つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

蓮子さまのお墓

2014-10-04 08:24:01 | お出かけ



貴族の身分もお金も捨て、恋一筋に、幾多の困難を乗り越えながら
自分の信念と 生きざまを貫き、夫の社会活動の支援や娼婦の救済など、
男性中心の社会の中で、女性として活躍した蓮子さま…
晩年は穏やかに文筆に勤しみながらの毎日を過ごしたようです。

歌人白蓮さまのお墓を訪ねてきました。(10月2日)
神奈川県相模原市石老山の中腹にある顕鏡寺の墓地に眠っていました。

相模湖駅からバスに乗り「石老山入り口」バス停で下車、



民家の庭に柿の実がほんのり色づいています。
無人の野菜売り場で栗を買ったり…
のんびりと、上って行きました。



苔むした石の間を水が淀みながら流れています。



のどかな里山の奥へと上って行きます。



のんびり歩いたので1時間位で、やっと古刹顕鏡寺の山門が見えてきました。
左側の大木は津久井の名木「蛇木杉」です。



山門の前に立つと銀杏がポトポトと しきりに落ちていました。



顕鏡寺境内からの眺めです。



顕鏡寺の裏にある墓地の曲がり角を進んで行くと…



少し高台になっている区画に蓮子さまは眠っていました。



供花の白い百合が印象に残りました。



墓誌には 雅号柳原白蓮 妙高院心華白蓮大姉
と刻まれています。
昭和42年2月22日81歳で亡くなっています。


右側には夫、龍介様の戒名が…昭和46年1月23日に亡くなっています。



大正三美人の一人、白蓮さまです。



墓地からの静かな眺め…




満開のコスモスを眺めながらおにぎりを食べました。



午後は境内の散策です。時々足が停まる位の急坂でした。
道志岩窟です。
仁寿元年(851年)源海法師によって創建されたという顕鏡寺は山号が石老山、
お寺の縁起によれば 「平安の頃、高貴な身分の若君と姫君が恋に落ち、
都を捨ててこの岩窟に身を寄せ 子をもうけた、その子が成長して
僧となり源海と号した…」とあります。
源海法師が実際に住んだとされるのは、この洞窟だったんですね…



その先の高台にある鐘楼…
蓮子さまのご冥福をお祈りして鐘を打たせて頂きました。

激動な人生だった白蓮さまに想いを馳せながら顕鏡寺を後にしました。



優しい陽射しに包まれた長閑な山並みの向こうに観覧車が見えます。



帰りは相模湖でバスを降りて、のんびり湖畔を歩くと
疲れた足が癒える様でした。



暮れそで暮れない秋のひと時を楽しみ
相模湖駅まで歩いて帰途につきました。