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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

ラブ&マーシー 終わらないメロディー

2015年08月16日 | 映画とか

ザ・ビーチ・ボーイズ(※1)の元メインメンバー(※2)、
ブライアン・ウィルソンの主に60及び80年代の姿に基づいた物語。
語られる内容も、またその描き方も、見ごたえのある一本だった。

公式サイトなどの紹介では
「知られざる真実」とか「天才を愛することとは」といった文章を目にするけれど、
それはなんというか、通り一遍の説明でしかないように思える(※3)。

映画を見終えて、いちばん残っているのは、
ブライアンの頭の中で絶えず鳴り続けていた音の、その音圧の印象だ。
その音圧を、激しい水の流れに例えるならば、
ダムを介してエネルギーとなるか、
あるいは洪水という形で人を痛めつけるか。
彼にとっては、どちらともなり得る諸刃の刃だったはずだ。

例えば『グッド・ヴァイブレーション』ヒット後のディナーの席、
ナイフやフォークの音に過剰に反応して思わず席を立つブライアン。
あのシーンは象徴的だった。
すでに彼の頭は、勝手に訪れてくる音たちで溢れていたのだと思う。

それから、この映画で楽しめたのは、構成の持つヴァイブレーション。
ポール・ダノが腹、じゃなくて身体を張って演じた60年代と、
傷心男子をやらせればピカイチのジョン・キューザックの80年代の
行ったり来たりは初めの5分かそこら戸惑うのだけど、
コツ(?)をつかめば自然に入っていける。この辺は演出、編集の技だろう。

この構成について、監督のビル・ポーラッドが
共同脚本のオーレン・ムーヴァーマンに相談したとき、
オーレンはこんな風に答えたそうだ(※4)。

この構成は、もっと革新的なものにできるはずだ。
君は単に物語を伝えるだけでなく、
彼が音楽でやろうとした実験的な挑戦と同じことを映画でも挑むべきではないか?

そうか、ブライアンが異なるベースコードを持つメロディーを響かせようとしたように、
ディレクターとしての挑戦があったのかもしれない。
モノづくりの傍らで生きる者として、心にさざ波が立ちました、ハイ。

うーん、あれこれ参照しながら書いているうちに、
どんどん興味が広がっていくなぁ。
これは、自分的には優れた映画の印でありますが、
第一報としては、とりあえずここまで。
(まず書かないと忘れちゃうしね)

ちなみにヘーっと思ったのは、
80年代のブライアン役の企画段階での候補は、
フィリップ・シーモア・ホフマンだったとのこと。
今考えると、「天才」と言われる存在への、運命の仕打ちを感じて悲しい。
すべての人に、ラブ&マーシー(愛と慈悲)を。


※1:正しいのかもしれないけど、この中黒の打ち方好きじゃないなぁ。
※2:公式には現存のバンドの一員ではない、はず。
※3:トップページの『いつかは、ここを出て、愛を迎えに行かなくちゃ。』というコピーは好きです。
※4:Wikipedia(英語版)から

『パレードへようこそ』

2015年04月05日 | 映画とか

2014年制作のイギリス映画で、原題は"Pride"。
サッチャー政権が各労働組合への圧力を高めていた80年代前半、
炭鉱労働者たちはストライキを通じて対抗するも、
多数の警官による鎮圧活動やメンバーの逮捕などを受けて
苦しい状況にあった。

主人公のマーク・アシュトン(Ben Schnetzer)は、
同性愛者への認知や権利の獲得を訴える若き活動家。
ある日炭鉱でのストライキへの暴力的な鎮圧活動を知り、
「彼らも自分たちと同じ弱者の立場にいる」と確信。
仲間を集めて募金活動を始め、支援を申し出る電話をかけるのだが、
当の組合からは逆に拒否され続ける。

そんな中、あるウェールズの組合で電話を取った老婦人が
ゲイ、レズビアンの団体だと理解できず、
担当者はうっかり(?)彼らと会うことになる。
(この辺は映画としてのフィクションかもしれない)
その担当者ダイ・ドノヴァン(Paddy Considine)は、
最初戸惑いながらも彼らの思いを素直に受けとめ、
支援を感謝し、彼らを炭鉱の集まりに招く。
しかし田舎の炭鉱の町では、さまざまな軋轢が……。

ま、粗筋はそんなところで。

LGSM(※)のメンバーや、ウェールズの炭鉱の町の面々など、
登場人物のキャラクター設定は、実に活き活きとしていて楽しい。
推測だけど、役者にとってゲイやレズビアンを演じることは、
表現の幅を広げていく充実感や喜びもあるのではないだろうか。
また、ひと癖あるけどユーモラスな老人たちは、
イギリス映画ならではの素晴らしさだ。

※レズビアン・ゲイ・サポート・マイナーズ
(炭鉱労働者を支援するレズビアン、ゲイの会)

語りのテンポ感もとても良い。
必要以上の説明は省いてポンポン話が進んでいくので、
見る方としては一瞬ギアチェンジに気をとられたりもするが、
流れに乗れればこれはこれで快適だ。
(このテンポ感は、アメリカ映画と違うんだよね)

当然すんなり運ぶたちの出来事ではないので、
少しハラハラと苦さを味わせられながらの120分だが、
最後は少しホロリときてしまった。
大げさだけど、希望と可能性みたいなものを感じさせてくれる。

実は、マークがあれほど熱烈に炭鉱労働者を支援しようとする動機づけには
いまひとつ納得感が得られなかったのだが、
一方で彼が抱えていた、どうしようもないマグマは充分に伝わってきた。
「マイノリティ」としての自覚を持つが故に、
常に世の中に自己の存在を問うような心持ちがあったのだと思う。

当時首相だったマーガレット・サッチャーの言葉の中に
『社会というものはない。あるのは個人としての男と女、そして家庭だ』
というものがある。
("there's no such thing as society. There are individual men and women and there are families.")
さまざまな問題の原因は社会にあるという見識への反論として述べられたものだが、
確かにこの視点は、一部の人々を切り捨てているようにも感じる。

まあ、お話自体はある種予定調和的で、ちょいとお伽話なムードもある。
しかしこの『プライド(邦題はちょいとアレなので……)』は、
社会的な背景という土台の上で、超個人的な視点を持って組み立てられた映画でもある。
新しい物語を見せてくれたという点で、自分にとっては見るべき一本だった。

ともかく、いろいろ考えさせてくれる(=自分にとってはナイスな)映画だった。
えーっと、当時のイギリスの状況については詳しいわけではないので、
間違いやご意見などあれば、どうぞお聞かせくださいませ。

しかし蛇足ながら、ウィキペディア(日本語版)の記述、
『ゲイ・レズビアン映画である』はどーなんだ!?
ジャンル分けするなら、登場人物の属性ではなく、
コメディとかアクションとかラブロマンスとか、
物語の世界観や方向性で定義するべきだ。
せめて『事実を基にしたヒューマン・ドラマ』とかね。
(もちろん、もっと良いのがあれば、是非どーぞ)
(もひとつ言うと「マーク・アシュトン」のリンク先も違うよ。ブツブツ……)

6才のボクが、大人になるまで。

2015年01月12日 | 映画とか

原題は"Boyhood"。
リチャード・リンクレイターが12年の歳月をかけて撮り上げ、
2014年のサンダンス・フィルムフェスティバルを皮切りに
世界中で高い評価を獲得してきた一本。

テイストとしては穏やかなのに、読後感がずっと尾をひく映画だった。
見ている最中、「心地よい退屈」という言葉が浮かんできた。
100%賞賛の気持ちなのだけど、なぜに「退屈」?と自問自答。
思ったのが、「大きな川の流れを見ているようだ」ということ。

それは絵葉書になるような絶景の川ではないが、
ところどころに急流や危険な深みがあり、
また一方で流が緩やかで暖かい淵もある。
そしてなぜか、じっと見ていても飽きない。
そんな感じだろうか。

母親の3度の離婚や引越しなど
ある意味ドラマチックな要素は多々あるのだけれど、
その描き方は抑えか効いていて、
常に"Life goes on"なトーンが保たれている。

あるインタビューでのリンクレイター曰く、
「ここで事件が起こるだろう」と思わせるような場面も、
意図的にさらりとした展開で描かれている。
(建築中の空き家での集まりや、運転中のスマホシーンなど)

個々のエピソードの力に頼ることなく
主人公が生きる時の流れを軸としたストーリーテリングが、
見る人間に「自分の時間はどうだったのだろう」と
考えさせるのではないだろうか。
(少なくとも、私の場合はそうでした)

多くの人が指摘していることだが、物語の終わりでメイソンが
出会ったばかりの女性(ルームメイトの友人)と交わす会話は象徴的だ。

『どうして人は、一瞬をつかまえる、って言うのかな』
『わからないけど、僕は逆に、一瞬の方が
僕らをつかまえるんじゃないかという気がするんだ』

(うろ覚えです。実際には、
"You know how everyone's always saying seize the moment?"
"I don't know, I'm kind of thinking it's the other way around,
you know, like moment seizes us."かと)

誰もが、時間という川を泳ぐスイマーなのだろうか。
しかし息継ぎが下手なんだよなぁ、俺の場合……。

ま、見た後、いろいろと考えたくなるのも
映画の魅力のひとつだとすると、これは素晴らしい一本。
間に合えば、是非見て欲しいなぁ。
(日本の公式サイトは、こちら


※付記
同監督の1995年の『ビフォア・サンライズ』には、
今回の父親役でもある、主演のイーサン・ホークが
列車で出会った女性(ジュリー・デルピー)に
テレビ番組の企画を話すシーンがある。
その内容は、こんな感じ。

「世界中から365人の人を集め、
それぞれの24時間をリアルタイムで撮影、
1年を通じて流す」

これももしかして、監督の時間への執着の現れなのだろうか……。

Gone Girl

2014年12月14日 | 映画とか
デビッド・フィンチャーの新作、刺激的な内容との評判に期待して見に行った。
ニック・ダンの、知的で美しい妻エイミーの失踪と真相解明をめぐり巻き起こる
メディアの狂騒や関係者たちの疑心暗鬼。果たしてニックは本当に妻を殺したのか……。

もし映画紹介のあらすじを書くとしたら、そんなところだろうか。
ベン・アフレック演ずるニックのリアルさは素晴らしい。
ロザムンド・パイク演ずるエイミーの怖さは尋常じゃない。
複雑なストーリーを達者にまとめ上げていく、その展開。
映画としては、約150分を一気に見せてもらって楽しめた。

また、きっちりと構築されながら、それでいて見る者を不安にさせる世界観。
『ソーシャル・ネットワーク』などでも撮影を担当したジェフ・クローネンウェスや
同じく同映画の音楽トレント・レズナーとアッティカス・ロスらと共に
フィンチャーの作りあげる映像は、とても独特で魅力的だ。
(小説でいうと「文体」のようなものではないだろうか)

ただ、ストーリーの流れ自体には、もうひとつ乗ることができなかった。
なんて言うか、盛り込まれたアイデアがきちんと消化されていない気が。
話として興味深いネタが幾つもあって、これが物語を膨らませていくのかと思ったのだけど。

例えばエイミーの両親は、彼女をモデルとした人気の絵本(?)"Amazing Amy"の著者として、
いわゆる「知的セレブ」のような存在。しかし性格はスノビッシュで、
ミズーリ出身のニックを見下している様子もある。
一方で経済面では苦境にあり、エイミー自身の人生も本のような楽しいものではなかった。

それとか細かい話だと、弁護士のダナー・ボルトが手配するという
「腕利の元シークレット・エージェント」はついぞ登場せず。
解決の一端を担うかと思ったのだけど(ちょっと期待してた)。

決して物語のレベルを下げたり、また破綻を来すようなものではないけれど、
あちこちでチラ見させられたアイデアが放置されているように感じてしまう。
トリッキーなストーリーだけに、その展開に注力したということなのだろうか。

ちなみに一緒に見た家人からは、
「エイミーの独白による謎の解明は、観客には伝わっても客観的には不自然」という指摘も。
なるほど、なんていうかユージュアル・サスペクツ的な矛盾があるのかも……。

ところで、中で両親が作ったサイト"findamazingamy.com"や
架空の本"Amazing Amy"を取り巻く盛りあがりなど(例えばこちら)、
こういったサイドコンテンツの作り方、作られ方は素晴らしい。
この辺はエンターテイメントビジネスとしての厚みを感じる。

一方で、映画の中でのgoof(へま、失敗)も「細かいなー!」という指摘がいろいろ
こちらも本場の厚みなのでしょうか。

などと、いろいろ思ったりもするのだけれど、
あれこれ考えさせてくれる楽しさも、この映画のポテンシャルなのだろう。

デートで見る候補作としてはともかく、映画がお好きなら、是非。

仁義なき戦い

2014年01月07日 | 映画とか

WOWOWで録画しておいた『仁義なき戦い』を見た。

一度は見ているのだが、ほとんどストーリーは忘れていて、

荒く削った棍棒を手にしたような、ゴツリとした印象だけが残っていた。

で今回、印象はそのまま、というか更に鮮明に残像を焼きつけられた感じだ。

音楽もまたイカしてて、映像にぐるぐると絡んでくる。

(そういえば格闘家の村上竜司氏も、入場のときに使ってたような)

はたまた周辺情報をWikiで読んでいると、

「活劇屋」と呼びたくなる製作者たちのエピソードや、

同録だから収録できた台詞の臨場感など、これがまた興味深い。

いやぁ、やっぱり娯楽映画の王道だなぁ。 

 

とまあ、ブツブツ言い始めるとキリがないけれど、

この映画を語るにはあまりにもド素人なので、この辺で勘弁して頂きたく。

 ところで、松方弘樹演ずる「坂井の鉄ちゃん」が、会社設立パーティの会場で、

田中邦衛演ずる槙原から密告話を聞くシーン、

静止画とナレーションの展開に、例のあのCMを思いだしたのは私だけだろうか。

いや、ホントその演出も新鮮だったのですよ。

さて、第2作(こちらも録画してある)はいつ見ようかのう。