今日の「 お気に入り 」も 、 橋爪大三郎著「 死の講義 - 死んだらどうなるか 、
自分で決めなさい - 」 。昨日の続き 。
「 仏教の本質は 、ゴータマが真理を覚ったこと 。枝葉
は 、輪廻である 。輪廻は 、ヒンドゥー教に妥協して 、
仏教に入り込んだもの 。ならば 、仏教の死を考える場
合 、輪廻と切り離したほうがよい 。 」
「 仏教の核心は 、真理を覚るところにある 。
ゴータマは真理を覚った 。人間ならだれでも 、真理を
覚ることができる 。仏教は 、平等なのである 。
ではその 、真理とはなにか 。この世界の 、ありのま
まのこと 。世界のありのままを 、自分の欲望や主観や 、
よけいな感情を抜きにして 、みつめる 。必要なら瞑想
して 、ありありとみつめる 。自分が人間として存在す
るとはどういうことかを 、理解する 。ほかの人びとも
存在するこの社会を理解する 。世界を理解する 。人間
の生と死を 、ありのままにみつめる 。そしてわかるの
は 、こうしたことだ 。
『 お釈迦さまは 、この地球も 、自然も 、人間も 、
動物も 、この宇宙のすべてが 、すばらしく 、精
巧に美しく 、みごとにつくられていると考えまし
た 。その神秘 ( 宇宙の不思議 ) に感動していま
した 。あまりにすばらしく精巧にできているから
こそ 、ちょっとしたことで壊れてしまうのです 。
だからすべての生命は 、死んでしまうのですし 、
すべてのものは 、いつか壊れてしまうのです 。
でもだから 、哀しい 、けれども美しい 。宇宙が
このようにできている 、この神秘に感動すること
が 、仏教にいうダールマ ( 法 ) なのです 。
あなたも 、わたしも 、人間はみな 、ほんのた
まさか 、宇宙の不思議によって 、炭素や水素や
遺伝子やタンパク質の組み合わせによって 、この
世に生まれた 。奇蹟のようなできごとです 。や
がて 、あなたもわたしも 、死を迎えて 、この世
界からいなくなってしまうけれども 、でもそれは
宇宙が 、このようにできているのだから 、仕方
がない 。この世界に生まれ 、この宇宙の不思議
の一端に触れたことを感謝しつつ 、宇宙の不思議
に身をまかせ 、この世界にお別れしようではない
か 。
人間は死んだらどうなるか 。それはわからない 。
たぶん 、ただ存在しなくなってしまうだけで 、
何にもならないだろう 。もとのアミノ酸や炭素に
戻って 、宇宙ととけあってしまうだろう 。それ
でいいのだ 。
こんなふうに考えていたのではないでしょうか 。 』
これは 、10年あまり前 、仏教の生き死にについて私が
書いた文章だ ( 橋爪大三郎『 家庭でできる法事法要 』
2008年 、径書房 、25頁 ) 。これ以上うまく書けるとも思
えないので 、引用した 。
読者の皆さんがもし 、『 自分はいちおう仏教徒のはずだ
が 、特に熱心なわけではない 、強いて言うなら 、仏教系
無宗派かなあ 。 』みたいに思うのなら 、ざっくりこんな
ふうに考えてみるのもよいと思うのだが 、どうだろう 。 」
学びには始まりはありますが 、終わりはありません 。
私生活に限って言えば 、生涯現役でいたいものです 。
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