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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

「わかりやすい」

2009年11月15日 | 気になるコトバたち
「わかりやすいねぇ」は広告の世界でもキラー・ワードだ。
そう言われる企画と「わかりにくいなぁ」と評される案があるとすると、
後者の生き残る確率は極めて低い。アイデアの生死を決める言葉でもある。

それゃ物事わかりやすいほうがいいに決まっている。でもそれは
伝え方のレベルの話であって、内容を見極めるものではないはずだ。
誰かが相対性理論について、小学生でもわかるように話したとすると、
その説明はちょっと疑ってかかったほうがいいと思いませんか?

それから「頭のいい人は話がわかりやすい」という見方。でもこれ、
「話のわかりやすい人は、頭がよく見える」という場合もあると思う。
頭の良さにもいろいろあって、アイデアを生んだり、モノを作ったり、
現象を分析したり、状況を説明したりと、局面ごとにそれぞれ別の
能力が必要なはずだ(複数こなせる人もいるけれど)。

別に難しいのがエラい訳ではないけれど、わかりやすさを
持ち上げ過ぎる風潮には、ちょっと危惧を抱いちゃいます。
「わかりやすい」=「考えなくて良い」の落とし穴、みたいな。

そう考えると、自己啓発書ってどこかサプリメントみたいだ。
そればっかりじゃなくて形のある食物を食べとかないと、
芯の通った肉体にならないんじゃないかという気がする。

ま、最近そんなことを思ったりしていたのだけど、
この話わかりやすかったですかぁ?


『草食系男子』

2009年07月12日 | 気になるコトバたち
表層的な印象だけで語られた言葉が
気の利いたキャチフレーズみたい扱われて、
どんどん広まっていくことがある。

確かに、ある種共感を呼ぶ存在ではあるのだろう。
「最近の若い男はねぇ」みたいな。

でも誰かレッテルを貼るためのコトバには
注意したするべきだ。
女性に対して消極的であるというのは、
その男性の一面でしかない。
コトバが、恋愛ファシズム(その多くが誰かの飯の種だ)の
道具にならないことを祈る。

「逆に言うと」

2009年01月30日 | 気になるコトバたち
誰かがこういう言い方をする場合、その半分以上はこんな風に聞こえる――「ま、あんたはそう言うけど、てゆーか、俺の意見聞いてみそ」。新たな視点の提案ではなく、単に話をずらしているだけ、ということが多い気がする。

たとえば「ここは年寄りが多くて、活気のない街だ」という話に対して、「逆に言うと、身体の弱った人が住みやすい街である」はわかるけれど、「逆に言うと、活気をだすためにスーパーを誘致するべきなんだよ」とくると、どこが逆なんだよ、という感じだ。再度その答の視点をひっくり返しても、もとの話に戻らないし。

もしかするとこれ、議論の苦手な我々日本人なりの工夫なのかも。論理を正面から交わさず、すれ違うように話をつなぐ。ある意味、高度な技術なのだろうか――逆に言うとね。

朝青龍のコトバたち

2009年01月27日 | 気になるコトバたち
昨日のテレビで見た朝青龍の言葉が耳に残った。

「稽古だから負けることもある」
「自分の調子は、自分が知っている」

場所前の稽古総見で「ダメだコリャ」と言われた横綱は、
通り一遍の評価なんか気にしていなかった。
自分を信じる人間の強さ、見せてもらったよ。

ガッツポーズ、いいんじゃないすか?
相撲もCHANGEしたって。