝ら、神の力あるわざが行われているガリラヤの谷間の町々よ。コラジン、ベッサイダよ、わざわいなるかな。もし汝らになされた力あるわざの半分でも、ツロとシドンで行われたら、彼らはとうのむかしに罪喬い改めて、正しき道を求めたろうに!


 さばきの日には、ツロとシドンの方が、汝らにまさっていると言われるだろう。汝らは最も高価な真珠を棄てたが、彼らはその賜物を軽んじなかつた。


 汝ら、カペルナウムよ、わざわいなるかな、今はあがめられているが、やがていやしめられるであろう。汝らに行われた力あるわざが、ソドムとゼボイムの野山の町々で行われたなら、彼らはこれを聞いて神に帰って来て、減ぼされなかっただろう。


 彼らは無知のために死んだ。光がなかったのだ。しかし汝らは聞いた。汝らは証拠を見た。  


 生命の光は汝らの山上に示され、ガリラヤのすべての海辺は光に燃えている。


 神の栄光は到るところの町、会堂、家庭に示されているのに、汝らは光をあなどった。


 見よ、わたしは言う、さばきの日が来て、神は汝らに対するよりも、一層大いなるあわれみを以て野山の町々をとり扱うだろう。」 

 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百三章 イエスの家庭に於けるキリスト者たち。イエスは毎朝十二弟子と外国の教師たちを教えた。イエスは先駆者ヨハネから使者を受け、奨励の言葉を送る。彼はヨハネの性格を讃める。


1)イエスの家庭は、早朝十二弟子たちと外国の僧侶たちが神の秘密なことを教えられる学佼であった。

2)そこに来た僧侶たちは、支那から、インドから、またバビロンやベルシャから、エジプト、ギリシャから来た。

3)彼らはイエスの足もとに坐し、彼が人々に携えて来た教育法を教えられ、その途中で受ける試練を語り、如何ようにしてこれらの試練が人類に奉仕すべきかを教えた。

4)彼は如何にして死に打ち克つように、清き生活を営むべきかを教えた。

5)人間が人と神とが一つなりとの意識に達すれば、その一生の終わりはどのようなものになるかを教えた。

6)午後は人々は生きる方法を学び、いやされようとして来た群衆に費やされた。そして、信じてバプテスマを受けた者が多かった。

7)さて、死海附近の牢獄に居た先駆者ヨハネはイエスの行ったすべての力あるわざについて伝え聞いていた。

8)その牢獄生活は苦しく、気力がくじけ、懐疑(うたがい)がきざし始めた。

9)ヨハネはひとりごとを言った、「このキリストは木当に予言者が記しているキリストなのだろうか!

10)自分のやった仕事はあやまったのかしら? 自分は本当にわれらの民イスラエルを救う道備えをするために、神から遣わされたのだろうか。」

11)そこで彼は牢獄に逢いに来た友人をカペルナウムにやって、この人について聞きただした上で、自分に知らしてくれとたのんだ。

12)使者たちはイエスをその家にたずねて言った、「先躯者は、あなたはキリストか、或はまだ来ないのが、と尋ねるようにわたしたちを送りました。」

13)しかしイエスはこれに答えず、唯数日間滞在して見聞したらよかろうと令じた。

14)彼らはイエスが病人をいやし、あしなえを歩かせ、聾者(つんぼ)が聞き、盲人が見るようになるの目のあたりに見た。

15)彼らはイエスが憑かれた者から悪霊を追い払い、死人を生き返らすことなどを見た。

16)貧しい者に福音を伝えるのを聞いた。

17)それからイエスは彼らに言った、「帰って行き、ヨハネに見たこと聞いたことを話すがよい、そうすれば分かるだろう。」彼らは帰っていった。

18)群集がそこに居ったので、イエスは彼らに言った、「嘗つてあなたがたはヨルダン川の渡場に押し寄せて来たたことがあった。荒野が人々で一杯になった。

19)あなたがたは何を見ようとて行ったか。ユダの木か、ヘスの花か、または王者の服装をした人か。或は予言者、先覚者を見るためか。

20)あなたがたは誰を見たか分かっていない。予言者か。その通りだ。しかもそれ以上の者である。彼は神が今日あなたがたが見かつ聞くところに行く道を備えるために送った使者である。

21)この世に生れた人のなかで、ヨハネより勝(まさ)れる人物はなかった。

22)見よ、ヘロデが鎖につないで牢獄に入れたこの人は、エリヤの再生である。

23)エリヤは死の門を通らずに、その肉体は変わってパラダイスで目覚めた。

24)ヨハネが来て、魂を清め、改心の福音を伝えた時、一般の人々は信じてバプテスマを受けた。

25)律法学者とパリサイ人はこの人の教えを認めず、バプテスマを受けなかった。

26)見よ、取り逃がした機会は決して二度と来ないであろう。

27)見よ、民衆は波浪のように動揺し、正義から免れようとする。

28)ヨハネが来、パンを食わず酒を飲まず、人を避けて至って単純な生活を営めば、人々はとりつかれた者と言った。

29)もうひとりの人が来て、普通の人のように飲みかつ食らい、普通の人のように生活すれば、彼は食をむさぼる者、大酒飲み、また取税人や罪を犯す者の仲間だと言う。

30)わざわいなるかな、汝ら、神の力あるわざが行われているガリラヤの谷間の町々よ。コラジン、ベッサイダよ、わざわいなるかな。

31)もし汝らになされた力あるわざの半分でも、ツロとシドンで行われたら、彼らはとうのむかしに罪喬い改めて、正しき道を求めたろうに!

32)さばきの日には、ツロとシドンの方が、汝らにまさっていると言われるだろう。

33)汝らは最も高価な真珠を棄てたが、彼らはその賜物を軽んじなかつた。

34)汝ら、カペルナウムよ、わざわいなるかな、今はあがめられているが、やがていやしめられるであろう。

35)汝らに行われた力あるわざが、ソドムとゼボイムの野山の町々で行われたなら、彼らはこれを聞いて神に帰って来て、減ぼされなかっただろう。

36)彼らは無知のために死んだ。光がなかったのだ。しかし汝らは聞いた。汝らは証拠を見た。

37)生命の光は汝らの山上に示され、ガリラヤのすべての海辺は光に燃えている。

38)神の栄光は到るところの町、会堂、家庭に示されているのに、汝らは光をあなどった。

39)見よ、わたしは言う、さばきの日が来て、神は汝らに対するよりも、一層大いなるあわれみを以て野山の町々をとり扱うだろう。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 103

The Christines in Jesus' home. Jesus teaches the twelve
and the foreign masters every morning.
Jesus receives messengers from John, the harbinger, and sends him
words of encouragement. He eulogizes the character of John.

THE home of Jesus was a school where in the early morning hours the twelve apostles and the foreign priests were taught the secret things of God.
2) And there were present priests from China, India, and from Babylon; from Persia, Egypt and from Greece,
3) Who came to sit at Jesus' feet to learn the wisdom that he brought to men, that they might teach their people how to live the holy life.
4) And Jesus taught them how to teach; he told them of the trials of the way, and how to make these trials serve the race.
5) He taught them how to live the holy life that they might conquer death;
6) He taught them what the end of mortal life will be, when man has reached the consciousness that he and God are one.
7) The after midday hours were given to the multitudes who came to learn the way of life and to be healed; and many did believe and were baptized.
8) Now, in his prison by the Bitter Sea the harbinger had heard of all the mighty works that Jesus did.
9) His prison life was hard, and he was sore distressed, and he began to doubt.
10) And to himself he said,
I wonder if this Jesus is the Christ of whom the prophets wrote!
11) Was I mistaken in my work? Was I, indeed, one sent from God to pave the way for him who shall redeem our people, Israel?
12) And then he sent some of his friends, who came to see him in his prison cell, up to Capernaum that they might learn about this man, and bring him word.
13) The men found Jesus in his home, and said,
Behold the harbinger sent us to ask, Are you the Christ? or is he yet to come?
14) But Jesus answered not; he simply bade the men to tarry certain days that they might see and hear.
15) They saw him heal the sick, and cause the lame to walk, the deaf to hear, the blind to see;
16) They saw him cast the evil spirits out of those obsessed; they saw him raise the dead.
17) They heard him preach the gospel to the poor.
18) Then Jesus said to them,
Go on your way; return to John and tell him all that you have seen and heard; then he will know.
They went their way.
19) The multitudes were there, and Jesus said to them,
Once you were crowding Jordan's fords; you filled the wilderness.
20) What did you go to see? The trees of Juda, and the flowers of Heth? Or did you go to see a man in kingly garb? Or did you go to see a prophet and a seer?
21) I tell you, men, you know not whom you saw. A prophet? Yea, and more; a messenger whom God had sent to pave the way for what you see and hear this day.
22) Among the men of earth a greater man has never lived than John.
23) Behold I say, This man whom Herod bound in chains and cast into a prison cell, is God's Elijah come again to earth.
24) Elijah, who did not pass the gate of death, whose body of this flesh was changed, and he awoke in Paradise.
25) When John came forth and preached the gospel of repentance for the cleansing of the soul, the common folks believed and were baptized.
26) The lawyers and the Pharisees accepted not the teachings of this man; were not baptized.
27) Behold, neglected opportunities will never come again.
28) Behold, the people are unstable as the waters of the sea; they seek to be excused from righteousness.
29) John came and ate no bread, and drank no wine. He lived the simplest life apart from men, and people said, He is obsessed.
30) Another comes who eats and drinks and lives in homes like other men, and people say, He is a glutton, an inebriate, a friend of publicans and those who sin.
31) Woe unto you, you cities of the vale of Galilee, where all the mighty works of God are done! Woe to Chorazan and Bethsaida!
32) If half the mighty works that have been done in you were done in Tyre and in Sidon they would have long ago repented of their sins, and sought the way of right.
33) And when the judgment day shall come, lo, Tyre and Sidon will be called more worthy than will you.
34) Because they slighted not their gifts, while you have thrown away the pearl of greatest price.
35) Woe unto you Capernaum! Behold, you are exalted now, but you shall be abased;
36) For if the mighty works that have been done in you had but been done within the cities of the plain - of Sodom and Zeboim - they would have heard and turned to God; would not have been destroyed.
37) They perished in their ignorance; they had no light; but you have heard; you have the evidence.
38) The light of life has shone above your hills and all the shores of Galilee have been ablaze with light;
39) The glory of the Lord has shone in every street and synagogue and home; but you have spurned the light.
40) And, lo, I say, The judgment day will come and God will deal in greater mercy with the cities of the plains than he will deal with you.

 【続く】


不思議な少年!! その103

2011-07-08 14:21:20 | 物語

キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す!! 


 有名な話である。信仰とは、揺るぎない確信であって、拝むばかりが信仰ではない。 

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 <記事に無関係-巨大な太陽フレアー

 

 はたして、その信念を持つ信仰者がどれほど居るであろうか? 大抵はあわよくばの世界が過半であろう。 絶対への信念が信仰である。


 奇跡と言うが、絶対への信仰には、奇跡はない。その事が当然であるからだ。奇跡というのは、相対的な観点で、有り得ざる事が対極に想定されている。殊に現代はそれが多い。例えば、科学に対する信仰がそれである。科学は一つの見方であり、絶対的ではない 


 人は何故、生まれ、生き、死ぬか? 科学はその解を知らない。単にその有様を論理的に説明しようとするが、誰もその何故に答えられない。そこには絶対的な魂の意思が存在する。魂の意思とは、それに同通する神の意思でもある。つまり、生きようとする魂が生まれ、生き、死ぬのであって、科学はそれを解けない。 


 科学は、絶対的な意思が、物事の有様を説明しようとする一つの見方を提供しているが、言い方によっては全て、後付理論と言うことになる。在りて有るものは、既に在る。そして、起こり得べきものは、全て起こり得るのである。


 死者の蘇りも、魂が望めばそれはあり得る。スプーン曲げも、科学が説明に窮しているが、やはりあり得る。説明の手法が、一元的であるから、付かないのだ。


 時間と空間は、線形ではない。つまり、常に一定ではない。ある場では、超μセコンドで経過すると考えると、その場においては、金属も気長に塑性を起こすことが可能だ。一年360日もかければ十分だろう。他方、それはコンマ一秒でそれは為されたと見る者は、スプーンは一瞬にして曲がったり、断裂するかのように判断する。


 それを行うのは、魂の意思の念である。時間と空間は、絶対の意思(マトリックス) から投影されたスクリーン状の物語と観れば、納得できる。スクリーンと言っても、単なる2次元ばかりではない。言わすと知れたこの世界は3次元であるが、4次元も5次元もあると考えられる。 


 そう言う世界に科学は足を踏み入れた矢先に過ぎない。


 科学は信仰に対立するものではなく、信仰する世界から投げ与えられた一つのメソッド(方法)と考えることが至当だ。そのメソッド(方法)を過信した人間の思い上がりは、今頂点に立っていると考えられる。 


 思い(想い、念い)一つで世界は変わる。今、人類はその試金石の上に立っている。


 

キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。



 十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。


 さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。


 百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。


 イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。


 わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。


 ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」


 するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」


 それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。あなたの僕は生きている。」イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。


 それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。


 死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」


 それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」


 魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。


 人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。


 キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百二章 キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。

1)十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。

2)イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。

3)さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。

4)然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。

5)百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。

6)そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。

7)イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、

8)「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。

9)わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。

10)確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。

11)ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」

12)するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、

13)「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。

14)饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」

15)それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。なたの僕は生きている。」

16)イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。

17)それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。

18)それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。

19)死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」

20)それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。

21)そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」

22)魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。

23)人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。

24)ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。

25)キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 102

The Christines at the home of Jesus. Jesus unfolds to them the secret doctrine.
They go through all Galilee and teach and heal.
Jesus brings to life the son of a widow at Nain.
They return to Capernaum.

THE twelve apostles went with Jesus to his home, and there abode for certain days.
2) And Jesus told them many things about the inner life that may not now be written in a book.
3) Now, in Capernaum, there lived a man of wealth, a Roman captain of a hundred men, who loved the Jews and who had built for them a synagogue.
4) A servant of this man was paralyzed, and he was sick nigh unto death.
5) The captain knew of Jesus and had heard that by the sacred Word he healed the sick, and he had faith in him.
6) He sent a message by the elders of the Jews to Jesus, and he pled for help.
7) And Jesus recognized the captain's faith and went at once to heal the sick; the captain met him on the way and said to him,
8) Lo, Lord, it is not well that you should come unto my house; I am not worthy of the presence of a man of God.
9) I am a man of war, my life is spent with those who ofttimes take the lives of fellow men.
10) And surely he who comes to save would be dishonored if he came beneath my roof.
11) If you will speak the Word I know my servant will be well.
12) And Jesus turned and said to those who followed him,
13) Behold the captain's faith; I have not seen such faith, no, not in Israel.
14) Behold, the feast is spread for you; but while you doubt and wait, the alien comes in faith and takes the bread of life.
15) Then turning to the man he said,
Go on your way; according to your faith so shall it be; your servant lives.
16) It came to pass that at the time that Jesus spoke the Word the palsied man arose, and he was well.
17) And then the Christines went abroad to teach. And as they came to Nain, a city on the Hermon way, they saw a multitude about the gates.
18) It was a funeral train; a widow's son was dead, and friends were bearing out the body to the tomb.
19) It was the widow's only son, and she was wild with grief. And Jesus said to her,
Weep not, I am the life; your son shall live.
20) And Jesus raised his hand; the bearers of the dead stood still.
21) And Jesus touched the bier and said,
Young man, return.
22) The soul returned; the body of the dead was filled with life; the man sat up and spoke.
23) The people were astonished at the scene, and every one exclaimed,
Praise God.
24) A Jewish priest stood forth and said,
Behold a mighty prophet has appeared;
and all the people said,
Amen.
25) The Christines journeyed on; they taught, and healed the sick in many towns of Galilee, and then they came again unto Capernaum.

 【続く】


不思議な少年!! その102

2011-07-01 18:52:44 | 物語

山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る!! 


 いわゆる山上の垂訓は終わる。なんともすががすがしい。はたして、如何だろう?  

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 <無題・・・・・・。

 

 ひとにより捉え方は、様々だろう。それをどうこうするつもりはない。又出来ない。すがすがしく受け取る者もいれば、慚愧の念を感ずる人もいるかも知れない。いずれであれ、感ずる人は幸いであろう。魂に届いた証拠でもある。せせら笑う人もいるかも知れない。なにをか況(いわん)や!


 人は慈悲により、自由を与えられている。と思う。であるから、如何なる思いも許される。課程の途上に居るのが人間だ。しかし、必ず、終わりが来る。終わりというのは、肉体を離れ、魂そのものになる時のことである。ある人は、それを死と言い、全ての終わりだと考えているが、肉体の終わりには違わないが、全ての終わりではない 


 裁判官はその時の魂の奥にある真の自己だ。神性にして真実の自己、自己と言うには語弊もあろうが、生命の本質である。これは誰にでもある。それが裁く。裁くというのが他己的というなら、言い換える、識別する。これが懺悔である


 その時、納得が行くなら、すがすがしいであろう。反省するなら、慚愧の念が生ずるだろう。いずれにしても魂に響いた証拠だ。その時、新たに生きる。価値ある人生であったと言えるであろう。 


 あざ笑う者よ。なんじは豚に真珠、猫に小判である。


 人生に悲観する必要はないのだ。真実は一つしかない。相対の世界(コメント氏からも、貴重な議論があったが・・・)、まさしく、この肉の世界は相対の世界である。好き、嫌い、難、有り難し、喜、怒、哀、楽、終、始、・・・・・きりがない。その中で己を見つめる機会を得たのだ。


 価値とは何か? 相対の中にあっては、肉を喜ばせるものが価値がある。それは至極当然だ。誰しもだ。しかし、それが本当か? 問う者がいる。それが魂の存在だ。一生問わないものもいる。魂が眠っているか、存在を否定している者だ


 絶対的価値というと、大仰な! と言う声が聞こえる。常に価値は相対的であると言う、声が聞こえる。本当にそうか? ならば、問いたい。 幸せか? 幸せと感ずる人は、絶対価値をこころに抱いている。嬉し、ヤッターは所詮、相対的価値の範疇に居る人だろう。哀し、悔しいが同居しているはずだ。こころに問うてみたまえ。


 信仰とは、絶対的価値を認めるところから始まる。それは、洗脳されることでもなく、静かにこころを内省し、存在の確認を求め、生きている不思議を素直に受け入れることだ。神と呼ぼうが、宇宙と呼ぼうがそんなことは自由だ。しかし、人間は生きているのは、生かされていることに他ならず、明日の我が身を誰一人として決定できる者が居るだろうか?


 必ず、死ぬ。生まれると言うことは、死ぬことを決定づけられている。それを制御できる人は居ない。そして、死ぬと言うことは、『往生』することで、無に帰することでは決してない。自殺は単に次元を異にすることに過ぎず、現時点の心境を固定化する最も愚かな行為である。


 ついでに書いておきたい。人間は死ねない。自殺はその事を知る、短絡で身勝手な行為となる。理由の如何を問わず、そうなる。それを知るのはその行為者そのもので、誰もそれを止める手だてはない。如何なる事由も、全ては魂の課程の糧だと言うことを堅く信念する必要がある。


 

山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る。



 生命の果実は、肉の心を養うには良すぎる。飢えた犬にダイヤモンドを投げてやれば、見よ、犬は逃げて行くか、怒って人に咬みつくかであろう。


 神に良い香気はベルゼブルには不快である。天のパンは霊の生命の分からない人々には籾殼(もみがら)に過ぎない。教師はかしこくて、塊が消化の出来るもので、これを養ってやらねばならぬ。


 すべての人々に与えるだけの食物がないなら願い求めるがよい。そうすれば与えられる。熱心に求められれば見出す。ただ聖言(みことば)を言って叩けば戸は開く。


 誰でも信仰によって、求めて与えられなかったことなく、求めて無駄なことなく、正しく叩いて門の開かないことはなかった。人々が天のパンをあなたがたに求めたら、これを振り棄てたり、肉の木の果実を与えてはならない。


 もし息子がパンを求めたら、石を与えるだろうか。魚を求めたら、塵(ちり)の蛇を与えるだろうか。あなたがたが神から与えられたいと思う物を人々に与えるがよい、あなたがたの人としての価値のはかりは、人に対する奉仕のはかりによって定められる。


 完全な生命(いのち)に行く道はあるが、一度にこれを見出す者は尠(すくな)い。これは狭き道で、肉の生命の岩や陥坑(おとしあな)の間を通るが、しかしこの道には陥坑(おとしあな)も岩もない。


 悲惨窮乏に行く道がある。これは広い道でここを歩む者は多い。これは肉の生命の快楽の森のなかを通る。注意せよ、世には死の道を歩みながら、生命の道を歩むと主張する者が多い。


 しかし、彼らは言行ともに偽りで、にせの予言者である。本当は狼が羊の皮で身をつつんでいる。長くは隠せない。人々はその果実によって分かる。いばらから葡萄を集めたり、あざみから無花果(いちじく)をとることは出来ない。


 果実は木の娘で、子は親に似ている。善き果実を結ばない木は根こそぎ引き抜かれて捨てられる。


 長く声張りあげて祈るからとて、その人が聖者である証拠(しるし)ではない。折る人がすべて魂の国にあるとは限らない。清き生活をいとなみ、神の聖意(みこころ)を行う人は、魂の国にすまう。


 善き人は心の宝から全世界に祝福と平和を送る。

悪しき人は、希望と歓喜を枯渇(こかつ)させる思想を送り、悲惨と呪詛(のろい)を以て世のなかを満たす。

人は心に満ち溢れるところから、考え行い語る。


 裁判の時が来れば、人々は群をなして、自分たちのために嘆願しようと出頭し、言葉によって裁判官の好意を買おうとする。そして彼らは言う、『見よ、われらは全能者の名に於いて、多くの働きを行ったではありませんか。悪霊につかれた人からこれを追い出したではありませんか。


 予言しなかったでしょうか。色々な病気をいやさなかったでしょうか。悪霊につかれた人からこれを追い出さなかったでしょうか。』


 その時、裁判官は言うだろう、『わたしは知らない。お前たちは、心ではベルゼブルを拝しながら、言葉で神に奉仕した。悪人は生命の力をしぼり出して、多くの大きな仕事をするかも知れぬ。おまえたち悪をなす者よ、立ち去れ』と。


 生命の言葉を聞いて、これを行わない者は、砂の上に家を建てる人のようなものである。大水が出れば流されて、みんな無くなってしまう。


 しかし、生命の言葉を聞いて、正しいまごころでこれを受け入れ、その上これを秘めおさめて、清き生活を送る者は、岩の上に家を建てる人のようなものである。大水がいで、風が吹き、嵐が家に打ちつけても、家は動かない。


 行って真理の堅き岩の上に家を建てるがよい、そうすれば、悪しき者が来て、全身の力を振っても、これをゆり動かすことが出来ない。」


 かくて、イエスの山上の垂訓は終わった。それからイエスは十二弟子と共に、カペルナウムに帰っていった。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百一章 山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る。


1)生命の果実は、肉の心を養うには良すぎる。

2)飢えた犬にダイヤモンドを投げてやれば、見よ、犬は逃げて行くか、怒って人に咬みつくかであろう。

3)神に良い香気はベルゼブルには不快である。天のパンは霊の生命の分からない人々には籾殼(もみがら)に過ぎない。

4)教師はかしこくて、塊が消化の出来るもので、これを養ってやらねばならぬ。

5)すべての人々に与えるだけの食物がないなら願い求めるがよい。そうすれば与えられる。熱心に求められれば見出す。

6)ただ聖言(みことば)を言って叩けば戸は開く。

7)誰でも信仰によって、求めて与えられなかったことなく、求めて無駄なことなく、正しく叩いて門の開かないことはなかった。

8)人々が天のパンをあなたがたに求めたら、これを振り棄てたり、肉の木の果実を与えてはならない。

9)もし息子がパンを求めたら、石を与えるだろうか。魚を求めたら、塵(ちり)の蛇を与えるだろうか。

10)あなたがたが神から与えられたいと思う物を人々に与えるがよい、あなたがたの人としての価値のはかりは、人に対する奉仕のはかりによって定められる。

11)完全な生命(いのち)に行く道はあるが、一度にこれを見出す者は尠(すくな)い。

12)これは狭き道で、肉の生命の岩や陥坑(おとしあな)の間を通るが、しかしこの道には陥坑(おとしあな)も岩もない。

13)悲惨窮乏に行く道がある。これは広い道でここを歩む者は多い。これは肉の生命の快楽の森のなかを通る。

14)注意せよ、世には死の道を歩みながら、生命の道を歩むと主張する者が多い。

15)しかし、彼らは言行ともに偽りで、にせの予言者である。本当は狼が羊の皮で身をつつんでいる。

16)長くは隠せない。人々はその果実によって分かる。

17)いばらから葡萄を集めたり、あざみから無花果(いちじく)をとることは出来ない。

18)果実は木の娘で、子は親に似ている。善き果実を結ばない木は根こそぎ引き抜かれて捨てられる。

19)長く声張りあげて祈るからとて、その人が聖者である証拠(しるし)ではない。折る人がすべて魂の国にあるとは限らない。

20)清き生活をいとなみ、神の聖意(みこころ)を行う人は、魂の国にすまう。

21)善き人は心の宝から全世界に祝福と平和を送る。

22)悪しき人は、希望と歓喜を枯渇(こかつ)させる思想を送り、悲惨と呪詛(のろい)を以て世のなかを満たす。

23)人は心に満ち溢れるところから、考え行い語る。

24)裁判の時が来れば、人々は群をなして、自分たちのために嘆願しようと出頭し、言葉によって裁判官の好意を買おうとする。

25)そして彼らは言う、『見よ、われらは全能者の名に於いて、多くの働きを行ったではありませんか。悪霊につかれた人からこれを追い出したではありませんか。

26)予言しなかったでしょうか。色々な病気をいやさなかったでしょうか。悪霊につかれた人からこれを追い出さなかったでしょうか。』

27)その時、裁判官は言うだろう、『わたしは知らない。お前たちは、心ではベルゼブルを拝しながら、言葉で神に奉仕した。

28)悪人は生命の力をしぼり出して、多くの大きな仕事をするかも知れぬ。おまえたち悪をなす者よ、立ち去れ』と。

29)生命の言葉を聞いて、これを行わない者は、砂の上に家を建てる人のようなものである。大水が出れば流されて、みんな無くなってしまう。

30)しかし、生命の言葉を聞いて、正しいまごころでこれを受け入れ、その上これを秘めおさめて、清き生活を送る者は、

31)岩の上に家を建てる人のようなものである。大水がいで、風が吹き、嵐が家に打ちつけても、家は動かない。

32)行って真理の堅き岩の上に家を建てるがよい、そうすれば、悪しき者が来て、全身の力を振っても、これをゆり動かすことが出来ない。」

33)かくて、イエスの山上の垂訓は終わった。それからイエスは十二弟子と共に、カペルナウムに帰っていった。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 101

The Sermon on the Mount, concluded. The concluding part of the code of ethics.
The Christines return to Capernaum.

THE fruitage of the tree of life is all too fine to feed the carnal mind.
2) If you would throw a diamond to a hungry dog, lo, he would turn away, or else attack you in a rage.
3) The incense that is sweet to God is quite offensive unto Beelzebub; the bread of heaven is but chaff to men who cannot comprehend the spirit life.
4) The master must be wise and feed the soul with what it can digest.
5) If you have not the food for every man, just ask and you shall have; seek earnestly and you shall find.
6) Just speak the Word and knock; the door will fly ajar.
7) No one has ever asked in faith and did not have; none ever sought in vain; no one who ever knocked aright has failed to find an open door.
8) When men shall ask you for the bread of heaven, turn not away, nor give to them the fruit of carnal trees.
9) If one, a son, would ask you for a loaf, would you give him a stone? If he would ask you for a fish, would you give him a serpent of the dust?
10) What you would have your God give unto you, give unto men. The Measure of your worth lies in your service unto men.
11) There is a way that leads unto the perfect life; few find it at a time.
12) It is a narrow way; it lies among the rocks and pitfalls of the carnal life; but in the way there are no pitfalls and no rocks.
13) There is a way that leads to wretchedness and want. It is a spacious way and many walk therein. It lies among the pleasure groves of carnal life.
14) Beware, for many claim to walk the way of life who walk the way of death.
15) But they are false in word and deed; false prophets they. They clothe themselves in skins of sheep, while they are vicious wolves.
16) They cannot long conceal themselves; men know them by their fruits;
17) You cannot gather grapes from thorns, nor from the thistles, figs.
18) The fruit is daughter of the tree and, like the parent, so the child; and every tree that bears not wholesome fruit is plucked up by the roots and cast away,
19) Because a man prays long and loud is not a sign that he is saint. The praying men are not all in the kingdom of the soul.
20) The man who lives the holy life, who does the will of God, abides within the kingdom of the soul.
21) The good man from the treasures of his heart sends blessedness and peace to all the world.
22) The evil man sends thoughts that blight and wither hope and joy and fill the world with wretchedness and woe.
23) Men think and act and speak out of the abundance of the heart.
24) And when the judgment hour shall come a host of men will enter pleadings for themselves and think to buy the favor of the judge with words.
25) And they will say, Lo, we have wrought a multitude of works in the Omnific name,
26) Have we not prophesied? Have we not cured all manner of disease? Have we not cast the evil spirits out of those obsessed?
27) And then the judge will say, I know you not. You rendered service unto God in words when in your heart you worshipped Beelzebub.
28) The evil one may use the powers of life, and do a multitude of mighty works. Depart from me, you workers of iniquity.
29) The man who hears the words of life and does them not is like the man who builds his house upon the sand, which when the floods come on, is washed away and all is lost.
30) But he who hears the words of life and in an honest, sincere heart receives and treasures them and lives the holy life,
31) Is like the man who builds the house upon the rock; the floods may come, the winds may blow, the storms may beat upon his house; it is not moved.
32) Go forth and build your life upon the solid rock of truth, and all the powers of the evil one will shake it not.

33) And Jesus finished all his sayings on the mount and then he, with the twelve, returned unto Capernaum.

 【続く】


不思議な少年!! その101

2011-06-27 15:59:45 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す!! 


 いわゆる、黄金律というものがある。『人にしてもらいたいように、他人に為せ。』と言うものである。これは、己の欲せざる事を他に為すな! の逆転語でもある。

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 <無題・・・・・・。

 

 意味は同じ、黄金律である。しかし、少し趣が違うであろう。黄金律自体が良くないとは言わない。だが、それが違うのは、十二弟子に対する教訓だからであろう。


 仏弟子には、仏弟子としての厳しい条件が求められる。十二弟子には同じように厳しさを求めている。世の賢者とは違うのであろう。何故か? 指導者であることが求められている 


 山上の垂訓が、一般に次元が高い教訓である意味がそこにある


 かつて、『目には目を、歯には歯を』と言われていた。これは法則である。しかし、それを越えられなくては、意味がない。それは肉の法則である。つまり、物理法則である。作用と反作用の法則である。 


 それを越える法則とは、愛の法則である。


 『なんじの右の頬を打つものあれば、左の頬をも出せ。』とか、『なんじの敵を愛せよ』とかは、それを越える法則である。これは仲々理解されない。到底、諒解されない。しかし、永い時と、カルマの法則を考慮するなら、少しは分かる。



 つまり、その要諦は、『あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。』という問いにある。又、『聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。』という、大愛を大愛と感じ取れば、自ずと見えてくる。



 人間は、無限の進化の過程にある。


 

山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す。


 肉の人が造った掟(おきて)がある。人々はこれを厳重に守っている。即ち、人にされたいように人にせよ。人が裁くように裁き、人が与えるように与えよとある。しかし、あなたがたが人として人と共に歩む時、裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれない。


 これは、人を裁くように裁かれ、与えるように与えられるからである。、また、とがめるようにとがめられる。あわれみを示せば、あわれみ受け、肉の人があなたがたの愛を知り得るように愛すれば、十分に愛される。


 それ故、世の賢き人は自分にしてほしいように他の人々にも行う。


 肉なる人々は利己的利益のために、他人によいことする。これは自分の祝福が倍増して返されることを期待するからである。彼は留まって最後まで見届けようとしない。


 人自身は畠である。その行為は種子であって、他人に行ったことは勢いよく育ち、収穫の時は確かにやって来る。収穫を見よ。若し風を播けば風を刈り込め、醜聞、窃盗、憎悪、淫蕩、罪悪のような有毒な種子をまけば、その収穫は確かで、まいたものを刈りとらねばならない。それのみか、種子は百倍にもなる。


 正義、平和、愛、歓喜という果実は決して有毒の種子からみのらない。果実は種子にひとしい。播く時は正義の種子を播くがよい。これは正しいことであるから播くのであって、多くの報酬を期待してはならない。


 肉の人は霊の律法を憎む。これは罪に生活する自由を取り去るからである。その光のもとでは、情欲や願望を満足させることが出来ない。彼は聖気に歩む人と反目する。肉の人はむかし聖者、予言者、先覚者を殺した。


 彼はあなたがたを打ち、いつわってとがめ、苦しめ、牢獄に入れ、また町であなたがたを殺すことが、神の御意(みこころ)をなすと思っている。


 しかし、あなたがたを苦しめる者をそこない非難してはならない。人にはめいめい解決すべき問題がある。これは自分自身で解決せねばならない。あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。


 聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。


 あなたがたが自分の目に棒切れがあるのに、どうして兄弟の目の木切れが見えるか。まずあなたがたの目から棒切れを取り、それから兄弟の目の木切れを見て、これを取るように手伝うがよい。自分の目に異物が一杯ある間は、盲人であるから道は分からない。


 盲人が盲人を案内すれば、ともに道に迷って泥濘(ぬかるみ)にはまってしまう。神に行く道を案内しようと思うなら、心は清く目がはっきりしなければならない。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百章 山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す。

1)肉の人が造った掟(おきて)がある。人々はこれを厳重に守っている。即ち、

2)人にされたいように人にせよ。人が裁くように裁き、人が与えるように与えよとある。

3)しかし、あなたがたが人として人と共に歩む時、裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれない。

4)これは、人を裁くように裁かれ、与えるように与えられるからである。、また、とがめるようにとがめられる。

5)あわれみを示せば、あわれみ受け、肉の人があなたがたの愛を知り得るように愛すれば、十分に愛される。

6)それ故、世の賢き人は自分にしてほしいように他の人々にも行う。

7)肉なる人々は利己的利益のために、他人によいことする。これは自分の祝福が倍増して返されることを期待するからである。彼は留まって最後まで見届けようとしない。

8)人自身は畠である。その行為は種子であって、他人に行ったことは勢いよく育ち、収穫の時は確かにやって来る。

9)収穫を見よ。若し風を播けば風を刈り込め、醜聞、窃盗、憎悪、淫蕩、罪悪のような有毒な種子をまけば、

10)その収穫は確かで、まいたものを刈りとらねばならない。それのみか、種子は百倍にもなる。

11)正義、平和、愛、歓喜という果実は決して有毒の種子からみのらない。果実は種子にひとしい。

12)播く時は正義の種子を播くがよい。これは正しいことであるから播くのであって、多くの報酬を期待してはならない。

13)肉の人は霊の律法を憎む。これは罪に生活する自由を取り去るからである。その光のもとでは、情欲や願望を満足させることが出来ない。

14)彼は聖気に歩む人と反目する。肉の人はむかし聖者、予言者、先覚者を殺した。

15)彼はあなたがたを打ち、いつわってとがめ、苦しめ、牢獄に入れ、また町であなたがたを殺すことが、神の御意(みこころ)をなすと思っている。

16)しかし、あなたがたを苦しめる者をそこない非難してはならない。

17)人にはめいめい解決すべき問題がある。これは自分自身で解決せねばならない。

18)あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。

19)聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。2

20)あなたがたが自分の目に棒切れがあるのに、どうして兄弟の目の木切れが見えるか。

21)まずあなたがたの目から棒切れを取り、それから兄弟の目の木切れを見て、これを取るように手伝うがよい。

22)自分の目に異物が一杯ある間は、盲人であるから道は分からない。

23)盲人が盲人を案内すれば、ともに道に迷って泥濘(ぬかるみ)にはまってしまう。

24)神に行く道を案内しようと思うなら、心は清く目がはっきりしなければならない。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 100

The Sermon on the Mount, continued. Jesus formulates and presents
to the twelve a practical code of spiritual ethics.

THERE is a rule that carnal man has made, and which he rigidly observes:
2) Do unto other men as they do unto you. As others judge, they judge; as others give, they give.
3) Now, while you walk with men as men, judge not, and you shall not be judged.
4) For as you judge you shall be judged, and as you give it shall be given to you. If you condemn, you are condemned.
5) When you show mercy, men are merciful to you, and if you love in such a way that carnal man can comprehend your love, you will be well beloved.
6) And so the wise man of this world does unto other men as he would have them do to him.
7) The carnal man does good to other men for selfish gain, for he expects to have his blessings multiplied and then returned; he does not stop to note the end.
8) Man is himself the field; his deeds are seeds, and what he does to others grows apace; the harvest time is sure.
9) Behold the yield! If he has sown the wind, he reaps the wind; if he has sown the noxious seeds of scandal, theft and hate; of sensuality and crime,
10) The harvest is assured and he must reap what he has sown; yea, more; the seeds produce an hundred fold.
11) The fruit of righteousness and peace and love and joy can never spring from noxious seeds; the fruit is like the seed.
12) And when you sow, sow seeds of right, because it is the right, and not in the way of trade, expecting rich rewards.
13) The carnal man abhors the spirit law, because it takes away his liberty to live in sin; beneath its light he cannot satisfy his passions and desires.
14) He is at enmity with him who walks in Holy Breath. The carnal man has killed the holy men of old, the prophets and the seers.
15) And he will buffet you; will charge you falsely, scourge you and imprison you, and think he does the will of God to slay you in the streets.
16) But you may not prejudge nor censure him who does you wrong.
17) Each one has problems to be solved, and he must solve them for himself.
18) The man who scourges you may have a load of sin to bear; but how about your own?
19) A little sin in one who walks in Holy Breath is greater in the sight of God than monster sins in him who never knew the way.
20) How can you see the splinter in your brother's eye while you have chunks within your own?
21) First take the chunks from out your eye and then you may behold the splinter in your brother's eye and help him take it out,
22) And while your eyes are full of foreign things you cannot see the way, for you are blind,
23) And when the blind lead forth the blind, both lose the way and fall into the slough.
24) If you would lead the way to God you must be clear in sight, as well as pure in heart.

 【続く】