「抑止力」という言葉を聞く回数が増えているように思います。核の抑止力とか、戦争の抑止力という意味合いで、沖縄に基地があることを肯定する意見として言われています。
沖縄には、多くの基地、訓練場があることは周知の通りです。小さい県の割合に対して、基地が多くの面積を占めています。そのために、治安が悪く、沖縄の独自経済の発展が阻害されているのは、歴然とした事実ではないかと思います。
どうして、沖縄ばかりに基地が集中しているのでしょうか。沖縄の人たちが、それを望んでいるのならまだしも、先の選挙で、これ以上の基地拡充は拒否という立場が鮮明になりました。にも関わらず、色々と理屈をつけて沖縄に基地が必要だとか、基地を作ろうだとか、沖縄以外の人が言い続ける理由というものが分かりません。もしかしたら、沖縄を差別しているのでしょうか。
いっそのこと、基地があることが、そんなに効果があるなら、各都道府県に嘉手納基地クラスの大きな基地を一つ作ったらどうか、という発想にはならないのでしょうか。自分の家の上空を、爆音立てて戦闘機が飛び回るのはご免だ、アメリカ兵による幼女レイプ殺人事件の被害者に自分の子や孫がなるのはご免だ、そう考えるなら、沖縄に基地は必要だと言ってはならないのではないでしょうか。それは、自分の平安は保たれ、他人の平安はどうでも良いという、他人事で、我が身を守ろうなどという下劣な考え方とも言えます。
ところで、「抑止力」という考え方ですが、テロを仕掛けて来る相手や、破れかぶれの玉砕覚悟の相手には通用しないことが分かっています。また、「抑止力」という考え方以前にも様々な方法や考え方もあるはずです。戦争というもの自体、利害に関わることですから、様々な利権、また精神論なども加わって、もう訳の分からない議論になってしまうことが多いように思います。そんなことを考えると、思慮や分別が求められるように思います。
争いとか戦争は、思慮や分別の無さ、知恵が足りないことが原因で起こるとも言えます。首相が、未曾有を「みぞゆう」と言ったり、ポツダム宣言を全部読んだことがないと公言したりする、思慮、分別、知恵、知性の足りなさでは、どうしようもありません。お金や名声の誘惑は多いと思いますが、高いお金を貰っている首相には、良い政治をする責任があります。もっと、まじめに勉強して、良い政治をして欲しいと思います。
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