友達と豪徳寺へ行って来ました。
以前、野外講座で行った事があるので懐かしく感じました。(10月8日)
世田谷線で宮の坂下車、少し歩くと豪徳寺の参道前に出ました。
幅の広さから格式のある様子が伝わります。
山門は丁度補修工事中でしたので脇道から境内に入る。
広い境内には立派な三重塔があります。平成18年に再建されています。
本堂です。3世仏が奉安されています。
仏殿
大谿山と号します。世田谷城主 吉良政忠が文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提の為に
臨済宗弘徳院として創建されたと伝えられる。
その後、井伊家の菩提寺となった事から寺号を藩主井伊直孝の法号、昌院殿豪徳院として創建される。
井伊家の菩提寺となったことから寺号を藩主井伊直孝の法号、昌院殿豪徳天英大居士
より豪徳寺と改名しました。
仏殿の西側に「招福猫奉納所」があります。
井伊直孝と郎党を招き入れて落雷の災いから救い、災難を逃れた事から「招き猫寺」と言う
お寺としても知られています。
凄い数の招き猫が奉納されていました。
その右側にある大きな墓地の中に井伊家の墓地があります。
井伊家の墓所は国指定史跡になっています。
井伊家一族の墓や藩主の家族もここに葬られています。
一番奥に井伊直弼の墓があります。
豪徳寺を後にして松陰神社まで歩く途中、
国士舘大学と道を隔てた向かい側に世田谷区役所第一庁舎の建物の前を通った。
打ちっぱなしコンクリートの存在感が、いやに暗く感じましたが
こう言うのを 味があるって言うのかしら~
若林公園の中に松陰神社がありました。
松陰神社
松陰は松下村塾を開き多くの若者を教育しました。
しかし、安政の大獄に連座し 江戸の伝馬町の獄中で30歳の若さで刑死されました。
その4年後 文久3年(1863)門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって
この地に改葬されました。
先生を御霊を祀る神社が明治15年(1882)に創建されました。それが松陰神社です。
境内には模造の松下村塾があります。
境内の木陰でお喋りをしながら持ってきたお弁当を食べた~
午後は 先ず吉田松陰の資料館へ立ち寄った。
資料館の壁に貼ってあった松下村塾の写真です。
その後、向井潤吉アトリエ館まで行きましたが、中に入る事は出来ませんでした。
入り口の掲示板に貼ってあった向井潤吉の絵です。
歩いた歩数 約1万6000歩、風も爽やかな気持ちのいい一日でした