「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・08・10

2005-08-10 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビのその司会者は、戦前をただ暗かったと言わせたがった。一月七日陛下がなくなった当日の夜、私は山本七平氏と対談させられた。」
 
 「円タクははじめ市内(当時十五区)一円だったが五十銭に、三十銭にまでさがった。物価は戦前はさがったのである。客にはこんないい時代はないが、運転手にはいやな時代だったろう。だから満州事変は好景気になるだろうと大衆に歓迎されたのである。
 はたして好景気になったのはいいが、図に乗って日支事変に深入りしてしまった。けれども本当に食うに困ったのは昭和十九年末の空襲からである。それまでもそれからも東京では千葉に埼玉に買出しに行った。すなわち農家は十分食べて、なお売るものを持っていた。日本中の農村とそのなかなる中小の都市は食うに困っていなかったのである。
 昭和十六年十二月八日開戦の朝、七平さんは二階で寝ていた。『おいはじまったぞ。戦争が』とおこされて『えッ、どことどこが』と聞いたという。まさかと思っていたのである。ただし軍国少年は別である。教育は五年で人間を変える。ヒットラーユーゲントは五年である。紅衛兵も五年である。共に目は澄んでいたといわれる。
 ヤミだのインフレだのというが、戦争中も戦後も真のインフレはなかった。第一次大戦後のドイツのインフレは、ビールを飲んでいるうちに高くなったから、飲む前に払わなければならなかった。わが国にはこのたぐいは全くなかった。
 治安維持法、特高、憲兵などに国民はひしひしと取巻かれてさぞ暗かっただろうと司会者は言うが、女子供と堅気はそんなものとは無縁である。したがってこわくない。
 社会主義者とそのシンパは追われていたから、そりゃこわかったろう。昭和史の悉くがのちにこのシンパまたは転向してうしろめたく思っているものの手で書かれたから『戦前まっ暗史』ばかりになったのである。人は十年も十五年もまっ暗でいられるものではない。向田邦子いわく、私たち女学生は明日の命も知れない時でも、箸がころんだといっては心から笑ったのである、云々。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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