「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・07・27

2006-07-27 09:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、昨日と同じ作家水上勉さんの「親子の絆についての断想」と題した文章の続きです。

 「なぜ、自分はこんな家の、こんな親にうまれたのだろう、という思いがやどったのは、たぶんこうした日だった。こういう家といったが、小舎のような家は、土間と板の間があるきり、寒々したもので、座敷六畳はあっても畳はあげられ(盆・正月だけ敷かれた)、子供らの寝る所は変型四畳の板の間とゴザを敷いた土間と板ざかいになったあげ間だった。壁には穴があき、朝早くから、無数の光りの矢が、雨のように顔の上へふりそそいだ。なぜ、父は大工のくせに、破れ家のまま放ったらかしているのか、そういう家に私らを住まわせて、威張っているのも不思議だった。
 私が九歳で家を出て、京都の寺へゆくまでの、両親におぼえた絶望に近い反抗心の概要である。誰から入知恵されたわけでもない。私自身が、育てた。
 いまはもう、こういう貧困家庭はどこにもないだろう。盲目の祖母は施設に入れられているだろうし、棺桶づくりなども役場が処理してくれるだろうし、『村あるき』などの傭人はいなくて、回覧板が役目を果していよう。もちろん、母が村の辻で直していたような古下駄をはく人もいない。人々はスーパーで買ったクツをはいている。六十年近い前の、大正初期に私があじわった家の貧困ぶりは書けば書くほどよその国の出来ごとのように思えよう。
 だが、この貧困な家庭と親の思い出は私にはわすれられないのである。ケシゴムで都合よく消しも出来ぬ。暦の根に、固い雪として凍りついている。このことが、いま私にとって重要である。貧困をのろっていた頃は、よその家と比べて、イヤだった両親でありわが家だが、なつかしいというよりも、いま不思議に光りのようなものを放って私をとらえるのだ。もうしばらく、なぜそんな光りが見えるのか、を分析してみる。」

   (山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)
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