今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。再録。
「この世の中にニュースはない。テレビは百害あって一利がないと、私は何回も何十回も言ったが、聞いてはもらえなかった。
『敵軍は指呼(しこ)の間に迫りました。すでに乱入してドアを蹴破る音は近づいています。これが最後の放送になるでしょう。けれども私たちはまたまたマイクの前に立つ日が来ることを信じて疑いません。その日まで皆さんさようなら』
ポーランドでチェコでハンガリーで、私たちは何度同じラジオを聞いたことだろう。
『航空機は羽田を離陸して十なん時間になります。もう燃料は尽きているはずです。連絡はまったくありません。遺族は続々つめかけ叫んでいます。会社には誠意のかけらもない。社長を出せ社長をと』
つめよる遺族の顔つき口もと二十年前十年前のそれと全く同じである。人はこの世にニュースがないのに耐えられないのである。五年前の十年前の墜落事故と違う証拠に故人の写真をほしがるのである。ほらこの通り住所氏名が違うと言いたいのだろうがそれが違いだろうか。
〔Ⅹ『二十年ぶんのテレビを見る』平10・5・21〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)