「自分の殻を超えていた」 使徒言行録 2章1~13節
イエスさまは、福音を宣べ伝えました。それは、当時「罪人」とレッテルを貼られていた人たちのところへ行き、その人間性を回復することによって神の国が近づいたことを示すものでした。一方で、当時、権力者とか指導者と呼ばれていた人たちは、神の国は未だ来ないと考え、利権を貪り、放蕩の限りを尽くし、神さまの戒めを軽んじていました。そうしてイエスさまは、十字架に架けられました。十字架の刑は、ローマ帝国に反逆した者が受ける刑罰でした。イエスさまは、社会に向かって神の国を宣べ伝え、その結果ローマ帝国に反逆した犯罪者として十字架に架けられてしまったのです。
ペンテコステは、使徒たちの上に聖霊が降ったことを記念する日です。同時に、使徒たちが世界に向かって神の国を宣べ伝え、教会が誕生したことを記念する日でもあります。弟子たちは、イエスさまが社会に向かって神の国を宣べ伝え、十字架に架けられたことを誰よりもよく知っていました。そして、自分たちもまた、世界に向かって神の国を宣べ伝えることによって、どんな結果が待っているかを、ある程度は予想できていたのではないかと思います。
宣教とは、異なる文化や伝統、また考え方をしている人たちのところで、イエスさまの教えを宣べ伝えるということです。言葉を交わすだけであったり、自分の考えを押しつけるだけでは伝わるものも伝わりません。そこには、自分の殻を超えることが求められているように思われます。使徒たちの場合、具体的には、ユダヤ教という殻であったと思います。相当な自己変革がなされなければできることではありません。異なる世界に向かうことができたのも、自分が大切にしてたユダヤ教という殻を超えることができたのも、聖霊の支えと導きがあったからであると聖書は伝えているように思います。
