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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

フラ・ガール(ビデオ)

2007年10月17日 | 映画とか
民放でのオンエアをビデオで観賞。「意外に泣けた」という評判をいろいろ聞いていたので、その泣かせのテクニック(?)にも興味があったのだけど、いやー松雪泰子や蒼井優などの踊りもなかなか。一所懸命に作られた映画という印象が強く残った。

ストーリー自体はベタなのかもしれない。でも「泣かせ」には、その予測できる感じが必要なのだと思う。なんていうか、「こうなって欲しい!」というタイミングでそれが実現するところがグッとくるわけで、俺もついついやっちゃいました。

父親を炭鉱事故で亡くした直後の小百合(山崎静代)が、公演中止かという状況で「踊らせて欲しい。父ちゃんもそう望むと思う」と願い出るシーンとか、村を出るために列車に乗った平山まどか(松雪泰子)に、残って欲しいというメッセージを娘たちがフラの踊りで伝える場面とか。

もちろん予想はついていてもそのボタンの押し方には技が必要で、セリフの間合いや映像の切り取りのセンスは光っている。監督も上手いけど、カメラも大したもんでねえの。

まあ展開のゴツゴツした感じ(これも結構指摘が多かった)など気にはなるけれど、まんず立派な仕上がりでした。

TOKKO -特攻- Wings of Defeat

2007年10月03日 | 映画とか
先日の「ミリキタニの猫」に続いて、戦争と日本人(そしてアメリカ人も)の関係を問うような映画が続いている。こちらはアーカイブの映像(しかし終戦頃にはカラーのものもあるんだ…)もふんだんに使われていて、より歴史的な視点が感じられる。しかし、やはり軸とのなるのは「人間としての特攻隊員」。

たとえば生き残ったある隊員の話。通常特攻機には片道分の燃料しか搭載しないのだが、いよいよ出撃で機に乗りこもうとしたとき担当の整備士に「自分は軍法会議にかけられてもいいから、満タンにしておいた。帰って来てくれ」と言われたというエピソード。こういった事実を淡々と重ねていくなかで、戦争という空気の歪みが見ているこっちに染みこんでくる。

監督のリサ・モリモトは日系アメリカ人の女性だが、日本語を話すこともあっていい距離感で相手の話を引き出している。真摯であるとともに若々しさの感じられるドキュメンタリーだった。

ミリキタニの猫

2007年10月02日 | 映画とか
見ているうちに、なぜかミリキタニ氏って「侍」だな、という気がしてきた。刀の代わりに絵筆。あまり世渡り上手ではなさそうなので、江戸時代の日本でも冷や飯食わされていたかもしれないけれど、その一途さには敬意を払われるような存在になっていたのでは。氏は「日本で死にたい」と言っていたけれど、いまの日本は彼の死に場所にふさわしい国なのだろうか…ちょっと切なくなった。しっかりせんと。

考えてみたら、NYUに行っていた時分にはどこかですれ違っていてもおかしくない。ワシントン・スクェア・パークとか6番街の韓国ストリートは俺もお馴染みの場所だったし。でも、といって監督のリンダ・ハッテンドーフのように振る舞えただろうか。もちろん土地に慣れない留学生と地元のアメリカ人では融通の利き方が違うとは思うけど。

そう言えばこの辺(NYUの辺り)には「スーパーサイズ・ミー」のモーガン・スパーロックとか、ご存じフィリップ・シーモア・ホフマンとかいろいろ居るのだ。いまに始まったことじゃないけど。あー行きたいNY、といいつつ来週夏休み(?)をとって行ってきます。楽しみ。

で、映画の話に戻ると、変な下心(政治的意図とか作品としての目立たせ方とか)がない等身大のスタンスがいいのだと思う。監督のリサ自身、住居を提供して社会保障の件などでもかなり献身的ではあるが、適度に距離を保ったベタつかない温かさを見せている。難しいんだよね、こういうのって。ドキュメントって、実は作り手自身を映すものでもあるのだなぁ。

SiCKO(シッコ)

2007年09月12日 | 映画とか
NYUで学ぶ留学生は学校指定の保険、もしくは同等の民間の保険に加入することを義務づけられている。俺自身、風邪や体調不良で病院(学校には立派なメディカル・センターがある)に行ってもお金はかからなかった。でもそのためには結構な金額(2年で10万円くらい?)が必要。それほどお気軽な金額ではない。

マイケル・ムーアの今回のテーマは、アメリカの医療保険制度。詳しくは公式サイトを見てもらえばいいと思うが(あまり見やすくないけど)、「ここが変だよ、アメリカ人」的なツッコミは健在だ。保険に入ってなかった(入れなかった)ばかりに巨額の医療費を請求された話や、入っていても支払いを妨げるさまざまな会社側の手練手管など、精度の矛盾をわかりやすく暴きだす手腕は相変わらずだ。

ただ911の被害者たちとキューバで治療を受けるエピソードなどは、向こう側のプロパガンダが透けて見える。その辺の探りも入れて欲しいところ。今回はどこか全般的に淡々としていて、問題の突きつけ方がやわらかくなっている印象がある。以前のムーアなら保険会社のビル前でメガホンを手に取っていたかもしれないのに、なんか大人な感じがちょっと物足りなかった。

ところで「国民全員保険は管理された社会、ひいては社会主義化への布石である」という国(主に共和党)の論理は「銃を用いた自衛は国民の権利」という主張と重なって見える。理想を謳いながら一部の利益を守ろうとするロジックは、アメリカだけでなく日本でも広がりそうな気がしているのは俺だけだろうか。アメリカの医療制度というより、妙に自分の国が気になった一作でした。

デス・プルーフ イン ザ・グラインドハウス

2007年09月10日 | 映画とか
むかしキングダム・カムというバンドがあったのだが、この音がもろレッド・ツェッペリン。別に曲をカバーしているわけではないが、なぜか同じ。でも全然よくなかった。似ている分、かえって物悲しかったりして。

タランティーノのこの新作、盟友ロバート・ロドリゲスとの「グラインドハウス」シリーズの一作でもある。かつてのB級映画に捧げるオマージュ、なのかもしれないが、これがどうにもスカッとしない。延々と続くカーチェイス(?)にも爽快感はなく、もしかしたら自分なりの「バニシング・ポイント」を作りたかったのかもしれないが、その狙いは空振りしている。よくできた学生映画みたいだ。カート・ラッセルの演技はなかなかだけど。しかしB級の醍醐味は、フィルムの傷やカットの飛びよりもっと別のところにあるはずだ。

ツェッペリンに関していえば、一方で日本の完全コピーバンド(当人たちも認めたらしい)シナモンというのがあって、俺もライブに行ったことがあるのだが、これはこれで楽しいし盛りあがる。愚直なまでの愛情は自己表現になるのだなと納得。タランティーノも一度「バニシング」のリメイクをしてみてはどうだろう?