ネット検索で行き着いたとあるサイトに「ノアの方舟(はこぶね)」の話が載っていました。
旧約聖書の「創世記」に書かれている「ノアの方舟」の物語です。
そのサイトで紹介されている物語は、子供の頃読んだ本の記憶と重なり、およそ次のような内容です。
「今から4500年ほど前、人類の祖であるアダムから数えて10代目の子孫に『ノア』という人物がいました。
ノアは、神に信仰を寄せる唯一の人で、それ以外の人々は堕落し、神など信じることなく好き放題していました。
地上の人間たちの行いに憤りを感じた神は、大洪水を起こし、この地上を滅ぼそうと考えたのです。
しかし、ノアとその家族だけは神に信仰を寄せていたため助けることにしました。
そこで神はノアとその家族にこう告げます。
私は人間を地と共に滅ぼすことを決めた。
お前(ノア)は自分のために、ゴフェルの木で船を造りなさい。
船の中には仕切り室を作り、内側、外側をタールで覆いなさい。
船の長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビトにする。
船には屋根を作り、入口を側面に作り、3階構造で作りなさい。
そして、お前とお前の妻、お前の息子たち、息子たちの妻も船に乗りなさい。
また、あらゆる動物の雄と雌を二匹ずつを船に乗せなさい。
神はこのように告げ、ノアに方舟を作らせたのです。
ノアは約100年の歳月をかけて、神のお告げの通りの方舟を作り、方舟にあらゆる動物を雄雌それぞれ2匹ずつつ乗せました。
あらゆる動物の雄雌それぞれ2匹ずつつ方舟に乗せたノアも、家族と一緒に方舟に乗り込み、それから7日後に大洪水が起きたのです。
これにより、方舟に乗れなかった地上の生物は全て息絶えたのです。
その後、徐々に水が引き、方舟は『アララト山』に漂着します。
それから時間が経つにつれ、山々の頂が現れはじめます。
その40日後、ノアは、地から水が引いたか確かめるために、方舟から一羽の鳩を放ちます。
しかし鳩は、とまる場所がなかったので直ぐに方舟に戻ってきます。
その7日後にノアは再び鳩を放ちます。
すると夕方頃にオリーブの葉をくわえて戻ってきたため、これによってノアは地から水が引いたことを知ります。
ノアは、さらにその7日後、鳩を放ちますが、もう鳩が戻ってくることはありませんでした。
これで完全に水が引いたことを知ったノアは、自分の家族と動物たちを方舟の外に出したのです。
その後、ノアは祭壇を造り、生贄のために用意していた動物を神に捧げます。
これにより、神は二度と洪水で生き物を滅ぼすことはないと約束し、空に虹を与えたのです。」
そう「ノアの方舟」はその物語に登場する船のことです。
一方、フリー百科事典ウィキペディアでは、「ノアの方舟」の物語は次のように要約されています。
「『創世記』における記述
旧約聖書『創世記』による物語の要約は以下の通りである。
神は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと『神と共に歩んだ正しい人』であったノア(当時500~600歳)
に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。
箱舟の内と外は木のタールで塗られた。
ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せた。
洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。
水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。
さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。
7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。
さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。
そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。
神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、
全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。
神はその契約の証として、空に虹をかけた。」
フリー百科事典ウィキペディアでは、「ノアの方舟(あるいは箱舟)」の「船」のことは、次のように書かれています。
「ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、
ノアの方舟物語の事。
または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。
『はこぶね』は『方舟』のほか、『箱舟』『箱船』などとも記される。
形 状
方舟は『長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト』で3つのデッキを持っている。
これは、タバナクル(テント式神殿)の3倍の高さであり、タバナクルの前庭の3倍の広さとなっている。
この大きさによって、神の考えにおける人類の魂の救済という意味が同時にこめられていることを聖書の著者が念頭においていた
ことが示唆される 。
さらに長さ300キュビトは60の5倍、高さ30キュビトは60の半分であり、このサイズには、60という数字が根底にある
と言われている。
(1キュビトを伝統に従って、メートル法で約44.5cmとして換算すると、およそ『長133.5m、幅22.2m、高13.3m」と
なる。)
またこの『長:幅:高=30:5:3』の比率は、現在のタンカーなどの大型船を造船する際に、最も安定しているといわれる比率
とほぼ同じとなる。
捜 索
『旧約聖書』内の記述から、実際に多くの学者や冒険家たちによって、この方舟の捜索がなされてきた。
残骸発見
現在までに、アララト山に漂着したとされる『方舟発見』(と、主張される痕跡)の報告が何例かなされている。
引用元がないため、信憑性は低いが、下記に示す。
・古くは、紀元前3世紀に、バビロニアの歴史家ベロッソスが書き残していた。
・1世紀のユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の中で残骸を見たと記述している。
・13世紀には、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で言及していた。
・中世にはアララト山自体、神聖視されていたが、1840年の火山噴火により、付近一帯が壊滅状態となった(それ以降の噴火はない)。
・1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき、古い木材建造物が一部露出する。
トルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念。
その際に、欧米諸国にニュースが報じられる。
・詳しい年代は定かとなっていないが(1880年 - 1910年頃であろうと推測される)アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが
大規模な捜索隊を編成しノアの箱舟の残骸を捜索しかなりの成果を収めたものの、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失
してしまったという。
・1920年以降、様々なレベルで調査が、その都度行われている。
標高はおよそ、5,000メートル付近といわれている(その後、地震や氷河の融解によって、渓谷を滑り落ち、下に移動していった
とする説もあった。
またこの近辺は、冬期間は完全に氷河に閉ざされてしまう)。
・戦後、米国の軍事衛星による撮影でCIA内部でも実在説を支持する勢力が増えたことがある。
・1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120 - 130mあったと報告された。
また、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされる、ほぼ炭化しかけた、化石といってもよいような木材を、
数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年 - 紀元前
4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年~紀元前3000年と
いった結果が出た。
一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前~1400年前という結果が出たという。
その材質はオーク材であった。
『聖書』の『ゴフェルの木』は、一般に『イトスギ』と訳されているが、実は『ホワイトオーク』であったとする科学的な見解もある。
ただし、この近辺1000km四方に、ホワイトオークは古来から存在しないため、証言どおりであるならば、明らかに、遠い過去の時点で、
大量にその地帯に持ち込まれた、あるいは、運び込まれた材質であるといえる。
・1959年には、トルコ空軍による報告が残されている。
・1960年代に入ると、冷戦激化に伴い、旧ソビエト連邦と国境を接するこの地区には入ることが不可能となった。
しかし、駐トルコのアメリカ空軍によって、この船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も確認されたという。
これらは、アララト山北東斜面に集中しているといわれている。
それらの情報を総合すると、箱舟伝説を信じる調査者たちの中では、現在は、北緯39°26′4″、東経44°15′3″、海抜1870m付近のもの
が有力とされる。
ノアの方舟かどうかは不明ながら、現在、それらとは別のものと臆される船型地形の現地写真のみならず、人工衛星写真も撮られていて、
こちらは、文字通り船型をしている。
全体のサイズは、聖書の記述とほぼ合致するといわれている。
掘削調査は行われていないが、非破壊の地中レーダー観測も行われ、竜骨など木製内部構造も調査されている。
また、石材製の碇と思われる巨大なパーツや、同じく、石製のリベットらしきパーツも、その地形周辺から出土している。
・2010年4月27日 トルコのアララト(Ararat)山の山頂付近(標高およそ4000メートル地点)で、方舟の木片を発見。
炭素年代測定を行ったところ、ノアの方舟がさまよったとされる今から4800年前と同時期のものであることが確認。
発見された構造物はいくつかの部屋らしきものに分かれていたことから、普通の住居の残がいなどではあり得ないと結論。
(標高3500メートル以上で人の住まいが発見されたことは過去にない事由による)」
「ノアは約100年の歳月をかけて、神のお告げの通りの方舟を作った」とか。
ノアは随分と長生きだったんだ。
また「アダムからノアまでの系譜を見てみると、一部を除き900歳を超える人ばかりだった」とか。
「ノアの大洪水をターニングポイントにして、 人間の寿命は段々と減っていき最長で120歳位となりました」とか。
「なぜ当時はそんなに長く生きられたのか?」、
「『テロメア』遺伝子の違い」か「地球の環境が現代とは全く異なっていたから」かも知れません、とか。
「ノアの方舟」、とても興味深い物語。
いつの世も、過ち(あやまち)に気付き、考えをあらためないものは置いていくしかないということですね、ポポイのポイと。