今日の「お気に入り」は、以前書き留めたゲーテの言葉です。エッカーマン著「ゲーテとの対話」の中に書かれているものだそうです。
「否定的なものは何者でもない。悪いものを悪いと言ったところで、それがいったい何の役に立つか?」
作家の中野孝次さん(1925-2004)による和訳です。この言葉について中野孝次さんは次のように書いておられます。
「たしかにゲーテの言うとおり、世の中には不平家、不満家といった人種がいて、たえず他者を罵ったり、攻撃したり、悪口を言ったりしている。どこにでもそういう人がいるものだ。その特徴は、自分では何かを作りだすとか、為るというのでなく、他人がしたこと作ったものに対して批評をする人種だということだ。だが、そういう人達の言説は決して人を愉快にしたり、元気づけたり、幸福にしたりしない。せいぜいそれを聞いた人の胸に、もう一つの毒を植えつけるぐらいのものだ。
実際、悪いものを悪いと言っても、なんにもならないのである。出来の悪い小説、世評は高いがロクでもない絵画、そういうものは世にごろごろしているから、批評しだしたらきりはないのだが、そのダメさかげんをいくら鋭利に分析してみせたところで、そこからは何も生まれない。その作家が悪評を蒙ったことに対し陰湿なよろこび--ドイツ語でそれをシャーデンフロイデ(他人の不幸、失敗を喜ぶ気持ち、意地悪な喜び)という--を感じさせるぐらいのものだ。」
「否定的なものは何者でもない。悪いものを悪いと言ったところで、それがいったい何の役に立つか?」
作家の中野孝次さん(1925-2004)による和訳です。この言葉について中野孝次さんは次のように書いておられます。
「たしかにゲーテの言うとおり、世の中には不平家、不満家といった人種がいて、たえず他者を罵ったり、攻撃したり、悪口を言ったりしている。どこにでもそういう人がいるものだ。その特徴は、自分では何かを作りだすとか、為るというのでなく、他人がしたこと作ったものに対して批評をする人種だということだ。だが、そういう人達の言説は決して人を愉快にしたり、元気づけたり、幸福にしたりしない。せいぜいそれを聞いた人の胸に、もう一つの毒を植えつけるぐらいのものだ。
実際、悪いものを悪いと言っても、なんにもならないのである。出来の悪い小説、世評は高いがロクでもない絵画、そういうものは世にごろごろしているから、批評しだしたらきりはないのだが、そのダメさかげんをいくら鋭利に分析してみせたところで、そこからは何も生まれない。その作家が悪評を蒙ったことに対し陰湿なよろこび--ドイツ語でそれをシャーデンフロイデ(他人の不幸、失敗を喜ぶ気持ち、意地悪な喜び)という--を感じさせるぐらいのものだ。」